第13話 心の中が読めるので

「いやーっ!! いやはや! 言い反応有難うございますぅ!! これで新刊も捗りそうですよぉ!」

「ああ……そりゃどうも……、……よかったな」

「はいっ!」


 ハイテンションでトーストに齧り付く柚乃はいつも通り制服姿だ。

 元々着ていた俺のワイシャツは洗濯カゴに放り込まれ、俺もシャワーを浴びてとりあえずはさっぱりした。

 どうやらこいつはこいつなりに気遣って俺を駅から自宅まで運んでくれたらしいのだが、運んだら運んだで帰るのも面倒になり、そのまま眠ってしまったらしい。


 ワイシャツ姿で。


「……バカなんじゃないか……? 割とマジで」

「へー?」


 一応自宅には連絡を入れて問題はないと本人は言っていたが、やっていることは完全に「問題アリ」だ。第一、俺の反応を見たいからと言って「裸にワイシャツ」だなんてどう考えてもオカシイ。普通に考えて異常すぎる。これではただの変態だ。痴女だ。なんて奴を部屋にあげちまったんだ俺はっ……。


「その……、……なにもなかったんだな?」


 狭いローテーブルを挟んで俺もトーストを齧りながら珈琲カップを片手に尋ねる。


「なにもって、なにがですか?」

「だからなにもだ」


 シャワーを浴びながら昨日のことを思い出そうと必死に頭の中を整理してみたが全くと言っていいほど思い出せなかった。

 居酒屋に行ったのは覚えている。帰りの電車の中もなんとなくぼんやりと。


 しかしそれ以降のことは一切合切思い出せなかった。記憶を消されていると言われても納得できるレベルで。


「頭の中を読めるなら読めばいいだろ……」

「読むなとか読めとか忙しいお兄さんですねぇ」

「お前が悪いッ」

「なんでですか!」


 相手の考えていることが読めるということは裏返せば相手の考えていることを「考えない」ということじゃないだろうか。今までそんな風には考えなかったがこいつの察しの悪さはもしかすると超能力の副作用なのかもしれない。

 空気が読めないのではなく、空気を読む必要がないから読もうとしない。


 だからこそ、伝わらない。


 この、もどかしい想いがッ……。


「だからなッ……俺とお前はその……やってないんだな!?」


 ぽかーんと、目を点にして柚乃の手が止まった。

 口をつけていたカップもそのままに、沈黙が流れる。

 みるみるうちに赤く染まっていく柚乃の顔。それを直視できずに俺も目をそらした。


「ばっ、ばっ、バカじゃないですか!!?」

「バカだよ!! ああ! 大バカだよ!!」


 未成年に手を出したら犯罪だよ!!


 けど酔っていたならなにをしでかすか分からない。酒を免罪符にするつもりはないが、男は男だ。生物なのだ。狼だのなんだのという以前にそういう雰囲気になったらそういう風にもつれ込むのは生物としては自然なもので、自制心以前に生き物としてのあり方というか、


「どうなんだよ!」


 なんとなく柚乃の反応からそんなことはないと分ってはいるし、こいつは「私でえっちなことを考えるのは禁止!」だそうだからそういうことになるとも思えないのだが……。


「んぅっ……」


 もじもじと落ち着きを失った様子を見るにどっちとも取れる反応に思えて冷や汗が噴き出してきた。


 やめろよ……? やめてくれ……。


 頭の中で痴漢冤罪と児童買春だったらどっちの方がマシだろうと天秤が揺れ動く。


 ありえないけど、そんなわけねぇんだけどッ……。


 自分を信じ通したい反面、目の前の柚乃が恐ろしくもあった。


「なにも……なかったんだよな……?」


 なにも言わない柚乃に焦れ、乗り出すようにして尋ねると顔を赤くしたまま小さく頷かれ、思わずほっと肩から力が抜けた。


「ぁ〜……よかった……ガキに手を出してお縄とかマジ勘弁だかんなぁー……」


 珈琲を口に運び、柚乃に同意を求めるとどうにも様子がおかしい。

 不穏な空気に顔がひきつりそうになるのを感じる。


「柚乃……?」


 本当に……なにもなかったんだよな……? と重ねて尋ねたくなるほどに空気が重たく、ドキンドキンと心臓が脈打つのを感じるほどだ。

 うつむいたまま、顔を赤く染める柚乃は今までに見たことないほどにか弱く、「なにもなかった」というには異常すぎた。


「……お兄さんが心配しているようなことはなにも……、……私だって……初めてはその……ちゃんとしたいですし……」

「ぁ……ああ……?」


 いまいち会話が噛み合っていないような気もするが動き出した空気をなんとか循環させようとする。

 しかしやはりそれらは多少の湿気を含んでいて、


「……藍沢さんのこと……まだ好きなんですか?」


 平日の朝にしてはあまりにも重苦しく、じっとりと肌に張り付くような話題は好ましくはなかった。


「なんで……そのことを……」

「その……あの……」


 そうして続く沈黙を破ったのは、単純な仮説だった。


「超能力か……」

「あのッ……お兄さん! 私は……!!」

「帰ってくれ」

「お兄さん!!」

「帰れ!! そろそろ学校行く時間だろう、お前はッ……!!」


 怒鳴ってしまってからハッと気づかされる。


 その表情に。


 怯えた様子に。


「……っ、」


 丁寧に手に持っていた珈琲カップをテーブルに戻すと、前触れもなくその姿は消えた。

 一瞬で、そこにいたはずの柚乃の姿は見えなくなった。いや、いなくなったのか。


「……ったく……なにやってんだか……」


 憤りと罪悪感の中、部屋に残されたカバンを見つめ、今から電車に向かえば間に合うだろうかと柄にもないことを思い浮かべた。


 藍沢ひとえのことは、……触れられてくはなかった。


 誰にも。

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