第14話 変わらないものと変わるもの

「なーんか、元気ないっすねー」


 藍沢にそんなことを言われたのは帰宅しようと荷物をまとめていた時だった。


「次のプロジェクト始まるまではのんびりできそうなもんですけど、何か悩み事ですか?」


 既にカバンを膝の上に置き、俺が帰るのを待っているらしい。

 そんな気遣いさえも気がつかなかった。

 元気がないのは本当なのかもしれない。

 自分のことながらなんと情けない。


「二日酔いだよ、普通にな」

「ふーん」


 昨日に引き続き早々に退社した俺たちはさっさと帰路に付き、なんとなく駅へと向かう。

 結局、通勤の時間帯に柚乃の姿は見ることはできなかった。返そうと思っていたカバンも手に持ったままだ。

 無論、そのことには藍沢も気がついているようだったが尋ねてくる気配は感じられなかった。

 適度な距離を保ちながらあくまで「後輩」として付いてくる。


 もう、後輩でもなんでもないんだけどな。


 今は。


「ところで先輩?」

「なんだ後輩」

「そば粉うどん先生って本当はどんな人なんですか?」

「またその話か」

「だって気になるじゃないですかー」


 さてはて、どーしたもんかと一応頭をひねる。

 適当に誤摩化すか、本当のことを言ってしまうか。

 十中八九、こいつはそば粉うどんイコール俺じゃないって事を確信しているだろうし、お世辞にも漫画のまの字も描いたことのないような俺が同人誌を作るようになるとは誰も思わない。


 俺を知っているやつなら見抜けて当然の嘘、だったんだろうなぁ……。


「そば粉うどんは変態だよ、人前に出しちゃいけないレベルのな」

「へぇ?」


 どうせ俺にとっては赤の他人だ。

 満員電車で一緒になって、流されるがままに関わった。それだけの関係なのに変に気を使う理由もあるまい。


 このまま俺が「そば粉うどん」を名乗り続けたところで変態呼ばわりされるのが関の山。ならばわざわざその実害を被り続ける必要もない。……のだが、


「同人誌の為になら臆面もなくエロいことするようなヤバいやつだからな。表には出せねーよ」

「ん……? それって暗に先輩がエロいっていってます?」

「そーいうことにしとけ」


 なんだかなぁ……?


 なんの見返りももらっていないのだからはっきりと切り捨ててしまえばいいものを、何かが引っかかってそれを邪魔する。

 預かっているカバンか、それともあいつの超能力による何かか。

 モヤモヤした気持ちを抱え込みながら駅前へと辿り着くと自分への意思表示も含め、藍沢に告げておく。


「なにを勘違いしてるのか知らねーけど、そば粉うどんは俺だよ。俺自身、認めたくねーけどな」


 呆気にとられたような顔で藍沢が口を開けていた。

 そんな顔もするんだな、と今更になって新しい一面に気付かされる。


「じゃあさ、先輩?」


 藍沢が固まっていたのも束の間だった。いつもの調子で笑いながら近づいてくると俺の胸元へ指先をつき、ぐいっと覗き込んでくる。

 大きな瞳に、驚く俺の顔が映っていた。


「先輩って、私にえっちなことしたいとか思ってんだ?」


 ドキドキと、ガキでもねーのに心臓がバカみたいにうるさかった。

 あの頃のように頬が熱を帯びて思考回路が焼けついていくのがよくわかる。

 そんな俺の様子を見てニマニマと頬を緩ませる藍沢。

 駅前でいちゃつく俺たちを街行く人が見ていて、けど、そんなことを気にしている余裕などなくて。


「先輩のえっち」


 藍沢の囁きに、呼吸が止まった。


「……はぁ……、からかうのもいい加減にしろ。幾つだと思ってんだ」

「えーっ? 幾つも何も、大人になったからこそじゃないですかー」


 確かに、一理あると頷いてしまう自分がどうにもバカらしい。

 なんとか平然を装いつつもケラケラ笑う藍沢をこつく。

 そんな仕草も無性に懐かしく感じた。


「お前もそういうのはネット上だけにしとけ、爆裂堕天使サンよ」

「はーっい」


 子供のようにはしゃぐ藍沢は幼く感じた。

 見た目は随分と大人びたというのに俺たちのやり取りはあの部室でかわしたものとなんら変わってない。

 歳をとったのは事実でも、早々中身は変わるものではないらしい。

 変わっていないというのであればそれはそれで困りものなんだが。


「んじゃな、路線、別だろ?」

「そっすね?」


 余計なことを言ってしまわないうちに改札へと向かい、結局俺は逃げの一手ばかりだと呆れる他ない。

 ちらりと振り返ると藍沢は俺を見送るようにその場で待っていて、目があうと手を振ってくる。


 ーーマジでガキじゃねーか。


 呆れつつ、小さく振り返す。


 こそばゆい、良い歳をして何してんだか知らないが、悪い気はしなかった。

 この気持ちに嘘はない。恐らく勘違いでもなんでもなく俺は未だに彼奴のことを引きずっている。

 けれど、それは所詮「過去の想い」であって、たまたまここで再会したからと言って再発するようなもんじゃない。


 いや、ものであってはならない。


 何も変わっていないというのであれば尚更、恐らく俺は、また、彼奴を傷つけることになってしまうのだから。


「……バカだよなぁー……?」


 成長したのは図体だけで本質的なことが一切変わってない。

 そんなもんなのかと諦めるべきか、それとも人は変わるべきなのだと殻を破るべきなのか。

 めまぐるしく仕事にばかりかまけていたせいで、人間的な成長を置き去りにしてきたつけを嫌という程に味わっていた。


 そんなこと、悩みたくもねーんだけどな。バカみてーだし。


 だって、ほんとガキみたいだと思うから。

 肝心なところをぼかして迂回して、気がついてるくせに見えないふりして。

 どうするつもりもないって決めてんなら最初から振り払えばいいものをダラダラと未練がましく、女々しい。


 そう、答えは出ている。


 どうするつもりもなく、俺は。


「……ぁ……?」


 珍しく。滅多に通知など来るはずのない携帯がポケットで震えた。

 表示されていたのは藍沢ひとえの名前。通知画面に短く書かれていた言葉は、


「…………ばっかじゃねーの」


 俺の心を揺さぶるには十分だった。



 私も、あの頃のままですよ?



 そんな甘いセリフは開かずにカバンの中にしまっておく。

 ズルいというなら言えばいい。

 最低だと罵るならそれでいい。

 向き合うことも、受け止めることも、やはり俺には荷が重すぎる。


 駅のホームへに到着するとともに電車が滑り込んで来ると反対側から乗客が降り、時間差でこちら側の扉が開く。

 比較的ゆったりと、それほど多くもない乗客が車両へと乗り込みはじめ、それに続いた俺を待ち受けていたものは、


「ーーお帰りなさい、おにーさん?」


 沈みかけの夕日のような笑顔を浮かべた女子高生で。


「カバン、受け取りに来ましたっ」


 俺に向かって手を差し伸ばして来た。

 まるでそれは、使い古された映画の1シーンのようで。


「ほらよ」


 流れるように、俺はカバンを返す。


「どもっ」


 儚く笑う、柚乃の元へ。


 反対側の扉が閉まる直前にそいつは腰を上げ、駅のホームへと降り立つ。

 リズミカルに、小さく、ステップを踏むようにして、降り立った。


 閉まる扉、見つめる視線。


 改札へと向かう人がほとんどいなくなったホームでこちらを見ていた柚乃だったがしばらくし、発車を告げるアナウンスが流れ出す頃には向きを変え、


「いままでありがとうございましたっーー」


 姿を消した。


「っ……!」


 閉まる扉。


 動き出す車両。


 流れていく景色の中にその姿を探し、ーーしかし見つけることはできない。

 駅のホームは遠ざかり、地下を抜けると地上へ。

 夕日に染まった街並みを駆け抜ける電車の音が軽快で、差し込んで来た光が眩しくて目を細めた。


「……アホか……」


 篠崎柚乃との別れだった。

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