第11話 戦

 まどろみの中で、百襲姫ももそひめの意識は宙をさまよっていた。大彦の率いる第一軍が、山背国やましろのくにに向かうのが見える。

 これは夢なのか、それとも鳥飛びで見ている現実なのか。


 大王おおきみ軍と武埴安彦たけはにやすひこ軍が、川をはさんで対峙した。

「何故、大王おおきみの叔父でありながら、世を乱すのか」

 大彦の呼びかけに、武埴安彦たけはにやすひこが馬に乗ったまま進み出る。

「吾は、大王おおきみ家の血筋である前に、母、埴安姫はにやすひめの子だ。征服した氏族を手なずけるため、先の大王おおきみだった父は、母の前夫を殺し、無理やり娶った。母は若くして亡くなったが、父はたった一度しかもがりに顔を見せなかった。……異母兄弟とはいえ、恵まれた出自の大彦殿に、吾の気持ちはわかるまい」


 武埴安彦たけはにやすひこが、さらに声を荒らげる。

「血の気が多い今の大王おおきみも、地方に軍を派遣し、領土を拡大しようとしている。母や、吾のような思いをする者が、また増える。御間城入彦みまきいりひこには、国の頂点に立つ資格はない」


 それを聞いた大彦が、地面を踏み鳴らして恫喝した。

いましのような者ばかりだと、それこそ国に争いは絶えぬ。統制された一つの強い国をつくることが、安寧につながるのだ。そんなこともわからぬのか!」


 大彦が、弓を構えて矢をつがえる。武埴安彦たけはにやすひこも、弓を取り、弦を絞る。

 ぎりぎりと張り詰めた音が響く。両軍の兵士たちが、動くことも声を出すことも忘れ、固唾を呑んで見守る。


 矢は、同時に放たれた。


 武埴安彦たけはにやすひこの矢は、大彦には当たらず、その足元に落ちた。

 そして大彦の矢は、武埴安彦たけはにやすひこの胸に命中した。


 武埴安彦たけはにやすひこが、ゆっくりと馬から落ち、地面に倒れたまま動かなくなる。


 それを合図に、大彦軍は一斉に弓を射始めた。

 大将を失った武埴安彦たけはにやすひこ軍は、散らばりながら川上へと逃げた。それを大彦軍が追う。もはや戦意を失った敗軍の兵士を襲い、次々と首を斬る。

 川原には死体があふれ、水の色を赤黒く変えた。興奮状態にある大彦軍は、身軽になるためよろいを脱ぎ捨てて逃げる者すら、執拗に追い回した。


 恐らく、殺された兵士の大半は、無理やり駆りだされた民であろうに。空から俯瞰して見ていた百襲姫ももそひめは、胸が潰れる思いで目をそむけた。


 今度は、別の軍が見える。大坂で挙兵した、吾田姫あたひめだ。

 彼女は、大王おおきみ軍を狭い山道におびき寄せ、上から石を落とすなどして、戦略を練り善戦していた。が、幕内に戻ったとき、神棚に供えていた平瓮ひらかが割れているのを見て、吾田姫あたひめは泣き崩れた。

 夫が死んだことを悟ったのだ。


 指揮は乱れ、吾田姫あたひめ軍は見る間に劣勢となった。

 側近に促され、彼女は馬に乗って河内へ逃れようとした。しかし、大王おおきみ軍の追手が八騎、すぐ背後に迫っていた。弓矢が彼女の頬をかすめる。

 矢が馬に当たり、吾田姫あたひめが地面に放り出される。側近たちが彼女を守ろうとしたが、ことごとく弓矢の餌食になる。


 大王おおきみ軍の兵士が一人進み出て、馬上から「武埴安彦たけはにやすひこの妻、吾田姫あたひめか」と問いただす。

 彼女は、腰に佩いた刀を抜こうとした。が、動くなと一喝される。残り七人の追手が、弓矢を絞り、狙いを定める。


 天を仰いだ吾田姫あたひめの表情は、すでに死を受け入れていた。大王おおきみ軍に向き直った彼女は、静かにほほえんだ。


「いかにも」

 弓矢が一斉に放たれた。


 首筋、腕、足と、よろいのない部分に矢が刺さる。その衝撃で、彼女は体をびくりと揺らし、やがて崩れ落ちた。鮮血が、土に吸い込まれる。


 上空にいた百襲姫ももそひめの意識の横を、吾田姫あたひめの魂が通り過ぎる。

 彼女は山背国やましろのくにの方向へと飛び去った。夫、武埴安彦たけはにやすひこの元へ行くのだろう。


 見おろすと、将を失った吾田姫あたひめ軍は、大王おおきみ軍によって蹂躙されていた。血が流れ、土に染み込む。恐怖や怒り、呪いの感情と共に。それは種となり、やがて萌芽するだろう。

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