第14話 姉妹会議

 背筋を伸ばして椅子に腰掛けるナウリアの正面、丸テーブルを挟んだ向かいには、すらりとした体つきの男装の女が椅子に座っている。背もたれに体を預けて足を組む彼女の名は、カシトユライネン・ミエッカ。ナウリアの妹であり、王女付き親衛隊ヴァルスティンの隊長でもある人物だ。

 ここは別殿シリーネスにあるナウリアの私室。ナウリアはレフィーニアの姉だが、立場上は従者となる。そのため室内には落ち着いた色調の椅子や机、寝台など必要最低限の家具しかない。

 練武場で起きた事故と、今後の予定について話し合う会議に参加したミエッカがここにやって来たのはついさっきのことだ。

 

「ミエッカ、霊獣討伐の件はどうなったの?」

「予定通りに明日やるってさ。神祇長官は儀式が近いからって少し渋ってたけど、霊獣討伐は兵部省が担当してるから関係ないし、商工寮の役人がこれ以上の先延ばしは困るって言ってたから。何でも、ミュルスとの接触訓練が滞りまくってるんだって」

 

 ナウリアの問いにミエッカは疲れの滲む声で答えた。

 彼女の言う儀式とは、レフィーニアがシルベリア国王の座を現国王から継承するための一連の行事のことで、昨日カエトスが乱入したことで中止となった禊もその一部だ。

 またミュルスとの接触訓練とは、ミュルスを使役することのできない人間がその力を獲得するために必要な過程だ。

 シルベリアでは、広く一般市民にも訓練を受けることを励行しており、定期的に霊域での訓練が行われている。それが霊獣の出現によってひと月ほど中止されていたのだ。

 

「もっとも討伐決行の決め手になったのは、クラウス王子とレフィの言葉だったけど」

「レフィが?」


 ナウリアは思わず声を上げた。

 レフィーニアは王女の参加が求められる様々な行事を、何かと理由をつけては関わらないようにしていた。そんな彼女が、王女という立場では直接関係のない活動に口を出したことが意外だった。

 ミエッカも同じ感想を抱いたのだろう。怪訝そうに小首を傾げる。

 

「事故を理由に霊獣討伐を延期するなってさ。怪我した人のためにも、決行するべきってことで、それで決まり」

「そう……。それで試験の扱いはどうなったの?」

「事故が起きた時点での結果をそのまま使うって。試験を受けられなかった人は今回の招集は見送り。ま、それも当然だけどね。もう明日だし、再試験とかやってる暇なんかないし。というかさ、もっと早くやっとけって話なのよ。こっちだって暇じゃないんだから、ちゃんと考えてやって欲しいわ。だいたい私を討伐隊に呼んでるのに、イーグレベットのヴァルヘイムが呼ばれないっておかしくない? 実力的には私と同じくらいなんだし。これがレフィを軽く見てるってことだったら……ほんと腹立つわ」

 

 滔々と愚痴をこぼすミエッカの口調は、隊長としての職務を遂行しているときとは打って変わってざっくばらんなものだった。この王城の中において、今ではナウリアの前でだけ見せる飾らない姿だ。

 

「そこは前向きに頼りにされていると思いなさい。それで彼はどうなりましたか?」

「……彼って誰?」


 ナウリアの一言で、芳しくなかったミエッカの機嫌が悪化した。顔をしかめながら口を開く。

 ミエッカは誰を指しているのかわかっていながら敢えて聞き返している。ナウリアにはそれが手に取るようにわかった。何しろ、ミエッカとの付き合いの長さは彼女の年齢と同じなのだから。


「カエトス殿です」


 ナウリアの一言に、ミエッカの渋面が一層強くなった。

 

「……あれも討伐に参加することになった。レフィが推したんだって」

「そうですか。……困りましたね」


 ナウリアは沈んだ声でつぶやいた。ナウリアの思惑としてはカエトスは霊獣討伐に参加しないほうがよかったのだ。討伐にはミエッカも参加するため、彼が参加してしまうと王城に残る人材に不安が生じてしまう。


「やっぱり姉さんもそう思うでしょ? あんな奴を推すなんてレフィは何を考えてるの? でも私たちの言うことは聞いてくれないし、王女の決定だから私にはもう覆せないし……。こうなったら、今度はもっと完璧な策を立ててあいつを追放するしかない。でも、あいつまだ何か力を隠してそうなんだよね。工房の使いは絶対上手くいくと思ったのに、まさかあれを担いでくるなんて……!」

 

 ミエッカはテーブルに前のめりになりながら姉に同意を求めると、テーブルに置いた右拳を悔しそうに握り締めた。

  

「ミエッカ。その件だけど、策を弄するなら私にもちゃんと報告して。恥をかくのは私なんだから」

「ごめんごめん。だって、敵を騙すにはまず味方からって言うじゃない。っとそう言えば、姉さん、工房に行く途中で事故に遭ったって聞いたけど何があったの? 無事って聞いてたから聞きそびれたんだけど」


 ナウリアの苦言にミエッカは愛想笑いを浮かべたが、それをすぐに引っ込めた。真剣な表情でナウリアを見つめる。

 

「あなたにここに来てもらったのは、それに関わる話をするためです」


 ナウリアはそう前置きしてから、街で遭遇した事故について話し出した。

 建設中の外壁の崩落に巻き込まれ危うく死にかけたと聞いて、ミエッカの目の色が変わる。

 

「……それ、ほんと? 何で姉さんはぴんぴんしてるの?」

「カエトス殿に助けられたからです。そしてこの事故は、どうやら人為的に起こされたらしいの。崩落するような施工をしていないとの証言もあるし、私の見た印象でも簡単に倒れるようには見えなかった」


 カエトスの名に反応して口を挟もうとするミエッカの前に、ナウリアは素早く左手をかざした。目を見つめて黙って聞くように促しながらさらに続ける。

 

「その他に、今日はあと二つの事故がありました。リューリの転落とミュルスの暴走です。そのどちらにも不審な点がある。これはミエッカのほうが私よりよく知っているでしょう。そしてその全てに関係しているのがカエトス殿。どうやら、三件の事故は彼の命を狙ったもののようです」

「……誰が何の目的で?」

「おそらくサイアットの主。目的は、レフィを殺す障害になるから」


 不機嫌そうに眉間にしわを寄せて腕を組むミエッカに、ナウリアは抑えた声で告げた。

 サイアットとはクラウスが住む別殿の名称だ。それが出たことで、ミエッカの眼差しが戦っているときのように鋭くなる。

 

「昨日の禊のとき、本当にレフィは危なかったらしいの。でもそれをカエトス殿が乱入して助けてしまった。その結果、犯人はカエトス殿がレフィ暗殺の障害になると考えて、先に彼を抹殺することにした。私は事故が引き起こされた顛末をこう考えています」

「ちょっと待って。レフィが本当に危なかったなんて、そんなのどこから聞いたの」

「カエトス殿です」


 ナウリアが口にした瞬間、ミエッカの表情が一段と険しくなる。テーブルに身を乗り出し口を開こうとするが、ナウリアは機先を制して言葉を継いだ。


「まだ続きがあります。正確には、危険が迫っていたと言っていたのはレフィ自身。彼はレフィからそれを聞かされたんです。そしてそれを私に伝えた」


 ミエッカの表情が一変した。愕然とナウリアを見やり、次いでぎりぎりと歯を食いしばる。


「ミエッカ、辛いのはわかります。あの子が私たちじゃなくて、カエトス殿にだけそんな大事なことを話したなんて……。でもいまはそれを抑えて話を聞いて。いい?」


 今にも怒りを爆発させそうなミエッカだったが、ナウリアの一言に大きく息を吐いた。椅子から浮かせた腰を下ろして無言のまま姉を促す。

 

「まずレフィがなぜ自分の死期を悟っていたのかだけど、あの子は神からの言葉、つまり神託を授かっていて、それによって禊の間で自分が死ぬと知っていたらしいの。カエトス殿は、昨日二人きりになったときにそれを告げられたと言っていました。私たちを巻き込みたくないから、伝えるなと念押しされて。あの子が儀式の日時を変えさせたのは覚えてるわね? 私たちは、国王になりたくないから先延ばしにしているだけと思っていたけど、先に起きることを知っていたとしたら頷けます。きっと、カエトス殿があの時間にやって来ると知っていて、そこに生き延びる期待を懸けていたんです」


 ミエッカは押し黙ったままじっと耳を傾ける。


「次に、カエトス殿がなぜあのような暴挙に出てまで城どころか神殿にまで侵入してきたのかです。これは妖精の占いを聞いたからだそうです」

「妖精に……占い? あいつはそんなこと言ってたの?」

「ええ。街に出たときその道すがら問いただしました。彼は安定した収入を得るために占いを頼ったとのことです。そして実際に占ったのが彼とともにいる妖精だそうです」

「……姉さんは、あいつのそんな言い訳を信じてるってわけ?」

 

 ミエッカの目は強い疑念に満ちていた。ナウリアを詰問するようにじっと見つめる。

 

「いまの彼の立場を見ればわかるでしょう? 普通なら処刑されていなければおかしいのに、彼はまだ生きている。しかも親衛隊に取り上げられて生活の糧まで得た。こんなことは普通ではあり得ません。それに私は彼の口から練武場で良くないことが起きると、事故が起きる前に聞きましたし、実際に妖精の姿も目にしています。信憑性はとても高いでしょう。そして彼が命を狙われる理由もそこにあります。彼は自分の生活のためにレフィを守りたいと考えている。それが犯人にとってとても邪魔になる。だから今日の事故が起きた。これについては、私がサイアットで直に聞いているから間違いないと思います」

「ちょっと待って。直に聞いたって、もしかしてサイアットに行ったの……?」

「そうです」


 ナウリアが頷くとミエッカが目の色を変えて立ち上がった。テーブルに両手をついて険しい表情で姉に詰め寄る。


「姉さん、何やってるの!? そういう危ないことは私がするっていったじゃない……!」

「それは……謝ります。でもそれほど危険ではなかったのよ。屋敷に近づかなくても話を聞けたから」

「……それ、どういう意味?」


 ミエッカは机に身を乗り出したまま意味がわからないと言いたげに首を傾げる。


「実は昨晩、神殿にこっそり様子を見に行ったんです。何か不審者につながる証拠がないかと思って。そこでカエトス殿とばったり出くわして、彼がサイアットの様子を見に行くと言ったから、私も同行したんです」


 ナウリアの説明に、ミエッカは口を魚のように小さく開閉させながら絶句した。放っておくと怒鳴り声を上げられかねない。それを察したナウリアは、目の前にあるミエッカの口を右手で素早く塞ぎながら補足した。

 

「妖精は、自分の聞いたことを他人に伝えられるらしくて、その力で私も会話を聞けたんです」


 ミエッカがナウリアの右手首をつかんで口から引き剥がす。

 

「そんなこと聞いてないっ。姉さん、無茶し過ぎ……! あいつが脱け出したことを黙ってたのもだけど、夜中にあんな奴と一緒にいたなんて、私のこと言えないじゃない……!」

「それは悪かったと思ってます。ごめんなさい。でもそのおかげで重要な話を聞けたのも事実です」


 ミエッカがぎらりと光る瞳でナウリアの目を間近でじっと見つめた。さらに説教をしようと口元がぴくぴくと動くも、ナウリアが素直に謝ったことで大きくため息をつきながら椅子に座り直した。


「……そのときに、サイアットの中であいつを始末しようとか言ってたってわけ?」

「名前を出してはいなかったけど、決闘のことに言及していたから彼を指していたと考えられます。そして実際に彼の周りで三件も事故が起きた。しかもどれも、どこかに作為が感じられる事故が。これは犯人の矛先がカエトス殿に移ったと見るしかないでしょう」


 ナウリアは小さく息をついて妹に視線を注ぐ。それを受けてミエッカがゆっくりと口を開いた。


「あいつがどこの誰に狙われてるのかはわかった。そして妙な力を持ってて、レフィが私たちに隠してることがあったってことも。それで私にその話をした理由は? あいつを盾にし続けるにはどうするか、打ち合わせするの?」

「全くの外れではないです。私は彼の力を借りようと思っていますから」

 

 ミエッカは信じられないと言いたげに大きく頭を振った。テーブルに身を乗り出してきつい口調で告げる。

 

「姉さん、もしかしてあんな奴を信用してるの? そんなのあり得ないでしょ。どこの誰かもはっきりわからないし、目的が本当なのかどうか怪しいし、そもそもあいつに会ってまだ何日も経ってない。いまは猫を被ってるだけで、本当は危ない奴かもしれないじゃない。私は絶対に認めないから……!」

「私も全面的に信用したわけではないし、こんなに性急に事を運びたくはありません。ですが彼はレフィを一度助けていますし、妖精の未来を知る力はとても有用です。そして彼自身も非常に高い水準の能力を有しています。神鉄製の剣を用いた彼の技は、あなたも練武場で見ているはずです。これらを考慮した結果、この選択が現時点では最善だと思ったんです」

「神鉄……!? あいつそんなものまで持ってたの?」

「ええ。私には判別はつかなかったけど、その場にいたアネッテとヨハンナは納得していましたから、おそらく間違いないでしょう」

「もしかして、そのときにその剣を使って神の声を模倣するとか言ってた?」

「ええ、それに近いことを言ってましたけど……あなた、彼の技のこと知っているの?」

「ちょっとね。それよりあいつは何? まさか神域帰りなの?」


 ミエッカの口にした神域帰りとは、その名の通り神の住まう神域に立ち入り無事に帰還を果たした者の呼称だ。

 そんな彼らの特徴は、人の身でありながら神の奇跡を行使したり、神の魂が宿る様々な武具や道具──すなわち神器を所持していることだという。この条件にカエトスは非常に近いのだ。


「それについては聞きそびれてしまったからわからないけど、可能性は高いと思います。未来を知る占いなんて神の奇跡以外にないでしょうし、彼自身が普通とは違いすぎます。それともう一つ、彼と協力する最大の利点は、レフィが彼だけに伝える情報を私たちも入手できるということ。現に彼がいなければ……私たちはレフィが神託を授かっていることすら知らなかったんです」

 

 姉を気遣う妹の優しさは、思い返すたびに小さな幸福感と大きな無力感でナウリアと打ちのめす。

 ナウリアはそれを奥底に沈めながら、妹を説得するための最後のひと押しを試みた。


「ミエッカ、これでわかったでしょう。彼は役に立ちます。仮に彼の目的が職探しではなく、他の良からぬことだったとしても、それはレフィに危害を加えるものではなく、取り入って利用することでしょう。ですがそれを為すには、いまの危機を乗り越えてレフィが王位に就かなければなりません。王女の身分では、行使できる権限に限界がありますから、彼が本性を表すとしたらそこです。もしそうなったら、そのときに私たちの手で片づければいいのです」


 ナウリアはカエトスに対して、レフィが無事に王位に就いたあかつきには嫁になると約束をしているが、彼の本性が醜悪であるならばそれを履行するつもりはない。刺し違えてでも脅威を排除する覚悟はできている。しかしそうはならないともナウリアは思っていた。カエトスに助けられたあのときに、彼の目を間近で見てしまったから。

 カエトスは心からナウリアを案じていた。そして自分を責めてもいた。あれが演技だとしたら、ナウリアはこのさき一生人を信じられなくなるだろう。だからきっと彼は信頼できる。

 

「ミエッカ。彼と協力してくれますね?」


 ナウリアは自分の本心を押し隠しながら確認した。それに対するミエッカの返答は憮然とした表情だった。

 

「……やだ」

「やだって……あなたね」

「いやなものはいやなの。私はあいつが気に入らない。あんな奴の力なんか借りなくたって、私がレフィを守ってみせる……!」


 ミエッカの鋭い眼差しは覚悟と闘志に漲っていた。これを見せられて、彼女の決意を疑う者などいないだろう。そして必ず成し遂げてくれると思うに違いない。しかしナウリアにはミエッカの本心がわかってしまった。

 

「ミエッカ。あなた、カエトス殿に負けたのが悔しいんでしょう? それも二つの意味で」

「な、何のこと?」


 姉の指摘に、ミエッカの瞳の輝きが揺らぐ。

 

「隠さなくてもいいんです。私も同じ気持ちですから」


 ナウリアはそう前置くと、静かに目を閉じた。脳裏に浮かぶのは愛する妹レフィーニアの幼いときの姿だ。


「レフィは、いつも姉さま姉さまって言いながら私たちの後をついて回って来ていました。大きくなってからは少し引きこもりがちになってしまったけど、それでもあの子は私たちを慕ってくれました。それはレフィが国王の娘だとわかっても変わらなくて、だから私たちはあの子の一番の側近になることを了承しました。可愛い妹を助けるために。それなのに、いきなり出てきたどこの馬の骨ともわからない男が、私たちの与り知らないところであの子を助けたばかりか、信頼まで奪い取って行ってしまった。こんなに悔しくて惨めなことなんて、今まで一度もありませんでした。しかもその理由が、私たちを危険に遭わせないためなんて……喜んでいいのか、悲しんでいいのか……」


 ナウリアはそこで一つ息をついた。口に出したことで、そのままでは涙を流してしまいそうだった。すぐに気を取り直して続ける。

 

「……もう一つは、彼に決闘で負けたことですね。あなた、剣の勝負で負けたのなんて何年ぶり? だから気に入らないんでしょう」


 ナウリアの一言に、ミエッカはぶすっと膨れっ面になるとぷいと顔を背けてしまった。背もたれに体を預けて腕を組む。完全に図星だったのだ。その仕草は、母親にぐうの音も出ない正論をぶつけられながら叱られた子供のときとまるで変わらない。彼女が率いるヴァルスティンの面々にはとても見せられない姿だ。

 

「もう一度彼と剣を交えてみたらどうですか」

 

 腕を組んだまま押し黙った妹に、ナウリアは提案した。

 ミエッカは頭は切れる。だから、レフィーニアを守るためにはカエトスの協力は有用とわかっている。しかし感情が納得していない状態なのだ。ならばそれを解決するしか、協力関係の構築はできない。


「武人は剣で会話をすると言います。私にはわからない感覚ですが、あなたならわかるはず。そこで彼の人となりを見極めてみなさい。私がある程度は信用できると言った意味がわかると思います」

「……わかった。やってくる」

「ミエッカ、私が言ったのは稽古という意味ですからね?」


 おもむろに立ち上がったミエッカの低い声音にナウリアは胸騒ぎがした。扉に向かって歩く妹の背中に念を押す。

 ミエッカはドアノブに手をかけたまま立ち止まると、顔だけを背後のナウリアに向けた。


「わかってる。私にだってそのくらいの分別はある。あいつはレフィが迎えた人間だし、明日は霊獣討伐があるんだから無茶なんかしない。でも……事故って予期しないときに起こるものじゃない?」

「ミエッカ、ちょっと待ちなさい。ミエ──」


 ミエッカはナウリアの制止に耳を貸すことなく、不穏な一言を置いて出て行った。扉が静かに閉まる。

 ナウリアは一瞬追いかけようと思ったが、手を伸ばした姿勢のまま動きを止めた。

 この別殿シリーネスにはナウリア以外にも大勢の侍女がいる。騒ぎを起こせば、彼女たちの耳目に入るのは間違いなく、それが巡り巡ってレフィーニアの耳に入る恐れがある。末妹に余計な心配をさせるのは避けたかった。


「……もう少し言葉を選ぶべきだったかしら」


 ひとり呟いて思い返してみるが、どのような言葉をかけようとも避けられない結末のように思えた。

 できることと言えば、カエトスに警告することだが、いまのナウリアにはその手段と時間がなかった。

 もうすぐレフィーニアの食事の時間がくる。侍女長であるナウリアが席を外すわけにはいかない。それは給仕の仕事があるからだが、それ以上に暗殺の危険のある現在、レフィーニアが口にするものに細心の注意を払わなければならない。それができるのはナウリアしかいないのだ。

 

「彼に託すしかありませんね……」

 

 ミエッカがカエトスにいい印象を持っていないのは、ヴァルスティン隊長としての誇りを傷つけられたからだが、それ以外にも謁見の間での挑発的な言動も影を落としていることだろう。

 一度記憶された印象を書き換えられるのは、それを与えた張本人であるカエトスしかいない。

 だがこの〝稽古〟によってカエトスが再起不能になる可能性が出てきてしまった。そうなれば、レフィーニアを守るための貴重な戦力が失われてしまう。

 ナウリアは一度目を閉じた。無事にことが運ぶように祈ると、頭を切り替えて扉へと向かった。自分の為すべきことを為すために。

 

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