4 戸隠へ

 俺の眼前にいきなり舞い降りたクイーンデキムは、不敵に微笑みながら近づいてきた。顔だちはやはり西洋人そのものだ。蒼い瞳が鋭い光を放っている。誰かに似ているが思い出せない。

 クイーンデキムは突然歩みを止め、俺の顔をしげしげと見た。

「あら、そんな印でも少しは効き目があるのね」

 「血脈けつみゃく」の印のおかげで結界が出来ているらしい。これ以上は悪魔でも近づけないようだ。


「おまえの狙いは呪法力か。なぜ西洋の悪魔がわざわざそんなものを欲しがる」

 俺の問いに対して、無表情のまま彼女は言った。

「欲しい、わけではない。というか、手に入れても私には使えない。宗派が違うし。だから壊して永久に葬り去る」

「壊すほうがヤバいだろ。代々守ってきたものをむざむざ壊されてたまるか」

 ふふ、と彼女は笑った。

「呪法力とかいう、わけのわからないものがあると目障りなのよ。世界を司る力は魔法だけで充分」


 なるほど、そういうことか。

 図らずして俺は、彼女の言葉から、呪法力の大きさを知ることとなった。これはなんとしても死守するしかない。

 

 突然あたりが暗くなった。

「まあいいわ。戸隠とやらで、また会いましょう。それまでせいぜい美味しいものでも食べて、この世を惜しみなさい」

 そう言うと、クイーンデキムは頭上高く舞い上がり、暗雲の中に消えていった。


 彼女が吸い込まれた暗雲から、いきなりスコールのような雨が降り注いできた。

「あいつ、雨も降らせるのか。なんだか凄い奴と戦うはめになったなあ」

「大丈夫ですよ、雨ぐらい、ぼっちゃんも降らすことができるようになりますから。さあ早く戸隠へ出発しましょう」


 味之助がどこからか車を調達してきて、戸隠へと向かうこととなった。

 どこまでも使える猫である。

 善光寺の裏からヘアピンカーブの続く狭い山道をしばらく走ると、整備された高原道路へと出た。

 この道は覚えている。子供の頃に爺さんに連れられて来た時の記憶が蘇える。

 正面に見えるなだらかなスロープの山は確か飯縄いいづな山だ。

 飯縄山も戸隠山と同様、修験者には重要な霊山である。

 戸隠の入口を守るように聳える飯縄山の山頂は雨にけぶって見えない。


 相変わらず恐ろしい勢いで雨は降っている。風も強く、嵐の様相を帯びてきた。

「どうやらこの雨、降水量150ミリを記録したようですぜ。150ミリといったら15センチです。猫が歩けば溺れちまう。クイーンデキム、どこまでも我々を15という数字で呪おうとしてますな」

 味之助はスマホで天気の行方を見ながら、そう言った。

「最近のスマホは猫でも契約できるのか」

「まあ犬が宣伝してるくらいですからね。お金払えばノープロブレムでしょ。それよりほら、戸隠山が少し見えてきましたよ」


 見ると、前方かすか、雲の間から、ノコギリの歯のようにギザギザした山並みが見えている。

 霊峰戸隠山である。

 垂直に切り立った屏風岩の連なりは、山というよりもはや壁である。

 俺は霊峰に向かって祈った。大昔から幾多の修験者たちが同じようにしてきたように。


「さあここからは神の山の世界です。お覚悟はよろしいか」

 味之助は細い瞳を一層細くして言った。

「もちろんだ」

 戸隠山を見つめながら、俺は答えていた。

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