第5話 神占

 その後も、大田田根子おおたたねこによる細々とした調査は続いた。今まで自分が心を砕いて整えてきた祭祀の場が否定されるようで、胸の奥がちくちくとする。

 大田田根子おおたたねこが祭器である鏡を見上げたとき、姫はみぞおちを掴まれたような気分になった。

 鏡は、大王おおきみ一族にとって祖神おやがみである太陽の象徴だ。この社殿にはふさわしくないと言われるだろう。しかし、彼は鏡をそのままにした。


「『カガ』は蛇という意味ですからね。それに、まだ鏡が伝えられていなかったころ、人々は水に姿を映していました。かがんで見るから『カガミ』。つまり鏡は、蛇神であり水の神でもある、大物主神おおものぬしのかみを表しているのです。……決して、天照大神あまてらすおおみかみのみを象徴するものではないのですよ」


 続いて大田田根子おおたたねこは、境内の摂社を回り始めた。姫と、先ほどの若い巫女が同行する。彼は、三輪山から流れる小川に手を浸したり、口に含んだりして、特に水の近くを念入りに調べていた。


 昼を過ぎてから、彼は馬を借りて神社の外へ出ていった。

 巫女たちの顔に安堵の色が浮かぶのを、姫は見てとった。自分もまた、大田田根子おおたたねこに気圧されていたことに気づき、悔しくなる。何かにつけて嫌味を言うのも、癪にさわる。

 鳥飛びを使って、彼が何を調べているか偵察しようとして、姫は思いとどまった。

 また見破られて、気触りなことを言われるのは我慢がならない。祭器や供物の手配、巫女たちへの戒め等、姫は大田田根子おおたたねこに言いつけられたことを、慌ただしくこなした。


 夕方、大王おおきみが様子を見にやってきたところへ、大田田根子おおたたねこが現れた。視察を終え、馬を宮の馬場へ返してきたようだ。社殿の前まで来ると、彼は大王おおきみに一礼した。


「どうだ、祭祀の準備は進んでいるか」

 声をかける王の白目がちな眼からは、早く結果を出せという無言の圧力が発せられている。大田田根子おおたたねこはそれをかわすように、天香具山あめのかぐやまの土で平瓮ひらかを八十ほど作ってもらう手はずだ、と答えた。


「しかし、新たに土器を焼くには時間がかかる。疫病えやみを食い止めるには、一日の猶予もない」

 自分が祭主になれば疫病えやみはやむ、と公約したからには、守ってもらわねばならない。百襲姫ももそひめは、期待というより試すような気持ちで、大田田根子おおたたねこを盗み見た。


 彼は、何かを確認するかのように、西の方角を仰いだ。

 赤い空の低い位置に、濃い紫色の雲が漂っている。微笑を浮かべてうなずくと、大田田根子おおたたねこは大王に向き直って言った。


「では、明日、占いを行って、神の意向をお聴きましょう」


 翌朝、大田田根子おおたたねこやしろの前に祭壇を作り始めた。

 木片などは自分で用意したらしく、神域の手前まで、彼の付き人たちが運んでいた。彼の住居は、神社近くの高台に大王おおきみが用意したもので、河内国から連れてきた従者が何人か、敷地内に住んで身の回りの世話をしているらしい。

 引っ越したばかりで不自由も多いはずなのに、用意がよすぎる。この地に三輪族がいたころの伝手でもあるのだろうか。


 細長い木を組み合わせながら積む大田田根子おおたたねこへ、百襲姫ももそひめは探るように「お手伝いしましょうか」と声をかけた。


「今のところ、姫にできることはありませんよ」

 嫌味な笑顔を浮かべ、大田田根子おおたたねこは作業に戻った。

 その髭面をにらみ、何か言ってやりたい衝動にかられたが、姫は一礼してその場を去った。


 昼過ぎには祭壇が完成した。細長い木を四角形に組み合わせたものが腰の高さほどに積まれ、中に乾燥した草が入れられている。

 大田田根子おおたたねこは、「これより身を清める潔斎をし、夕方から儀式を始めます」と百襲姫ももそひめに告げた。

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