第11話 ドッキリはやめてください!

「突然連絡取れなくなるんですもん! びっくりしましたよ!」


 無理やり俺の隣に座ってきた柚乃は憤慨した様子で告げる。


「ていうか何があったんですか? お兄さんの脳内ぐちゃぐちゃですよ?」

「何がっていうかお前がどうかしたんじゃないか?」

「え?」

「だって別に俺、いつもと変わんねーぞ?」


 曰く、爆裂堕天使がやって来たとかどうとかってのを最後に一切の干渉が効かなくなったそうだ。


 こちらの会話の様子も、映像も、俺の考えさえも読み取ることができなくなり。不審に思って居酒屋のそばまで行ってみたもののとてもじゃないが入る勇気が出なくて引き返し、結局駅のホームで待ち伏せしていたのだという。


「いつお兄さんが戻ってくるかわかんないし、結構心細かったんですけど」

「ハイハイ、そりゃどーも」


 俺だってまさかお前がそんなことになってるとは思わなんだよと若干の謝罪。

 この頭の中を読まれているのかどうかは分からないがぐちゃぐちゃ……? いまいちピンとは来なかった。


「(ようやく落ち着いて来ているみたいですけど、相当ショックなことでもあったんですか?)」

「ぁー……どうだかな……」


 ザラザラとどうにも落ち着かない部分があるのは確かに認めるが、そこまで影響があるとも思えなかった。否、思いたくないだけかもしれない。


「まぁ、いいんですけど。一応私が読んでいるのは表面上のことばかりで、お兄さんが本気で隠したいって思ってることは読めてませんからね。言いたくないなら言わなくてもケッコーですし、そん時はチャーッンと説明してくださいっ。今後皆さんとはツイッターで絡むんですし、爆裂堕天使さんも気になりますし」

「へいへい」


 しかしながら面倒なことになってしまったとは思う。


「(記憶の改竄ができるんなら今日会った3人の記憶を書き換えられねーか? ちょっと覚えられていたくない事情があるっていうか、俺もエロ漫画描いてる奴だって記憶されてんのは流石に辛いんだが)」

「(んー……できないことはないんですけど直接会わないとですし、みなさんを探すとなると相当骨が折れると申しますか、正直面倒なんですが)」

「(だよな、……いや、いい。忘れてくれ)」

「(はぁ……?)」


 藍沢にはこちらから連絡をすれば「そば粉うどん」のアカウントにわざわざメッセージを飛ばしてくることもないだろう。


 余計な詮索を避けるためだとはいえ、あいつに個人的に連絡を取らなきゃいけないと思うとあまり気は進まなかった。できるなら今夜会ったことも忘れて欲しいというのが本音だ。


「にしても……案外不便なもんですねー」


 沈黙が続き、一つ目の駅で停車した時、ふと柚乃が天井を見上げて呟いた。


「お兄さんが何考えてるか、突然分からなくなったのは痛手かもしれません」

「人の頭ン中覗き込んでる方が異常なんだよ。諦めろ」

「ですけどー」


 不貞腐れたところで現実は変わらない。

 こいつが頭の中を読めなくなってるっていうならそれはそれで好都合だ。


「……けど、急になんで柚乃呼びなんですか?」

「ぁ?」

「篠崎じゃなくて柚乃って。ほら、私のこと」


 クスクスと、くすぐったそうに笑う柚乃は両足を弄びながら俺を覗き込む。

 まるで楽しいことでもあったみたいだ。


「なんとなくだろ、多分」

「ふーん?」


 勘ぐって人の頭の中を覗こうとしてくるがコツは掴んだ。

 これ以上、土足で踏み込まれてたまるかと思考をシャットアウトする。


「篠崎って感じじゃねーんだよ、お前」

「別にいーんですけどね」


 バタバタと足を泳がせてまるでお迎えに来てもらった幼稚園児だ。


「やめろ、傍迷惑な」

「はーい」


 土曜の夜、しかもこれぐらい遅くもなると電車に乗り込んでくる人は殆どいない。

 停車するたびに車内から人が消え、俺の最寄駅に着く頃には空席の割合の方が圧倒的に多くなっていた。

 確かな実感となって感じる疲労を持ち上げるようにして腰を上げ、「じゃーな」とこれといった会話もなく電車を降りる。

 柚乃は和やかに手を振ってくるがそれに応える義理もなかろう。


 結局丸一日犠牲にされてしまった事でなんのための休日なのか甚だ疑問である。


 明日は心底ゴロゴロして過ごそう、振り返ることもなく走り去る電車を見送り、改札へと向かっていると携帯が震えた。

 画面には「藍沢ひとえ」の文字。

 一瞬止まった指に念のため後ろを確認してからメッセージを開いた。


「変わんねーなー、お前も……」


 柚乃の超能力が俺にもあったら、なんて、柄にもないことを夜空に思った。

 都心からだいぶ離れたこの町の空は、地元のそれに僅かに似ていた。



 週明け、有意義な堕落の極みとも言える日曜を終えた翌日の通勤ラッシュは地獄の体をようしていた。

 恐らく実際のところはいつもの満員電車と変わらないのだろうが気の持ちようというのはとても大事だ。 


「ぐぐぐ……」


 体感3割増し程度に苦しい。


 くの字に押し曲げられ、カーブに差し掛かるたびに崩れたバランスの上で倒れないよう必死に踏ん張る。

 先ほどからおっさんの肘が首筋にめり込んできていて一種の拷問のようにも感じていた。


 つか拷問だろこれは。


 奴隷社会における支配階級への反旗意識を削ぐための実質的な対抗処置なのではないかとあーだこーだ考えてしまう。


「(なるほど、お兄さんの思考が読みやすいのは満員電車の中だからだったんですね)」

「(テメェなぁッ……)」


 クスクスとイヤホンをつけたまま一人で笑う柚乃は座席に座って快適そのものだ。


 電車に乗り込んだ時にはその姿は見えず、一瞬「どうかしたのか」と思ってしまった自分をぶん殴ってやりたい。一つ目の停車駅で奥に流され、扉側の座席の前に詰め込まれた矢先、その視線に気がついた。

 優雅に文庫本を開いてちょこんと座ってやがる。ヒトの苦労も知らずに。


「(いやはや、嫌なもんですねぇ満員電車って)」

「(なんだよその手の返しようはッ……! ずりぃぞ!!)」

「(急病人でもない限り譲りませんよ?)」

「(ムカつく顔だなぁッ……)」


 何処から電車が混み始めるのかは知らないが悠々と席に座っている連中が心底羨ましい。


 同じ料金を払っていてこの差はなんだッ……! 俺たちは同志じゃなかったのか……!!


「(少なくともお兄さんと同志だと私は思ったことありませんが)」

「(こっちの話だッ……現実逃避に割り込んでくんなっ……)」


 と、ぐいっとおっさんの肘を押しのける。


 わざとやってんなら好い加減にしないと足踏んづけるぞっ……!


 威嚇が効いたのかそれともちょうど良いところにつり革があることにようやく気がついたのか、目下のストレスからは解放される。

 生憎、くの字バランスからは抜け出せていないのだが。


「(あの後、皆さんから連絡がありました。楽しいオフ会だったみたいですね)」

「(そりゃまーな)」


 隠し通せたんならそれでいい。

 実際、そば粉うどんが女じゃないかってあいつらも感づいてたみたいだし、俺の犠牲も無駄じゃなかったのだとすれば土曜を犠牲にした甲斐はある。


 ……いや、ねーか。


 むしろその席を譲ってくれてもいいんじゃないかって気もするが、こいつはサラサラそんな気ないんだろーなぁ……?


「(ご名答!)」

「(黙ってその本読んどけよ)」

「(はははーい?)」

「ったく……」


 とりあえず、オフ会が終わって俺もお役御免ってことなのかもしれない。

 エロだなんだと散々説いて聞かされたが結局のところ身代わりが欲しかっただけのようだし、これでこれ以上こいつに関わらなくて良くなると思えば随分と気が楽になる。

 拷問のような通勤時間の荷も僅かばかり軽くなるというものだ。


「(いえ、そのようなことはないのですけど)」

「…………」


 黙々と、本のページをめくりつつ頭の中で声が響いた。

 意識を窓の外に馳せつつもその声は御構い無しに語りかけてくる。


「(オフ会で皆さんはそば粉うどんが女だって薄々感づいていたんですよね? たまーに、そういう風に感じてセクハラまがいのリプライ飛ばしてくる人いるんですけど、同業者の人がそう感じてたってことはやっぱりそうなんですよ。……うんっ、間違いないです)」


 真剣に。はたから見ればただ本を読むことに没頭しているようにしか見えないのだが(事実、ページをパラパラと捲りつつ、視線もちゃんと動いているのだが)なにやらめまぐるしい速度でテレパシーは届き続ける。


「(ですからお兄さん。何がいいたいかと申しますと、やはり私の書くえっちなシーンは女性目線だってことなのです!)」


 パンっと読み終わったらしい文庫本を閉じると、それはもう、こいつの心の声さえ知らなければ一発で勘違いしてしまいそうな笑顔でこちらを見上げて首を傾げてきた。

 隣のおっさんの喉がなるのをはっきりと感じ取る。


 ウゼェー……。


 世の男どもはこうやって女どもの手の平の上でコロコロと転がされているんだろう。なんとも情けない。同じ男として忠告してやりたい。


 おっさん、やめとけ。

 家庭があるだろ。お前には。


「……はぁ……」


 深く溢れた溜め息をそのままあたりで弄ばせつつ、やはり窓の外を眺めた。

 そろそろ梅雨入りだというのにバカみたいに晴れた空だ。今日はきっと、暑くなる。


「(よろしくお願いしますねっ? おにーっさん?)」


 そのときの笑顔は、見えていなかったことにしたい。

 だってこいつ、ほんとーに、……バカなんだもん。


「(……わりぃが他を当たれ。もう付き合いきれん)」

「(またまた〜っ)」

「(冗談でもなんでもねーよ。色気で迫っても無駄だ。お前の遊びには付き合ってられん)」

「んぅ……?」


 心境の変化というわけでもない。最初からしぶしぶ話し相手になってやっていただけで、土曜日のようにわざわざ足を運んでまで何かをしてやるような関係じゃ最初からないのだ。


「(暇じゃないんでな。お前は学生で俺は社会人。……それぞれの世界で生きよーぜ、あばよ)」

「むぅっ……」


 あからさまに不満げではあるが譲歩するつもりは一切ない。

 そのことを察しているのか柚乃もそれ以上なにかを言ってくることはなかった。

 俺はただ窓の外を眺めて時間を過ごし、柚乃は読み終わった文庫本を手持ち無沙汰に開けたり閉じたりしながら終点までこちらを睨み続ける。

 なにも変わらないと知っていながら。


「お兄さんッ!」


 そう呼び止められたのは電車を降り、改札口を潜ろうかという時だった。

 何事かと周囲は一瞬足を止め、しかし忙しい時間だ、留まった空気は遠慮がちにまた流れ始める。


 そんな中を柚乃はズカズカと俺に近づき、


「んっ!」


 スマートフォンの画面を俺に見せつけた。


「んぁ……?」


 あまりにも近すぎて文字が読めず、体を反って画面を見る。


 ツイッターの、ダイレクトメッセージだった。


 そうして理解する。


 こいつが俺にまだ拘っている理由を。

 まだ、解放してくれないワケを。


「帰りは作戦会議です!」


 そこには、爆裂堕天使からのメッセージが表示されており、


「……ったくもう……、相変わらずだよ、ほんと」


 そば粉うどんが「俺ではないことを」指摘していた。

 あいつはハッキリと、俺の嘘を見抜いていたのだった。


 そう、いつだって。きっと。


「いいですねっ?」


 念を押すように携帯の画面に変わって柚乃が顔をのぞかせ、俺は顔をしかめる。

 そば粉うどんは俺ではない。それはれっきとした事実だ。


 あいつがハンドルネームを使って活動していたようにこいつの事情を話せばきっとわかってくれるんじゃないか? そんな気もしたがどうにもうまく説明できそうもなかった。

 否、それを説明するにはあいつと、俺の関係についてこいつに話さなければいけないような気がしてそれは流石に気が引けた。それはずっと、性壁を覗かれるよりもずっと、なかなかにキツい。まさに悪い冗談だ。


「その件についてはまた後だ。出社時間に遅れる」

「おにぃっさんっ!」


 不満を告げはするものの邪魔はしてこないのをいいことに俺はさっさと改札をくぐり出社した。

 あいつに関わるようになってから本当にろくなことがない。

 今は納期が差し迫っている仕事を無事終わらせる。そのことだけに専念しなければならないというのに、どうやら超能力少女は疫病神も兼ね備えているようで。


「おはようございマッス! 先輩っ? これからしばらくよろしくお願いしマーッッス!」

「お……おおぅ……?」


 会社で待ち構えていたのは急遽入った「契約社員の」藍沢ひとえだった。


「まじか……」


 身に馴染んでいたはずの社内の空気が、一変しているような気がした。

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