弱虫な兵士の恋episode2

 今日は、昨日と打って変わって激しい雨が降っている。深夜から降り始めた雨は、雨雲で空を黒く染め上げ、太陽の存在を否定する。

 僕は、昨日と変わらず深緑色の軍服に袖を通し、明け方なのにもかかわらず騒がしい室内から逃げるように雨の降る外で座っていた。屋根のある場所に座っていても、雨は風に煽られ、僕の身体に打ち付ける。それを避けようという気にはなれず胸ポケットから葉巻を取り出した。食糧庫でいつも仕事をサボり、昼間から酒を飲んでいる奴らから盗んだものだ。もの凄く上等な葉巻らしい。確か、下っ端の兵士が買えるはずのないほどの物だ。

 僕は、その葉巻を足で踏みつぶす。発散のしようがない怒りに任せ、強く踏みつぶした。

 その話を僕が聞いたとき、彼らはこんなことを言っていたのだ。

 ――竜殺しの景気付けの一本だ。

 憎くて仕方がなかった。どこにでもある銃をマニュアル通りに構え、無差別に殺してやりたかった――だけど、僕には、その勇気がないのだ。

「お前、そんなところにいたのかよ!」

 激しい声で眉間にしわを寄せながら近づいてくるのは、僕に仕事を押し付け、酒ばかり飲んでいる葉巻の持ち主だ。

 だが、彼の口には、先端が赤く燃えた茶色のそれ――葉巻が咥えられていた。

「え……それ……」

 僕は、呆然と彼の口元を指さす。すると、眉間にしわを寄せていた男の表情が柔らかくなり、僕に煙を吐きかけながら言った。

「お前にも分かるか? 王都一番の葉巻だ。 竜殺しで名前を轟かせる俺の前祝」

 高い葉巻を褒められたからか、上機嫌になった男に肩を組まれ、そのまま、みんなが綺麗に整列した中へと放り投げられ、隊長の竜殺しに向かう意気込みを聞かされ、武器を配給される。

 その間も、僕の意識は踏みつぶしたはずの葉巻に引っ張られていた。

 だが、そんな疑問もたった一言で解決することになる。後ろから、葉巻を咥えた男とは違う奴に尋ねられた。

「なぁ、俺の吸いかけの葉巻どこにあるか知ってるか?」

 僕は、鼻で笑うことしかできなかった。怒りに任せて葉巻を踏みつぶすことすら満足にできない僕が、彼女を守れるというのだろうか。

 震える両手で抱えられた銃は、雨に温度を奪われたせいか異様に冷たく感じる。

 彼女は、もう、殺される。

 雨の中を深緑色の軍隊が行進し始めた。


   *


 僕は、幼少期に家の庭で見た、カマキリの産卵を思い出した。

 体の大きなカマキリが、ずっと小さいカマキリを食べている光景を見て、小さい僕は父に「カマキリたちが喧嘩をしてるよ! 止めなきゃ」と言ってカマキリに手を伸ばした。だが、父は、伸ばしかけていた僕の手を抑え、優しくこう言った。

「これは喧嘩ではなくて、赤ちゃんを産むための大切なことなんだ。 仲間を食べている大きなカマキリが雌で、食べられているのが雄。 産卵で体力を使う雌のために、雄は食べられているのだよ」

 それを聞いたときの僕は、何を思ったかわからない。母が作っていたクッキーの匂いに意識が持っていかれていたかもしれないし、知識が増えた喜びに浸っていたのかもしれない。それとも、今の僕みたいに『これは仕方のないことなんだ』と雨に隠れて呪文のように胸の中で唱えていたのかもしれない。

 銃声が森の中にこだまする。雨音は、残酷な音をかき消そうと努力をするが、虚しくも人々の悲鳴や怒号が混じった<戦争の音>を消すことはできない。

 そんな音の中で、僕は、冷たい銃を握りしめて焼ける村の中を歩いていた。

 女性が髪を掴まれて殺される。それを守ろうとした男性が農具を振りかざし兵士が倒れる。しかし、別な兵士が引き金を引き男性は殺される。そして、その光景を見て子供が泣く――

 僕は、僕を守ることで精一杯なのだ。髪の色や肌の色で虐げられてきた僕は、<笑顔>という武器を手に入れた。どんなに心が苦しくて、血がドロドロと出ていようと、笑顔を張り付けるだけで隠すことが出来る。

 もう、疲れてしまったのだ。自分に嘘を付いて生きていくことに。

 だが、それを人間が死ぬ言い訳にしてはいけない――そんなのは分かっている――でも、彼女を守るためには仕方がないことなのだ。

 僕は、昨日提出した報告書にこう書いた。

『竜は、村人を愛しています。だから、村を襲えば竜が現れる』

 村から彼女の家までは、そこそこに距離がある。音やにおいに敏感な彼女――弱虫な彼女なら――この音を聞いて逃げてくれるだろう。

 

 でも、この時、僕は、彼女の本質を忘れていた。それから、自分が世界からも嫌われているということも忘れていたのだ。


 銃を握りしめ村を歩いていると倒れる女性とその前で大人用のスコップを握りしめる少年の後姿を見つけた。

 僕は、そっと近寄り、肩に手を置く。

 驚いたように振り向いた少年は、顔のかすり傷から血を流し、鼻先を土で汚して、下唇を噛みしめ涙を堪えていた。そして、僕をスコップで殴る。その直後、頭からどろりとした感触が伝わり、遅れて鈍い痛みが走る。

 もう一度、少年はスコップを振りかぶる。だが、僕は、それを止めようとは思わなかった。また、同じ痛みが額を走る。

「なんで避けないんだよ!」

 少年が叫んだ。僕は、出来るだけ優しく微笑んで答えた。

「君の怒りが僕を殴り殺すことで解決するなら殺せばいいさ。 でも、僕を殺しても解決はしないだろう。 君は、這いつくばってでも生きるんだ」

 また、殴りかかろうとする少年を抱きかかえ、燃えていない小屋へと押し込む。これで、向こうには人がいない、とでもいえば彼は助かるだろう。

「くそ! 人間の屑が! お前らなんて竜に殺されればいいんだ!」

 胸がズキリと痛んだ。蔵の扉を閉め、鍵を掛けた後、僕は、扉に向かって小さく呟いた。

「……竜の弱さを証明したのは僕なんだ。 ごめん」

 少年やこの村の人たちに許してもらおうだなんて思わない。現状は、僕のわがままが招いた悲劇なのだ。

 好きになってしまった怖がりな竜が出来るだけ安心できるように最善を尽くす。

 その結果、村人の中で生きているのはあの少年たった一人になってしまった。

 雨で重く顔にかかる髪をかき上げ、顔を上げる。あと少しで、この悲劇が終わる。とても残酷な劇に幕が下りるのだ――しかし、弱虫な登場人物一人の力では、悲劇を終わらすことはできない。

「グレア、お前何してるんだ?」

 後ろから肩を叩く声に血の気が引いた。背を向けたまま、精一杯の笑顔を作り、振り返る。

「何もしてないよ? 誰かいないか探しに来ただけ」

 僕に声を掛けたのは、葉巻の男だ。奴の口に赤々と燃えた葉巻はない。その代り、赤い血が体中を染め上げていた。

「そうか、誰もいなかったか?」 

 笑顔で隠した下では、鼓動が張り裂けるくらい早く鳴り、口から苦い液体が零れそうになる。

「誰もいないよ」

 僕の答えに、男は上下に大きく首を振り言った。

「じゃ、あの小屋に隠れているのは人間じゃないんだな。 連れて来い」

 男の声に、数人の取り巻きが小屋へと押し入る。僕の笑顔をとっくに消えていた。弱虫を笑顔で隠しているのには無理があったのだ。コップに水を注ぎ続ければ溢れてしまうように、僕の心は限界を迎える。

「こいつは、お前からすれば人間じゃないんだよな?」

 とても意地の悪い声で笑われながら、涙を堪える勇ましい少年は泥の中を引きずられる。そして、僕の足元へと投げられた。

 投げ飛ばされ泥の中で倒れていた少年は、歯を食いしばって立ち上がり僕の目を見る。何も言わずに、ただじっと、本来は笑っていなくてはいけない目は、憎しみに染められていた。

 僕は、弱い。自分を守ることすらできないほど弱い――もう、全てが嫌になってしまった。

 少年に銃口を向ける――少年は、銃口を向けられても僕を睨み続ける――この子を殺せば、僕は、また「弱虫」と罵られるだけですむ。それが、今の僕にとって<最善>なのだ。

 引き金に手を掛けたその時、大きな声が僕の意識に鞭を打つ。

「グレア! やめろ!」

 その場にいた全員が彼女を見た。震える手を握り、今にも泣きだしそうな目で僕を見る彼女は、踏みつぶされた花のようだった。

 どうして逃げてくれなかったんだ、と叫びそうになったが、それをグッと飲み込んだ。僕は、彼女の<怖がり>の裏側を忘れていた。<強さ>で隠す余り、それは目に映らなかったのだ。

 彼女の――怖がりな竜の<優しさ>を。

 彼女が、殺される種族を見捨てるわけがないのだ。そして、それが彼女の最後の証明なのだ。

「グレア……何をしているんだ」

 もう、止めてくれ。

「はは……銃なんて捨てろ。 今日も、サンドウィッチを作ってくれるんだろ?」

 今すぐ逃げてくれ。

 全ては、声にならず。僕の弱さが飲み込んだ。

「馬鹿なドラゴンだ。 人間に騙されるなんてな」

 葉巻の男が彼女に向って真実を告げる。彼女は何も答えない。それでも、男は真実を語り続けた。

「弱虫のお前は、顔だけは整ってるからな。 女のドラゴンをたぶらかすくらいじゃなきゃ国に貢献できないもんな!」

 残酷な物語を書きだしてしまった僕には、当然の結末だ。

 男が、最後の一行を書き殴る。

「よし、グレア。 あいつを殺せ」

 ゆっくりと顔を上げる。雨のせいだろうか、彼女の美しい鱗が汚く見える。それに、綺麗な顔も汚れて見えた。

 僕は弱い。好きな女の子に「好きだ」と伝えることが怖くて仕方がない。

「もう、終わりなんだよ。 こうすることでしか僕は、僕を表現できない。 楽になりたいんだ」

 それだけ告げて目を閉じた。

 彼女が泣いていませんように、これからの世界で彼女を虐げるものがいなくなりますように、彼女が幸せに暮らせますように。

 そう、何度も願いながらどんどん薄れていく意識と酷い痛みに身を任せた。

 僕は、悪足掻きで「好きだった」と呟いてみた。

 彼女に聞こえたかはわからない。


【弱虫な兵士と怖がりな竜――完】

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弱虫な兵士と怖がりな竜 成瀬なる @naruse

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