第12話 記憶

 血を流してはいけない。

 心の中で叫んだ百襲姫ももそひめは、ふと昔のことを思い出した。


 あれはまだ、巫女となるために母親と引き離されてすぐ、五歳くらいのころだ。

 各地を平定して回った大王おおきみ軍は、三輪の地に入った。平伏させられた村人たちが、おびえた様子で上目遣いに見ている。

 将軍に任命された大臣が、剣を持ったまま怒鳴る。この地で執政していた王の子を探し出し、服従か死を選ばせるつもりなのだ。あと何人かが見つからないらしく、村人たちを脅している。

 今にも村長むらおさを斬り殺そうとした瞬間、幼い百襲姫ももそひめは叫んだ。


 ──ならぬ!

 三輪山に祀られている神をも従えるため、巫女集団が軍に同行していた。その列の中から、百襲姫ももそひめは進み出て大臣に告げた。


 ──この地で血を流してはならぬ。神の怒りに触れよう。民に手を出さぬよう。田畑や川を荒らさぬよう。


 何か大きな力に乗り移られた感覚だった。他の巫女たちが駆け寄り、憑かれたように話す百襲姫ももそひめを両脇から支える。


 大臣が剣をおさめた。村人たちに安堵のため息が起こる。百襲姫ももそひめが群衆を見やると、一人の男児と目が合った。身なりは汚れているが、意志の強そうな整った顔立ちで、じっとこちらを見ている。


 横にいた男性が、慌てて彼を平伏させ、顔を隠す。気の遣い方から、父子ではないことが伺える。恐らく主従なのだろう。ということは、三輪族の王の子か。


 が、百襲姫ももそひめは何も言わなかった。

 大王おおきみ軍が移動を始める。振り向くと、先ほどの男児が、村人たちの間から姫を見つめていた。



 百襲姫ももそひめが臥せっていた数日の間に、戦は終わった。

 戦況は、夢の中で垣間見た通りだった。武埴安彦たけはにやすひこ吾田姫あたひめは戦死し、敵兵は半分以上が殺され、多くの血が流れた。


「これも、謀反を予知した姫のおかげだ。感謝する」

 月の障りも終わり、体の具合もよくなって神社へ出仕した百襲姫ももそひめに、大王おおきみはさっそく礼を述べに来た。


 寝込んでいる間、姫はあることが気になっていた。

 以前、大田田根子おおたたねこが「天香具山あめのかぐやまの土で祭器を新調し、大物主神おおものぬしのかみに供える」と言った件だ。


 吾田姫あたひめは、天香具山あめのかぐやまの土を国に見立てて呪言をかけ、夫がそれを支配する者──大王おおきみになろうとした。

 では、天香具山あめのかぐやまの土で作った平瓮ひらかを自分の一族の神に供えたい、と言った大田田根子おおたたねこはどうか。土器が大和の国を表すとすれば、彼の意図は祭祀以外のところにあるのではないか。


 そういえば、武埴安彦たけはにやすひこの母親は、河内国の土器に携わる氏族の出身だ。大田田根子おおたたねこは、河内国の土器を作るむらにいた。この符号は偶然だろうか。


大王おおきみ、お話が。大田田根子おおたたねこのことですが……」

 話しかけて、姫は口をつぐんだ。境内では盗み聞きをされる可能性が高い。彼は得体の知れないところがあり、占いで探っても、ことごとく遮られる。鳥飛びを見破ることができるのだから、自身もそれなりの能力があるはずだ。


「彼がどうした。……女童めのわらわの歌の件で、姫に判断を仰ぐよう勧めたのは、大田田根子おおたたねこなのだ。姫と彼は相容れないようだが、お互いを認めてはいるのだな」


 大王おおきみがあたりを見回した後、少し声を落とし、白目がちな目を見開いて言った。

「これからも、うまくやっていって欲しい。謀反を起こす者が出ないように」


 やはり、大王おおきみ大田田根子おおたたねこを完全には信用していないのだ。姫は大きくうなずいた。

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