兵士の見ていた世界

弱虫な兵士の恋episode1

 世界で戦争がはじまり一年が経とうとしていた。黒い無機質な殺戮兵器の引き金を引き、それを憎んだ誰かが、同じように引き金を引く。そうして、誰も報われず、誰もが悲しむ世界が出来上がってしまった。

 でも、僕にとっては好都合でもあった。僕という異物でも存在をきちんと認められ、必要とされているのだ。形がどうであれ、僕にとってはそれが幸福ともいえた。


 深緑色の軍服の袖を捲り、食料が入った木箱を持ち上げる。腕が悲鳴を上げそうなほど重い木箱だ。でも、僕は、歯を食いしばりながら、一歩一歩足を進め、大きな笑い声が聞こえる一角へと歩く。

「あの、これは、どこに運べばいいんでしょう?」

 僕の声には誰も反応しない。もう一度、次は、声量を上げて同じ質問をした。

 すると、椅子を傾け酒を飲んでいた一人の男が「あぁ?」と低い声で睨む。それに続いて、周りの3人の男達も同じように睨む。僕は、それに気持ちの悪いくらいの笑顔を向けて、木箱の重さを耐えればいい。それだけでいいんだ。

「ったく、お前はそんなことも自分で考えられねぇのかよ。 あっちの倉庫に運んどけ」

「すみません、ありがとうございます」

 僕は、笑顔を絶やさないように表情筋に鞭を打ちながら指を指された方へと木箱を運ぶ。背中を向けると絶えず聞こえてくる僕の悪口と笑い声にも笑顔を続けていた。どんなに悔しくても、どんなに悲しくても、僕から笑顔を取ってはいけない。それだけが、どうしようもなく僕を守ってくれているのだ。

 ――あの汚ねぇ髪の色、どうにかなんねぇのかよ。

 そんな言葉にも、僕は、笑顔を続けていた。


   *


 本来、僕の仕事ではない雑用を任されたせいで、予定が見事に狂ってしまった。僕には、毎日、欠かしてはいけない日課がある。とても簡単なものだ。午前中にやらなければいけない仕事を終わらせ、家に帰り汗でべとべとになった体を素早く洗う。その後、まともな正装なんて持っていない僕は、悔しいながらも唯一の正装である深緑色の軍服に袖を通し、街へと繰り出す。そうして、彼女が食べるお昼の材料を買い、口笛を吹きながら森の洞窟へと行くのだ。

 今日も同じように、街の商店でお昼の材料を買う。食品が並び、人の明るい声が絶え間なく聞こえてくる大通りを歩きながら、彼女が食べたいものを考える。

 僕の思っている彼女は、少しだけ普通の人間とは違う。だが、大した違いではない――人によっては大きな違いなのだろうけど――僕にとっては、スコップとシャベルの違いがいまいち分からないのと同じくらいのことだ。

 彼女の姿を思い浮かべる。自然と口角が上がった。

 「そうだ、今日は、サンドウィッチにしよう。この先の肉屋の燻製ベーコンがとても美味しいんだ」と胸の中で呟いてサンドウィッチの材料を買った。


 買う物を買い、もう一度、買い忘れが無いかよく確認して街の出口へと向かう。その時、いつも素通りしていたはずの花屋の前で足を止めてしまった。

 人ががやがやと騒がしくしている商店街とは少しだけ離れ、こじんまりとした花屋には、スラリとした体に、髪を一つにまとめた女性が花に水を上げていた。

 僕は、店先に並ぶ花を眺める。色とりどりのそれらは、とても綺麗で彼女にピッタリだと思った。

「兵士さん、何かお探しですか?」

 花に水を上げていた女性が、柔らかい笑みを浮かべ僕に声をかける。

「すみません、店先で立ち止まってしまって。 とても、綺麗な花ですね」

 僕は、サンドウィッチの材料が詰めてある紙袋を片手で抱え、開いたもう一方の手で、一輪の青色の花に手をやった。凛としていて、だけどもすぐに壊れてしまいそうな花弁が揺れる。

「この花の花言葉は、『幸せは必ず来る』なんですよ」

 女性は、青い花を一輪手に取り、鼻に近づける。そして、幸せそうに笑った。

 戦争がおき、毎日どこかで誰かが死に、誰かが涙をする世界でも、この小さな花は凛とした花弁を咲かせ、風になびいている。僕は、そんな花を見ていると彼女を思い出す。

 そして、胸の奥がズキリと痛み、真っ黒な罪悪感が押し寄せる。

 僕は、綺麗な一輪の花が咲く森に、毒々しい色をした毛虫を放っているのだ。

「これを花束にしてください」

「かしこまりました」

 女性が微笑みながら「贈り物ですか?」と続けた。

「えぇ、とても大切な人に」

 女性は、その後、何も言わずにただ微笑みながら、花束を作り、サービスですと言って可愛らしい水色の大きなリボンを付けてくれた。僕は、それを受け取り花屋を後にしようとする。すると、大きな声で「グレアくん」と強く言われる。

 その声の主を知っていた。だから、背を向けたまま笑顔を作り直し振り返る。その笑顔は、不格好なピエロのようだった。

「はい。 なんでしょう」

 そこには、眼鏡を光らせ、僕と同じ深緑色の軍服に、胸元のバッチを威圧的に輝かせ、後ろに二人の軍人を控えた男が立っていた。彼を詳しく説明しようとすると吐き気がする。彼を認識することすら僕には苦でしかない。だから、<上層部の人>といだけ言っておこう。

「計画は順調かい?」

「はい、問題なく」

「そうか。 その手に持っているものはなんだ?」

 僕は、花束を背に回し答える。

「ターゲットとより親しくなるにはプレゼントが一番かと思いまして」

 男は、顎に手を当て大きく三回頷く。

「なるほど、いいのではないか。 いくら、竜と言えども雌……グレアくん、君はやり手だね」

「いえ、そんなことは」

「冗談だよ。 そういえば、言い忘れていたが、そろそろ計画を実行に移したい。 今夜にでも報告書を提出するんだ。 竜を殺したともなればこの戦争も終息を迎えるだろう」

 男は「いいな?」と念を押し、すたすたと歩きだす。僕は、男に向けていたピエロのような笑顔を街を出ても、しばらくの間続けていた。

 僕の手にある花束には、姿のない気持ちの悪い毛虫が大量についていた。


   *


 街の喧騒も聞こえず、森の音だけが時間の中でゆっくりと聞こえてくる道を長い時間歩く。途中、小さな村が一つあり、そこを通ると近道なのだが、軍服を着てる以上、そこを通るわけにはいかない。

 彼らは、戦争に反対派の人間なんだ。彼ら自身に力があるわけではない。農業を中心に、ほとんど自給自足のような生活を送っている。権力者がいるわけでもない、村長は、歩くのがやっとのご老人だ。

 じゃ、そんな小さな村が、どうして国に――まして、軍人を虐げられるほどの威勢を持っているのかというと、それは、やはり竜なのだ。彼らは、竜を信仰し、国と世界も竜に恐れている。

 きっと、あの竜を殺せるのは僕だけなのだ。そして、殺せないのも僕だけなのだ。

 森を抜けるとぽかぽかとした日差しが気持ちのいい、開けた場所に出た、そこに竜の巣があり、彼女がいる。


 洞窟の中を覗くと、寝癖の付いた髪に、まだ起ききっていない目をしょぼしょぼとさせた愛らしい彼女――竜の姿と人間の姿が入り混じった美しい彼女がいた。

 そんな彼女を見ていると、僕は自然と微笑んでしまう。自分を隠すための不自然すぎる笑顔ではなく、心から笑える自然な笑みだ。

 すると、僕の存在に気づいたのか、いつも通り、警戒の色を見せながら彼女は僕を睨む。毎朝のこのやり取りも随分慣れたものだ。

「やぁ、おはよう。 ドラゴンさん」

彼女が、いくら竜の爪を剝き出しにして、ドスの効いた低い声で唸ろうと躊躇なく、彼女の領域へと足を踏み入れることが出来る。最初からそんなことが出来たわけではない。彼女の奥に隠されている<優しさ>を知ったからできる事だ。

 僕は、買ってきた花を木箱の上にある花瓶にいけ、「おはよう」と微笑んだ。

「来るなと言っているだろ、グレア……殺すぞ」

 殺す、と木箱の上の花を指で撫でながら胸の中で呟いてみた。とても無機質で、説得力ない言葉だ。銃口を突きつけられようと、ナイフを首に突き立てられようとその言葉は、無機質で、無意味なものであり続ける。まして、竜の爪を向けられたところで、怖くはない。

 僕の弱さを<笑顔>で隠すのならば、彼女の<優しさ>は彼女の怖がりな一面を隠す道具なのだ。

 僕は、それを知っている。

「君は、優しいね。 毎回『殺す』と言っているけど僕は、こうして生きている」

「うるさい、ここで殺したら、私の家が汚れるだけだ」

 僕は、そっか、とだけつぶやいて視線を逸らした。酷く怯え、強く握られている彼女の手なんて見たくなかった。すると、彼女は、何も言わずに立ち上がり、どこかへと行ってしまった。殺すといっている相手を家の中に一人にするということは、僕もそれなりに信頼されているのだろう。それを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかは分からない。

 僕が築いている彼女との関係の最後は、バッドエンドしか待っていない。花を買うことも、彼女の大好きなサンドウィッチを作ることも――全てが、彼女の隠している<怖がり>の証明でしかない。

 買ってきた肉をフライパンに乗せ、弱火でじっくりと焼いていく。

 僕は、この国で生活しているどの人間とも明らかに違っている。目で見える違いはさほど大きいものではない。でも、戦争の起きている世界ではとても重要な違いなのだ。フライパンを見るのに俯いて、目にかかった金色の髪をかき上げる。

 この髪を何度引きちぎりたいと思ったか、この髪のせいで僕たちの家族がどれだけつらい思いをしたか――思い出すだけで胸の奥から黒い何かが沸き上がりそうになる。だが、不幸中の幸いというべきなのか、色素のない金髪と同様、僕の肌は誰よりも白く、それを卑猥に美しいと評価してくれる人も少なくはない。そんな奴らの中に軍の上層部が混じっていたのだ。

 彼らが、僕に言ったことは一つ。

 ――この国で、何不自由なく生きていくには、お前が軍に入り、王と国に貢献することだ。そして、竜の弱点を証明しろ。

 フライパンを振ると、肉が半回転して、こんがりと焦げ目の付いた面が上になる。

 最初に、その話を受けた時、僕は喜んで引き受けた。竜なんてものがいるから戦争が終わりを迎えないんだ、と憎しみさえ覚えていたくらいだ。だが、実際にその竜と対面してみると、僕は世界が反転したのではないかと思ってしまうくらいの衝撃を受けた。

 美しい竜の鱗を持った彼女に恋をしてしまったんだ。

 彼女が僕の髪を「好きだ」と褒めてくれることが何よりも嬉しかったのだ。

 だが、もう、僕の引き返す道はなかった。いくら彼女へ向ける感情が<好意>に変わり、彼女を愛したいと思っても、僕に残された選択肢は<竜の弱点の証明>――つまり、彼女を殺すことなんだ。

 フライパンの上の肉から焦げ臭いにおいがして、慌てて火を止める。

 それと同時に、彼女が、髪から水を滴らせながら戻ってきた。

 その美しい姿に向けて、嘘つきの笑顔を向けることしかできない自分が、情けなかった。

「おかえり、ご飯できてるよ」

 彼女が、僕と喋らないようにわざと澄ました表情でいるのは分かっている。本当は、お腹が鳴ってしまうくらい僕のサンドウィッチを好きでいてくれていることも知っている。そして、コーヒーを飲みながら優しく「食べないの?」と尋ねれば、そのうち、サンドウィッチにかぶりつくことも知っている。

 こんなに平和的で、小鳥のさえずりがぴったりの日常ですらも、彼女の弱さの証明になってしまう。僕にとっては、幸福すぎる時間だ。だが、それと共に、竜を殺すためにまた一歩近づいているともいえる。

 彼女は、そっとサンドウィッチを手に取り、澄ましたように無言で頬張る。だが、大好物を前にして澄ました演技をするなんて無謀なことだ。だから、彼女の口からは思わず「おいしい」と声が漏れる。

「僕の自慢は、料理だからね」

 彼女は、自分の演技がばれてしまったことが恥ずかしかったのか、頬を赤らめながらゴクリとサンドウィッチを飲み込む。

「グレアは、どうして私に構うんだ。 こ、殺されるかもしれないんだぞ!」

 これもまた、かっこつけた威勢のいい演技に過ぎない。もう、僕は、それを嫌というほど知っている。

 わざとらしく口を押えながら大声で笑い答えた。

「ドラゴンさんは、僕を殺したりなんかしないよ。 それに、好きな人の近くに居たいと思うのは普通のことじゃないか」

 彼女は、また、頬を赤らめてサンドウィッチを頬張る。

 その行動が、彼女から僕への<好意>でないことを願った。さっきの言葉は、皮肉的な言葉だ。どうしようもなく、彼女が僕を好いてくれているのなら、薔薇の花束のような言葉に変わる。だが、見かたを変えれば、銃口を頭に突き付けられているのと同じだ。

 彼女は、僕を殺すほどの力がない。

 

 その後のことはよく覚えていない。彼女にとっては何気ない日常の会話であっても、僕にとっては情報収集と何ら変わりない。

 好きな人とする会話がそうであってはいけないのだ。いくら戦争が起きていると言えど、そんなことを理由にしてはいけない。

 僕が、唯一覚えていたのは「一緒にご飯を食べてやることはできる。 また、明日も来い」という守ることのできない約束だ。

 いくら下っ端の僕であっても、軍の内情くらいは把握している。

 つまり、彼女は、明日、死ぬ。それは、決定事項なのだ。

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