第16話 燃えて散って重なって

 夜中だ。そして、雨。雷を伴うほどのものではないことが、まだ少し救いだろうか。流石に人も外に出ていない。それは逆に、不審者も外に出ることを憚られるという点で、安全といえば安全なのだろう。まぁ、こうやって傘もささずに雨の中歩いている僕が、不審者と言えば不審者だけれど。


 分かっていた。僕は分かっていた。渚にああやって怒鳴れば、追い出されることくらい。つまり僕は、軍師が行う策とは少し言い過ぎだが、わざと渚を怒らせたのだった。琴音も死んだ、健二も死んだ。僕はこの事実を、どうしてもただの偶然という言葉で片付けたくなかった。誰かのせいに、せめて、僕のせいにしたかった。きっと、僕がいたから、僕が近くにいたから、あの二人は死んだのだと、そう決めつけたかった。だから僕は渚の元を離れた。彼女を巻き込みたくなかったから。そもそも、因果応報に絶対なんてないのだけれど。


 アテはあった。次に僕が住む場所。いや、アテというより、普通に僕の家。アパートの一室。思えば、ずっと渚の所に邪魔していたから、しばらく帰っていない。僕は久しぶりに家へ戻ることにした。


「・・・あははは・・・」

人というものは、不幸に顔を歪め、絶望する。それが普通。幸福に口角があがり、笑みを浮かべる。それが自然。だけど、こうまで不幸が重なると、陳腐な表現であまり使いたくはなかったけれど、笑うしかない、ということが起こるらしい。僕はそれを眺め、最早、笑う以外無かった。


 暗がりの中とはいえ、雨の中とはいえ、はっきりと分かった。方向音痴ではない僕は、間違いなく僕が住んでいたアパートへと来た。だからあれは、僕が住んでいた場所だった。そこが、かつての原型を残さずに、焼けこげた痕を残し、倒壊していた。火事だろう。燃えて無くなっていた。煙草の不始末か、放火か調理関係か、死者が出たのか被害はどれくらいなのか、そんなこと、もうどうでもよかった。


 ドミノのように、不幸は連鎖する。となれば、次の不幸はもう、僕自身に起こるのだろうか。今更、渚の家には戻れない。ホームレスの気持ちなんて、分かりたくなかった。これを社会勉強だとして受け止めるのは、あまりにも無理がある。きっと僕は、このまま・・・。そしてそのことに対し、あまり絶望していない自分がいた。最早、受け止める気になっていた。この運命を憎みはするも、もう、仕方ないって。


 燃えたアパートを眺めながら、僕は近くの木に体をかけてぬかるんだ地面に座る。葉がお生い茂っている訳でもないので、雨宿りもできず、僕の体は依然濡れていた。都合よく近くに洞窟があるはずもない。もちろん、探せば雨を防ぐ場所はあっても、探す気がないのだから、どうしようもない。このまま死ぬのも、悪くないのかもしれない。


「・・・?」

 何も考えず、ぼーっとしていたときだった。絶え間なく降っていた雨つぶが途切れた。・・・雨が止んだ?いや、ざーという音は依然している。でも、濡れない。

「・・・せっかく、お風呂入ったでしょ」

聞き覚えのある声だった。

「・・・物好き、だな」

僕は感情の裏返しを求めるような女の子じゃないんだ。追いかけてこないで、なんて言いながら、本当は跡を辿って欲しい気なんて、さらさら無かった。僕はこのまま、ひっそりと消え行こうとさえ考えていたのだから。つまりは、今この状況は、一つも予想できなかった。

「・・・あんなこと言ったのに。どういう風の吹き回しだ?」

「・・・さぁ、分かんない。よく分かんないけど、アタシ、あんたのこと、心配だったみたいでさ。急いで後、追いかけてきちゃった」

「・・・そうか」

渚が大きな傘を持って、僕をその中へといれた。

「相合傘ってやつ。アタシ、慌ててて、一本しか持ってこなかったよ」

「・・・」

「ねぇ」

渚が話しかける。

「ここで何してんだい?」

「あれ、僕が住んでいたところでな」

僕は廃墟と化したアパートを指さす。

「笑ってしまうだろ。家も無くなった。まぁ、取るに足らないことだがな」

あの二人の死に比べたら、すべてのことがそうなるだろう。

「・・・笑えないよ」

僕は軽い気持ちで言った。笑える、って。でも、何だかその言葉は渚に刺さるものだったらしい。泣きそうな声が戻ってくる。

「・・・悪いね、怒鳴っちゃって。アタシもつい、カッとなっちゃって」

何を言ってるんだ。僕は返す。謝るなら僕の方だった。

「悪かった。本当に」

ただ。僕は付け加える。

「もう僕には関わるな。分かったんだ。健二も、琴音も、僕が側にいたから死んだ。・・・博士、頼むから、僕から離れてくれ」

懇願だった。心からの。僕はもう、何も見たくなかった。

「断るね」

「えっ」

僕は意外、という声を出す。即答だったから、思わず声が漏れる。

「助手がなに口答えしてんだい」

「でも・・・」

僕が返そうとしたとき、頬に軽い痛みが走る。

「だーめ。もう決めたから」

ぴん、と頬にデコピンをされた。反射的に頬を手で抑える。

「来なよ、アタシのところ。住むところもないなら、歓迎するから」

「・・・またいつ僕がおかしくなるかも分からない」

「いいよ、そのときはまた物投げつけてやるから」

「・・・なにか危害が及ぶかもしれない」

「いいよ、そのときは気合で吹き飛ばしてやるから」

「・・・最悪、命に関わるかもしれない」

「だぁー、もう、うるさいねぇ!」

僕がぐだぐだ言っていると、真夜中に渚の声が響く。

「いいったらいいの!アタシがそう言ってるんだから!」


「・・・世話くらい焼かせてよ。これでもアンタには、感謝してるんだから」


渚は優しく笑った。可愛く、凛々しかった。

「・・・ありがとな、博士。いや、渚」

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