-11- 街の守護者を八つ裂きにせよ!



 ゴルフ場の開発を終え、ひと段落つくとミスリルは休日をもらった。土木作業に参加させられた背景もあって、じっくりと休みたかったからだ。


 街に買い物に行くのも労力が必要なので、今日は自室にひきこもり、下着同然のキャミソール姿で読書にふけっていた。


 枕に頭を預け、両手で文庫本を持ちゴロゴロしていたが、眼球は文章を追って滑っている。


 表紙には『各国の王侯貴族のグルメリポート』と書かれていた。


「はーっ、おいしそうですね……。私も一回でいいから、王宮料理とか食べてみたい。珍味とかあるのかなぁ」


「お偉方はマナー厳しいから肩凝るぞ」


「あー、そうですね。そういうものですよね……って、ご主人様ッ!」


 がばっとミスリルが上半身を起こし、反射的に自らのあられもない姿を確認する。慌ててタオルケットに手を伸ばし、身体を隠した。勝手に自室に入られた不満と羞恥に細肩を震わせ、睨みにかかる。


 しかし、アクネロはしゃがみこんで膝に肘を乗せ、頬杖をついて退屈そうな顔。


「……なんですか?」


「いや、大したことじゃねえんだが、聞きたいことあるんだけどよ、体調とかおかしくないか?」


「は、はあ……そういえば最近、胸が苦しいような……」


「妖魔の種族結界は時間の流れ方が違うらしくてよー……妖精の里で一日過ごしたじゃねえか。あれで半年分くらい、歳を取るらしくてさ。多分、チチが成長してんだろ」


「えっ、本当ですか……わっ、わっ、わっ……あっ……ちょっと嬉しいかも」


 よく考えずにミスリルはタオルケットを捨てた。

 そのままブラジャーの上っ面をぱんぱんと叩きつつ、下からすくいあげ、もにゅもにゅと品定めするとボリュームが増している。


 微妙に喜ばしいのか、両頬を手の平で押さえてにんまりした。


「よかったなー。ちょいと悪い気がしてたんだよ。女に歳を取らせるってのはよぉー……ああ、王宮料理だがその内、食うことになるぜ。じゃあな」


「あ、はい」


 用が済むとアクネロは背中を向けて戸外へと消えた。


 唖然としていたミスリルはそのまま見送ったが、不意に先ほどのは覗きだったのかと悩みだしたが、一日中考えても結論が出なかった。






 ∞ ∞ ∞







 帝国は大陸の北東部にある大国であるが、同時に辺境の飛び地を多数持っているため、統率者たち専用の連絡網を確保している。


 それが通信用の遠見魔境であり、特殊な魔術回線で月に一度だけ会議を行う取り決めがある。


 そんな遠見魔境を前にして。


 椅子に座ったアクネロは、足を組みながら鏡の向こうの男たちを見据えた。


 幾つかの虚像がコマ分けされた窓となって並んでいる。


 開幕を宣言する公爵の声が聞こえたが、それぞれ語るのは税収や気候変動、作物の出来高や敵国の動向などの定時報告ばかりだった。


 しかしながら、領主が自治領の内政については完全に明かすことはない。


 作物一つにしても多ければ低く報告し、低ければより低く報告して本国に納めるべき税の軽減を狙うものだからだ。


『ファンバード、君の番だ』


「ありがとうグリアス。こうした合議会にはお初にお目にかかる。俺がアクネロ・ファンバードだ」


 一旦言葉を区切り、目を配り、一人一人の顔を確かめる。


 帝国の重鎮たるそうそうたる顔ぶれ。有力者が集まる会議に欠席はほぼ見られない。


「このなかには俺のことを知っている野郎ばかりだと思うので、こまごまと自己紹介する気はない。しかし、当面の方針だけは告げておこう。俺は俺の領地を不当に占拠している近隣の貴族どもを許す気はないし、一族一党皆殺しにするつもりだ。許しは請わないし、罰も受けない。なぜなら、挑戦への正当な報復だからだ」


 鏡の向こうが緊張とどよめきが走った。


 地方領主やそれに連なる貴族たちは目配せしている。ゆうに数十個の窓があるが、心当たりのある者は押し黙っていた。


『内乱がお望みかね? 反逆罪に問われますぞ』


「失礼だが公爵閣下、これは職責の問題でもある。口出ししないで頂こう。我々は尊敬しあうべき仲間であることは確かだし、俺の皇帝陛下への忠誠は揺るぎはしない。しからば皇帝陛下から任された領地を不敬な輩に占拠されているという事実があるのならば、毅然きぜんとして戦うべきだと考えている」


 つらつらと並べ立てるアクネロは貴族としての顔を備えていた。


 高等な教育を受けた証左でもある。

 傍に控えるミスリルは、会議の会話を一言一句記憶して本国に送るつもりでいたが、まさか内乱紛いの議題がのぼるとは夢にも思っていなかった。


『伯に不満があるのならば当然、裁判をすべきでしょう。若い者が血気盛んなのはよいことですが』


「グリアス、はっきりと述べよう。ファンバード地方の南端にある小島を返さなければ、お前の首をねじ切りにいく。お前があそこを別荘地にしているのは知ってるし、愛人を囲ってるのにも頭にきてる。お前の病床の父親と傲慢な娘を羽虫のエサにして肉片を踏みつけるのを楽しみにしてるんだ。不可能なことだなんて考えるなよ。今、お前とお前の家族は死にかけてるんだ。俺は貴様と違って流血など恐れんぞ」


 鏡の世界で不思議な沈黙が降りたった。


 向こう見ずな若さと獰猛な声には、相応のえぐ味と凄味がある。

 それは帝国内でのアクネロの評判を裏打ちするものであって、破壊者としての側面を意識させるものだった。


『まあまあ、落ち着こうよ。アクネロの正式な勅任式だってあるんだし、そこで話し合えばいい』


 柔らかく、よく通る少年のものとされる低い声が響いた。


 魔境に童顔の美少年が鏡の前にクローズアップされると、それぞれ表情をなごませた。


『殿下』

『出向くのですか』

『わざわざ辺境の地に足を運ぶ必要などありません』


 王族にして皇太子である――リンネ・サウードスタッドは後頭部に金髪を縛った線の細い優男だった。


 歳若く、世俗にまみれていない高貴な顔つきと一種の華やかさは、王族の余裕と自由奔放な風を感じさせる。


 彼は酷薄な顔を維持しているアクネロに向け、屈託のなく笑いかけると、テーブルの上で手を組み合わせた。


『地方統治には王族からの勅任状が必要だ。スルードのはあっても、君だけのものはまだ受け取っていないはずだよ。だから、他の貴族と戦う権利はない』


「ああ、その通りだ。ちょっとふざけてみただけだよ殿下。ほんのジョークで、本気じゃない。俺の失礼を寛大な心で許してくれ、グリアス辺境伯」


 口の端だけ歪めて笑う。

 目を座らせて口先だけの謝罪は本当は何もジョークではないことは誰でもわかった。


『ボクが君に直接、勅任状を渡しに行こう。そして皆で新生ファンバード領主を祝おう。それでわだかまりはすべてなくなると信じてる。祝い事の席で、穏当に話し合えばいいさ』


「いいね。手間が省ける。もしもわだかまりが残ったとき、剣を一回振るうだけで済む」


『いいかいアクネロ。ボクは君のことが好きだけど、そういう暴力的すぎるところはあまり好きじゃない。何よりも、紳士としての言動ではない』


「お互いにまるごと全部愛してくれる友達が欲しいもんだな」


『同感だよ。それじゃあ、勅任式は二週間後くらいでいいかな? パーティーをしよう。主賓はボクで君が主催者だ。とびきりのサプライズを用意しておいてくれ。他の皆が来てよかったと思えるような物をね』


「二週間か、随分と急な話だ」


『スルードが危篤きとくだっとはいえ、君はボクに別れの言葉すらくれなかった。ささやかな意趣返いしゅがえしさ』


 片目を閉じたリンネの通信が途切れると、貴族たちもそれにならって通信を切り始めた。


 魔境に帯びていた輝きは消え失せ、なんの変哲もない鏡へと戻る。

 会議の終了するとアクネロは椅子の背に頭を預け、ゆっくりとため息が一つ吐いた。


 全身から気力が抜け落ちたような吐息だった。


「はぁ、来ると思ったが、やっぱ来るか……まあ、そーいう奴だよな」


「ご主人様は皇太子様とご交友があるのですね! 凄いっ! とても素敵でカッコいい人ですね!」


 ミーハーな態度でミスリルが両手を重ねる。


 どんな女も『王子様』には弱いものらしい。


 アクネロは膝を指で叩いて、リンネのことを回想したが、目を閉じて短く息を漏らした。

 含みのある口調で思い出を語る。


「俺はあいつの近衛騎士だったからな……カッコいいねえ……まあ、カッコいいんだろうな。わがままな野郎だし、喧嘩っ早いし、死ぬほど口うるさいし、たまにボケっとしてて馬鹿みたいな奴だぞ」


「そこまで相手を熟知できるほど、お坊ちゃまと深いお付き合いができる人間がいるとは思えませんでした」


「ルルシー、俺ほどフレンドリーで親しみやすい男はこの世にいねえ。そう正しく理解しろ」


「正しく理解しました。しかし……困りましたね。ごちそうを用意するのに、残り二週間となってしまいました。当家が手配できる問屋は中産階級向けの代物ばかりです。街の高級レストランをそのまま出張させますか」


 仕入れている食材はそれなりの格式のある流通業者を通しているが、それにしても高級品を専門としているわけではない。


 また、そういった食材を扱うのにも経験が必須だ。

 ルルシーの案は妥当な解決法だった。


「調理はそれでいいが、なんかこう、パーティーを沸かせるようなもんを用意する必要がある。つまり、奴のいうようにサプライズだ」


「さぷらいずですかぁ……やっぱり地元の特産品とかですか?」


 唇の端に指を当ててミスリルが顔を上向かせる。


 物憂いげにアクネロは椅子の向きを変えて足を組み替え、ルルシーに質問した。


「ルルシー、我がファンバードの特産品はなんだ?」


「グレートジャンボコーンですね。糖度が高く、人間の身長ほど大きく育ちます。我々にとってポピュラーな食材でもあり、牛や鳥や豚などの家畜のエサにもなり、デンプン工場の原材料となってます。有名な加工品としてコーンシロップがあり、その他の食品添加物として欠かせないものです」


 タキシードとドレスの男女が巨大コーンを一心不乱に頬張る姿をアクネロは想像したが、すぐに打ち消した。


 辺境だからといって、田舎臭さを前面に出してどうするというのか。


「なるほど、コーンという素敵な神の恵みに感謝しよう。だが、俺にはどうもパーティーの主菜に不向きに思える。別のものはないか?」


「ご主人様、私はグレートジャンボコーン好きです。甘くてどろどろのホワイトソースをかけたコーントーストはごちそうですよ」


「実際、私も好きです」


「よしっ! 平民のお前らがコーン推しなのはわかった。とはいえ、パーティーの来場者は傲慢な美食家グルマンだ。連中は高くて珍しくて美味なるものを食うことを趣味としてる気取り屋の豚だ。ある程度、満足させないと文句を言う。それが無料で提供されているものだとしてもだ。俺は俺の栄光の勅任式を血まみれの屠殺場とさつばに変えたくはないんだ。その上で、意見を聞きたい。俺たちのファンバード地方にはどんな名産がある?」


 静かな説得にメイド二人は瞑目した。


 数秒後、うーんと唸りながら腕組みしていたミスリルは明るく元気いっぱいに指を立てて自分の好きなものを挙げ。


 ルルシーは聡明な口調で模範的な答えをだした。


「山岳地帯で売ってるサラマンダーの丸焼きです。外見はぐろいですけど、食べてみるとですね、エサにしてるドブネズミの味がしてすっごくおいしいんですよっ!」


「キングペット酒房のアイスワインです。氷点下に達して凍りついたブドウの実をしぼって作る大変希少な美酒でございます」


 返答を拝聴してアクネロは腕組みしてうむうむと何度か頷いた。

 迷うことはない。


「よし、まずはサラマンダーから行ってみよう。俺は昔から王侯貴族にドブネズミを食わせてみたかったし、ちょっとしたサプライズになるからな」





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