第4話 八十平瓮(やそびらか)

 命令口調ではなく、歌うようなしゃべり方なのに、この新しい祭主には貫禄がある。

 只者ではないと感じ取ったのか、巫女たちは弾かれたように返事をし、さらに深く頭を下げた。


 神殿に御案内しましょう、と百襲姫ももそひめが申し出ると、彼は右の掌を軽く立てて、間違いを正した。

「神殿ではなく、拝殿です。この三輪山そのものが神であり、社殿に神はいらっしゃらないのですから。大王おおきみ家の神は、もう笠縫かさぬいにお遷ししたのでしょう?」


 自分たちの祖神おやがみが優位であると主張したいのだろうか。挑戦的な物言いに、胃の腑が重苦しくなる。気持ちで負けてはならない。姫は笑顔を作って「では拝殿に」と、彼を先導した。


 砂利道を歩きながら、大田田根子おおたたねこが訊いてくる。

「二十名ほどの巫女がいましたが、あれで全員ですか」

「いいえ、今日は出仕していない者が四名おります」

 口にしなくても察してもらえると思ったのに、彼は口調も変えずに言い放った。

「ああ、月の障りですか。神は血を厭われるから、そこは守ってもらわねば困ります。厳重に言い渡しておいてください。……ときに、姫の障日はいつでしょうか」


 頬どころか耳までも熱くなるのが自分でわかる。何故このような無礼なことを訊かれなければならないのか、と百襲姫ももそひめは唇を噛んだ。

 大王おおきみ一族の巫女頭である自分が、河内の小さな村で埋もれていた他氏族の男に辱めを受けるなど、我慢がならない。頬を張って「無礼者」と言いたいところだが、自分では疫病えやみを鎮めることができなかったのだ。大物主神おおものぬしのかみの子孫である、この男に従うほかはない。


「……ついたちの前後です」

 声が震えないよう、できるだけ平然と答える。

「月が消えると同時に障りが来るとは、まさに巫女姫でいらっしゃる」

 嫌味を含んだ笑みを浮かべる髭面の男に、姫の反発心は確かなものになった。


 いっそ、彼の祭祀が失敗すれば、と考えかけ、慌てて取り消す。

 民のためには、是が非でも疫病えやみを鎮めてもらう必要がある。神域で善からぬことを考えてはいけない、気持ちを切り替えなければ。


 拝殿に入ると、彼はまず、調度品の一つひとつを確認をし始めた。

「これらの祭器は、少し古いですね。すべて、作り直しましょう」

 丁寧に扱い、清浄に保ってきたつもりだったが、確かに「常若とこわか」にこだわる祭祀の場では、新しい祭器のほうが良いとされる。姫は、すぐに用意すると答えた。


 大田田根子おおたたねこがさらに続ける。

「土は、天香具山あめのかぐやまのものが良いでしょう。高杯たかつきや瓶だけでなく、たくさんの平瓮ひらかを作らせ、神前に供えるのです」


平瓮ひらかを供えるのですか?」

 思わず姫は訊ねた。

 平瓮ひらかは、塩や米などを供える際に使う小皿だ。何かを入れるならともかく、平瓮ひらか自体を供えるというのは奇妙に感じる。この男のことだから、何か意図がありそうだ。


 大田田根子おおたたねこはさも当然というふうに、「ええ、八十は欲しいですね」と答えた。

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