第14話 私をプールに連れてって

 山本も自分の気持ちを美紀に明かし、二人はカップルからバカップルに成長するかと思われたが、そうでは無かった。相変わらず美紀は山本に纏わり付くが、山本はそれが照れくさいのか、彼女を邪険にとまではいかないが、軽くあしらっていた。もっともそれは人前での話で、二人きりの時はそうでは無いのかもしれないが。


 ともかく二人の気持ちが繋がって数日経った頃のこと。その日も暑かった。

「古戸君、プールの券が二枚あるんだけど、一緒にどうかな?」

 優子がハーデスをプールに誘った。それも『券が二枚ある』と言う常套句で。これはつまり、『二人で行きたい』という誘いなのだが、もちろんハーデスにそんな腹芸は通用しない。

「二枚しか無いんだ。じゃあボクと二人で行くことになっちゃうけど、良いの?」


 なんとバカな事を言う男だろう。優子はそれを望んでいるのだ。優子は苦笑いしながらも次の日曜に行く約束をハーデスから取り付ける事に成功した。そのやり取りを玲子は自分の席から冷ややかな目で見ていた。更にそんな玲子を見る男が一人。山本? 否、伊藤だった。何を思ったか、彼は玲子に近付き、話しかけようとした。


「あなた……伊藤君だっけ?」

 それに気付いた玲子が先手を打つ様に口を開いた。それにしても『伊藤君だっけ?』とは、一緒に海にも行っているというのにその程度の認識しかしてもらえていない哀れな伊藤。しかし彼はめげる事無く彼女に尋ねた。


「玲子ちゃん、初めは古戸に抱きついたぐらい積極的だったのに、アレ以来何もして無いんじゃない? 望美と優子は頑張ってるってのにさ」

 こんなデリカシーの無い事を言うからコイツはモテないのだろう。だが玲子はそれがどうしたとばかりに答えた。


「大丈夫。彼は私のものだから」

 さすがにこの一言には伊藤も驚いた。

「へえ、凄い自信だな」

「まあね」

 短い会話を終えると玲子はまた視線を優子とハーデスに戻した。

「そっか、まあ頑張れや」

 伊藤はすごすごと引き下がったところを山本に捕まった。


「おい伊藤、お前玲子に変な事吹き込んで無いだろうな?」

 迫る山本に伊藤は「俺がそんなバカな事をすると思うか?」と心外な顔をするが、逆に「お前だからこそ言ってんだよ」と、あっさり切って捨てられる結果となった。しかし彼はそんな仕打ちをものともせず玲子とのさっきの会話について話し出した。

「……ってなわけだ。どうよ、俺の情報収集能力はよ?」


 得意気に鼻を鳴らす伊藤。山本は難しい顔で玲子の自信の理由を考えたが、考えたところでわかる筈も無い。

「とにかく、その話はココだけの話って事にしとけよ」

「え~っ、何でよ? 古戸には貴重な情報じゃねぇか」

 せっかくの情報を他言無用だと言う山本に不満そうな伊藤だが、有無を言わせぬ山本の真剣な目付きに黙って頷かざるを得なかった。そこに優子と別れたハーデスが現れた。


「どうしたの? 難しい顔して」

「いや、何でもねぇよ。伊藤はバカだなって話だ」

 どこに行ってもえらい言われ様の伊藤だが、それは今に始まった事では無いのでハーデスは別に気にも留めず話し出した。

「……と言うわけなんだけど」

「おいおい古戸……」


 ハーデスが話し終えたところで山本が溜息混じりに言った。

「何でお前はそういう事言っちゃうかな? 俺の居ないトコでお前を誘うって事はどういう事だと思う? 優子の気持ちも考えてやれよ」

 山本が言いたいのは、優子がハーデスと二人だけでプールに行きたいのだという事。


「古戸、お前の争奪戦なんだぜ。お前がそんな調子でどうするよ?」

 山本の言葉に黙り込んでしまうハーデス。ゼウスだったら悩む事も無く、三人の女の子を同時に愛する事も出来るだろう。しかし、ハーデスにはそれは出来ない。そんなハーデスに山本は優しく声をかけた。

「とりあえず、二人で楽しんで来いよ。その時は望美の事は忘れてさ」

「……うん」

 力無く頷くハーデスに山本は言葉を続ける。


「もし、嫌だったらはっきり言った方が良いぜ。優子の為にもよ。お前は俺に言ってくれたよな、自分の素直な気持ちを大事にしろって。その言葉、返させてもらうぜ」

 もちろんハーデスには優子が嫌だとかいう気持ちは無い。だが、望美と玲子が心に引っかかっているのだ。もし、この二人の女の子がいなければ間違いなく優子と付き合っていただろう。しかし……

 そんなハーデスの心を見透かした様に山本は言った。


「もちろんお前自身がまだ分かって無いのなら、もっと悩んで良いと思うぜ」


 そして日曜日。優子とハーデスの二人だけのプールデートの日が訪れた。待ち合わせは駅に朝九時。ハーデスが十分程前に駅に着くと、優子は今回も既に到着し、彼を待っていた。白いワンピースに麦藁帽をかぶった優子はハーデスが来たのに気付くと手を振り、微笑んだ。

「ごめん、また待たせちゃったね」


 ハーデスが謝るが

「ううん、私が早く来すぎちゃったから」

と、かわいい事を言う優子。普通の男子なら瞬殺されること間違い無しだろう。実際、ハーデスもくらっと来そうになったぐらいである。


「じゃ、じゃあ行こうか」

 そんな気持ちを見透かされない様にハーデスは改札へと向かって歩き出そうとした。しかし、一歩足を踏み出したところで抵抗を感じ、前に進めなくなってしまった。振り返ると優子がハーデスの手を握っているではないか。おまけに彼女は寂しそうな顔で男心をくすぐる言葉を口にした。

「置いてっちゃうの? もしかしたら、私と二人じゃ迷惑だった?」

 こんな事を言われた日には、その場で抱き締めてしまいたくなるものだが、ハーデスはそんな気持ちをなんとか抑えて笑顔を作った。


「迷惑だなんて、そんなわけ無いじゃないか。誘ってもらって嬉しいよ」

「そう、良かった」

 優子はにっこり笑うとハーデスの手を引く様に歩き出した。その時、ハーデスはまた誰かの視線を感じた。しかし、例によって彼を見ている者など見当たらない。

「古戸君、どうしたの?」

 不可解な顔をするハーデスに優子が尋ねたが、彼は「なんでもないよ」と答えると、彼女を安心させる様に微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る