第9話 文化祭③ 人は恥をかくだけ成長する

 これから俺たちは空白になっていた1年以上の月日を埋める様に二人だけの時間と空間を作り上げる。後悔や寂しさ、すべての憂鬱を解消するかのように過ごしていく。そう思っていた。

 ・・・・・そう思ってしまっていたんだ、あの時の俺は・・・・・。

それまでの回想をしておこう。気が済むまで嘲笑しておいてほしい。

 彼女との主に近況報告のような何気ない会話を繰り返している最中も俺の心中は決して穏やかなものではなかった。それは俺がまだ茜に付き合っている男がいるのか、という質問をしていなかったからだ。しかしながら少しだけ自信があったことも確かだ。だって、もし気がないなら偶然再会してもこんなに親しく話さないでしょ?これは脈ありってことだろ、なんて自問自答をしていたからだ。自問自答というか自己暗示と言い換えてもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら茜と校内を歩いていると彼女の方から質問してきた。

「智樹って彼女いるの?」

おそらく心拍数が上がっている、それを把握できないほど狼狽していたがそれを表に出さないように答えようとした。

「エエ?イナイアルヨ」

「えっ?どっちなの?」

「はい、いません」

エセ中国人のへたくそな返答から面接の質疑応答にシフトしてしまった。でもこの流れならもう聞くしかない。

「茜はいるのか?」

「うん、いるよ」

「・・・ああいるんだ~、えーと・・・何人くらい?」

「一人にきまってるでしょ」

「ははははは、そうだよね~。普通は恋人って一人しかいないし、いたとしても人前では言わないよね」

 以上が勝手に妄想を広げて意中の女の子とあわよくば付き合おうとした勘違い男の哀れな身の上話だ。とりあえず恥ずかしい。すぐにこの場から立ち去りたい。1話またいでカッコつけた結果これかよ!なんて言われても仕方ない。でも男ならこんな経験が一度はあるはずだ。こんな勘違いをしながら立派な紳士ができあがっていくものだと思うことにしよう。

 俺は明らかに落胆していた。浮足立って彼女と一緒にデート気分を勝手に味わっていたことがひどく滑稽に思えた。そんな空気を察しているのか茜がクレープ店で立ち止まって、

「ねーねー、クレープ食べない?」

と話しかけてきた。半ば茫然自失の俺もクレープという単語に反応してかろうじて頷き返すことができた。各々がクレープを購入して教室内にあった机に座って食べることにした。とりあえず一口食べると予想どおりではあったけどそこまでおいしくはない。生地はゴワゴワしているし生クリームは中途半端な甘さ、中に入っているバナナも大きすぎて食べづらいとか、いろいろ酷評すべき点はあったが、茜が嬉しそうに食べていたのでとてもそんな風には言えない。ていうかどうでもいい。俺は素直にクレープが好きだ。

 そんなことを考えながらクレープを頬張っていると生地の下からクリームが垂れてきた。二人とも苦笑いしながら茜がつぶやく。

「それ前にもあったよね、クレープの上の方食べるのに夢中になってクリームこぼしちゃうの」

「そうだったな。あの時は制服にクリームが落ちちまったけど、今回は机の上だ。少しは成長しただろ?」

「何言ってんだか・・・」

そんなことを言いながら二人とも微笑んでいた。そうだったな。俺たちはこんなふうにあの喧噪の中を過ごしていた数少ない悪ガキだったんだろう。どこに行っても居場所がない、帰るべき家もない。そんな俺たちを導いたのは、やはりどこにも居場所がない連中のたまり場だった。

 俺はこの場所、すなわち一般人が立ち入ることのほとんどない裏路地やダウンタウンと言われる様な場所は好きではない。最も好きな人間などほとんどいないとは思う。俺も他にこの場所に居ついてる奴らもおそらく同じ心境だろう。こんな街灯がろくに作動しているかどうかも怪しい薄暗さと、カビやヘドロ、時には嘔吐物の悪臭を漂わせるこの空間を好む人間が果たしているだろうか?

 だが俺にはここしか居場所がなかった。いや、探せば存在していたかもしれないほかの居場所をすべて薙ぎ払っていなければ俺個人の意思は全て霧散してしまいそうだった。この場所が、この場所だけが自分でいられる場所だと思っていた。

 そんな場所に彼女はいた。茜はこんな場所にはそぐわない少女らしさと憎しみや悲しみを抱えた複雑な表情をつくりながら俺の前に現れた。

 初めて茜と会ったとき彼女は複数の男に襲われていた。俺は一般人が紛れ込んでしまったと思ったのですぐさま駆け込んで奴らを殴り倒した。今から考えれば助ける必要なんてなかった。なぜなら彼女はその辺の悪ガキよりからだ。

 彼女はお礼を言うつもりだったのか俺の方を振り向いたが、顔を向けた瞬間に俺は駆け出し彼女から遠ざかった。理由は、恥ずかしかったからだ。なんせそのころの俺はまともに女の子と話したことなんてなかったし、彼女のしおらしい表情がやけにかわいいし。

 かくして情けない対面を果たしてしまった俺たちだったが再会の機会は早々にやってくる。あの騒動の1週間後、俺は再びこの地を訪れた。しかし俺は大切なものを探すためにここに来たわけで、決して彼女にあいたかったとか逃げ出したことを弁明したかったわけではない(とかカッコつけて自分を納得させていたが本当はあいたかったヨ)。

 そうして彼女と再会できた。ちょうど前回彼女が立っていたところとほとんど同じ場所に彼女はいた。心臓が飛び跳ねるような感覚を覚えながら、それでも俺はその場を素通りしようとした。ところが彼女のほうから話しかけてきて、

「あの、このまえは助けてくれてありがとう」

心の中では感極まっていたが、極度の緊張と思春期特有のつまらないプライドが本心をさらけだすことを拒む。

「ああ、そんなこと気にしてたんだ。別に大したことないよ」

恥ずかしさを隠しながら探し物を物色もせずこの場を離れようとする。

「あの、・・・・・もしかしてこれ落としませんでしたか?」

彼女はポケットから花柄の刺繍が入った品のよさそうなハンカチを取り出した。一見すれば彼女の持ち物で通りそうな代物だが、それが俺の探し物だった。

こんなバッドエリアで常に厳つい表情をしている少年がこんなハンカチ持ってるのか疑問に思うだろうが、これは10歳の時俺が母親の誕生日に贈った物だ。母さんは嬉しそうに受け取っていつも肌身離さず持ち歩いていた。その2年後に母さんが事故であの世に逝った後、遺品としてこのハンカチを見せられた時の虚しさや絶望は今も俺の心を締め付ける。

「ああ、拾ってくれたんだ。ありがとう」

極力動揺を悟られないように冷静に答えようとしたけど顔が不自然に笑っているのが自分でもわかった。

「えっ、本当にキミのだったんだ」

「ほ、本当だよ!」

わかってはいたけど不審者をみるような目で彼女は俺を見ていた。でもその表情がすぐに笑顔に変わって彼女は言った。

「君なんか面白いね」

こんなやり取りの後俺たちは仲良くなっていった。俺にとって彼女は暗闇の中の光る宝石のようで、その輝きは眩しすぎるくらいに俺の網膜を突き刺していった。



 


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