第15話 どうしようもなくて

「ちょ、どうしたんだい!?」

僕が雨塗れ、泥まみれの、さながらわんぱく小僧のような風貌で現れたものだから、当然というか、渚も驚きの声を出した。

「ちょっと、な」

とりあえず、風呂、貸してもらっていいか?僕は渚の研究所兼自宅に赴いていた。とはいっても、僕もここに住んでいるんだから、赴くというより、帰ったと言っても、差し支えは無いかもしれない。


 僕は汚れた服を洗濯機の中へと入れ、沸かしてもらった風呂に入る。冷静に考えれば、冷たい雨に晒され続けた体の体温は余程冷えていたらしく、お湯の温度がいつもより随分と熱く感じた。いつもならここで中年男性みたいな、まぁ僕はまだ若いが、体の奥底からの声みたいなものを出してもいいのだろうが、今はどう考えてもそんな気分にはなれなかった。

「・・・ねぇ、今、いいかい・・・?」

ドア越しに黒いシルエットが映る。こんなこと初めてだった。まぁ確かに、ここで何があったのか、気にならない人の方が少ないだろう。

「何があったのさ・・・」

「・・・ちょっと、な・・・」

僕はさっきと同じ答えを返す。全然ちょっとじゃないときほど、ちょっとだなんて言ってしまうものだ。

「・・・アタシ、力になれるかい・・・?」

「・・・」

まったく、僕はもう少しポーカーフェイスの練習でもした方がいいかもしれない。こうもいろいろな人に顔を見ただけで心配されたら、そう思わざるをえない。

「・・・後で、話すよ」

その時はとりあえず場を流したかった。風呂だけに、なんて思うつもりはないけれど。実際、後から話す気も、あったかどうかは分からない。

「・・・分かった」

渚の影は消えた。僕は一人になってある一つのことを決めた。


 風呂は地下にある。僕は階段を登り、風呂上りの濡れた髪で渚の前へと姿を現す。

「・・・いい?」

渚の発した二文字で、僕は察する。こんなの、小学生でも察せられるとは思うけれど。僕は言おうかどうか、結構迷った。

「・・・ほら、もし辛いならさ、言ったら楽になることだってあるし・・・。そんなに言いたくなかったら、別にいいけど・・・」

別にいい。これはつまり、言ってくれってことだよな。

「・・・大切な、人だったんだ・・・」

重く、辛いことほど、率直に言葉を発せられない。相手が意図を汲んでくれることを信じて、ずるずると遠回りしてしまう。今回もそうだった。

「・・・二人とも、大切な、友達だった・・・」

僕は渚をまっすぐに見らずに、見れずに、少しだけ目を下に逸らしながら話した。

「・・・何も、できなかったよ」

千尋のときも、そうだった。僕は何もできない。誰も救えない。

「・・・」

察しが良すぎるというのも考え物だ。僕はまだ核心は言っていないのに、渚の顔は、どんどん辛くなっていく。

「死んだんだ、さっき。僕の友達が、二人」


 渚が辛い顔をしたのは一瞬だった。きっと、一番辛い当事者がいるのに、自分まで暗くなってはいけないという判断なのだろう。かといって、元気に明るく振舞うのも反感を買うということで、渚は優しく笑って見せた。

「・・・ある?アタシにできること」

慰めて欲しかった。でも、どんな風にしてもらえばいいのか、思いつかない僕は、大丈夫、そう答えた。

「・・・よし・・・!」

そんな僕の反応を見て、渚は気合を入れなおしたような声を出した。

「・・・待ってて。今すぐには無理だけど、絶対、アタシの研究、成してみせるから!」

そういえばそうだった。渚が人生を賭して成そうとしているのは死者との邂逅。一度はその研究に賛同した僕だ。きっと渚は、少しでも僕を励まそうと振舞ったのだろう。だが、それは今の僕にとって、完全で最悪な、逆効果だった。


 重力に逆らわずに、机の上の書類や本は、ばらばらと空中で分散し、そして床に落ちる。机の上のグラスは構造が維持できずに、ぱりんと音を立てて床で割れる。それは、僕がふざけるなと、大きな声で言ったのとほぼ同時に起きた。僕は机の上のものを全部払い落とす。後から思ったが、どうやら僕は周りが見えなくなる時、こうするのがクセらしい。


「お前に分かるかよ・・・」

ごめんな。

「たかが物心つく前の親の死くらいしか経験したことのないお前に、僕の気持ちが分かってたまるかよ!あぁ!?」

もう駄目なんだ。

「死んだら終わりなんだよ、もう何もできないんだよ!」

辛くてたまらなくて、どうしようもなくて。

「それなのに馬鹿の一つ覚えみたいに死者との再会の研究!?そんなことできるわけないだろうが!」

大声を出して、人を罵倒して。

「大体金があるなら他のことに使えよ!死者に没頭するぐらいなら死者を生まないために貧しいところに寄付でもすればいいだろ!?」

そうするしかなくて。

「この、冒涜者が!お前なんか━」


 僕の口は勢いがついて飛んできた何か、恐らくは床に落ちた分厚い本のようなもので遮られた。紙とはいえ集まれば十分な質量をもつそれは、僕の顔にしっかりとした痛みを残す。


「・・・分かったよ・・・」


僕とは違い、渚は声を荒げなかった。


「出て行け・・・」


いや、それは最初だけで、渚の声の調子は徐々に上がった。


「出て行けっ!!!」


 まるで親の仇のように、もしくはもっと深い殺意を持つ相手のように、渚は何度も叫んだ。声を荒げ、物を投げつけた。僕は言われずともそのつもりだった。もう、ここにはいられないと、そう決めていた。


 ばんっ、と壊れるくらいの勢いで玄関の扉が閉まる。折角綺麗に洗った僕の体は、また雨の中へと進んで行った。

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