第5話 決闘

 王城アレスノイツ内には国政に関わる様々な業務を行う省が設けられている。

 軍事関連の職掌を司る兵部省もその一つだ。敷地は王都を守る近衛軍の駐屯地も兼ねているらしく、武器庫や演習場、兵舎などの施設がいくつも立ち並んでおり、他のどの省よりも広い。

 カエトスが連行されてきたのは、そうした施設の一つ、屋内練武場だ。

 

 四角い広間の壁は石造りで、四つの壁面それぞれにある扉は頑丈な鋼鉄製、木組みが剥き出しの天井には採光用の大きな天窓がある点など、構造自体は謁見の間に似通っている。壁にシルベリアの国旗が飾られている点も同じだ。しかし床は大理石ではなく、茶色の土が敷き詰められていた。ここは激しい訓練を行う場所だ。余計な負傷を招かないための措置だろう。

 

 カエトスは足元の感触を確かめつつ、視線を移動させた。

 練武場に集まった面子は、謁見の間にいた人物とほぼ同じだ。

 

 クラウスとレフィーニアの二人は、急遽運び込まれたと思しき木製の壇上に設えられた簡易型の玉座に腰を下ろしている。壇の脇には、中務卿や宮内卿、神祇長官ら重臣が控え、その横には紺色の制服の麗人と町娘、白いスカートの女の姿もあった。

 謁見の間にいなかった人物は赤いスカートの女だ。服装からしておそらく侍女。この場に同席が許されるからには、王子もしくは王女の信任篤い人物なのだろう。

 

 カエトスはすでに練武場の中央にいた。右手には先ほど与えられた訓練用の両刃の模擬剣。

 対峙するのは濃紺の制服姿の女と、暗赤色の制服を纏う男。それぞれの胸元には、八つの小さな円に囲まれる三日月の記章と、三枚の鷲の羽根を重ねた記章がある。王族の親衛隊長を務めるミエッカとヴァルヘイムだ。カエトスと同じく模擬剣を手にしている。

 

 カエトスはここにきて、これまでは視界の片隅でしか捉えられなかったミエッカの姿をようやく正面から拝むことができた。

 雰囲気はカエトスを連行した麗人によく似ている。男並みの長身に見事に引き締まった体と、戦いを生業とする者に相応しい均整の取れた体つきだ。

 ただ彼女を男装の麗人と呼ぶのは少し難しい。

 艶やかな黒髪は肩にかかるほどとやや長めで、胸や腰回りに男にはないしなやかさがある。間違いなく美人の範疇に入る容貌を構成する顎や鼻の線は柔らかく、ミエッカを目にした者が彼女を男と勘違いすることはないだろう。外見だけで言えば、ミエッカは女らしいとさえ言える風貌だった。

 ただしそれは彼女の放つ気配を無視すればの話だ。麗人と明確に異なる点が一つある。

 彼女は水面のような静謐な空気を纏っていたが、ミエッカは違う。誰がどう見ても炎のようだと言うだろう。それほどにミエッカの放つ気配は猛々しく荒々しい。ともすれば肉眼で見えるのではないかと錯覚しそうなほどに濃密だ。瞳を爛々と輝かせているその様は、まるで戦いに明け暮れる鬼神か、さもなくば血に飢えた猛獣だ。

 

 カエトスと対峙するもう一方の隊長ヴァルヘイムは、耳にかかるほどの長さの波打つ黒髪が特徴的な男だった。

 一見すると痩せ型に見えるがそれはヴァルヘイムの身長が高いだけで、首回りや腕などの太さを見れば一般人よりも遥かに筋肉質だとわかる。

 隣りのミエッカのように、誰の目にもわかるようなはっきりとして気配を放ってはいない。模擬剣をだらりと下げ、無言のまま佇むその姿は岩のようだ。


「これより此度の決闘における規定を述べる」


 低い声で告げたのは、カエトスと二人の隊長との間に立つ筋肉質の中年の男だ。纏う衣は青いローブ。漏れ聞こえた重鎮たちの会話から兵部省を統括する兵部卿だと判明している。この屋内練武場を管轄する組織の長だ。

 

「使用する武器は、すでに三人に渡されている模擬剣とする。それ以外の武器の使用は不許可だ。次は勝利条件についてだ。ミエッカ、ヴァルヘイムの二人は、カエトスが行動不能になるか死んだ場合勝利となる。カエトスは、二人の親衛隊長の胸元に張られた札を剥がすことだ。ただしその際、二人に危害を加えてはならない。これに違反した場合即刻敗北とする」

「……つまり、こちらは一切怪我をさせてはならないが、そちらは私を殺しても構わないということでしょうか?」


 カエトスは目の前に立つ二人の戦士に目を向けながら尋ねた。双方ともに長方形の小さな紙切れが心臓の真上辺りに貼られている。


「お前は二人よりも実力が上なのだろう? 何も問題ないはずだ」


 謁見の間におけるカエトスの言動を聞かされているのだろう。兵部卿は不愉快さを滲ませながら冷たく告げた。

 不利な条件が与えられるとは予想していたが、さすがに事実上の反撃禁止を言い渡されるとまでは思っていなかった。


「ふん。大口を叩いたことを後悔しているようだな。なんなら貴様も殺す気でかかってきても構わないぞ? もっとも私に傷をつける前に死ぬだろうがな」


 カエトスの内心の焦りを読み取ったのか、瞳に宿る殺意を隠そうともしないミエッカが不敵な笑みを浮かべる。

 一方のヴァルヘイムは、無機質な表情のままじっとカエトスを注視していた。感情を露わにしてはいないが、目の奥に熾火のようにくすぶる殺意がある。ミエッカのようにはっきりと見せてはいないだけで、カエトスを殺すつもりであることは疑いようもない。


(カエトス、こんな条件で大丈夫なのか? しかも二対一で。模擬剣とはいえ、本気で殴られたら怪我じゃすまないぞ)


 すでに練武場の天井に陣取っている小さな女神が懸念を伝えてきた。

 模擬剣は訓練用であるために刃は潰されて丸まっている。しかし鉄の塊であることには変わりない。まともに殴られれば骨が折れ、頭に食らえば死にかねない。


(……やってみなけりゃわからないけど、お前の力を借りることになりそうだ)

(うむ。死んだら元も子もないからな。いつでも合図しろ。何とかしてやろう)

 

 快諾するネイシスに感謝の念を送りつつ、カエトスは引っかかっていた懸念を尋ねた。

 

(本の内容はどうなってる?)

(変わらずだ。決闘をやれという内容とその時間だけ。ちなみに今は七エルト二ルフス(十四時四分ごろ)で指定時刻の一ルフス前。ほぼ合ってる)


 ネイシスの返答に内心胸を撫でおろしながら、すぐに頭を切り替える。ここまでは予定通りに進められたが、死んでしまったら全てが終わりなのだ。

 

「双方ともに距離を取れ」


 兵部卿は厳かに告げると、自身は前を向いたまま後ろに下がって行く。カエトスとミエッカ、ヴァルヘイムも同じように後退した。カエトスを頂点とした二等辺三角形のような配置となる。

 

「それではこれより決闘を開始する。……始め!」


 兵部卿の鋭い合図と同時に、ミエッカとヴァルヘイムの二人がカエトスを間に挟むような位置に素早く移動した。

 カエトスは右にミエッカ、左にヴァルヘイムとなるように体を横に向ける。剣を正眼に構える彼らとの距離は十ハルトース(約十ニメートル)ほど。

 

 先手はミエッカだった。

 数歩で間合いを詰め、右足の踏み込みとともに剣を横に薙ぐ。正面から迫る刃。

 カエトスは剣をかざしてそれを防御しようとした。その瞬間、左に気配。視界の端で、音もなく接近したヴァルヘイムが斬撃を放っていた。背後から迫る刃の狙いはカエトスの頸椎。

 ヴァルヘイムはミエッカよりも後に動き出したのに、彼女より早く攻撃を終えようとしていた。当然、その刃が直撃すれば頸椎を砕かれて即死だ。

 

 カエトスは防御を中断、咄嗟にその場にしゃがみ込んだ。ぎりぎりのところで斬撃を回避、ヴァルヘイムの剣が肌を粟立たせる速度で頭髪をかすめる。

 低くなった視界にミエッカの剣が飛び込んでくる。屈んだことで、胴を薙ごうとしていた攻撃に頭部をさらす格好となっていた。素早く眼前に剣をかざし、それを防御。凄まじい威力に体勢を崩され、後ろに倒れそうなる。

 

 カエトスは曲げた膝を全力で伸ばした。ミエッカの剣撃を利用して後ろへと跳躍する。一瞬の後に、ヴァルヘイムの刃が落雷のごとく地面に突き刺さった。

 僅かでも遅れていたなら脳天を割られていたであろう一撃に冷や汗を滲ませながら地面に左手をつき、側転の要領でさらに後退。二回三回と回転し、二人の親衛隊長が追撃してこないことを確認して足を止めた。


(ネイシス、こいつは無理だ。力を貸してくれっ!)


 カエトスは表面上は平静を装いつつ、焦燥も露わに助力を乞うた。たった数瞬の立ち合いだったが悟ったのだ。今の状態で勝てる相手ではないと。

 二人の剣技自体はカエトスとほぼ同格に見えた。だがヴァルヘイムの行動速度が異常だった。明らか人間の速さを超えている。

 

(あいつ、ミュルスを使ってるな)


 ネイシスが冷静に指摘する。彼女の言う通りだった。

 ヴァルヘイムは運動エネルギーを司る源霊ミュルスの力を自分自身に付与し、身体能力を底上げしているのだ。カエトスが王城アレスノイツの城壁や堀を飛び越えたときに用いた手法と同じだ。

 

 戦いにおいて速さは最も重要な要素の一つであり、これに劣っている側が勝利するのは極めて難しい。しかもヴァルヘイムやミエッカとカエトスの剣技自体はほぼ互角ときている。このままでは攻勢に転じるのは不可能だ。

 

(ああ。とにかく男のほうをどうにかしたい。剣が接触する瞬間、威力を停滞させてくれ。あとはこっちで何とかする)

(わかった。ごく短時間にするから、しくじるなよ)


 小さな女神の力強い声に、カエトスは剣を握り直した。二人の親衛隊長へと目を向ける。

 彼らは再びカエトスを間に挟む位置へとゆっくりと移動していた。距離は先刻とほぼ同じだが、その気配に変化がある。突き刺さる殺意から荒々しさが消えて静謐さが加わっていた。カエトスが今の挟撃を回避したことで警戒度が上がったのだ。次はより確実に仕留めに来るはず。

 ミエッカが機を窺うように、正眼に構えた剣の切っ先をゆらゆらと揺らし、ヴァルヘイムは柄を右肩口、切っ先を上に向けたまま動きを止める。

 

 カエトスはあらゆる攻撃に反応できるように、腕をだらりと下げた自然体でそのときを待ち構える。練武場の空気がぴんと張り詰め、静寂が落ちる。

 居合わせた者で無駄な口を利く者は誰一人いない。クラウスは玉座の肘掛けに頬杖をつき、レフィーニアは膝上に置いた両手をきつく握り締め片時も目を逸らすことなく見守っている。

 

 カエトスの視界の右端で揺れていたミエッカの切っ先が僅かに下がった。

 次の瞬間、ヴァルヘイムと同時に踏み込んできた。地面を這うような跳躍で、十ハルトースはある間合いをただの一歩で詰める。二人とも瞬きする暇すらない凄まじい速度だ。

 当然予想はしていたが、やはりミエッカもミュルスの使い手だった。

 先刻はカエトスの油断を誘うために故意に速度を落としていたらしい。並の戦士であればミエッカの攻撃に気を取られている間に、何が起きたか知覚することなくヴァルヘイムに首を折られて死んでいた。その小細工が通じなかったことから、真っ向勝負に切り替えたのだ。

 

 ミエッカは先刻同様、右胴薙ぎの一撃を放ち、ヴァルヘイムはカエトスを両断せんと袈裟懸けに模擬剣を振り下ろす。それは踏み込みの速度と相まって、常人には視認すら難しい域に達していた。

 攻め手は二つの刃。一方迎え撃つカエトスの剣は一振り。どちらかを剣で受けたらもう一方を防御できず、今回は体捌きで回避する余裕もない。

 決闘を観戦する誰の目にもカエトスは終わったと映ったことだろう。そしてそれは親衛隊長の二人も同じだ。

 しかしそこに隙が生じる。

 

(今だ!)

 

 カエトスはネイシスに呼びかけると同時に左足を後ろへと踏み出した。左に開く体に連動させて右手の模擬剣を全力で跳ね上げ、ミエッカの剣を迎撃。左手を頭上にかざす。

 

「……!」

 

 カエトスと正対する形となったヴァルヘイムが目を見開いた。ヴァルヘイムの放った剣撃を、カエトスが左手で受け止めたのだ。

 必殺の一撃がいとも容易く、しかも素手で防がれたという事実に、ヴァルヘイムの動きが一瞬止まる。

 カエトスはその隙を見逃さなかった。

 ミエッカの斬撃を迎え撃った右手の模擬剣を上空に投げ捨てる。同時に、左手でつかんだヴァルヘイムの剣を力任せに引き寄せる。上半身を泳がせるヴァルヘイム。その胸元にカエトスは空いた右手で掌打を叩きこんだ。素早く体を反転させて、ミエッカへ注意を向ける。


(さすがネイシス、完璧だ……!)

(ふふん、当然だ。私は神なのだからな)


 カエトスの賞賛の声に、ネイシスが得意げに答える。

 カエトスの右手には、ヴァルヘイムの胸元に貼られていた札があり、左手には模擬剣がある。ヴァルヘイムの攻撃を受け止め、突き飛ばすと同時に札と剣を奪い取ったのだ。

 

 カエトスが投げ捨てた模擬剣が地面に落下し、突き刺さる。

 横目で即席の玉座を見れば、クラウスとレフィーニアは身を乗り出しており、重臣たちは目を丸くして口をあんぐりと開けていた。

 

 いま何が起きたのか。それを理解している者は、カエトス以外に一人もいなかった。

 それもそうだろう。いまネイシスが使った力は、神だけが持つ特殊な力。すなわち奇跡だからだ。

 神々はそれぞれがいくつかの事象を司るのだという。なかでも彼女が司るものは、停滞と衰退。彼女はこの能力により、あらゆる事象を滞らせ、衰えさせることができる。ネイシスはそれをいま、ミエッカとヴァルヘイムの斬撃に対して行使した。そのためカエトスは、ミエッカの渾身の一撃を片手で容易に迎撃でき、そして素手でヴァルヘイムの刃を受け止めたにもかかわらず、骨折どころか腫れてすらいないのだ。

 

 ネイシスのこの力は、人ひとりなど容易く衰弱死させられるほどに強力だ。ミエッカやヴァルヘイムに対して行使すればたちどころに活力を奪い、カエトスは指一つで勝利できる。しかしそれはできない。

 なぜなら、カエトスにかけられた女神の呪いは、ネイシスが停滞させることで発動を先延ばしにしているからだ。ゆえにネイシスが力を使うと、呪いの抑制力が弱まり一気に進行してしまう。なるべく彼女の力を借りたくない理由がこれだった。

 

「……貴様、いま何をした?」


 ミエッカが模擬剣に目を落とし、次いでカエトスを怪訝な眼差しで見やる。彼女は普通では考えられない何かが起きたと理解しているが、当然ながら原因には思い当たっていなかった。


「教えると思いますか?」


 ヴァルヘイムから奪取した札を地面に投げ捨て模擬剣を構えるカエトスの返答に、ミエッカがぎりっと歯を食いしばる。

 手の内をべらべらと喋るほど、カエトスはお人好しではない。ようやく一対一に持ち込めたのだ。奥の手があると匂わせることで、状況をさらに有利にすることができる。わざわざその目を自分から潰すことはない。

 

「……まあいい。妙な力を持っていることはわかった。私も本気で貴様を殺すとしよう」


 ミエッカはカエトスが思ったよりも動揺していなかった。それどころか、口元に微かな笑みを浮かべている。それは迸る殺意と相まって、己の牙で獲物を食い殺す歓喜に震える獣のようだった。

 

(まさか、あれで手加減していたのか……?)


 強い殺意を伴った攻撃は、決して手を抜いているようには見えなかった。事実、ネイシスの協力がなければ、カエトスはいま自分の足で立っていないだろう。ミュルスの力を借りる以外の切り札があるということか。

 カエトスの抱いた危惧が正しいことはすぐに証明された。

 

「リヤーラよ、汝が力、我が剣に宿せ!」


 ミエッカが短く命じた瞬間、彼女の手にある模擬剣が赤く染まり始めた。たちまち赤光を放つまでに明度が上がる。

 カエトスは体を震わせた。ミエッカの殺気にさらされていることもある。しかし実際に練武場内の温度が低下していた。吐く息が白い。

  

 ミエッカが命じたリヤーラは熱を司る源霊だ。それが鉄が赤くなるほどの熱を彼女の模擬剣に与えている。その源となっているのは真気だが、リヤーラはそれだけではなく、空気に含まれる熱すらも奪い取って剣に移動させた。そのために気温が下がったのだ。

 

 ミエッカが赤熱した剣を正眼に構える。

 刃を熱する最も大きな理由は、人に対する殺傷能力を向上させることだ。

 攻撃と同時に傷口を焼くことでより重傷化させたり、溶解した鉄を撒き散らして相手を殺傷したり、鍔迫り合いに誘導し相手の剣を溶かして切断するなど、様々な戦術が考えられる。

 共通するのは、接近すること自体が危険極まりないという点だ。しかし近づかなければカエトスに勝利はなく、放っておいてもミエッカは接近してくる。

 

 カエトスは素早く戦術を模索した。

 取り得る最適な方法は、ミエッカの模擬剣破壊だ。

 鉄は熱することで強度が下がる。そこをついて剣を折り、生じた隙をついてミエッカの胸元に貼られた札を奪い取る。

 決断までは一瞬だった。

 カエトスはミエッカが動くよりも早く踏み込み、斬撃を放った。一連の動作を思い浮かべながらミエッカの模擬剣の鍔元を狙う。しかし目論見は初手からあえなく崩れ去った。

 

 カエトスの剣が触れる瞬間、ミエッカが手首を翻した。赤熱した刀身の腹を打つはずだったカエトスの模擬剣が刃の部分に接触する。その一瞬、触れた部分が白く光り、そして何の手応えもなく通過してしまった。

 カエトスは目を疑った。ミエッカの剣を破壊するどころか、逆にカエトスの模擬剣の先端が切り離されていたのだ。

 何が起きたのかと考えている暇はカエトスにはなかった。

 ミエッカの赤光放つ刃が翻った。滑らかな体捌きでカエトスの胴を薙ぐ。その速度は、剣を熱する以前と全く同じ。カエトスは反射的に模擬剣をミエッカの斬撃の軌道上にかざした。が、すぐに方針転換。腕の防御動作はそのままに、腹部を引っ込めるように胴体だけを無理やり後退させる。

 

 数瞬前までカエトスの胴があった部分を、赤熱した刃が通過する。それはカエトスがかざした剣など存在しないかのように、一切の抵抗なく通過していた。


 ミエッカの追撃は止まらない。すぐさま切り返される赤い刃。狙いはカエトスの頭部だ。

 カエトスは攻撃を強引に回避したために腰を後ろに、頭を前に突き出すような姿勢になっていた。気合いで体をのけ反らせる。

 眼前を赤い閃光が過ぎ去る。と思いきや、それはすぐさま方向を変え、カエトスを両断せんと迫りくる。

 カエトスは左足を振り上げた。その反動で体を強引に旋回させる。赤刃が体をかすめて地面に振り下ろされる。

 完全に体勢を崩したカエトスは地面に右体側から落下した。即座に背中側へと転がる。うつ伏せになったところで両腕で地面を突き飛ばすようにして起き上がり、さらにその勢いを利用して素早くミエッカとの距離を取る。

 

「……ちっ。逃げ足だけは一人前だな」


 忌々しげに舌打ちするミエッカは、剣を突き出した姿勢で止まっていた。赤熱する剣の感触を確かめるように左右に振ってから、正眼に構える。

 彼女が逃げるカエトスに対して容赦ない追撃を行っていたのは明らかだ。真っ黒に焼け焦げた斬撃の跡が地面にいくつも残っている。

 攻撃を確認してから回避するなどという悠長なことをしていたら、逃げ切れずに今頃は五体をばらばらに切り刻まれていたことだろう。

 

 カエトスの背中を冷や汗が伝う。先刻までカエトスの模擬剣だったものが、二つの鉄くずとなって地面に転がっている。不用意に仕掛けた挙句の反撃を避けられたのは僥倖というほかなかった。

 カエトスはミエッカから注意を逸らさないまま、半分ほどの長さになった模擬剣に目を向けた。断面は恐ろしく滑らかだった。

 一体どうやって剣を切断したのか、予測はつく。しかしにわかには信じられない結論だった。


(カエトス、お前の考えている通りだ。この女は、お前の剣を熱で斬った)


 カエトスの推測を肯定するネイシスの声が響いた。

 つまり、カエトスの剣が触れた瞬間に刃が熔解するほどの熱を加えて、切り離したというわけだ。

 理屈はわかる。金属加工の技術としても存在するし、カエトスはその現場を見たこともある。しかしそれはある程度の時間をかけて行うもの。一瞬で鉄を切断するなど、聞いたことがなかった。

 

(どうやら、こいつは愛されし者のようだな)

(まじか……?)


 ネイシスの言葉に、カエトスに戦慄が走る。

 愛されし者とは、源霊が己の意思で積極的に力を貸す人間のことで、その割合は数万人に一人とも数十万人に一人とも言われる非常に稀な存在だ。

 

(まじだ。あの剣には普通の源霊使いには引き出せないほどの超高温の膜がまとわりついていて、それによってお前の剣はほとんど蒸発に近い形で溶かされたんだ)

(ちょっと待て。蒸発……だと? じゃあ何で刀身が形を保ってるんだ。そんな熱にさらされたら、ぐずぐずに溶けてなきゃおかしいだろう)

(いや、あの剣は赤くなる程度に加熱されているだけだぞ。たぶん偽装だな)

(……偽装?)

(うむ。その女の実力から見て、ほぼ完璧に熱を制御できるはず。現にお前は全然熱くないだろう? だから刀身が赤熱することもないのにそれをするというのは、強度が落ちているように見せかけて、今のお前のように武器破壊を試みる奴をおびき寄せるためだったというわけだ)

(……俺はまんまと乗せられたってわけか)


 カエトスは歯噛みしつつ、ミエッカの赤熱した剣を改めて観察した。

 ネイシスの指摘したようにカエトスには全く熱は伝わってこない。一瞬で鉄を溶断する熱量がまとわりついているとはとても思えない静けさに満ちている。だがあれは今や真剣など比較にならない危険な武器へと変貌しているのだ。

 ミエッカがじりっと間合いを縮めてくる。同じだけカエトスはすり足で離れた。

 

(カエトス。また停滞させるか? 今度はもっと力を割かなければならなくなるが)

(……いや、大丈夫だ。ネイシスは呪いの抑制に集中していてくれ。これ以上死期を早めたくない。ここは俺の力で何とかする)

(それじゃあ早く決着をつけろ。見ていることしかできないから、もどかしくてたまらないんだ)

(わかった。すぐに済ませる)

 

 ネイシスにはそう言ったものの、果たして上手くいくかどうか。

 カエトスにはまだ打開策があったが、それは極めて難易度の高いものだった。成功するかは賭け。だがやるしかない。


「どうやら、さっきのように素手で受け止めることはできないようだな。抵抗をやめるというのなら、苦しまないように殺してやるぞ」


 ミエッカが牙を剥き出した獣のような笑みで宣告する。


「心遣いに感謝します。ですがその心配は無用。私は死にませんので」

「ならば苦しんで死ぬがいい……!」


 ミエッカが踏み込んできた。速い。一気に間合いを詰めて、赤熱した刃を突き出す。

 

 ここからが勝負だ。カエトスの策の成否はどれだけ集中できるかにかかっている。

 カエトスは突き出された刃を体を捌いてかわした。即座に横薙ぎに変化した赤刃が脇腹を狙う。

 折れた剣を軌道上にかざす。赤熱した刃と鉄色の刃が接触。これまでと異なり接触部分から火花が飛び散り、まばゆい白光が視界を一瞬染める。

 カエトスは足を止めることなく、素早くミエッカとの距離を取った。

 剣は切断されてはいなかった。赤い剣の切っ先のみが触れたからだ。しかし刀身には抉り取られたような窪みが生じている。同じことを続ければ、遠からず剣は鉄くずと化すだろう。

 

 ミエッカの追撃の手は緩まない。突き、切り上げ、振り下ろしとそれぞれ必殺の気合いに漲る斬撃を容赦なく繰り出す。赤い軌跡が縦横を走り、残光が宙に残る。

 

 カエトスはそれを舞のような足さばきで体をひねり、のけ反らせ、短く跳躍し、さらには今にも折れそうな剣を赤熱した刃に合わせながら、ひたすらかわし続けた。

 全ての攻撃を回避することはできない。腕や足、胴体を何度も赤刃がかすめ、衣服にいくつもの焼け焦げた穴を作り出す。

 手足に直撃すれば呆気なく切断される。胴体や首、頭部ならば即死。その重圧に耐えながらカエトスは十回以上、接近と離脱を繰り返した。

 

 不意にミエッカが動きを止めた。鉄の焦げた匂いが鼻をつく中、獲物に飛び掛かる肉食獣のように体をたわめ、赤刃の切っ先をカエトスに向けたままじっと目を凝らす。

 ミエッカは紛うことなき戦士だ。だから察したのだろう。カエトスの意識が自分の胸元に貼られている札だけではなく、別の何かにも向けられていることに。しかしその正体は見抜いていない。ゆえに、このままではカエトスの策の餌食になってしまうのではないかと警戒しているのだ。

 

 カエトスは、外見だけならばもはや満身創痍と呼ぶに相応しい状態だった。裾や袖のあちこちに穴が開き、肌には赤い火傷の跡がいくつもある。額からは滝のように汗が流れ、顎先から地面へとぽたぽたと落下する。

 右手の剣は幾度も高熱の斬撃を受けたために、十か所以上の大小の窪みが形成されていた。それがかつて剣だったとは思えないほどの惨状だ。強度は著しく低下し、あと一度でも衝撃を受けたら砕けてしまうだろう。

 それにもかかわらず、ミエッカは油断していない。直情径行で猪突猛進の性格かと思いきや、観察力と慎重さも兼ね備えている。そして彼女の懸念は当たっていた。

 

 カエトスの真の目的はミエッカから札を剥がすことではなく、剣をぼろぼろにすることだったのだから。

 カエトスはミエッカから目を外すことなく、歪に抉られた剣を左手に持ち替えた。左腕の肘から先だけを用いて刃を宙に走らせる。

 

 ミエッカが眉根を寄せた。赤熱した刃が彼女の戸惑いを表すように僅かに揺れる。仕掛けるか否か、迷っているのだ。

 カエトスはミエッカの挙動に全神経を注ぎながら、縦横に二十以上の軌跡を宙に描いた。

 ミエッカが攻撃を決断する前に動作を全て完了。すぐさま地面を蹴り、数歩でミエッカとの間合いを詰めた。

だがそれは常人よりは速いとはいえ、ミエッカならば十分に反応できる速度だ。現にミエッカは完全にカエトスの動きを捉えていた。完璧な動作で振りかぶった赤刃を真っ向から振り下ろす。

 

 カエトスはその瞬間、左手の剣を逆手に持ち替えた。そのままミエッカの剣を迎え撃つ。

 ミエッカの瞳に疑念がよぎった。まともに受けることすらできないと知っているはずなのに、なぜ剣で防御するのかと。だがすぐにそれは消え、殺意に塗り替えられる。

 そして二つの刃が接触。

 赤刃が容易くカエトスの模擬剣を切断すると誰もが思っただろう。しかしそれは現実にはならなかった。

 ミエッカが目を見開く。

 カエトスの剣が折れた。切断されたのではなく、硬質な音を立てて刀身の半ばから折れたのだ。だが彼女が驚いたのはそれだけが理由ではない。ミエッカの手にあった赤熱した刃も、カエトスの剣と接触した部分から折れ飛んでいた。


 ミエッカの動きが一瞬止まる。

 カエトスはその隙を見逃さなかった。踏み込む動作を止めることなくさらに一歩進み、ミエッカの胸に手を伸ばす。そしてすれ違いざまに札をむしり取るように剥がした。そのままミエッカの横を駆け抜ける。立ち止まって振り返ると、ミエッカは自分の手の中の柄だけになった剣を身じろぎすることなく見下ろしていた。

 赤熱した刃が地面に落ち、土砂がぐつぐつと真っ赤に沸騰する。

 カエトスはその音を聞きながら大きく息をついた。


「……ふう」

(やっぱりお前は面白い。私が見込んだだけのことはある。まさか実戦の最中に剣を加工するとはな)

 

 ネイシスが感嘆の念を送ってきた。

 神である彼女だけはカエトスが何をしたのか完全に理解していた。

 カエトスは容赦なく命を奪いにくるミエッカの斬撃を見極め、その刀身に込められた熱を使って自らの模擬剣を加工していたのだ。

 その目的は源霊リヤーラに呼びかけるための音を奏でさせること。つまりカエトスの剣と同じ機能を与えようとしていたというわけだ。

 こうして加工を終えた模擬剣を使ってカエトスが源霊リヤーラに命じた内容は、模擬剣に触れた物体から熱を奪取すること。その結果、ミエッカの剣はそれを覆う高温の膜の機能を減衰させられカエトスの剣を切断することができなかった。さらに赤熱した刀身の一部も急速に冷却され、強度が著しく低下、カエトスの剣との接触の衝撃に耐えられずに折れたのだ。


(リヤーラが応えるかは賭けだったけどな。上手く加工できてよかった)

(うむ。さあ、呆けてる人間どもに勝利宣言をしてやれ)

 

 心なしか誇らしげな口調のネイシスに促されてカエトスは周りを見た。皆一様に口をぽかんと開けていた。手足の火傷跡からくる痛みを噛み殺しながら、即席の玉座へと体を向ける。


「いかがでしょう。私の勝ちということでよろしいでしょうか?」


 ミエッカから奪い取った札を見せながら尋ねるも反応がない。カエトスが勝利するとは誰も考えていなかったのだ。

 いや、一人だけそうではない人物がいた。

 レフィーニアだ。玉座から立ち上がって一同を見渡す。


「決闘の勝利者をカエトスと認めます。そして彼の主張を認めた上での対応をとりましょう。よろしいですね、クラウス王子」


 レフィーニアに呼びかけられたクラウスの顔から驚きが消える。代わって現れたのは口を真一文字に引き結び、眉間にしわを寄せた苦々しい表情だ。王子にとって歓迎できない結果になったことは一目瞭然だ。


「……いいだろう。とりあえずは、その男は悪意をもって此度の行動を起こしたのではないとしてやる」


 これで無事に乗り切った。カエトスはそう安堵しかけたが、王子はさらに続けた。

 

「ただし、王城への不法侵入並びに、神事の妨害を行ったことは紛れもない事実。このまま放免とするわけにはいかん。その男を牢に入れておけ。追って処分を下す」

 

 王子の言葉は、確かに正論ではあった。

 イルミストリアの指示通り決闘を勝利という形で乗り切ったことから、あとは受け入れても構わないと思う一方で、行動を制限されることへの危惧が募る。

 このまま従っていいのか、拒絶するべきか。

 カエトスがそう考えた矢先、澄んだ声がクラウスを制した。

 

「その必要はありません」

 レフィーニアだ。そして誰もが予想しなかった言葉を口にした。

「その男は私の親衛隊ヴァルスティンに入れます」

「な……!?」


 声を上げたのはミエッカだ。他の者も声を出さないだけで驚きを隠せない。

 

「カエトスは仕官したいと言っていました。ですから私に仕えなさい。異存はないですね?」

(なるほど。これに書かれている提案はこれか)


 驚いているのはカエトスも同様だった。確かに王宮で働きたいと伝えたが、王女直属の親衛隊に入隊という話になるとは思ってもいなかった。全く動じないネイシスの一言で我に返り、急いで分析を開始する。

 王女の提案は願ってもないことだった。彼女はカエトスに協力的であり、イルミストリアに登場している人物でもある。本の指示でもあるし、断る理由はないように思えた。

 カエトスは承諾の意思を伝えようとしたが、それを遮るようにミエッカが鋭い口調で反論する。


「王女殿下、私は反対です。そんな……そのような者を我が隊に加えるなど容認できませんっ! そもそも男ではないですか。ヴァルスティンは殿下の住まいであるシリーネスの警備も行います。そんなところに男を入れるなど反対です!」

「ミエッカ殿の言う通りでございます。氏素性のわからぬ者を殿下の身辺になど置けません。クラウス殿下の仰るように、王城に無断で侵入したことは事実。この男の話の真偽を確認するまでは、牢にて拘束するのが最善ではないでしょうか」


 次いで反対したのは宮内卿だ。全くもって筋が通っていて、当然の反応だった。正論であり反論の余地がない。だがレフィーニアは頷かなかった。

 

「いいえ、それはできません」

「その男は罪人なのだぞ。それを庇う正当な理由があるのだろうな?」


 問い詰めるクラウスの口調は穏やかではあったが、他を圧する猛々しい気配がその巨躯から滲み出ていた。それは、納得のいく理由があるのなら言ってみろという恫喝に近かった。

 王女は目を伏せ短い沈黙の後、口を開いた。

 

「わたしは不審者が彼を殺してしまわないかということを懸念しています。彼が決闘に勝利したことで、彼がただのほら吹きではないことを皆が理解したことと思います。これはつまり、不審者の存在も事実である可能性が高くなったということ。不審者の目的はまだ不明ですが、彼が不審者を妨害をしていたとしたら、意趣返しとして命を狙われるかもしれません。そのとき、彼が牢に拘束されていたらどうでしょうか。誰にも知られずに、殺されてしまうことでしょう。彼の行動が褒められたものではないことは承知しています。ですが、その信念は評価したい。むざむざと危険な場所に置いておきたくないんです」

「そこまでお考えでしたとは、王女殿下の慈悲深いお心に感服いたしました」


 口ひげの中務卿がレフィーニアに一礼した。その上で穏やかに反論を述べる。

 

「ですが、それ杞憂ではないでしょうか。罪人を拘束する牢は、内からも外からも容易く出入りできない仕組みになっておりますれば、牢内のほうがかえって安全とも言えるでしょう。それでも不安を覚えるのでしたら、警備を置くという方法もありますが、いかがでございましょうか」

「来るかもわからない襲撃に貴重な人材を割けません。不審者の調査をしてもらわなければならないのですから。それに牢が安全と言いましたが、中務卿、あなたは命を狙われているからといって、牢に逃げ込みますか?」

「それは……」

「私は彼を罪人扱いしたくないと言っているのです」

「はっ、申し訳ありません。出過ぎたことを申しました」


 レフィーニアの宣告に、中務卿は再度頭を下げた。

 

「皆が不安を抱くのはわかります。まだ彼の言葉を疑っているでしょう。私も全てを信用したわけではありません。だから、彼を監視する意味も込めて親衛隊に入れるのです」

 王女はそう言うとミエッカへ目を向けた。

「私の親衛隊長に、彼を処分する権限を与えます。彼が何か不始末をしたり不審な行動を見せたなら、親衛隊長の裁量で処分して構わないです。これでも駄目ですか?」


 ミエッカはしばし押し黙ると、不承不承という雰囲気をそこかしこに滲ませながら答えた。

 

「……そういうことでしたら、私の責任において、その男の行動を監視いたしましょう」


 続いてレフィーニアは、重鎮たちを一人ひとり見渡した。彼らは互いに目配せし合っていた。それぞれが小さく首を振る。自分には翻意を促す案がないと、暗に伝えていた。

 

「王女殿下のご意志は固いご様子。我々は一同、王女殿下のご意向に賛同致しましょう。ですが、一つだけ条件を出させていただきます」

 重鎮を代表して宮内卿が一言付け加えた。眼鏡の位置を直しながらカエトスを見やる。

「この男は、ミエッカ殿とヴァルヘイム殿を退けた不可思議な力を持っております。その正体を把握した上で厳重な監視下に置くのでしたら、王女殿下の提案に賛同致しましょう」


 宮内卿の視線には強い疑念が見て取れた。

 それも当然のことだろう。得体の知れない技を使う輩を、大切な主君の傍に置きたがるものなどいるわけがない。

 

「カエトス、どうですか?」

「はい。これは誰にでも話せることではありません。ゆえに、王女殿下にのみお伝えすることでご了解いただきたい」

「わかりました。宮内卿もそれでよいですね?」


 宮内卿が腰を折って、承諾の意思表示をする。

 レフィーニアはそれを見届けると、居住まいを正した。

 

「それではカエトスの身柄は、アルティスティン・レフィーニアの名において、私の親衛隊ヴァルスティンで預かると決定します」

「……王女が責任を負うと言うのなら、もはや俺から言うべきことはない。好きにするがいい」


 クラウスは忌々しさを滲ませた口調で言うと、玉座から立ち上がった。

 レフィーニアとカエトスをそれぞれ一瞥し、紫のマントを翻して壇を下りた。重鎮たちがそろって頭を垂れる中、ヴァルヘイムと赤服の侍女を伴い、大股で練武場を後にする。

 クラウスを見送った中務卿が王女に問いかけた。

 

「王女殿下、早速調査に取り掛かるにあたり、その者に聴取を行いたいのですが」

「それは私がやりましょう。まずは彼の不可思議な力について把握し、それを振るわないように誓わせなければなりません。そのついでに聞き出しておきます。皆さんは、神殿とその周辺の調査の準備をしていてください」

「……承知いたしました」


 王女が直接聴取を行うことに対して反対しかけたが、進言しても無駄と悟ったのだろう。中務卿は口を開きかけたが、すぐに噤んだ。代わりに承諾の旨を伝えて一礼すると、宮内卿、神祇長官とともに揃って練武場から去った。

 練武場に残ったのはカエトス以外には、王女とミエッカ、そしてカエトスを連行してきた麗人と町娘に、白服の女だけとなる。

 ふう、と小さなため息が聞こえた。

 見れば力を抜いたレフィーニアが、初めて椅子の背もたれに体を預けていた。

 

「カエトス、あなたの処遇は私の預かるところとなりました。異存はありませんね?」

「はい。もちろんでございます」

「じゃあシリーネスに戻ります。聴取はそこでやるから、彼を連れてきて」


 カエトスの返答にレフィーニアは安心したような笑みを浮かべた。椅子から立ち上り、白服の女と一緒に出口へと向かう。

 それを見届けた後、王女の指示を受けたミエッカがカエトスに歩み寄ってきた。


「私について来い。妙な真似をしたら即座に殺すからな……! アネッテ、ヨハンナ、こいつから目を離さないように。不審な動きをしたら斬っていい」

「了解」


 ミエッカの指示に二人の部下が短く答える。ここでようやく麗人の名がアネッテ、町娘がヨハンナだということが判明した。

 カエトスはそれを頭に刻み付けながらすぐさま頷いた。

 ミエッカの瞳に宿る殺意は全く衰えておらす、少しでも遅れたならば斬り殺されそうな気配に漲っていた。ごくりと唾を飲み込みながら、歩き出したミエッカの後に続く。そこにネイシスからの朗報が飛び込んできた。

 

(カエトス、喜べ。次の記述が出てきたぞ)

(ほんとか?)

(うむ。『大陸歴二七〇七年五月十三日、七エルト四十二ルフスの刻、王城アレスノイツ内、別殿シリーネスにおいて、アルティスティン・レフィーニアの要請を受諾せよ』とあるな。どうやら、これから王女に何かを要求されるようだぞ)

「何をぼーっとしている。早く歩け」


 足が止まりかけたカエトスの背中を、麗人が小突いた。

 歩みを再開しながら思う。

 要請という言葉からして、今の決闘のように命をかけるようなことにはならないだろうと。

 しかしカエトスはすぐにそれが甘かったと思い知るのだった。

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