第4話 尋問

 カエトスの視界に映るのは、木目が美しい重厚感のある机と革張りの椅子が四脚、壁際で静かに時を刻む年代物と思われる振り子時計に、紫や赤の花が生けられた薄青色の陶器。視線を転じれば、壁には夜明けのビルター湖を描いた壮大な絵が飾られてあり、天上からは精緻なガラス細工の照明が吊り下げられている。どれも一目見ただけで、庶民の手には届きそうにないとわかる高価な調度品ばかりだ。

 ここは賓客をもてなすための応接室。そこでカエトスはずいぶん長いこと待たされていた。

 無論、椅子に座ることは許されてはおらず、立ったままだ。その上、口には猿ぐつわをされていて一言も喋ることができず、両手首は金属の枷で左右の腕をまとめて拘束され、そこから伸びた鉄鎖は扉を封鎖するように立つ二人の女の手中にある。完全に罪人扱いのそれだ。

 カエトスは無用の警戒をさせまいと調度品へと逸らしていた目を、それとなく二人の女へと移した。


 二人は首回りが窮屈そうな紺色の上着と、動きを阻害しない程度に裾が引き絞られた同色のズボンを身に付けていた。胸元には三日月とその周りに複数の小さな円を描いた記章が縫い止められている。腰に差した剣の存在も相まって、荒事を担当する役職だと容易に想像がつく。禊の間でカエトスを殺そうとした女ミエッカと同じ服装であることから、彼女の同僚なのだろう。

 

 一方は、女にしてはかなり長身で引き締まった体つきをしている。黒髪を短く揃えていることと整った容貌から、多くが男装の麗人という言葉を思い浮かべることだろう。しかも、ここに来るまでに見た立ち居振る舞いからして、かなりの腕を持った戦士とわかる。凛々しさと静謐さを纏った彼女は、凪いだ水面のような眼差しを逸らすことなくカエトスに向け続けていた。

 

 もう一方はといえば、端的に言うなら平凡だった。これといった特徴があまりないのだ。

 敢えて挙げるなら、癖のある黒髪を高く結い上げているところくらいで、体つきは平均的。顔立ちは十分に可愛らしいが、街行く誰もが振り向くかと言えば、大半は素通りすることだろう。さらに隣りの麗人からは戦いの匂いがほのかに漂うが、こちらからはそれがあまり感じられない。その辺で捕まえてきた町娘に制服を着せたと言っても通じそうな素朴さがある。

 だからだろうか彼女はこの応接室にやって来たときから落ち着かない様子で室内の調度品に目を向けては逸らしていた。漂う高級感に、場違いな思いを抱いているのだろう。カエトスもそうだからよくわかる。


 罪人扱いをされているカエトスがなぜ、このような賓客をもてなす応接室に通されているのか。それには理由があった。

 王城の、しかも最も神聖な神殿に侵入したカエトスに対する尋問は、当初は罪人を取り調べる部屋で行われる予定だっだ。しかしレフィーニア王女が、尋問の場に同席すると強硬に主張したことで事情が変わったのだ。

 

 王女は神に仕える神官としての資格を持っているらしく、シルベリア王国内で最も神聖な人物らしい。そんな彼女が、罪人を収監する穢れた場所に向かうなどと言ったために、周囲の役人たちは大騒ぎになった。国政を担う要人まで参加しての緊急会議が開かれ、罪人と王女とが同席しても構わない場所を急いで探し出し、そして選定されたのが、国王が外交使節などと対面する謁見の間だったのだ。

 しかし謁見の間はすでに使用予定が入っていたらしく、各方面との予定の再打ち合わせや、謁見の間の装飾変更などの様々な副次的な雑務が発生。それらを処理するまで、カエトスの尋問は延期されているというわけだ。

 

 ちなみにこれらの情報を、拘束状態にあるカエトスがどのようにして入手したかというと、それはネイシスのおかげだった。

 彼女はカエトスの背嚢に潜伏していたが、そこを調べられると必然的に本が見つかってしまう。その内容を絶対に見られてはならないことから、ネイシスは隙を見て本とともに脱出し、そのついでに情報を入手してきたのだ。

 現在は、カエトスが今いる建物──王国の行政を司る中務省という部署──のどこかに潜んでいるはずだった。


(動きがあった。そろそろ来るぞ)


 カエトスの頭の中にネイシスの声が響いた。

 彼女が告げた通り、ほとんど待つことなく入口の扉が一度叩かれた。次いでドアノブが回る。扉を開けたのは、ゆったりとした灰色のローブ姿の中年の男だ。


「謁見の間の準備が整いました」

「わかりました。連行します」


 麗人は男に答えると、カエトスに近づいてきた。制服の胸ポケットから小さな鍵を取り出し枷を外し始める。町娘っぽいほうはカエトスの背後に回って猿ぐつわに手をかける。

 ここはそもそも罪人を連れてくるような場所ではない。手枷や猿ぐつわをはめられた格好で出歩かせるわけにはいかないという体面を慮っての処置だ。

 

「枷が外れたからといって、よからぬことを考えるなよ。あと一言も喋ることは許さない」

 

 カエトスを睨み付けながら警告する麗人に、カエトスは神妙に頷いた。わざわざ相手の心証を悪化させることもないし、反抗するつもりもなかった。

 二人の女に前後を挟まれた状態でカエトスは歩き出した。

 部屋を出ると左右に続く広い廊下になっていた。採光用の天窓から降り注ぐ明るい日差しが、花や木々を題材とした模様が描かれた絨毯を照らしている。

 

 鎖と枷を携えた麗人は、呼び出しに来た役人に目礼をしてから右に向かった。

 大理石の壁面には木製の扉が左右対称にずらりと並び、その合間には銀製の燭台や巨大な花瓶に生けられた赤や青、黄色の花々が飾られている。

 廊下を進む途上、同じローブ姿の男女と幾度もすれ違う。すでに何らかの噂を耳にしているのか、そのいずれもが、悟られないように装いつつ興味深そうにカエトスたちを盗み見ていた。

 

 絨毯の上を歩くことおよそ五十ハルトース(約六十メートル)。先導する麗人が巨大な鉄扉の前で立ち止まった。高さは優に四ハルトース(約五メートル)はあり、表面には水瓶を担いだ美しい女の姿が向かい合うように描かれている。

 禊の間に同じような雰囲気の像があったのをカエトスは思い出した。どうやら水瓶と女という構図が、シルトに縁のあるものらしい。

 

「例の人物を連れて参りました」


 麗人が扉の左右で直立していた衛兵に声をかけると、彼らは壁に取り付けられた金属の取っ手をぐるぐると回し始めた。すると巨大な鉄扉が内側に向かってゆっくりと開く。

 半分ほど開いたところで先導する麗人が歩き出し、カエトスもそれに倣って進む。

 

 扉の内側は貴族の邸宅がすっぽりと収まってなお余りあるほどに広く、張り詰めた空気と静寂に満ちていた。

 はるか頭上の天窓からは陽光がふんだんに降り注ぎ、磨き抜かれた大理石の床には深紅の絨毯が敷かれている。それは奥の壇に向かって真っすぐに延びており、壇上には金や銀といった貴金属や金剛石、紅玉などの宝石で装飾された豪奢な玉座が二脚並んでいた。その後ろの壁には巨大な布が垂れ下がっている。そこに描かれているのは赤、青、白、黒の円に囲まれた三日月。シルベリア王国の国旗だ。

 ここが謁見の間だ。

 背後の扉が閉まるのを見届けた麗人は、小脇に抱えていた手枷を再びカエトスの両手首に取り付けた。町娘が猿ぐつわをはめるのを確認してから、鎖を引いて歩き出す。

 

(お前一人と話をするためだけに、わざわざこんな広い場所を用意するとはな。しかもこれっぽっちしか人間がいない。こいつらの考えることはよくわからん)


 絨毯の上を歩くカエトスの頭に、呆れたような口ぶりのネイシスの声が届く。

 彼女の言う通り、謁見の間は数百人は余裕で入りそうなほどに広いが、カエトスを待ち受けていた者は九人のみだった。

 

 三人は青いローブを着ている。口ひげを蓄えた武官のような男と、ゆったりとしたローブの上からでもわかるほどに腹に贅肉をため込んだ男、そして眼鏡をかけた痩せ型の男だ。

 ひげと肥満体の男は玉座に向かって左に、眼鏡は右に並び、それぞれ背後に赤いローブの男を一人ずつ従えている。

 左側にはさらに暗赤色の制服を着た戦士風の男が一人、右側には白いスカートの女と濃紺の制服を纏ったミエッカの二人が並んでいた。

 彼らに共通するのは敵意や嫌悪のこもった眼差しをカエトスに向けていること。

 中でもミエッカは燃え盛る炎のように瞳をぎらつかせていた。彼女の放つ、鋭く絞り込まれた殺意がカエトスの肌を粟立たせる。まるで飢えた獣と向かい合っているような気分だ。


「ここに控えよ」


 麗人が立ち止まったのは敵意の只中、つまり居並ぶ面々からの視線をちょうど左右から浴びる位置だった。カエトスに短く告げて、自身はカエトスの背後に回る。

 

 カエトスは言われるがままに絨毯に両膝をついた。視線を玉座の下に向けて待機する。

 落ち着かない。殺気にさらされているのに何の対処もできないという事実が、戦いを生業としてきたカエトスを不安にさせる。カエトスはそれを紛らわせるように小さな神の名を呼んだ。

 

(ネイシス、今どこにいるんだ?)

(お前の頭上の天窓だ。本もここにあるぞ)

(時間は?)

(安心しろ。あと三十ルフス(約一時間)以上ある。何かあったら私が助けてやろう。お前は上手くミエッカという女に決闘を挑め)


 ネイシスは相変わらず、ちょっと用を足してくるような口調で言う。しかしミエッカから放たれる殺気は緩まることを知らない。下手につつけばその場で切り捨てられそうであり、そもそもカエトスはまともに喋ることすらできない。ここから一体どのようにして決闘に持ち込めばいいのか。

 カエトスはあらゆる情報を捉えるべくゆっくりと深呼吸した。じきに正念場が始まる。


 誰一人物音を立てずに静まり返る広間。

 ふとカエトスの耳に衣擦れの音が届いた。顔を上げずに注意深く視線だけを持ち上げる。

 玉座の背後に二つの人影が現れていた。

 一人は男だ。まだ若い。今年二十一になったカエトスと同じか少し年長というところだろうか。

 袖や襟、ボタン周りなど、随所に金糸の刺繍が施された黒服に、紫に染め上げられたマントを羽織っている。ともすれば着用者を呑み込みかねない豪奢な衣服だが、男はそれに負けない覇気と威厳を放つ偉丈夫だった。そこにいるだけで周りの空気の色が変わったような錯覚を覚えるほどに存在感がある。

 彼は太い眉の下の鋭い眼光でカエトスを射抜くと、年齢にそぐわない王者の風格を漂わせながら紫のマントを翻し、玉座に腰を下ろした。


 もう一人は、カエトスが神殿で押し倒した少女、レフィーニア王女だ。

 飾り気のなかった服装と打って変わって、袖や裾のゆったりとした清楚な白いドレスと、宝石のちりばめられた髪留めや腕輪、三日月をあしらった銀の首飾りを身に付けている。その姿には王女と呼ぶに相応しい華やかさがある。

 しかしカエトスはそんな王女に対し、禊の間と同じくやはり地味な印象を受けた。煌びやかな装飾品に、先刻カエトスを魅了した緑の瞳がこちらを見つめてもいるというのに、どこかくすんでいる気がするのだ。

 それはおそらく隣の男の気配が強すぎるからだろう。

 日向で存在を誇示する猛獣のような男に対し、王女は日陰にひっそりと咲く花のようだった。

 レフィーニアがしずしずと歩み、玉座に座る。それを待っていたかのように男がレフィーニアを問いただした。


「この男が神事に乱入したという不届き者か。王女よ、お前はこの罪人から事情を聞きたいがために、わざわざここを用意させたそうだな」


 背もたれに体を預け、肘掛けに頬杖をつく姿は玉座に慣れ切ったものの仕草であり、その声は命じることを日常としている尊大さに溢れていた。

 一方の王女は浅く座り、ぴんと背筋を伸ばしている。明らかに緊張しているとわかる素振りで、答える声もそれを裏付けるように少し揺れる。

 

「わたしは、刑部省の取り調べ室に直接行くと告げたんですが、そこの中務卿や宮内卿、神祇長官に猛反対されてしまったので、ここになってしまいました」

「どういうことだ」


 男の眼光が青ローブの三人に向けられた。


「は、クラウス殿下。レフィーニア殿下は神に仕えるお方でありまして、また神事の続きが残っております。それを罪人を収容するような不浄な地にお連れしてしまっては、神聖なる玉体が穢れてしまいまして、そのようなことを致しますれば、守護神シルトがお怒りになられることでしょう」

「神祇長官の仰る通りでございます。ですが、王女殿下のご提案された正殿に罪人を立ち入らせるなど、王族方の生活を預かる宮内省として認めるわけには参りません。そこで中務卿に要請して、この謁見の間を用意した次第であります」


 先に答えたのは肥満体の男で、それに続いたのが眼鏡の男だ。このやり取りでカエトスは男たちの地位をおおむね把握した。

 玉座に座る男はクラウス。その名はカエトスも聞いたことがある。現国王の長子だったはずだ。つまりは王子。漂う風格と貫禄も頷けるというものだ。

 肥満の男は神祇長官。これは王家にまつわる神事を取り仕切る部署の長。

 眼鏡の男は、発言内容からしておそらく宮内卿だろう。王族の私的な生活全般を統括する宮内省を取り仕切る役職だ。

 そして宮内卿は口髭の男を見ながら中務卿と口にした。これは王国の行政全般を司る中務省の長だ。

 予想はしていたが、ここに集ったのはいずれも国政の深部に関わる重鎮だった。

 

「ふん。俺が刑部省に出向くと言ったときはすぐに承諾したというのに、王女となるとこの騒ぎか」


 クラウスは不満そうに鼻を鳴らすと、臣下をじろりと見渡した。

 肥満体の神祇長官が動揺も露わに額の汗を拭い、口髭の中務卿は黙って俯き、眼鏡の宮内卿は渋い表情で瞑目する。

 カエトスには事情が判然としないが、ある場所に出向く意思を表明した際、王子と王女とで臣下の対応が異なったことを皮肉っているようだ。

 

「まあよい。それでこの男についてだが」

 無言を貫く重臣たちへ向けられていた王子の鋭い視線がカエトスを射抜く。

「神事を妨害した者に事情を聞く必要などない。即刻死罪にせよ。そして速やかに神事を執り行え」

 

 カエトスは一言も発する機会を与えられずに、死刑を宣告されてしまった。

 男たちのやり取りからして、クラウスの決定が強い力を有しているらしい。傍観していたら何もできないまま殺されるだろう。ミエッカに決闘を挑むどころの話ではない。

 カエトスはとにかく反論しようとした。しかし猿ぐつわをされていて、呻き声しか上げられない。身振りで意思表示しようにも手枷がそれを妨害する。


「お言葉ですが、クラウス王子」

 窮地を救ったのはレフィーニアだった。手をきつく握り締めながら、硬い表情をクラウスに向ける。

「死罪と仰いましたけど、それは何を根拠としているのでしょうか。わが国には神事を妨害した者を裁く法はありません。だから彼を死罪とする正当な理由もありません。そうですね、神祇長官」


 レフィーニアに話を振られた神祇長官の額を拭う手が、彼の動揺を代弁するかのように忙しなく動く。

 

「は、はあ。そもそも神事に関わるしきたりはありますが、それに携わった者を裁く法というものはありませんので、それについてはレフィーニア殿下の仰る通りでございます」

「それは法で縛る必要のないほどの禁忌だっただけのことではないか。法がないことが死罪を免れる理由にはならん。裁くための法が必要と言うのならば不敬罪を適用しろ。中務卿、それは可能だな?」


 クラウスの問いに口ひげの中務卿が軽くお辞儀をして見せる。

 

「はい。レフィーニア殿下への不敬行為があったことは事実のようでありますから、問題はありません」

「ならば──」

「お待ち下さい。理由はまだあります」


 言葉を継ごうとしたクラウスに、再度レフィーニアが割り込む。

 

「神殿に乱入などすれば、このように捕まってしまうのはわかり切ったこと。なのに彼は来た。そして彼は言いました。わたしに危害を加えるために来たのではないと。わざわざ王城の最奥にある神殿にまで何のために来たのか、わたしはそれが気になったんです。みなさんは気にならないんですか?」


 王女の言葉に神祇長官らが、それぞれの意向を窺うように目配せをした。

 

「……この男はそのようなことを口にしていたのですか。確かに殿下の仰る通り、気になりますな」

「裁きを受けさせる前に、話を聞くのもよいかもしれません」

「クラウス殿下。レフィーニア殿下もこう仰っております。ここはひとつ、聴取の機会を設けられてはいかがでしょうか?」

 

 宮内卿に神祇長官、そして中務卿が相次いでレフィ―ニアの言葉に理解を示す一方で、クラウスの眉間にしわが寄る。明らかに好意的には受け止めてはいない。このまま自身の意思を押し通しそうな気配だ。しかしカエトスの予想に反してクラウスは折れた。

 

「……よかろう。それを外せ」

 

 王子と王女、重鎮たちの力関係は不明だ。ただ王子が自分の意向を力任せに承認させられる環境にはないようだ。

 王子の命を受けて、カエトスの後ろに控えていた町娘が猿ぐつわを外した。

 壇上に目を向けると、レフィーニアがじっとカエトスを見つめていた。微かに眉を寄せたその表情は、カエトスに命じていた。この場を乗り切れと。

 禊の間でも、いきなり乱入して押し倒したカエトスをかばうような言動を見せている。彼女にとってカエトスに死んでもらっては困るらしい。それだけは確実のようだ。

 

(ふむ。やはり王女はお前の味方のようだな。カエトス、この機会を逃すなよ。失敗したら死ぬぞ)

(わかってる)

 

 ネイシスからの脅しのような激励に答えながら、カエトスは口を何度か開け閉めして顎の調子を確かめた。

 ここを乗り切る糸口はある。本に記載されているという、ミエッカに決闘を挑めという言葉だ。どのように事態が進むのか全く予想はつかないが、今はそれを手掛かりに進むしかない。

 武力ではなく弁論でこの場を切り抜けるのだ。

 目配せし合った重鎮たちのうち、眼鏡の宮内卿が代表してカエトスに問う。


「まず、名を名乗るのだ」

「イルエリヤ・カエトスです」

「お前は何のために神殿に侵入したのか。理由を述べよ」


 ここからだ。馬鹿正直に話すことはできない。真実は話さずそれでいて信憑性のある内容を話さなければならない。

 カエトスは素早く頭の中を整理すると口を開いた。


「それはシルベリアに仕官するためです」

「……意味がわからんな。お前の行動とどうつながるのだ」


 宮内卿が不審そうに目を細める。機嫌を損ねてはまずい。カエトスは急いで続けた。

 

「はい。私はこの王都に初めてやって来たのですが、他に類を見ない王城アレスノイツの威容に感激しまして、最奥にあるという神殿をどうしても一目見たくなり、デスティス山を登ったのです。そして無事に神殿を見つけ出して引き返そうとしたところ、神殿の周りに怪しげな人影を発見しました。ですが、それはすぐに姿を消したのです。見間違いかと思ったのですが、神殿内に水路が引き込まれているのを見て、そこから内部に侵入したのではないかと判断し、この事実を伝えるために神殿に立ち入ったのです」


「二つ気になる点がある」

 そう切り込んできたのは口髭の中務卿だ。

「城の周りには堀と城壁がある。お前はそれをどうやって乗り越えた?」


 剣を使ってミュルスに呼びかけたことはできれば話したくない。あれはカエトスにとって切り札的な技術であって、そうそう見せる技術ではない。またこの地域には伝わっていない技術であり、話したところですぐに信じてもらえるかどうか怪しい。

 幾つか思いついた返答のうち、カエトスは当たり障りのない答えを返した。

 

「私は壁登りの特技を持っておりまして、それを駆使して乗り越えました。神殿も同じ方法で壁を登って、天井の窓から侵入しました」

「城壁を登っただと……? 歩哨がいたはずだが、その目はどうやってごまかしたのだ」

「私は忍び歩きに自信があります。そして歩哨の方々は少々気が緩んでおられた様子でした。そのために見つからなかったのではないでしょうか」


 歩哨を無能扱いしているかのようなカエトスの説明に、中務卿の疑念に満ちていた目つきが一層険しくなる。それはどう控えめに見ても、カエトスこそが王女に危害を加えようとした張本人ではないかと疑っていた。

 好ましくない反応ではあったが、カエトスにとって織り込み済み。目まぐるしく頭を回転させながら、中務卿の二つ目の問いを待つ。

 

「……では次だ。不審者を発見したのなら何故、衛兵に伝えなかったのだ。神殿の周りには王女殿下の親衛隊もいたはずだ。神殿に侵入するよりもそのほうが早いだろう」

「それは、先ほど申し上げた仕官したいという事情がありました。見てのとおり私は何のつてもない男です。仕官を望んだからといって、容易く叶うとは考えておりません。ですが、誰もが認める手柄を立てたなら、取り立ててもらえるかもしれないと考えました」

 

 眼鏡の宮内卿の顔色が変わる。カエトスは叱責される気配を察すると、それを制するようにさらに続けた。

 

「それに加えまして、この事実を伝えたところで衛兵の方々では対処できないと判断したことも理由にあります。神殿の間近にまで接近されながら、私の存在はおろか不審者にすら気付かなかった方々に、果たして満足な対応が取れたでしょうか。私個人の所見ではありますが、甚だ疑わしいと、そう言わざるを得ません」


 ミエッカの顔色がみるみる変わった。炎を内包しているかのようにぎらつく瞳でカエトスを睨み付ける。

 

「貴様、我らが無能だと言いたいのか……!」

「いえ、決してそのようなことはありません。護衛の方々はいずれも優秀だとは思います。ですがやはり力不足の感は否めませんでした。ゆえに私の判断は間違ってはいなかったと考えております」


 あくまでも慇懃さを崩さないカエトスに対して、ミエッカの姿勢が直立からわずかに前傾した。鋭く絞り込まれた殺意がカエトスを襲う。

 カエトスは背中が冷や汗にじとつくのを感じながら王女へと視線を戻した。

 

「そこで王女殿下にお願いがあります。私を王宮に仕官させていただけないでしょうか。私の働きはそれに見合ったものであると自負しておりますゆえ」

「貴様、頭に乗るなよ……!」


 ミエッカが一歩踏み出し、それに連動して右手がぴくりと動く。剣を抜こうとして辛うじて思いとどまった。明らかにそうとわかる仕草だった。

 

「お歴々よ、この男の言葉に惑わされてはなりません。これが事実だという証拠はどこにもなく、助かりたい一心で必死に虚言を並べ立てているだけです。この男が神事を妨害した張本人であることに間違いはないのです。このような輩はすぐにでも処分すべきです!」


 声を張り上げ同意を求めるミエッカに、重鎮たちがそろって賛意を示す。

 

「ミエッカ殿の仰る通りですな。この男の言に信用できる点は皆無かと。特に働き口を求めてという点など、これを信じろというほうが無理な話です」

「然り。おそらくこの男は、口にするのも恐ろしい暴挙に及ぼうとして失敗したのでございましょう。そして逃亡しようとしたものの、無様にも捕まってしまった。何者かに依頼されたのか、この男自身の意思なのかわかりませんが、ここまでのことをする輩です。尋問したところで口を割ることもありますまい」


 玉座のクラウスはそれを満足そうに見届けると、おもむろに口を開いた。


「……結論は出たようだな。その男の扱いに変更はない。本日中に処刑しろ」


 クラウスの下した結論に、ミエッカが口の端を僅かに持ち上げる。自分の望む結末に誘導できたことを確信しての笑みだ。

 だがカエトスはもともと信用されるとは思っていなかった。カエトスの提示した筋書きに信憑性を持たせるには、不審人物の正体と王女が危機に遭遇した証拠が不可欠。しかしそれを証明する手段がカエトスにはないのだ。ゆえにここまでの流れは予想の範囲内。

 問題はここからだ。

 カエトスは自分に落ち着けと言い聞かせながら、用意していた言葉を口にしようとした。

 すると、それに先んじて王女が口を開いた。


「待ってください。皆は彼の言葉を嘘と言います。でもわたしはそうは思いません。彼の目に嘘はないと、そう感じるから。だからすぐに処刑というのはやめてください。彼が正しいのか否か、それを調べる時間を設けるべきです」

「ですが、クラウス殿下は即時処刑と──」

「わたしの言葉が聞けないのですか? 神官であるわたしの言葉が」

「い、いえ、決してそのようなことは……」


 腹の贅肉を揺らしながら異を唱えた神祇長官を、レフィーニアがきっと睨み付けた。

 汗を拭う動作を再び加速させた長官は、しどろもどろに言葉を濁しつつ、レフィーニアとクラウスの様子を窺う。その態度からは、王子と王女のどちらからも不興は買いたくないという意思がはっきり見て取れた。

 

 カエトスは当初、クラウスが権限を握っていてレフィーニアは飾りのようなものと考えていた。

 クラウスは王者の風格を持った偉丈夫であり、実際の言動も上に立つ者に相応しい。一方の王女は、毅然とした姿勢を保っているものの、嵐が過ぎ去るのを身を縮めて待っているように見えたからだ。

 しかし実態はそうではないらしい。

 重臣たちの反応や王女の言動を見る限り、王子の発言力は強く無視できないものの、王女の言葉は同等かそれ以上の力を持っている。

 カエトスは確信した。レフィーニアの力を最大限に借りられれば、ここを切り抜けられると。


「恐れながら、王女殿下に申し上げます」

「貴様の弁明はもう──」

「許します。話しなさい」


 カエトスの進言を制そうとしたクラウスをレフィーニアが遮った。じろりと睨む王子の眼光から逃れるようにカエトスを見つめる。そこには確かに期待の光があった。

 カエトスはそれに応えるべく、王女へと訴えかけた。

 

「私の言葉が正しいのか否か、その全てをこの場で証明できません。ですがお許しをいただければ一つだけ証明できることがあります」

「それは何?」

「神殿の護衛に当たっていた方々よりも、私の実力が上であるということです。どうか、それを証明する機会を設けていただきたい」

「……ミエッカと決闘をしたいということ?」

「その通りでございます」


 真意を測りかねると言いたげに首を傾げたレフィーニアにカエトスは頷きかけた。

 その瞬間、広間に凛とした声が響き渡った。

 

「レフィーニア殿下っ! 私と私の部下に対するこのような侮辱、もはや我慢できません。どうかこの男との決闘の許可を。私のこの手で直々に処断します……!」


 声の主は見なくてもわかる。ミエッカだ。彼女から伝わる殺気は、それだけで小動物を殺せるのではと錯覚するほどに強く鋭かった。

 壇上のレフィーニアの瞳が迷いと躊躇に揺れる。

 謁見の間に沈黙が落ちる。それを破ったのはクラウスだ。


「面白い。許可しようではないか」


 王子の口から放たれた言葉はカエトスにとって意外なものだった。

 王子はカエトスの速やかな処刑を望んでいた。それゆえに、生き延びる道を与えるとは思っていなかったのだ。何か裏があるのではとの疑念が湧く。それはすぐに現実のものとなった。

 クラウスの顔に王者に相応しい傲慢な笑みが浮かぶ。

 

「ただし相手はミエッカだけではない。俺の親衛隊イーグレベットの隊長ヴァルヘイムも相手にしてもらう。これに勝利したなら、貴様の言が事実であるという前提でこちらも動こう。しかし敗れたときには、虚言を弄した罪、王城への不法侵入、神事妨害の責任をとって死んでもらう」

 そう言うと、クラウスは隣のレフィーニアを見やった。

「王女よ。お前はこの男の言葉に嘘はないと言った。よもや反対はすまい?」


 対するレフィーニアは膝の上に置いた手をきつく握り締めていた。わずかに伏せていた顔を上げて反論する。


「反対はしません。でも……二対一では真の実力を見ることはできないと思います。一対一でなければ──」

「そんなぬるい勝負に何の意味がある。この男はあれだけ豪語したのだ。二対一であろうとも余裕のはずだ。それができないと言うのなら、決闘などやるだけ時間の無駄だ。この話はなかったことにする」


 クラウスの宣告にレフィーニアは口をつぐんだ。そして緑の瞳でカエトスを見つめる。そこに悲痛な光があるように見えた。彼女の思惑とは異なる方向に事態が転がった。そう言っているようだった。

 

 王女には何らかの思惑があり、ただの憐れみからカエトスを助命しようとしているわけではない。禊の間で押し倒したときの言葉からもそれは推測できる。

 しかし彼女がカエトスの身を案じているのも事実。どれだけ危険であろうとも、王女の慈悲に応えなければ男がすたるというものだ。

 カエトスは目で訴えかけた。

 必ず乗り切って見せると。

 レフィーニアはよく見なければ見落としてしまいそうなほど小さく頷いた。


「わかりました。その条件で結構です」

「決まりだ。ではイーグレベット隊長ヴァルヘイム、並びにヴァルスティン隊長ミエッカに、この男との決闘を命ずる。よいな?」

「承知いたしました」

「殿下の命とあれば」


 宣告する王子に対し、ミエッカは一歩下がって王子に一礼し、左側に並ぶ赤い制服の男が頭を下げた。これがもう一人の親衛隊長ヴァルヘイムらしい。

 

「では場所を用意せよ。すぐに始めるぞ」


 クラウスはそう宣言すると玉座から立ち上がった。紫のマントを翻し、玉座奥の出入り口から颯爽と退室する。

 レフィーニアは何か言いたそうに一瞬だけカエトスを見つめたが口を開くことはなかった。ドレスの裾をひらめかせながら王子の後を追う。

 

 王族の退室を直立不動で見送った臣下たちは、すぐさま動き出した。広間の右方へと慌ただしく去って行く。ミエッカとヴァルヘイムもカエトスを一瞥した後、それに続いて姿を消した。

 

「立て」


 不意に両手首を引っ張られた。鎖を握り締めた麗人がひざまずくカエトスを見下ろしていた。その態度は、謁見の間にやって来たときよりも厳しい。その原因は考えずともわかる。王女たちの前で、彼女たちを侮辱するような言葉を言い放ったからだ。

 入口へと引きずられるように歩かされるカエトスの頭にネイシスの声が響く。

 

(カエトス、一応決闘には持ち込めたが大丈夫か? あの人間どもは、それなりの腕を持っているように見えたぞ)

 

 彼女が懸念するのも頷ける。ミエッカは立ち去り際に、炎のような眼光でカエトスを睨み付けていた。それは女とは思えない凄まじい殺気だった。心してかからなければ命はないだろう。


(何とかするさ。でも、もしかしたら力を借りるかもしれない。準備だけはしておいてくれ)

(そうならないように願っているがな)

(俺もだ)


 カエトスは緊張に体を一つ震わせると、麗人と町娘の後に続いた。

 

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