-15- 街の守護者を八つ裂きにせよ!


 戦意が失われたアクネロは魔装を解き、獣の仮面を霧散させた。


 額にぺたりと手を当て、疲れ果てたと周りに示すように両肩をだらりと垂らし、踵を返した。


 そのまま何事もなかったかのように、帰路につこうとしたが、待ち構えていたメイド二人に阻まれた。


「お坊ちゃま。やっていいことと悪いことがございます」

「ご主人様は良心がないんですか?」


 女の身として、妊婦に凶行を及んだことを責めるのは、無理からぬ話ではあったが、アクネロは自己弁護のために両手を大きく広げ、抵抗を試みた。


「だって、わかんねえじゃん。例えばさ、お前らトカゲを見てオスかメスか一発でわかる? わかんないよな? 周りがオスだって言ったらさ、ああ、オスなんだ、って思うじゃん? 俺、悪くないじゃん?」


「はぁー……まったく、お坊ちゃまときたら」

「ちょっと〝ない〟ですね」


「おかしくね? 俺だけが責められるのおかしくね? 俺は人々のためにドラゴンスレイヤーになってやろうと思ってきたんだよ? だけど、あと一歩のところで名誉欲を抑えて慈悲深く剣を収めたよ。これって騎士でもなかなかできることじゃないから、むしろ褒め称えられるべきじゃん?」


「そういうことを口にしてしまう事体が小さいですよ」

「小さいです」


 女のコンビネーションによる舌刀で刻まれたアクネロは、うちひしがれた様子でよろめき、岩壁の隅に両手を突いた。

 そのままずるずると崩れ落ちるように倒れ込む


 人と竜の苛烈な勝負に勝利したはずが、敗北者のようにうなだれている。


 それは心理的な疲弊でもあったが『赤狼の原初剣レッド・フラット』の使用による負担もあった。


 奥手として使用するこの赤剣は肉体に無理をさせる。

 劇的なパワーを得られても、長期戦には向かない。


 地に伏したクラーレは血だらけで、既に戦う余力は残っていなかった。荒い息を吐いて呼吸を整え、血まみれの巨躯を休めている。


 代わってメイド二人が前に出る。


 ひとりは堂々と。ひとりはおずおずと。


「クラーレ。あなたがメスだとは驚きです。どういうカラクリですか?」

「ドラゴンさんは赤ちゃんがいるんですか?」


「そうね……情けまでかけられた以上は、敗れたものとして教えてあげる。でも、あんたたちみたいな取り澄ましたブスどもに話したくないから、消えて」


 ぴきり、とメイド二人の額に青筋が走った。


 思いやりと気遣いをまとっていた暖かな気配が急速冷凍され、衝撃を加えられたガラスのごとく木っ端みじんになった。


 それとは対照的にアクネロは元気になった。むくりと顔を上げて無駄に陽気になり、楽しげに両肩を交互に振りながらクラーレの鼻先へ歩み寄る。


「事情を聞こうぜブスシーとブスリル。こいつだって事情があったのさ。寛大な心で話を聞こうじゃないか?」


「いえ、差し出がましいことを申し上げました。もう、殺した方がよろしいかと」


「そうですね。罪は罪として断罪されるべきですね」


「いけねぇーな。悪口くらいで殺気立つのはよくねえ。常にラブ&ピースの精神にならないとな。戦いは終わりにしよう。後は俺みたいな色男が優しくリードしてやろう。何しろ、俺はファミニストとして、種を越えてあらゆる女性を護るべきものだと考えているからな。まったくもって、野蛮なことは受け入れられないぜ」












 クラーレの閉じていた心の門が開くと、重苦しい事情が明かされた。


 それは老齢に達した竜の肉体が――種の保存のために変化することを知ったときか始まった。


 一枚が尖った刃のような鱗が丸みを帯び、狩猟に特化したスマートな肉体から、鋭角さが取れていった。


 最初こそ、老化による死期の兆しだと考えていた。

 時間が経過したことで、クラーレは自らの謎を解いた。


 竜種としての生態が、死に際に子孫を作るように肉体を造り替えていってるのだと。


 誇りとする頭角が寝起きで抜け落ちた時、クラーレは男としてのプライドまでも失ってしまった。


 本来、雄と雌でペアになることの方が自然ではあったが、老竜として成長しきったクラーレの相手は付近におらず、また人間の国情によって見つけることは難しかった。


 最強の幻想種の身体機能は苦難に対応した。

 本人の意思によらず、部分的な性転換を強行したのだ。


 正確には単性生殖――単独での産卵を可能としたわけである。


 結果として、オスでありながらメスとなり。


 現状のお姉言葉を話すドラゴンが誕生したのだ。


 滅びゆく幻想生物の神秘の感じさせる話ではあるのだが、アクネロは終始、薄気味悪そうにしていた。


「北東のルーツバルトなら若いドラゴンは結構いるんだけど、ファンバードにはいないのよ。あたしは山岳都市アイグーンの守護獣。あんまり家も空けられないのよねぇん」


「っで……産卵が終わったら、ヒステリーは落ち着くのか?」


 母熊が小熊のために過敏になるように、クラーレも縄張りに関して過度に厳しく振る舞っていたのなら、小動物を退治していたのは納得がいく。


 卵を狙う外敵を排除する本能が過度に働いたのだ。


「それなんだけど……今回で四度目なの。ぜっぜん、卵がかえってくれないのよ。子供がうまくできないのはあたしの女子力が足りないからだと思うの。だから、人間の女物のファッションアイテムを集めてみたんだけど、いまいち効果がなくて……もう、わらにもすがりたい気分なの」


 およよよよ、と涙の粒を落とし始めたのには哀愁を誘ったが、アクネロは別の事情を絡めて考えていた。


 現実問題として次代の守護獣がいなくなれば、アイグーンは危機に陥る。


 ドラゴンは抑止力だった。ルーツバルト公国に睨みを利かせる存在だ。

 それはアクネロにもわかっていたし、討伐しなくていいならそれでも構わない。


「ルルシー、意見を聞かせろ」


「さすがの私も出産経験はありませんのでなんとも……お坊ちゃまがお望みでしたら、今後は一緒に頑張りましょう。はりきります」


「ありがとう。その貴重な意見はひとまず見送らせてもらう。ミスリル? お前はどうすべきだと思う?」


 ぐっ、とはりきって両拳を握ったルルシーを無視してミスリルを見やると、彼女も困惑しながら弱った顔で首を横に振った。


「ええ、ええっと……今回の産卵をお手伝いすれば、傍目からしてまずいところがわかりかもしれません」


「それも悪くないアイディアだな、だが俺たちには時間が――」


「俺に案があります領主様っ!」


 響いた声は聞いたことのある男のもの。

 浮浪者と見紛うような風体のみずぼらしい男が、胸を張ってドラゴンの巣穴を歩く。

 元陶芸絵師にしてネイルアーティストのトータスだった。


「俺がそのドラゴンを美しく仕上げ、出産のお助けを致しましょう!」


 ギラギラとした野心は隠さず、恥もてらいもなくトータスは膝をついて胸に腕を運び、従者の礼儀を示した。


 凛々しい顔とは裏腹に足は震えている。

 それは武者震いか弱腰の表れか。

 わらにでもすがりたい、先ほどのクラーレのセリフ。

 ちょうどよく、目の前にか細いワラが来ている。


「そうだな……俺はお前の職人としての腕は見ていない。男がこれで食っていくと決めた技を見せてくれるなら、こんなにもありがたいことはない」


 期待はしていないが、まあ、役に立つかもしれないな。

 そんな気持ちでアクネロは許可を出した。

 なんにせよ、ドラゴンの気休めになるのならば、どんなものを使ったっていい。













 粉になった顔料を水で溶き、身長にドラゴンの粗爪に化粧を施すトータスの姿を横目で見つつ、アクネロははしゃぐメイドたちに振り向いた。


 彼女らは戦利品として、竜の宝物を漁っているのだ。


 ミスリルは白絹を主体とした肩紐のないマーメイドドレスに夢中になり、じゃらじゃらとした金鎖のネックレスや宝玉の埋め込まれたブレスレットを身に着け始めている。


 ルルシーは掘り出し物となるヴィンテージの高級生地を手に取り、高山羊を用いた素晴らしい生地の織り目にうっとりしている。


 時折、鋏を持つ真似をしているので、恐らく身丈に合うように空想で採寸している。


「ご主人様、どうですかこれ?」

「ああ、服を脱がしたくなるくらい綺麗だぞ」

「やだっあ、もぉー! 困りますぅ!」


 皮肉は通じなかった。


 言外にそのドレスは無駄だと伝えたわけではあったが、丸めた拳を顎先へ持っていったミスリルは、単純に頬を染めて身をくねらせている。


 アクネロの精神は無気力へと近づいていたが、改めて見直せば――マーメイドドレスは艶めかしい腰の曲線をアピールし、幼げながらもセクシーが匂わせる出で立ちとなり、そう悪くはない。


「お坊ちゃま、今季の冬用ジャケットはこちらのモノトーンの希少生地を使いましょう。胸に厚みを入れ、いかり肩にすればたくましさとスタイリッシュな男性美が演出できます。よろしければ採寸させてください」


「俺の服か?」


「ええ、先日のお買い物で私の服は頂きましたので。お坊ちゃまをより恰好よくして差し上げたいのです」


「……わかった。だが簡単な形でいいぞ。仕立て屋に付き合うのは骨だからな」


「いいえ、たっぷりと時間をかけさせて頂きます。私が仕立てますので」


 にぃとした歪んだぷっくらとした唇からは熱情による執着が垣間見えた。


 あてられて、アクネロは距離を取った。

 昔から、ルルシーが情熱で熱くなっているときは近づかないようにしていた。


 着せ替えを楽しむ女二人から遠ざかり、アクネロは巣穴を巡ることにした。

 

 ドラゴンのねぐらは興味深いこともある。その生態は未知の部分が多く、今回の性転換も驚きだった。


 古来から竜種は収集癖があるようだし、宝物には好奇心がわいてくる。


 寝床の藁の近くに寄ると、蔵書と思われる古本も山積していた。


 人語を解するため文字も読めるためだ。


 獣臭さは残っていたが、嗅覚が慣れたのか思ったより巣穴からは腐乱臭はしなかった。漂っている硫黄の臭いも、ハーブか何かの香料で消臭されているようだ。


「お、これが卵か」


 孵卵することなき亡骸は今も尚、丁寧にわらの束で包まれていた。

 決して倒れて割れぬように優しく扇状に包み込んでいる。

 産まれなかった生命を悼む心と捨てきれなかった我が子への愛を感じさせる。


「思ったよりも柔らかい殻だな……なるほど、まだら模様の黒卵か……」


 さて――どうか。


 出産がうまくいかない原因はどこかにある。

 産まれてくるはずの子供はなぜ生まれなかったのか。

 単純に女子力などという――肉体の些細な変化や精神の高揚だけで、赤子の運命が決定的なまでに左右されるものなのか。


 卵をじっくりと調べる。外見上はなんの変哲もない。指で触ってみると、冷えた岩のようだった。温める必要がないのか、既に死んでしまっているのか。恐らく後者だ。


 アクネロはふと思い立ち、手持ちの水袋を取りだし、卵に振りかけた。


「……穴が開いてるな」


 卵の表面に浮かんだ小さな気泡を見つける。そこをナイフで削ってみると、殻にぬってあった塗料がボロボロと剥がれ落ちた。誰かが穴を開け、塗料で巧妙に蓋をしたのだ。


 つまり、穴を開けた時に中身は――もう、考える必要はない。



 ∞ ∞ ∞



 

「あららぁあんんんんっ! いいじゃない! いいじゃないこれぇ! 素敵なネイルよぉん!」


 巨体が驚喜で歩き回ると、背骨にくるほどの地震となる。


 トータスのネイルアートはドラゴンの大炎吐息ファイアブレスをイメージして描かれたものであり、雄々しくも女性向けとは言い難い代物であったが、クラーレは大層気に入った様子だった。


「話してみると、やっぱり竜だけあって自分の牙や爪、吐き出す炎に誇りを持ってるんです。だから変にケバケバしくするよりも、そういうものを大事にするべきだって思ったんです」


「ほう、うまいことやったようだな」


 出来栄えは素人目でも、迫力と美意識を感じせさせるものだった。


 オレンジ色の斜線は炎の渦巻きのようで、竜の情感を刺激するには十分だろう。


「領主様、実は俺、貴族様のいるパーティに参加したくて、その……」


「田舎者がうぬぼれるなよ。素性も知れていない平民のお前を我々のパーティなど出せるか」


「あ、は、はい……すいません。大それたことを」


「だが、ワインを配る給仕は必要だな。時間があれば、余興もまた必要かもしれない。俺のために働く人間なら必要としている」


「は、はい……誠心誠意、働かせて頂きます!」


 低頭するトータスを尻目に、アクネロはクラーレに向き直った。


「どーしたのよぉん。こわーい顔じゃない。おかげさまで、そろそろ産気づきそうよ。感謝してるわぁん」


「ディタン族長がお前に貢物を持ってきたのか?」


「んんっ? そーよ」


「持ってきた物を長く説明されたり、夢中になったりしたか?」


「そうねえ……商人の説明ってなんであんなに長いのかしら。でも、ついつい、聞き入っちゃったわぁ。でも、新しい知識を仕入れるのって、すっごく素敵じゃない?」


「そうか。それだけわかればいい。それじゃあ、またな」


「または多分……ないわぁー。あたし、あと数日で死ぬもの。わかるの。これが最後だって。さようならアクネロちゃん。竜殺しの称号あげちゃうわ」


 ウィンクを受け取り、一同はその場から去ろうとしたが、薄暗い洞穴に入ったところで、アクネロはルルシーに向けて小声で告げた。


「ルルシー、命令だ」

「はい」

「卵が孵るまで見届けてくれ。誰が来ようと阻め。必要なら始末しろ」

「承知致しました」


 命を受けたルルシーだけがぴたりと立ち止まり、三人を見送った。ミスリルは後ろを振り返りつつ、主人についていったがちゃっかり疑問はぶつけた。


「ルルシーさんをドラゴンの巣穴に残していくんですか? 危なくないですか?」


「俺の魔剣の一振りを渡してある。遣い手としての能力に問題はない。それに女ならベビーシッターのバイトくらいしておいた方がいいだろう。きっといい経験になるはずだ」


 自らの腹心を残していくアクネロは、最後まで後ろを振り返ることはなかった。

 

 気のせいかいつもよりも顔つきが険しく。

 騒乱の気配を察したミスリルは心がざらざらとして、ざわめきを抑えるために胸にそっと手を当てた。




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