第34話 宇宙遊覧と、もう1人のブラックボックス

 出港準備が整った宇宙艦〈アゲハチョウ〉は、完成版の反重力システムをフル稼働した。


 重力の足かせが緩むと、イモムシ級の巨体が緩やかに地表を離れた。


 渡り鳥たちが〈アゲハチョウ〉を主食であるイモムシかと勘違いして近づいた。しかしある程度近づいたところで化け物みたいな大きさに気づいて羽を撒き散らしながら逃げ出した。


 やがて空飛ぶ巨大イモムシは野鳥が生息できない高度まで上昇。だんだんと空気の色から青が薄れていく。


 五光は〈アゲハチョウ〉の展望デッキで、成層圏を離れる瞬間を待っていた。


 もうすぐ成層圏を離れる。念願の宇宙がやってくるのだ。


 食堂と居住スペース以外は人工重力を施さないので、展望デッキの人々は近くの固定物を掴んで無重力に備えた。


 だんだんと〈アゲハチョウ〉の周囲が黒く染まっていく。重力が減退して星の海が流れるようになると暗黒の世界がやってきた。


 よく宇宙は死が満ちているとか、生物が暮らすのに適していないとかネガティブなことばかり言われるが、五光は希望ばかりを感じていた。どれだけ死と隣り合わせであろうとも関係ない。宇宙はなにもないように思えて、なんでもある場所なのだ。


 分子分解爆弾の影響で“清潔”になった地球を眺めながら、宇宙航海図を立体映像で表示した。突然の戦闘に備えて〈アゲハチョウ〉の航行コースを調べるのだ。


 宇宙艦〈アゲハチョウ〉は南米から成層圏を離れると、地球の反対側を目指して周回軌道を飛んでいた。


 目的地である月が地球の反対側に位置しているからだ。


 なんで最短距離である日本の軍事基地から成層圏を離れなかったかといえば、企業連合の迎撃手段に問題があった。


 企業連合は、月面都市の軍事基地に攻撃用マスドライバーを設置していた。かつて九州でシャトルを打ち上げるのにマスドライバーを使ったが、あれと同型のモノを月面に設置すると地球を直接攻撃可能な戦略兵器になるのだ。


 マスドライバーから石ころを射出してしまえば、あとは地球の重力に引かれて地上の施設が砕ける。ただし自転と公転の関係から、地表を狙える時間が短い上に、精度は低めだ。


 しかし敵の迎撃にマスドライバーを使うとなれば話は別だ。微調整を加えることで、そこそこ精確な投射が可能だった。しかも石ころを投げ飛ばすだけのコストパフォーマンスに優れた戦略兵器だから、手数を増やしてしまえば精度の悪さを補えた。


 だから〈アゲハチョウ〉は最短距離で月へ飛べなかった――大気圏を離脱したばかりの隙だらけなところを狙い撃ちにされるからだ。


 なお宇宙へ飛んだ艦は〈アゲハチョウ〉だではなく、元陸上艦のほとんどが飛んでいた。かつて五光がブリッジを潰した〈ヨロイムシャ〉を始めとしたムカデ級も含まれていた。上層部に切り捨てられたPMCがデルフィンに対する恨みから地球統合政府に賛同したのだ。


「三つ巴の戦いが、ついに二極対立になったんだな」


 五光は〈アゲハチョウ〉の艦内に見慣れない顔があることに驚いていた。テロリストの格好をした女性や、元PMCの男性が歩いているのだ。もっとも四川が元PMCなんだから、いまさら過去の所属を語っても意味はないのかもしれない。


 その四川が【イモータル】時代の仲間と談笑してから、五光のところへ戻ってきた。


「三つ巴の戦いは、国家間の対外戦争じゃなくて、それぞれの領土で行われる内戦だったんだ。時流が変われば手を組む相手もあっさりと変わるだろうな」

「【イモータル】の人たちは俺を恨んでないか? 母艦である〈ヨロイムシャ〉のブリッジを潰してるから……」

「こちらも相応の損害を【ギャンブリングアサルト】に与えている。おあいこだろ」

「そうだな。ようやく新しい時代になったんだもんな」


 作戦空域到達までしばらくかかるので、もう少しだけ展望デッキで宇宙空間を眺めていようとしたら――いきなり艦内に第一種戦闘配置の警報が流れた。第一種ということは、敵兵器が接近していることを誰かが観測したらしい。


 ――だがすぐに警報は解除されてしまった。誤報だったんだろうか?


 御影から通信が入った。


『霧島軍曹と劉少尉は着艦デッキにきてくれ。機密チェックの完了したパワードスーツを着てくるんだぞ。減圧してあるからな』


 どうやら呼び出しは、さきほどの第一種警報と重なるらしい。


 五光と四川はパイロットルームへ立ち寄ると、パワードスーツを装着した。以前から使っているアライグマをイメージしたA型だが、そのまま宇宙服として使えた。いつもならストーム手りゅう弾が付属する腰のところに予備の酸素パックがくっついている。


 パイロットルームに納品されたパワードスーツはすべて機密チェック済みだが、五光は念のために自分の手で再確認した。三日は補給なしで動ける量の酸素が充填されていた。


 しかし四川はパイロットルームの報告用タブレットに『パワードスーツを装着した状態で機密チェックをやるための部屋を併設したほうがいい。装備する前は空気が漏れていなくとも、装備した状態だと空気が漏れることもあるようだ』と書きこんでいた。


 なんと四川のパワードスーツは空気が漏れていた。ヘルメットパーツの接続部に隙間があったのだ。すぐに空気が漏れていた個体に赤いテープを張って廊下へ出す。手押し台車そっくりな整備ロボットがやってきて赤いテープを認識――自動で整備ルームへ運んでいく。


「なにからなにまで未体験だな。誰も宇宙戦の経験がないから創意工夫で危険を減らしていくしかない」


 四川は新しいパワードスーツを装着して、もう一度機密チェックした。今度こそ空気は漏れていなかった。


「一歩間違えたら、戦場に出る前に死ぬのか」


 五光はパワードスーツの内側で冷や汗をかいた。よりによって慣れ親しんだ〈アゲハチョウ〉の艦内で窒息死するなんて悲しすぎる。


「宇宙で死んだら、魂はどこへいくのかな」


 四川は予備の酸素パックを腰に取り付けた。


「そりゃあの世だろ。でも重力圏ごとにあの世の管轄が違うかもしれない」


 五光は、もう一度パワードスーツの機密をチェックした。戦う前に死ぬのはさすがにイヤだった。


「なるほど、火星には火星のあの世があって、木星には木星のあの世か。だったらここらで死んでも地球のあの世だな。僕は両親に会えるわけだ」

「四川は、仮初の親を、本物の親だと思っているのか」


 五光は驚いた。四川の両親だって、新崎や宮下元首相たちの計画によってあてがわれた存在でしかない。人造人間に両親は存在しないのだから。


「たとえ計画的に育てられたとしても、親子の絆は本物だった」


 四川は堂々と言い放った。 


「俺は今でも判断がつかないよ。母さんにいたっては〈ソードダンサー〉の中にいるし。っていうか、母さんじゃなくて姉さんになるのか?」

「まぁ僕たちは生誕が普通じゃないから、あんまり深く考えすぎないほうがいいのかもしれないな。ところで、いつもごちゃごちゃうるさい破廉恥幽霊はどこにいった?」

「俺の近くにいないときは、機体の近くでごちゃごちゃ喋ってる。最近は整備班の人たちからクレームが入るんだよ。〈Fグラウンドゼロ改〉は整備に時間がかかるんだから黙らせろって」

「喋らないと死ぬのか、あの女は」

「ストレスで死ぬかもなぁ。それぐらいずっと喋ってるし」


 なんて会話しながら艦内の廊下を滑っていく。無重力だから歩行ができなかった。

足を使わずに移動するのは楽だし神秘的でもあるのだが、反面危険も潜んでいた。パワードスーツを着た状態で、パワードスーツを着ていない船員に正面衝突したら、交通事故みたいに相手を死なせる可能性があった。


「パワードスーツの脚部パーツに磁石をつけたら歩けないか?」


 五光は地面を軽く蹴った。その反動だけでふわーっと角度がついてしまって、溺れたように両手を振り回した。無重力は難しかった。


「そこまで手が回ると思えない。すべて急造品だからな」


 四川が五光の足を掴んで、元の軌道に戻した。


 そうやって二人で協力しながら無重力を泳いで、だんだんとコツを掴んできたところで、艦体後部の着艦デッキへ入った。


 入ったといっても、まずは空気を抜くためのエアロックがあった。入り口出口共に二重扉になっていて、常に片方の扉しか開かない構造だ。


 ブザーが鳴って警告音声が流れると減圧処理開始。空気が抜けて音がどんどん遠くなっていく。気圧が急激に変化するから鼓膜がしゅくしゅくとかゆくなった。


 もっともDS乗りなら肉体が強化されているので、気圧差による内臓や脳のダメージは気にしなくても大丈夫だ。五光の場合は、それぐらい強化された肉体で吐血するような急制動で空中戦をやった――はっきりいってバカである。


 減圧処理が終わってエアロックの空気が空っぽになると、パワードスーツの酸素タンクが消費を開始した。正常動作を確認。呼吸は苦しくならない。


 五光と四川は無重力の着艦デッキへ入った。


 なんとSシリーズの一号機〈コスモス〉が体育座りの姿勢で待っていた。無重力空間だから慣性で機体が右往左往しないようにロープとアームで丹念に固定してあった。


 ●      ●      ●


 たしかに〈コスモス〉はずっと敵としてデータベースに登録されていたから、誰かが観測した瞬間に敵として報告したんだろう。今となってはパイロットを失った無人機だが。


 若者二人を着艦デッキに呼び出した御影が、通信で事情を説明した。空気がないから声帯を震わせたところで音は伝わらないからだ。


『アインと名乗る女性が、まずお前たちに会いたいそうだ。それまでケースフロアへ移動しないと頑固だから、さっさと片付けてくれ』


 御影の説明が終わると〈コスモス〉は手を振った。パイロットの新崎は砂になって消えたから、アインが操作しているんだろう。


 いきなりスティレットが出現して〈コスモス〉に手を振り返した。


(お察しのとおり無人よ。さっきまでずっとアインと話してたから、コクピットの安全を保障するわ)


 四川がパワードスーツの内側で目を細めた。


『本当におしゃべりをやめたら死にそうだな』


(まーたあたしの悪口言っちゃって。本当にイヤな子ね、四川くんは)

『姉さん面するな破廉恥幽霊の分際で』

(だって姉さんだもの。あたしもアインもね)


 アインは、なにを語りたいんだろうか。


 五光は無重力を泳いで〈コスモス〉のコクピットへ飛んだ。艦内通路の無重力で散々練習したので軌道の制御に慣れていた。気をつけなければならないのは、重力がなくなっても質量は残っていることだ。しかも空気抵抗がないから、まるで教科書に記載された力学の基本みたいな運動エネルギーで滑空することになる。もし着地を失敗したら骨折するだろう。


 だが五光と四川は学習機能を搭載した人造人間だ。短時間で宇宙遊泳のコツを掴むと、コスモスのコクピットへ着地した。


 コクピットにロックはかかっていなかった。対DS戦法をやるときみたいなハッキングは必要ない。手動制御でハッチを開いた。


 内部は無人だ。ぽつぽつと砂が落ちているのは、新崎が遺伝子の経年劣化で苦しんでいた証拠だろう。彼はアフリカの秘密研究所で砂の山となって息絶えたが、かつて九州で戦闘したときには既に肉体が変異していたんだろう。


 もし彼が遺伝子の経年劣化を起こしていなかったら、五光は完敗していたはずだ。


 だが今戦えば、普通に勝てるかもしれない。それだけ五光は強くなっていた。


 そんな恩師であり怨敵でもある男への複雑な胸中は一度横に置いておく。


『アイン。俺たちにどうして欲しいんだ?』


 ブラックボックスに声をかけたら、アインが言語情報で返信した。


(ブラックボックスを外してほしかったんです。でも他の人には触ってほしくないから)


 彼女の気持ちはわかった。人造人間であることを知ると、どうしても一般的な人間への抵抗が生まれてしまう。死体から切り離された脳みたいなデリケートな部分だと“家族”に任せたくなるだろう。


『四川、手伝ってくれ。ブラックボックスを取り外す』


 五光と四川はコクピット下部にあるブラックボックスを取り外した。


 すると青い髪の女性が出現した。


 アインが生前の姿をブラックボックスから出力したのだ。以前見たときよりも、さらに雰囲気が柔らかくなっていた。“長女”だからかもしれない。


(ずっと衛星軌道から草花を見ていてもよかったんですが、あなたたちを手伝おうかと思って。計画ではなく、自らの意思で)


 アインも五光と四川と同じことを考えていた。計画が終わったからこそ、自らの手でケジメをつけることで、後々の人生を自分のモノにしようというわけだ。


 もっとも彼女の場合は、すでに亡くなっているから、魂としての余生だろうが。


 整備班と一緒に〈コスモス〉を解析していた御影が、ペンライトで生体装甲の隙間を照らした。


『〈コスモス〉は打ち上げられたシャトルの内部で改造されたらしくてな、もう戦闘用として使えない。完全に衛星軌道で監視作業をするために特化してる。九州でROTシステムを使ったときのダメージも放置されてる。修理して使うより設計図から作り直したほうが早いな』


 さらに整備班たちも〈コスモス〉の状態を立体映像の記入表に指先で書き込んでいくのだが、悲観的な情報ばかりだった。


 だがアインは予測の範疇だったらしく御影に敬礼した。


(〈コスモス〉は解体して、ブラックボックスごと御影少佐の機体に組み込んでください。スティレットさんと同じく、わたしが対空監視や機体の動作補助をやります。もっともあなたは人造人間ではないので、ROTシステムは使えませんが)


 御影はペンライトの光を消すと、腰に手を当てた。


『あまり感じの良いシステムではないが、月面の戦い限定で使うならいいかもしれない』

(感じがよくないのですか?)

『死者には安息がもたらされるべきだ。アインだけではなくスティレットにも』


 御影が信条を述べると、妹であるスティレットが反論した。


(だってしょうがないじゃん。あたしら謀殺されたんだし、好きで死んだわけでもなければ、バイオエバスになったわけでもないわよ)

『休息を欲してないのか?』

(んなもんいらないわよ。だって若くして死んだのよ? もしかしたら生きてたかもしれない時間を、この幽霊みたいな身体でまっとうしたいのよ)


『若くして死んだ』の台詞を聞いたとき、御影はスティレットとアインの生年月日を調べた。なにか言いかけた。だがなにも言わなかった。


 だがアインが本物の幽霊みたいな怨めしい顔で御影を睨んだ。


(へぇぇぇ~……アラサー女がお嫌いなんですか。それも前任者のお古を自分の機体に組み込むのはイヤだと)

『ち、違う。そういう問題ではない。というかなんでDSを人間関係の比喩に当てはめたんだ』

(だってわたしたち、人間サイズに小型化したDSですもの)

『……わかった。とにかくオレの〈リザードマン〉に組み込む。だが兵器として運用が難しいと判断したらすぐに外すぞ』

(わかっています。あなたは古参兵ですから、汎用性の低い機体はお嫌いでしょうから)

『お前はやりにくい』

(あら、女はいつだって扱うのが難しい生き物ですよ。では、あなたの脳にお世話になります。元テロリストですが、志は腐っていないと信じております)

『わかった、わかった。もうなんでもいい。恩赦があって懐かしい連中も帰ってきたし、色々忙しいんだ』


 元【ギャンブリングアサルト】の隊員でテロリストに走った人たちは、全員原隊復帰していた。彼らは政府に不満があったのではなく、PMCを集中的に叩きたい人たちだったので、地球統合政府の月面攻略作戦を大歓迎していた。


(急がば回れですよ、少佐。人間関係に近道なんてないんですから)


 スティレットは御影の額から再出現した。


『やっぱりお前はやりにくい』


 御影はげんなりした。


(若いだけの女より喋りやすいでしょう?)


 御影とアインは夫婦漫才みたいなトークをしながら〈コスモス〉を重機で運んでいった。


 スティレットが〈ソードダンサーL+〉のケースを見上げた。


(3番目の三津子さんだけは、会話できないのよね。何度アクセスしても普通のコンピューターと同じ反応しか返ってこないのよ)


 五光が腕組みして首をかしげた。


『もし母さんと会話できたら……どうすればいいんだろうな。アインと幽霊先輩の妹なのに、俺の母さんだぞ』

(言葉の響きだけだと、とても複雑な結婚経歴を持ったダメ男みたいね)

『なんてたとえをするんだ……』


 なんてところで艦内放送が入った。


『もうすぐ企業連合の勢力範囲に入ります。各員は配置についてください。人類初のDSを使った大規模な宇宙戦ですから、絶対に油断しないようにお願いします』


 いよいよ月面マスドライバーによる迎撃圏内に入るのだ。


 宇宙遊覧を堪能するのもここまでだ。


 宇宙戦に備えなければ。

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