第6話 疫病鎮め

 西の空が赤く染まり出した。いよいよ、託宣を賜るための儀式が始まる。


 巫女ばかりか大王おおきみまでもが見守る中、川の水で身を清めた大田田根子おおたたねこが現れた。結っていた髪をおろし、背中でひとつに束ねている。みそぎで余計なものを削ぎ落したからだろうか、少しやつれた頬に、かえって力を感じる。


 彼は、砂利の上に敷いた筵に座り、大きく息をついた。傍らの火打石を取り、カン、という鋭い音を響かせて火を起こす。素早く付け木に移し、細い木と乾燥した草で作った壇に点火した。炎が舐めるように木を這いあがり、薄闇の中で生き物のように猛る。


 さかきに麻糸を巻いたものを振り、大田田根子おおたたねこ祓詞はらえことばを唱え始めた。ひと振りごとに、空気が変わるのがわかる。

 百襲姫ももそひめは両の拳を握り、なりゆきを見守った。彼の実力がいかほどなものか確かめてやろう、という意地悪な気持ちが頭をもたげてくる。


 大田田根子おおたたねこは両手の指を組み、顔の前で小刻みに振り始めた。空気の振動が伝わってくる。祭壇の火から、甘い匂いのする煙が流れ、周りにいる皆が波動に呑み込まれる。

 両手を振り続ける彼は膝立ちになり、頭も激しく振り始めた。空気のうねりが最高潮に達する。


 来る。


 姫がそう思った瞬間、大田田根子おおたたねこが地面に倒れ込んだ。

 誰もが息を止めて、彼の背中を見つめる。


「……御間城入彦みまきいりひこ。吾を呼んだのは、いましか」


 低い声でうめきながら、大田田根子おおたたねこが背中を丸めて立ちあがる。上目遣いのその目が、まっすぐ大王おおきみを見つめる。いつもの斜に構えた目つきとは違う。もっと冷たくて、底が知れない。


 御間城入彦みまきいりひこが慌ててひざまずき、拝礼する。

「このように、大田田根子おおたたねこを祭主としてお招きしました。なにとぞ、疫病えやみを鎮めていただきますようお願い申し上げます」


 大田田根子おおたたねこの体を借りたものが、社と火を背にして語り始めた。

「吾は、蛇神でもあり、龍神でもある。吾の棲みかである水を、常に清浄に保て。不浄のものは川に流すな。吾の神体である三輪山と、初瀬川、狭井さい川に囲まれた地は聖域だから、死体を置くな。弱った民には、三輪山から流れる水を飲ませよ」


 声が二重に聞こえ、耳の中で反響する。大田田根子おおたたねこの乱れた髪束が、身をうねらせた蛇に見えてくる。百襲姫ももそひめは足に力を入れ、ふらつきを必死で抑えこんだ。


「……さすれば、疫病えやみはやむ」

 大田田根子おおたたねこの体が崩れ落ち、筵に倒れる。誰も口をきかず、しばらく立ちつくす。


 沈黙を破ったのは、久方ぶりに降り出した雨の音だった。

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