三郎君の最期

 雷太郎君は自分のすぐ近くで何かが動く気配を感じました。目を開けると既に夜は明けて朝になっています。


「いけない、寝坊しちゃったかな」


 雷太郎君は慌てて身を起こしました。三郎君はもう働いています。


「あっ、三郎君、おはよう」

「ああ、太郎さん、おはようございます」


 三郎君の声は元気がありません。雷太郎君は起き上がると三郎君の近くに寄りました。夜が明けてそれほど経っていないようですが、もうかなりのスイッチが入っています。雷太郎君は働く三郎君の顔をのぞき込みました。


「さ、三郎君!」


 雷太郎君は驚きの声をあげました。前日までの生気あふれる顔ではありません。疲れきって、青白く、まるで病人のようです。


「三郎君、まさか寝ないで働いていたんじゃ……」


 雷太郎君の言葉に三郎君はにこりと笑うだけでした。雷太郎君は三郎君のしている仕事をいくつか引き受けると、すぐ一緒に働き始めました。


「ああ、太郎さん。昨日の放電管の件ですけど」


 三郎君が力のない声で言いました。


「もう、明るくなったので、放電管のスイッチは一つも入っていないのです。すみませんが暗くなるまで待ってくれませんか」

「いいよ、そんなのはいつでも」


 雷太郎君は心配になってきました。こんなに疲れている三郎君を見るのは初めてです。もう、放電管どころの騒ぎではありません。


「ねえ、三郎君。少し休んだ方がいいよ。だいぶ疲れているみたいだし」


 雷太郎君が声を掛けても三郎君は笑うだけで、相変わらず仕事を続けています。雷太郎君の心の中にまた昨日のもやもやした感情が浮かんで来ました。この仕事、人間が勝手にさせているだけの仕事。三郎君がこんな状態になってまでやるだけの価値があるんだろうか。雷太郎君は思い切って三郎君に言いました


「ねえ、三郎君。ボク思うんだけど、どうして三郎君がこんなに働かなくちゃいけないの。ボクはこの仕事をすることで、これまで知らなかった色々な仕掛けの仕組みを学べるけど、三郎君はもうみんな知っているんでしょう。それなら働いたって意味がないと思うよ」

「太郎さん、それは違います」


 三郎君の目は鋭く光っています。


「この仕事をするための知識なのです。この仕事をするために多くの知識を身に着けたのです。もし知識だけを手に入れてそれを役立てなかったなら、それこそ意味がありません」

「でも、こんな仕事が三郎君のためになっているとは思えないよ」

「いえ、なっています。優れたベータ族として認められるのです。最も優れたベータ族、それは最も人間の役に立つベータ族なのです。この仕事をして、人間の役に立てば立つほど、私は優れたベータ族として認められるのです」

「認められるって……でも、人間は全然三郎君をほめてくれないじゃないか。こんなに一所懸命頑張っているのに」

「ほめてもらうためにやっているのではないのです。そんなことを期待してはいないのです。ただ、人間の役に立つこと、これだけが全てなのです」

「で、でも……」


 雷太郎君はもうどう言っていいか分かりませんでした。そんな雷太郎君を見て三郎君は青白い顔に笑みを浮かべました。


「ありがとう、太郎さん。あなたは私の体を気に掛けて、そんなことを言っているのでしょう」


 三郎君の体は少しふらついています。そんな様子を見せられて、雷太郎君は居ても立ってもいられなくなってきました。


「三郎君、ボク、心配なんだ。だって、三郎君の疲れ方は尋常じゃないもの」

「私は大丈夫ですよ。よけいな心配をかけ、て……」


 突然、三郎君の顔色が急変しました。三郎君の体の動きも激しくなっています。雷太郎君はびっくりして言いました。


「ど、どうしたの三郎君」

「エアコン、が……」

「エアコン、まさかこんな時間から」


 雷太郎君は驚きました。まだ朝もずいぶん早くそんなに暑くはないはずです。こんな気温でスイッチが入るとは思えません。しかしそんなことを考えている余裕はありません。三郎君は今にも倒れんばかりの苦しみようです。


「三郎君、手伝うよ」


 雷太郎君は三郎君のしている仕事をいくつか引き受けました。それでも三郎君の様子は変わりません。息は乱れ、歯はくいしっばたままです。雷太郎君はたまらず叫びました。


「三郎君、ボクがエアコンの仕事をするよ。ボクにもできるでしょ」

「え、ええ。電動機ですから、でも、これは力が、要りますよ」

「構わないよ。三郎君のそんな辛そうな顔は見たくないもん」

「で、ではお願いします。すみません」


 三郎君は辛そうな顔でそう言うと、エアコンの仕事を雷太郎君に引き渡しました。雷太郎君はその仕事を引き受けて愕然としました。大変な仕事なのです。雷太郎君の全ての力を出しても、まだ足りないくらいの力が必要なのです。雷太郎君の息は乱れ始め、足も腕も力を入れすぎて、がちがちになってきました。


(三郎君、昨日はこんなに辛い仕事をやっていたのか。何も言わずに一人で。それもこれだけじゃなく他の仕事もしながら……)


 雷太郎君は昨日黙々とこの仕事をしていた三郎君の姿を思い浮かべて、胸がズキリと痛みました。そして必死にこの仕事に取り組みました。しかし幾らも経たないうちに雷太郎君の力にも限界がやってきました。もう目もかすみ、頭もしびれ、何も聞こえなくなり始めました。自分の腕が棒のように感じられ、立っていることもできなくなりました。


「ああ、もう駄目だ。」


 雷太郎君はうめくようにそう言うとその場にへたりこんでしまいました。それを見た三郎君はすぐにエアコンの仕事を引き継ぎました。


「ご、ごめん、三郎君。ボク、もう疲れて……」


 雷太郎君は倒れこんだまま三郎君の顔を見上げました。働く三郎君の顔にはもう汗も流れていません。


「いいのですよ、太郎さん。元々、私が一人で、こなさなければならない、仕事なのです、から」


 今や全ての仕事を背負うことになった三郎君の顔は苦痛に満ちていました。三郎君の体はまるで持ちきれないほどの大きな山を背負わされたかのように震えています。雷太郎君は何もできないでいる自分を情けなく思いました。


「三郎君、ボク、人間に頼んでみるよ。早くスイッチを切ってって。もうこれ以上、三郎君を働かせないでって頼んでみる」

「いえ、そんなことは、できません」

「でもこんなに辛そうな三郎君を見たら、人間だってきっと分かってくれるはずだよ。」


 三郎君はもう何も言わずに、ただ首を振るだけでした。口を開く余裕さえもないようです。雷太郎君は苦しそうに働く三郎君を悲しそうな目で見つめました。と、声が聞こえてきました。


「電圧が落ちている、次のベータ族!」


 ここへ来る前に箱の中で聞いたあの声です。その声を聞いて三郎君の表情が緩みました。


「終わりです、太郎さん。お別れです」


 その言葉は、何かから解放される者の吐く安堵の響きと、去りがたい地から去る者の哀惜を帯びていました。三郎君はふらりと端子から離れました。そして、何かをつかみ取ろうとするかのように右腕を空に伸ばしながら、ゆっくりとその場に倒れました。


「さ、三郎君!」


 すぐに一人の新しいベータ族が箱の中に入ってきて、三郎君の仕事を全て引き継ぎました。そのベータ族の顔も苦しそうです。しかし、雷太郎君にはそんなベータ族など目に入りませんでした。急いで三郎君のそばに駆け寄ると上半身を抱き起こしました。


「三郎君、しっかりして」

「ああ、太郎さん、今まで手伝ってくれて、ありがとう」

「そんなことはいいよ。それよりもゆっくり休んで元気になってよ」


 雷太郎君の言葉に三郎君は首を振りました。


「それはできないのです。私たちベータ族は雷と違って力を取り戻すことはできません。最初に与えられた力が全てなのです。それを使い果たせば後は消え去るのみなのです」

「そ、そんな……」


 雷太郎君は三郎君の体が徐々に薄くなっているのに気がつきました。三郎君の体は消えようとしています。


「それならどうしてそう言ってくれなかったの。そうと分かっていたら、三郎君をこんなに働かせることなんかなかったのに。ボク、もっと手伝ってあげたのに」

「これがベータ族の宿命、人間によって使い捨てにされる存在としての宿命なのです。どんなに力のあるベータ族も、二次変電所で出会った最も優れた彼でさえも、やがては消え去る運命なのです」


 雷太郎君は誇らしげな口調で自慢していたあのベータ族を思い出しました。そして彼もやがてはこのように消えて行くのかと思うと、何ともやりきれなくなるのでした。


「ボクに何かできることはない?」


 雷太郎君の問いには答えず、三郎君は話し続けました。


「太郎さん、あなたに会えて嬉しかったです。あなたに会って、私は何かとても大切なことを、教えてもらった気がするのです。それから、放電管、教えて上げられなくて、ごめんなさい」

「そんなことはどうでもいいよ!」


 三郎君の体はもうほとんど消えかかっています。雷太郎君の腕にも三郎君の感触がなくなっていくのが分かります。


「太郎さん、必ず、必ず雲に帰ってくださいね。私のような者でも、少しは太郎さんの、役に、立てて……」


 三郎君の笑顔はもうほとんど見えません。


「うれ、しかっ、た……」

「さぶろうくーん!」


 三郎君は完全に消えてしまいました。雷太郎君は三郎君を抱いていた両腕を見つめました。信じられませんでした。あの三郎君がこんなにあっけなくいなくなるなんて、とても信じられませんでした。何でも教えてくれた、そして自分よりもはるかに力のあった、あの三郎君が消えてしまい、自分のように何も知らない力もないものが、消えもせずにここにいることが、雷太郎君にとってはあまりにも不思議でした。消えるにふさわしいのは自分の方だったのに……


 雷太郎君の横では新しく来たベータ族が、まるで何もなかったかのように働いています。


「三郎君……」


 雷太郎君はもう存在しないベータ族の名をつぶやきました。その言葉は雷太郎君の胸の中に深く染み込みました。頭の中はいろんな感情でごちゃごちゃしていました。三郎君がいなくなった悲しみ、これからどうすればよいのかという不安。

 しかし一番大きかったのが三郎君を奪った人間への憎しみでした。人間がこんなに三郎君を働かせなければ、三郎君はもっと長く生きられたはずなのです。その憎しみの感情は雷太郎君の心の中でどんどん大きくなっていきました。それと同時に何か制御できない感情が雷太郎君の中で大きくなっていくのも分かりました。雷太郎君の体がうっすらと輝き始めました。


「なにもかも人間のせいだ」


 雷太郎君の体の輝きが次第に強くなって行きました。体の中から何かがあふれ出て来るのが感じられました。それは心の中で大きくなっていた感情が、もう治まりきれずに体の外へ吹き出して来るようでした。


「三郎君を消し去った人間を」


 雷太郎君の体に向かって何かが集まり始めていました。それは風のように流れ雷太郎君の体を包み込みます。雷太郎君の全身は今やまぶしいばかりの光を放っていました。あれほど疲れきっていた雷太郎君のどこにこれだけの力があったのかと思わせるほど、その光は莫大なエネルギーを感じさせるものでした。そばで働いているベータ族もその強大な光に気づき少しおびえた顔をしています。雷太郎君は、しかし、そんなことには全く気づきませんでした。ただ三郎君を奪われた憎しみだけが雷太郎君の全てを支配していたのです。


 やがて雷太郎君を取り巻いていた光が大きくなり始めました。バチバチと火花が飛ぶ音も聞こえます。何かをこらえるように唇を震わせていた雷太郎君は、そのつかえを一気に叩き壊すかのように両腕を振り上げると雲にも届けとばかりに絶叫しました。


「ボクは許せない!」


 雷太郎君の体を包んでいた光が大音響とともに炸裂しました。大きな光が辺りに満ち、雷太郎君の体は箱を飛び出すと、空中高く舞い上がりました。


 ――なんだ、なんだ、ブレーカーが落ちたのか!


 働いていたベータ族は気を失って倒れています。建物の中にある仕掛けは全て止まってしまい、人間が何かを叫びながら右往左往しているのも分かります。

 雷太郎君の目の前には波がありました。自分の体から出た波が自分を前へ前へと導いているのです。その波に乗って雷太郎君は空中を突き進みました。

 建物の外へ出た後、雷太郎君はいったん地面の上に降りました。しかしそこにじっとしていることはできません。再び空中に跳ね上がると地面を低く横に移動しました。移動している間にも自分の力が猛烈な勢いで失われて行くのが分かります。光も波も空中を移動するにしたがい、その勢いはどんどんと弱って行きます。このまま長く飛び続けることはできそうにありません。


 雷太郎君はまた地面に降りるともう一度跳ねました。すぐ側に丸いものがあります。雷太郎君はその中に入りました。中は最初に地上で助けてもらった流れに似たもので満たされています。雷太郎君はそれが何なのか、ここはどこなのかを見極めようとしました。しかし、疲れきった雷太郎君の体はもう、指一歩動かすこともできませんでした。


「三郎君……」


 雷太郎君はそうつぶやきながら静かに目を閉じました。

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