第12話 昨晩はお楽しみでしたね

「やー、まさか先輩の会社に来ることになるとは思いませんでしたよー」

「そりゃこっちのセリフだ。……知ってたのか」

「いいえ? 出社して、どの方に指示仰げばよろしいですかー? って聞いたら七瀬に聞けって。んでこの展開ならまさかもしかしておおッ? て思ってたら先輩でしたー! みたいな」

「なるほどなぁ……」


 ズルズルと、会社の近くにある蕎麦屋でざるそばを二人して啜りながらの昼食だった。


 人員の補充は早めに済ませると言っていたがまさかこんなに早く見つけて来るとは、課長にしては仕事が早い。

 こんなことなら金曜に焦ってペースをあげなくともよかったなと若干の後悔だ。

 まぁそのおかげでこうしてのんびり昼飯にありつけるのだが。

 夫婦でやっているらしい小さな蕎麦屋は俺のお気に入りで、たまにこうして足を運ぶ。社内で聞かれたくない話をするときにはなかなか重宝している。


「期間は。いつまでだ」

「どうでしょうねぇー。とりあえず代わりの人材が見つかるまでって感じに良いように使われると思いますよ?」

「ふーん……」


 気楽そうに話しているが何処かに籍をおかず、契約社員としてあちこち渡り歩いているというのはどうにも藍沢にしては意外だった。

 器量も良いし、頭も悪い方じゃなかったはずだ。


 それだけで一流企業というわけにもいかないだろうが、そこそこまともな所に就いているものだと思っていたがーー……、働き方は人それぞれか。

 早々に踏み込む話でもないかもしれないな、と疑問を引っ込めた。

 お互いもう子供でもないんだし、兎や角言われる筋合いはないだろう。


「その後、どうですか?」

「ん?」

「本当のそば粉うどん先生とは」

「……」


 しまった。そこにつながるのか。


 不敵に笑みを浮かべる藍沢からざるそばに視線を逃し、どう答えたものかと眉をひそめる。

 バラしてしまっても構わないのだろうが柚乃に断りもなくネタバラシというのも気がひける。


 そもそもそこに気を使う道理はないのだろうが、さて……。


「いまはその名前は出さないでくれ。どこで知り合いが聞いているかわからん」

「はーっい」


 時間稼ぎ、決定の先延ばしにしかなっていないのだがいまはこうするしかない。

 事実、同じ会社の奴らがどこかで聞き耳を立てている可能性だってある。「こいつは」いつでも良くも悪くも注目を集める。癒やしの少ない社会人生活となれば飢えている輩もちらほら出て来る。


 そういう奴らを「よく」集めるんだ。こいつは。


「なーんか機嫌悪そうですね」

「いつもこんなもんだけどな」

「そうですか? 抱えてることあるなら相談乗りますよ? 私と先輩の仲じゃないっスかー」


 どんな仲だよ。


 そんなツッコミが喉まで出かかったが寸前のところで我慢する。

 自覚している地雷を踏み抜くほど馬鹿なこともあるまい。


「お前に相談するぐらいなら抱えて溺れた方がマシだ」

「相変わらずあの頃のままっすね。ひどいっすよー?」


 悪びれもなく、コロコロとおどけてみせる姿はなんとも懐かしい。まるでこいつのいう「あの頃」のようだ。


「相変わらずねぇ……?」


 最初に声をかけたのはどっちだったか。


 文芸部の部室に入ってきた時からこいつの存在は際立っていた。

 とてもじゃないがうちの部に入るような生徒に見えなかったからだ。体育会系というわけではない、だが吹奏楽か、なんなら演劇部の方がお似合いだろうと入部届けを受け取った時から思っている。


 部長と新入生、他の部員が藍沢をちやほやし始めたのでそれ以上交流もなかったが、何かしらのきっかけで話すようになり、告白されたのは夏だったか。

 何気ない、まだ俺の他には誰も来ていない夏休みの朝。

 暑い暑いと言いながら入ってきた藍沢は机に突っ伏して、


「先輩?」

「……ぁー、そろそろ戻るか」

「ほいっ」


 やめとこう。


 済んだ話だ。思い出したところで女々しい。

 過去の恋愛遍歴を語って思い浸る奴もいるが、俺はどうにもそういうのが苦手らしい。ましてや本人を目の前に思い出すことでもないだろう。これじゃまるで意識しているみたいだ。


 ……誰が?


 俺が?


「何考えてんすか?」

「ん?」

「さっきから先輩、上の空すぎて折角一緒にいるのに暖簾にツボ押しみたいな感じですよー?」


 店を出た途端ぐりぐりと背中を指で押し込まれた。

 不覚にも気持ちいい。


「……俺も歳取ったなー」

「お互い様っすな?」


 ここから会社に戻って納品の仕上げ。

 幸いにも藍沢は最低限の指示でやってほしいことを片付けてくれるし、ありがたいといえばありがたい。


 同僚から余計な詮索を受けなければいいが……と若干の懸念要素はあるものの、逃げた後輩の後釜としては穴を埋めるには十二分だ。


「ねぇ、先輩? こーいうのは仕事終わってから言おうと思ってたんですけどね?」

 ふと、口調が変わったことに気がつき、足を止めるととてもじゃないが「歳をとった」とは言い難い藍沢が照れ臭そうに笑っていた。

 昼下がり、同じように職場に戻っていくスーツ姿の同族が物珍しげに俺たちを眺めていく。


 気にしない、気にしていない。


 こいつが何を言わんとしているのか俺は全く気がついていないという体で興味なさげに彼女を見つめ、


「そう思ってんなら今は言うな」


 あくまでももうあの頃とは違うのだと言うことを突き立てた。


「……そっすね?」


 もう学生じゃない。誇れるかどうかは別にして社会人だ。

 生活の上に仕事は成り立っているとはいえまだ仕事中で、午後がある。やるべきことの優先順位は決まっていて、残念ながら藍沢との関係は随分と後になる。


「じゃ、全部終わってからお話しマッス」

「おう」


 はにかみながら笑う姿を見て、あの頃と変わらないなぁと思った。

 そんな藍沢を直視できない俺も、きっと。



 予想以上に早く片付いた仕事の後はダラダラと業務をこなし、珍しく定時には上がることができた。

 月曜だと言うのに課長の「歓迎会だ!」と言う言葉を華麗にスルーして俺は席を立つが、スッとスーツの裾を掴まれ、見下ろせば藍沢の笑顔だ。


「行きますよね?」


 既に社内で人脈を築きつつある藍沢の一言は強制力を持たせるに十分だ。

 とてもじゃないが和気藹々とした職場ではないのにも関わらず、所帯持ち含む殆どの社員が居酒屋へ行進。月曜だと言うのに暢気な様子でビールを仰いでいた。


「ったくもう……ある意味すげーよ、お前は……」

「そですか?」


 男女関係なく人間関係を築けてしまうのはある種の才能かもしれない。

 人材派遣としてあちこちに飛ばされるのであれば尚更だろう。思えば、学生の頃から敵はいなかった。男女問わず人気があったのだ、藍沢は。


 立ち回りが上手いと言うかなんと言うか……。


 俺と付き合っていることが発覚してもそれを妬む男がいなかったのもこいつの人徳が成せる技だったのか。

 真似できねー。

 課長にビールを注ぐ姿には素直に感心しておいた。

 そして課長からの小言は華麗にスルー。


 なんだかどうでもいいな、これ。


 ぼんやりと目の前で繰り広げられる茶番にも等しいやりとりをぼんやり眺めていると、酒の力もあっていつの間にか意識が遠のいていた。

 気がつけば電車の中だった。


「……ぁ……?」


 ガタンゴトンと、聞き慣れたリズムを刻み続ける車両に揺られこれまた見慣れた風景の中に俺はいた。


「おきましたか」

「お前……」


 隣を見れば女子高生だ。


「篠崎ですっ」

「ああ……わかってる……」


 どうやらうたた寝してしまっていたらしく、体の姿勢を元に戻す。

 つか、こいつにもたれかかってたのか……もうちっと自衛しろよ、俺。普通にアウトだろ。


「ぁー……」


 頭が重い。どうやらハイペースで飲みすぎたらしい。ジョッキ開くたびに次から次へと注ぎ込まれて流されるがままに飲み干していたような気もする。

 そこらへん、いまいち曖昧で覚えてない。


「というか珍しいですね、お兄さんが酔っ払って帰ってくるなんて」

「お前が俺の何を知ってんだよ……」

「じゃあ訂正します。何かありましたか?」

「お前な……」


 頭の中を、……読んだわけではないのだろう。おそらく、いや、違うと思う。

 そんなそぶりは見せていないし「読んでいた」のであればこんな表情は見せない。何かあったことを把握しながらに尋ねるなんてそりゃ悪趣味にもほどがある。だからこいつは状況から俺のことを心配しているだけで、超能力の類はーー、……。


「はァ……」


 俺こそ、こいつの何を知ってる気になってんだ。

 どうにも調子が噛み合わない。あれもこれも考えたくはないが藍沢のせいだろう。


「やっぱお前も彼氏とかいたりすんのか」

「ふぁ!?」

「いぎッ」


 驚きのあまり跳ね上がった肘がもろに脇腹に入った。

 反対側に座っていたお姉さん(とはいえ恐らく同年代)に平謝りしながらも柚乃を睨むと本人はまだ顔を赤くしてフリーズしていた。パクパクと口を開けたり閉じたり、本当に面白い顔だ。


「面白い顔ちがいます!!」

「全力で人の頭の中を読むな!」

「わ、わ、わーっ……!! お兄さんがいけないんじゃないですかーっ!」


 パタパタと火照った顔を冷ますように手で仰ぐがそんなもの気休めにしかならんだろう。

 狭い車内でバタバタと騒ぐのはマナー違反だと説いてやる以前に俺も俺で酒が抜けていないのかどうにも頭がぼんやりする。第一、こいつに彼氏がいるかどうか聞いてどうするつもりだったんだ。ガキの恋愛事情なんざ興味のかけらもないというのに。


「(だったら聞かないでくださいよっ……!!)」

「(ぁー……悪い……)」


 相当酔ってるなーと他人事のように天井を見上げる。

 そもそもどうやってここまで来たのか覚えてない。


「改札口付近でフラフラしてるの捕まえたんですよ。あのままだと電車辿り着けずにホームに落ちちゃいそうだったんで」

「そりゃ助かった」

「どーいたしまして」


 ここまで酔ったのは大学の初めの頃以来だなぁとうなだれる。

 酒は飲んでの飲まれるな。

 然程弱くもないが強くもない。過信してガブガブ飲み干せば次の日を待たずしてグロッキーだ。


 そのことをこの歳になって再確認するとは、まだまだだなぁ……?


「まだまだって。大人の人ってどうしてもお酒に頼りたくなる時があるって言いますけど」

「酒に頼った所で現実は変わんねーよ。それでも飲むのはバカだからだ」

「ばーかっ」

「うっせい」


 ほんと、調子が狂う。


 歳下のガキにバカ呼ばわりされながらも飲み会のことはうまく思い出せずにいた。

 あの場でどんな会話が交わされ、どんな笑い話が溢れでたのかも覚えていない。

 自ら地雷を踏みに行くとも思えないし、藍沢もそういうやつではない。……ともすれば、下手なことは言っていないと信じたいが、そこらへんは出社してからのお楽しみか……。


「課長ら全員酔いつぶれてねーだろうな……」


 普通に明日も仕事だぞ……。


 他人よりも自分の方が心配ではあるが。


「藍沢さん……? どなたです?」

「……後輩だよ、会社の」

「へー。ぁっ、暗号化された!」

「暗号化しておいた」


 うっかりそのまま全部読まれる所だったと意識外の外へ放り出す。無意識の更に向こう側、読んだ所で読みきれない未知の領域だ。


「(それは流石に意味不明ですが)」

「(まー、俺もよくわかってねーし)」


 超能力による読心術への対抗策。

 本当にこいつが「読めていない」のか確かめる術など無く、読めないというのであればそれを信じる他ない。

 例え知られた所で不都合はないんだろうが、だからと言って人の頭の中を土足で好き勝手されてるのを見過ごすのも癪だ。


 踏み込まれたくない部分には鍵を。


 読まれたくないことは外側へ。


 部外者の柚乃に対してはそれぐらいで丁度いい。本来ならば相手の考えていることなんて分からないのだし。


「言いたくない事まで知ろうとは思いませんし、悪趣味に手を染める気はありませんからご安心ください?」

「十二分にお前は悪趣味に染まってるとは思うけどな」

「そうですか?」


 けろっとしやがって。


「ほら、降りますよ?」


 言って柚乃が俺の手を引く。

 気がつけば最寄駅だ。それまで気に求めていなかったがカバンも柚乃が持っていた。自分のものと合わせて二つ、片手で束ねて持ったまま俺をホームに連れ立った。


「ぁー……」


 夜風が心地良い。


 これから梅雨の季節が来れば蒸し暑い夜も見えてくる。

 夏は嫌いだ。暑いから。むしむしと頭の中まで茹で上がりそうになる。

 だけど、まだこの時期の夜は心地良い。

 暑くなる前の最後の楽園。安堵感。すばらしい。トカ何とかぼんやり色々浮かんできててつか眠くて、思ったより酒が抜けてない。


「……つか、何降りてんだよ」


 駅員さんのアナウンスは既に流れている。忙しい帰宅時間だ。急行がホームで足を止めている理由はないだろう。

 扉が閉まる前に戻れと顎で促すが柚乃は首をかしげるばかり。


「いやいやいや、アホかよ」


 ふらつきながらも掴まれていた腕を振りほどき、逆に掴んで電車の方へと押しやるがくるっとステップを踏んで抵抗された。


「あぁ……?」


 混乱する頭。


 思考がかみ合っていないのか目の前のこいつが何をしているのかいまいち理解できない。


「ふふっ」


 そうこうしているうちに扉が閉まり、電車は動き出した。

 白線の内側へおさがりくださいと言われるがままに二、三歩退くと苦笑する柚乃の姿。


「おかしなお兄さんですねぇ。私には超能力があって、いつでもどこでも飛べるっていうのに何を急いで電車に跳び乗る必要があるっていうんですか?」


 涼しげに。何も間違ったことは言っていないとでも言いた気に告げ、肩をすくめる。夜風に髪が揺れ、そんな様子がどうにも儚げに映った。


 いや、正しくは藍沢の姿に重なる。


 かつて見た、記憶の中に埋め捨てておいた光景に。

 こんなことを思い出すのはきっと酒のせいだ。

 うまく掻き消せず、やはりアルコールの作用を自覚しながらも見なかったふりをする。


「……早くいけ」


 悟られたくない。そんな弱みが表にモロに出てしまい、塗り隠すかのように改札へと向かった。


「カバンはこっちですよっ?」


 後ろから、鞄を手渡されることになるほどに、動揺していた。


「っ……」


 鞄を受け取り、前を向いて歩き出す。だが、ふらふらと足元がおぼつかない。

 視界もぼやけているし、思っていたよりもまだ酒が残っていて、記憶の逆流は止まらなかった。


 嫌なことばかり浮かんできてそんなことばかり考える自分が女々しくて馬鹿馬鹿しい。酒を飲み足りないと思ってしまう。


「ぉっ……、」


 ふらついた足はバランスを崩した。


「っと、ナイスキャッチ」

「お前は……」


 勇んで足を動かしていたつもりがそこまで距離を稼げておらず、白線の向こう側へ近づいていたところを柚乃が受け止めてくれた。

 甘く、鼻先をくすぐるような香りに顔を背けるとしっかり腕を抱きしめられ、


「行きますよっ?」


 改札へと誘われる。


「いやいやいや、離せよ」

「離しませんっ、危ないですもん」

「別に酔ってねぇし」

「酔ってない人ほどそー言うんですよー」


 回らない頭でその腕の感触を振りほどくかどうか少しだけ考え、じわじわと込み上げつつあった眠気がそれにまさった。


 まだ眠り足りないと脳が睡眠を欲し、こいつとあーだこーだ言い合うのもバカらしくて身を任せる。


 早く布団に入りてェ。


 ガサゴソとスーツの内側に入れてあったパスケースを使って改札をくぐり、夜風を感じながら歩く見慣れた景色、道のり。不思議なもので何度も繰り返し歩いた道だと半分眠っていても辿り着けるものらしい。それは居酒屋から駅まで記憶が飛ぶほど酔っ払っていても向かうことができた事からも実証され、なんだかんだいって酔っ払いが家まで帰ることができるのは帰宅本能とも言える「お布団気持ち良い」みたいなのが働いているんだろう。


 だからその日、その夜の俺も難なく帰宅し、お布団気持ちいいで倒れこんだらしい。


 翌朝、目が覚めると全身の気だるさの後に激しい頭痛と喉の渇きが襲ってきた。

 とりあえずトイレだと体を起こそうとするがどうにも酒の重みで起き上がれない。

 変な体勢で眠っていたのか腕が痺れていてまるで感覚がない上にそう言う時、人の腕とはなんと重いものなのかと実感する。


 の、だが。


「………………」


 感覚が無いなりに感触があるような錯覚と徐々に込み上げてくる腕のしびれが脳を麻痺させ、いやいや、ぁ……? 頭の中がとっ散らかった。


 体に、何かまとわりついていた。と言うか、なんだこれ、なにかした??? いや、してないよな? してないよな俺……?!


 必死に昨晩のことを思い出そうと頭を巡らせ、目の前の光景というか、明らかにその「昨晩はお楽しみでしたね」みたいなこのこいつの、はっ……?!


「んぅ……」


 言葉も出ずにバタバタしていると恐らく全てを知っているであろうそいつは身体を起こし、


「おはよぅございます……おにいさん……。……よく……眠れましたか……?」


 寝ぼけ眼で俺の顔を覗き込んできた。



 ワイシャツ姿のそれは、



 あまりにもエロかった。

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