5章 宇宙

第33話 月との抗争前夜/イモムシ、宇宙へ飛ぶ

 五光と四川は宇宙艦〈アゲハチョウ〉に乗りこんだ。


 宇宙艦〈アゲハチョウ〉は、陸上艦〈アゲハ〉を宇宙用に改修したものだ。反重力システムを最新型に取り替えて武装を見直せば、あっという間に宇宙用だ。元々水中戦にも対応していた艦船だから、機密チェックも難なくクリアした。


 現在〈アゲハチョウ〉は南米の軍事基地に停泊して、宇宙装備の最終チェックを行っていた。


 そして五光と四川は、南米基地の食堂でご飯を食べながら遺書を書いていた。


 南米基地の食堂は豚肉が自慢だ。ただし物資不足の時代なのでお一人様100グラムまで。ささやかな量だが、それでも肉を求めた人たちが長蛇の列を作っていた。


「でも遺書かぁ。なにを書けばいいんだ? 人間サイズのDSですって書けばいいのか?」


 なぜ五光が再び遺書を書いているかといえば【月面攻略作戦】という新しい作戦に参加するからだ。アフリカ基地までの戦いは【【コスモス奪還作戦】だった。次の作戦に切り替われば、遺書を更新する義務があった。


 前回遺書を書いたときは自分が普通の青少年だと思っていたから、平凡な内容だった。だが今は自分が人造人間であることを知っていた。家族が偽物であることも知っていたた。人生のほとんどが地球統合政府を作るための布石であったことも知ってしまった。


 いつぞや御影と『我思うゆえに我あり』――コギトエルゴスムについて語ったが、他人の采配で人生ごと動かされていた人造人間の自意識は、どこからが本物なのか怪しいものだ。


 しかしやはり【ギャンブリングアサルト】で築いた仲間との絆と、自らの肉体で手に入れた経験値は、完全無欠の自意識だろう。


「僕は遺書ではなく、残されていく人への手紙を書くことにした」


 四川はコールドスリープ中の子晴に手紙を書いていた。もし彼女が地球で目を覚ましたとき、四川が戦死していたら読むことになるだろう。


(ラブレターみたいなもん?)


 スティレットが四川の手元をちらりと覗きこんだ。


「なんて破廉恥な幽霊だ。他人の手紙を盗み見するなんて」


 四川は遺書という名の手紙を定食のトレイで隠した。


(いいじゃんちょっとぐらい。ねぇねぇなんて書いたの? 目覚めた彼女にどんな愛の言葉を投げかけるのかしら?)

「いいから破廉恥幽霊も遺書を書け」

(あたし、とっくに死んでるし!)

「じゃあ成仏に備えて書け」

(ふむ。たしかにあたしがブラックボックスに宿った魂だとしたら、成仏でこの世を去る可能性はあるわね)


 スティレットは顎先に指を当ててなにやら考え事を始めた。どうやら本当に成仏に備えた遺書を考えているようだ。


 出撃前になれば、幽霊ですら己の進退を考えるわけだ。


 そして出撃前といえば、南米基地でも男が女をベッドに誘う場面が頻発していた。戦場での幸運を得るための儀式である。所属組織が地球統合政府になろうとも人間の内情は変わらないようだ。


 四川は手紙を書き終えると、成立したばかりのカップルを見渡した。


「PMCでも同じ風景だった。どうやら出撃前になると男性はモテるようになるらしい。まぁ女性が死ぬかもしれない男に情けをかけているのかもしれないが」


 恒例の話題なのでスティレットが不機嫌になった。


(あたしみたいな女性憲兵はどうすりゃいいのって話なのよ)


 ぶーぶー文句をいったら、四川が手紙を盗み見されたお返しといわんばかりに肩をすくめた。


「意中の男を誘えばよかったんじゃないか?」

(そんな淫乱みたいなことできるはずないでしょ!)

「繁殖を否定したら人類は滅びる。女から誘うことが許容されなければ人口20億を維持することすら難しい」

(なんか四川くん、インテリ特有の嫌味オーラを感じる)

「僕は平凡だ。子晴に比べたらな」

(やっぱあの理系地味眼鏡女が起きたら、いきなりベッドインするわけ。だいしゅきだいしゅき、コールドスリープしてた時間を取り返すほどの熱い夜をすごしましょーって)

「なんてデリカシーのない破廉恥幽霊だ」

(……四川くんのなかで、あたしは破廉恥幽霊になったのね)


 スティレットが幽霊先輩に続く新しいあだ名を獲得したところで、五光も遺書を書き終えた。


『俺は絶対に死なないから自由にやる』


 まったく遺書になっていなかったが、なにか残せるものもないから、これでいいんだと思う。


 五光と四川は、遺書を提出するために、南米基地の総務課へ移動した。


 隊員たちの私的な郵便物を管理する部署だ。給料の支払いや備品の管理や食堂の費用計算なども担当している。


 宮下元首相がいた。なお肩書きは元首相だ。もはや日本という名称は国家の枠組みではなく地名になったので、彼は地球統合政府の議員の1人でしかなくなっていた。


「やぁ、また会ったな」


 宮下首相はクルーカットの渋い顔で握手を求めた。


 だが五光と四川は握手を返さなかった。返すはずがない。人造人間を作って、そのうち数名を謀殺。その後の人生も計画のために翻弄した。それら人でなしの行為を実行した中心人物の1人に握手を返すと思うほうがおかしい。


 宮下元首相は握手を求めた手を引っこめると、その手で頬をかいた。


「やっぱり恨んでいるか」

「当たり前でしょう」


 五光は冷ややかにいった。


「むしろ、なんで恨まれないと思ったんだ?」


 四川は憮然としていた。


 宮下元首相は腰に手を当てて薄く笑った。


「すまなかった。地球統合政府ができあがった嬉しさで詰めが甘くなっていた」


 だが五光と四川はダックスフントの顔をシンクロさせると、しっしっと掌で追っ払った。


 すると宮下首相は苦笑いした。


「なんで君たちは、それほど陰謀を嫌っているのに、この作戦に参加するんだい?」


 五光は遺書を受付に提出した。


「すべてのケジメをつけるために。そして自分自身の人生を手に入れるために」


 四川も遺書を提出した。


「僕たちは過去の楔から解き放たれるために戦う。お前たち陰謀好きのためじゃない」


 宮下首相は二人の若者と遺書に向かって会釈した。


「SシリーズのSはセパルトゥラの頭文字だ。ポルトガル語で墓を意味する。地球で最初に分子分解爆弾が炸裂したポルトガル語を冠したわけだな。そんな機体を使って君たちが最終決戦に臨むなら……権力者としては感謝するしかない」


 四川は嫌な顔をした。


「墓だと? なんて不吉な言葉を語源にするんだ」

「すでに死んでいるものは、もう二度と死なないだろう? 元【イモータル】のエースパイロットくん」

「今の僕は義勇兵だ。地球統合政府の正式な兵士になったつもりはない」

「わかっている。仁義はちゃんと守る。私だって元々前線の兵士だったからな。ではさらばだ若者たちよ。私はグローバル企業の後処理をやらねばならないのでな」


 宮下首相は窓口から紙の名簿を受け取ると総務課を出ていった。


 ●      ●      ●


 宮下首相は名簿を確認しながら南米基地の道路を歩いていた。


 なんの名簿かといえば、南米で現地採用した隊員名簿だ。ほとんどが元奴隷である。


 南米にはグローバル企業の奴隷農場があった。だが本社が未来都市ごと宇宙へ移転したことで、すべての奴隷を解放することができた。彼らのなかには元兵士もいたので普通に採用したのである。


 その元奴隷たちと懇談会をやる。政治家は忙しいのだ。


「宮下元首相、到着!」


 元奴隷たちが拍手喝采で宮下元首相を出迎えた。彼らは懇談会の会場をハンドメイドで作ってあった。資源不足の時代だから豪華ではないが、心がこもっていた。


 宮下元首相は、政治家としては冷徹に陰謀を張り巡らせるタイプだ。しかし私人としては浪花節に弱かった。


「ありがとう、みんな」


 元奴隷たちと握手していく。彼らの手はボロボロだった。ロボットでは採算の取れないような仕事ばかり担当していたからだ。


「ようやく自由になれたばかりか、新しい仕事をくれるなんて、あなたは神様みたいだ」


 元奴隷たちは心の底から喜んでいた。


「みんなには、どんどん働いてもらって、どんどん子供を増やしてもらわないとな。我々地球人類は人口が不足しているのだから」


 宮下元首相が子作りを推奨すると、懇談会はお祭りとなった。奴隷解放の喜びを身体で表現しているのだ。すでに男女のカップルができあがっていて、気の早いツガイは物陰で子作りを始めていた。


 あれでいいのだ。彼らには彼らの人生があるのだから。


 そして元奴隷たちと同じように、人造人間にも今後の人生がある。


 宮下首相は、人造人間たちに感謝していた。偽善や建前ではなく真摯な気持ちで。


 人造人間のおかげで地球統合政府は完成した。彼らがいなかったら地球はグローバル企業に食い潰されていただろう。


 なにか恩返しをしてやりたいものだが、彼らは陰謀に関わった大人たちを毛嫌いしていた。陰ながら手を貸そうとしても嫌がられるんだろう。


 だったらこっそり見守って、もし困っていることがあったら、絶対に気づかれないように手助けしてやろう。


 そんなことを考えていたら、もう1人の来賓が会場に到着した。


 アベベ元大統領だ。彼は奴隷農場に残っていた資源を回収していた。資源調達をやらせたらナンバーワンの腕前だろう。Sシリーズも彼がいなかったら完成しなかった。


「宮下。ようやくスタートラインに立てたな」


 アベベ元大統領は木彫りの椅子に腰掛けた。まるで魂ごと体重を預けるような重さがあった。彼は疲労していた。地球統合政府を作ると決めた日から、ずっと働きづめだったからだ。


「まさにスタートラインだ。ここからが大変だ。やることは山積みで、最初の問題は月面都市だ」


 宮下元首相は地面を見つめた。この時間帯だと月は南米の反対側――かつての日本と中国の上空を飛んでいるからだ。


「デルフィンのやつ、極秘会談の時点で地球統合政府の狙いに気づいていたな。鋭い男だ」


 アベベ大統領は、ストレスを解放するように、ぐーっと伸びをした。


 あくまで地球統合政府は地球の領土から徴税する――月への影響力は低かった。だから極秘会談で月を地球の領土とする協定を結ぼうとした。否、力技で結ばせようとした。もし月が地球の領土になれば、グローバル企業は兵糧攻めによって死滅するからだ。


 だがデルフィンは狙いを見抜いていた――カウンターで要人暗殺を企んだ。宮下&アベベの陰謀コンビを亡き者にしてしまえば、地球統合政府の結成は失敗する可能性が高かったからだ。


 しかしカウンターは失敗した。


 だからデルフィンは最後の手段である『本社を月へ移転』と『分子分解爆弾による脅迫』を決行した。彼らも捨て身の覚悟だ。分子分解爆弾を地球に使ってしまえば彼らの支社を潰すことになるし、商売のお客さんだって地球で暮らす一般市民である。


 それでも税金逃れこそがグローバル企業の力の源なので、彼らは捨て身のチキンレースを始めたのである。


 どんな時代でも、どんな世界でも、人類の生活圏を確定させるのは、より優れた軍事力を有した勢力だ。


 地球VS月――全面抗争の開始である。


 まずは日常と連なる広告戦略も大事だ。


 デルフィンは地球全土へ立体映像を放映した。支援者を増やすのが目的だろう。


『我々企業連合は、地球統合政府を名乗る共産主義者を打破する。政府は常に暴走するものであり、市民とジャーナリズムによる監視が必要だ。我々の力でやつらを解体するのだ。やつらを解体しなければ、肥大化した政府による税金の無駄遣いばかりになるぞ。だからこそ我々企業連合が直接公共へ投資するほうが効率的なのである。徴税など愚の骨頂だ!』


 だが元奴隷は無視していた。それどころか地球全土の誰もが信じていなかった。グローバル企業が直接公共に投資するなど嘘だと地球市民すべてが見抜いていた。彼らの過去の立ち振舞いが、彼らの広告を否定していたのだ。


 宮下元首相は、デルフィンの立体映像を消去した。


「お前たちが公共に投資していたら、地球統合政府は生まれなかったよ」


 アベベ大統領がくつくつと笑った。


「二十一世紀、ジャーナリズムは効率的に貧困を見捨てることを後押しした。なぜなら報道社もグローバル企業の一つだったからだ」


 宮下元首相はトリプルフィフティの模型をポケットから取り出した。


「二十一世紀の汚物は綺麗に片付けた。あとは我々が誘惑に打ち克てるかだな。こいつを月面に使いたくなる」


 アベベ元大統領もトリプルフィフティの模型を取り出した。


「使ってしまえば、地球統合政府の支持率が下がる。使えないだろうな」


 二人の政治家にとって、模型は友情の証でありながら、抑制の証でもあった。


 歩兵のころは分子分解爆弾を嫌っていた。だが昇進していくにつれて使いたくなった。


 便利だからだ。


 しかしそれは悪魔の誘惑であった。もし使えば長期的な視点で見たときに人類すべてが損をする。しかし感情的になった人間は、目先の利益のために使ってしまう。新崎だって九州で使ってしまった。もしかしたら使わなくても地球統合政府設立に繋がる証拠を除去できたかもしれないのに、テロリストの指導者のポジションについたら抑制が効かなくなった。


 アベベ元大統領がトリプルフィフティの模型を掌で転がした。


「素早く手を汚さず効率的に。これはまさしくグローバル企業を体現した爆弾だ」


 宮下元首相もトリプルフィフティの模型を掌で転がした。


「ならグローバル企業の対抗勢力である我々は使ってはいけないな」

「そうだ。月面の戦いでは使ってはいけない。だが人類の歴史は長い。もっと後々の戦いで使うかもしれない」

「次の世代に期待するしかない」


 二人の権力者は空を見上げた。


 宇宙艦〈アゲハチョウ〉が宇宙へ向けて飛んでいった。

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