第2話 憂鬱なる通勤に磨きをかけて

 都心に住んでいてこれを好きだという奴はかなり少数派だと俺は思っている。


 憂鬱を通り越してただただ不快でしかなく、これから長い労働の1日が始まるというのにどうしてそれ以前にこれ程までの仕打ちを受けねばいけないのかと甚だ疑問であり、なんでこんなことをしてまで会社に行かなければいけないのか本当に意味がわからない。


 というか、各々それなりに理由はあるんだろうけど、もう会社辞めちまえよって本気で思う。少なくとも俺はもう辞めたい、今すぐ引き返して「うへぇー!」ってベットに寝転がりたい。


 それほどまでに満員電車というものは地獄であり、棺桶だった。


 このまま電車が急停止してくれたらいっそ楽になれるだろうか。いや、安全確認だとかでしばらく停車して拷問の時間が伸びるだけだ。


「ぅっ……ぐぅ……」


 思わず呻き声がこぼれ、隣でおっさんに咳き込まれる。いやいや、きついのお互い様だから。「こっちくんな」じゃねーよ、俺だって密着したくてしてるわけじゃねーんだしッ……。


 パーソナルスペース? なにそれ状態でさっきから揺れるたびに右手に持ったカバンが何処かに行ってしまいそうで必死だった。左手は吊り輪、掴むところがあるだけマシの乗車率250%。人が人を挟んで持ち上げているような状態だし、身長の低い奴は呼吸できているのかさえ不明だ。


 とにかく息苦しい、とにかく体の自由が効かない。


 田舎から出てきて一番驚いたのは人口密度の高さだ。ヒト一人に割り当てられる場所があまりにも狭すぎる。むしろヒト一人のスペースに3人分詰め込まれているようなものだ。ほんとありえねェ。


「はぁ……」


 ありえねぇのは肉体的な不快感だけでも無い。


「(どうかしたんですか?)」


 ほぼ密着した状態、上目遣いで見上げてくるコイツだ。


「(どうもこーもねーよ、何でそこに陣取ってんだ。始発駅から乗ってんなら座れんだろ)」

「(ご自身の立場を自覚していただこうかと思いまして)」

「…………」


 昨日の夜、『事故で』お尻を触ってしまった俺は痴漢冤罪を免罪符にこの女子高生に弱みを握られ、『協力』させられることになってしまった。有無を言わせず、断れば『突き出す』とまで言われてしまってもうどうすることもできない。

 悪意はないと事前に言われていたのだが、そもそも何をさせられるのかも説明されておらず、不安は募る一方だ。


「(そんな警戒しなくていいのにー)」

「むぅ……」


 そして何よりも『コレ』だ。


 目の前で密着してくる女子高生の唇は先ほどから1ミリも動いてはいない。正しくは楽しげに笑みを浮かべるだけで言葉を紡いではいなかった。


「(そろそろ慣れて来た頃でしょう?)」

「(慣れてたまるかよ)」


 脳内に直接語りかけてくる其れは、まさしくテレパシーとかいう超能力の類で、実際に経験して見るまでは全く無縁だった「超常的な現象」だった。


「(まさか超能力者が実在したとはな……)」

「(驚きました? とは言っても私も他に使える人は出会ったことないんですけど)」

「(そりゃそーだろう)」


 んなもん実在したとなりゃ大騒ぎだ。世紀の大発見、人類のターニングポイントになりかねん。良くて詐欺師、悪くて研究材料が関の山だろう。

 ポンポン周りで物が浮いたりテレポートしたりする奴らが現れない限りはマイノリティもいいとこだ。まさか女子高生の皮を被った宇宙人とかじゃねーだろうな。


「(そんな変態趣味の宇宙人さんいますかね)」

「(擬態するにしてももっとマシなの選ぶわな)」

「(制服が魅力的でないとでもおっしゃいますか!?)」

「(いやいや、そういう話じゃなくて)」


 何で俺は朝っぱらから超能力少女と脳内会話しなきゃなんねーんだ……。

 一周回って俺の頭がおかしくなったって言われた方がまだ納得だ。全部俺の妄想。アテレコ。奇妙な偶然の積み重なりでこいつは超能力なんて使ってない。


「(いえ、使ってますけど)」

「(人の心を読むな、そして体を寄せてくるな)」


 心を読まれているというのであればそれ以上の密着は危険すぎる。会話を続けることでいつの間にか警戒心が和らぎ、自制心うんぬんなんて部分にまで落ち着いて来てる。このまま10歳近く歳が離れているとはいえ、制服姿の女の子と0距離通勤となればーー、


「ぅ」


 良からぬことが頭の中をよぎるのは仕方のないことだった。


「(良からぬことを考えましたね?)」

「(考えてねーよ……)」

「(では考えたことを考えてみてください)」

「(やめろっ!)」


 なんだその誘導尋問はッ。

 頭の中を読めるっていうならもう一発でアウトじゃねーか!!


「(つか、そんな能力あるならあのおっさんだってどうにかできたんじゃねーのかっ?!)」


 つまるところ、痴漢されているのでは、と考えた俺の考えは正解だったらしく。俺がこいつの尻を掴む以前におっさんに尻を触られていたらしい。

 そこでテレパシーを使って助けてくれる人を探していたのだというのだが……、


「(いやいや、痴漢するような人が人の言うこと聞いてくれると思いますか? あの人、頭の中にどんなイメージ送り込もうが完全無視。もう目の前のことすら見えていないような状態だったんですから!)」

「(あー……なるほどなぁー……)」


 ダメ、絶対! なんて標語のポスターを貼られていたって犯罪を犯す奴は犯す。

 社会的な抑制を振り切って己の欲がままに行動する奴ってのは何処かでブレーキが壊れてるんだろう。ようは頭の中がちょっとおかしい、と。


「(だからおにーさんは平気ですよねー?)」


 むふふーと可愛らしくムカつく顔。

 男はもれなく犯罪者予備軍だって? ふざけんなっ!

 そう豪語する俺は絶対に一線を踏み外したりはしない。する訳には行かない。だってそうだろ、例え目の前に女子高生がいて、満員電車で密着していて、身動きが取れなかったとしてもーー、


「………………」


 ごくり。


「(いやいやねーっから!! んなわけねーからっ!!)」


 必死に考えを振り払う俺を見ては人の頭の中でけらけらと笑う女子高生。


「(おにーさんてほんと面白いですよねぇー)」


 完全に他人事だ。

 誰のせいでこんなことになっているとも知らず。


「(いえいえ自覚していますし感謝していますよ? ほんと怖かったですし、怖くて声も出ないって本当だったんだなぁって思いましたもん)」


 そう告げる顔に嘘はなさそうだった。

 どこまで信用していいものか分からないが少なくとも俺をハメようという気はないらしい。

 いや、ないと思いたい。保身の為に。


「うぐぅっ……?!」


 車両が停車し、乗り込んでくる人々に押されながらますます反対側の扉へ流される。


 乗車率半端ねぇ……!!


 カバンを手放さないようにするだけでせいいっぱいで吊り輪を掴む手が離れてしまった。


 発車間際のベルに駆け込む人々の気配。まだ押す。まだ押してくるッーー。


 どうにか目の前の女子高生とはこれ以上密着したくはなくて堪えていたのだが「ふんっ」と駄目押しと言わんばかりに後ろから押し込まれ、「うぎっ……?!」思いっきりバランスを崩した。


 鳴り響く扉が閉まりますのアナウンス。


 動き出す、電車。


「(わ……わりぃ……)」


 もはや奴隷船といっても過言ではないレベルで詰め込まれた俺たちはかつてないほどに一つとなり、


「んぅっ……」


 女子高生の柔らかいやら細いやらの身体は俺の脇とか股の間とかに差し込まれている。


 ーー平常心、平常シンッ……!!


 無我の境地、思考ではないもっと崇高なる部分での思考……!!


 座禅を組むように意識を体の外へ押しやり、幽体離脱でもするかのようにところてん状態だ。


「んぁっ……」

「っ……」


 変な声を出すな変な声をォ……!!


「(すみません、ちょっと苦しくて)」

「(わかってる、わかってるけど……!!)」


 これじゃマジで痴漢と間違えられてもおかしくない。冤罪? いや、勘違いだっ……! こんな状態でガチの痴漢とそうじゃない奴の区別がつくなんて思えない……!! ていうか、こんな状態で痴漢とかすんなよ!! 極限状態なんだよこっちは!!


「(なにがですか?)」

「(色々だ!!!)」


 尊厳とか、社会的地位とかプライドだっ!!


「(尊厳とプライドっておんなじ意味では)」

「(微妙にちげーよ!)」


 詳しくはグーグル先生にでも聞いてくれッ……!


 言って聞かせる余裕はない。しかし、むしろその違いも考えることで余計なことを頭の中から押し出せるのではないかと思ってちょっと考えてみる。

 尊厳とプライド。己自身の保身と社会的地位ーー。


「(なるほどなるほど)」

「(いまの説明でわかったのかよ……)」

「(思考の流れを読めばなんとなく。ぼんやりとですけど)」


 すげーな超能力……。テストの時に使えれば満点じゃねーか。


「(そんなことしても実戦で使えなきゃ意味ないんですけどね)」

「(それもそうか)」


 例え手元に情報の海と繋がっている端末を持っていたとしても頭の中にインプットされているものと、そこから取り出してくるものでは性質が違う。

 言い得て妙だが知っている事と知る事ができることは全くの別物だ。どちらが良いという話でもないんだろうが。


「(落ち着いてきました?)」

「(なんとかな……)」


 余計なことを考える事で沈静化を計るとは、どっかの神父みてーだ。漫画の中じゃ素数を数えてたんだっけな。1、2、3、5、7……なるほど、便利だ。素数を数えるの、悟りがひらけそうになってくる。


「(わたし的には帰って来てほしいんですけど)」

「(あ、悪い)」


 いや、悪くないか。


 反射的に謝ってしまったが別段なにも悪くない。こちとら憂鬱な1日の始まりで、ここから一日仕事漬けだ。なのに朝からこんなストレスを浴びせられて、胃に穴が空いたらどうしてくれるんだ。

 それでも会社は休めないんだぞッ……!


 悲しいかな、ブラック企業一歩手前の通常業務である。

 どうして社会はこんなにサラリーマンに厳しいのか。楽しているやつは誰なんだ。代わってくれなくていいから少しだけ恩恵を分け与えてくれ。


「(大変ですねー、社会人は)」

「(そう思うなら少しは羨め)」

「(ですが学生とてそこそこ忙しいのです!)」

「(だろーなー)」


 俺がこいつぐらいの歳の時は早く卒業して自由になりたいと思ったもんだ。いやはや、人はいつでもふこーですねー。しっあわせはー、何処にあるんだ……(絶望)。

 ガタンゴトン、と相変わらず車両は揺れ続け、そろそろ目的地につくはずだった。

 そうなればこの拷問からも解放、もとい脱出する事ができる。そう思えばこそ意識の外に追い出して居られた事が再び気になってくるというもので。


「(ぅっ……)」


 女子高生にしては胸部あたりの膨らみがなんとも絶妙というか、ガキだと割り切れないほどには主張して来ていてそもそも20代も後半に入ったあたりから「なんで女子高生ってあんなに人気なんだろう。ガキじゃねーか」とか「ああ、女子高生が人気なんじゃなくて制服を着ている女子高生が人気なんだ」とか悟り始めていたのに、現実はなんとも無情だ。


 気にしたら負けだと思えば思うほどに意識してしまう。


「(えっち)」

「(いやいやいやいや!!)」


 不可抗力だろう今のはっ!!


 というか、ここ数年仕事が忙しくて恋人を作る暇もなかったし、出来る気配もなかったわけで久しぶりの感触にココロオドルというか刺激されてしまったとしてもなんら不思議ではないわけでっ……!

 言い訳を重ねるごとにズブズブと沼にハマって行ってしまっている気がしないでもないが、頭の中を覗かれているというのなら喰らえ情報の渦!!

 過多すぎる言語の海でもって一層のこそ全てを洗い流してやる……!!


「(そんな事しなくても平気ですよ。分かってて声かけたんですから)」

「(は?)」


 むふむふと何だか楽しそうな笑顔をどう受け取るべきなのか分からず、顔をしかめる。

 俺の考えを読めているというのなら敢えてそういう疑問に答えずにいるという事だ。はぐらかされているというよりも焦らされているという感じがして気分は良くない。


 そうこうしているうちに電車は駅のホームへと入り込み、減速する。


 終点で扉は順を追って左右、両側が共に開かれ詰め込まれていた乗客たちは各々の目的地へと向かって降りていく。

 そして俺とその女子高生も流れに乗るようにしてホームへと降り立つ。

 自分の両足でしっかりと地面を踏める安堵感、そして息苦しさからの開放感から「ふぅ」ととりあえず一息つく。本当にこれは……寿命を縮めているとしか思えない。


 しかしそんな俺を差し置いてあの女子高生は先に進み、


「(お兄さんのえっちな妄想を私に見せてくださいっ)」


 顔だけで振り返るようにして俺に微笑みかけた。


「は、はぁっ……?」


 実に嬉しそうに告げられた言葉に思わず声を発してしまい、周囲の人たちがあからさまに訝しがる。だがそんな事を気にしている場合でもなかった。思わず足を止めた俺を置いてそいつは人混みに紛れて離れて行き、


「(えっちな妄想ーー、楽しみにしてますからねっ)」


 あまりにも子供じみた、ーーいや、まだ子供なんだろうが、……ただただ無邪気な笑みを浮かべて人波の中へと消えて行った。


「……おいおいおい……意味わかんねーぞ、それ……」


 朝の通勤時間。出勤時間の事もあったが人の目がある中で女子高生を追う気にもなれず、昨日の夜に引き続き意味がわからないまま歩き始めた。


 普段とはまた違った疲労感が全身に伸し掛かり、まるで徹夜明けの朝のようだ。

 しっかりと睡眠はとっていたはずなのにこのまま一日乗り切れるとは思えなかった。いや、悲しいかな。企業に属する社会人はなんとかかんとか体に鞭を打ってでも乗り切るしかないのだが……。


「はー……憂鬱だー……」


 明日はもう一本電車を早めるか遅くしてあの女子高生から逃げよう。一体何の目的があってのことかは知らないが構ってられない。


 そう心に決めた。


 その時はまだ、帰りの電車でも一緒になるとは知らずに。

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