第3話 今、想像しましたね?

「(座りますか?)」


 停車中の電車に乗り込んで来た俺に飛び込んで来た言葉はそれだった。


 生憎タイミングが悪く、座席は一様に埋まっており既に扉の横に立っている人が出ているような状況だ。

 一本遅らせて確実に座って帰るべきかーー、そう思った矢先、その言葉と共に女子高生の姿が目に入った。


「(またお前か……)」

「(自己紹介がまだでしたねっ、篠崎柚乃っていいます!)」

「(へいへい)」


 電車を降りようかと思って引き返そうとしたが足の裏が床に引っ付いたみたいに動かず、ぐいっと足首から捩れるにとどまる。


「(……おぃ……)」

「(逃げないでくださいよー、折角待ってたのにー)」

「(はぁ……?)」


 待ってた? 俺をか……?


 そこまでする理由も思いつかないが既に時計は9時を回っている。

 授業が終わって部活に入っていたとしても遅すぎる時間だろう。


 だとしたら、ずっと待っていたのか? 俺が現れるまで……?


「(いえいえ、お兄さんがこの時間、この車両に乗るのはわかってましたからタイミングを合わせただけです! それまでは所用を)」

「(所用ねぇ……?)」


 今時の女子コーセーが何をしているのかは知らないが、その好意(なのかは分からないが随分と待たせたことには変わりない)を無下には出来ず、渋々と彼女の目の前に立ち、吊り輪に掴まった。


 昨日よりかはまだ早い時間だし、そう電車も混まないだろう。

 グイグイとおしくらまんじゅうは朝だけで結構だ。

 できれば朝に出くわすのも遠慮したいが。


「(何はともあれ、お疲れ様ですっ。ーーで、座りますか?)」


 トントンっとカバンとスカート越しの太ももを叩く篠崎なんとか。

 バカにしているとしか思えず「ケッ」と吐き捨てるに終わる。

 膝に座るだなんてどんな羞恥プレイだよ。それこそ一発でアウトだろ。超能力とやらでどうにかしたとしても。


「(篠崎柚乃ですよー)」

「(覚える気はねーよ、篠崎なんとか)」


 不服そうに頬を膨らませる様子はそこそこ可愛いとは思うがなんせテレパシーで話しかけてくるバカだ。電波を受信するどころか送受信しているとなればお近づきになどなりたくない。


「(逃がしませんけどねっ)」


 向こうはノリノリだが。


「(第一なんで俺なんだよ。他にも手頃なのはいるだろう)」


 大都会東京には掃いて捨てるほどの男がいる。こいつのいう「えっちな妄想」なんざちょいとつついてやれば誰でもホイホイ浮かべてくれるだろう。それこそ、天下の女子高生様とあれば容易だ。


 やっぱり何か企んでるのかこいつ。


 それにしたって俺を選んだ理由もよくわからん。給料にしたって安くもなけりゃ高くもない所謂平凡的なラインだ。

 福利厚生がもーちょっと手厚くて、お腹痛いから会社休みます、はい、良いですよ、ぐらいのノリだとより助かるんだがそれは望み過ぎってもんで俺が働いているのは身の丈に合った、掃いて捨てるほどある会社だ。俺が貰える給料なんてタカが知れていて、つまるところ金はない。


 そんなことは身なりを見りゃ一目瞭然なはずなんだが。


「(なにやらごちゃごちゃ考えていらっしゃいますけど、私だって誰でもいいってわけではないんですよ?)」


 むーっと不満を隠そうとせず、上目遣いに口を尖らせる。

 周囲から見れば無言で見つめ合ってるバカップルに見えない事もないが、……見えて兄妹だな。こんな妹、欲しくもないが。


「(仮にもお兄さんは私を助けてくださいましたし、何より『あれだけ密着させても』なにもしてこなかったじゃないですかっ。つまり合格です! 基準を満たしていたんです!)」


 わーっ! と謎の花火が打ち上がるイメージ。


 いや、これどうなってんだ。俺の頭の中に映像送り込まれて来てんのか? すげーな超能力、なんでもありじゃねーか。


「(だからお兄さんを選んだ。あーゆーおーけー?)」

「(ノットウェルカムだバカ野郎。良い迷惑なんだよ)」

「(通勤の合間に女子高生とお話ししてくださいってお願いしてるだけじゃないですか)」

「(生憎女子高生は守備範囲外でな。嬉しくもなんともねーよ)」

「(ふーん……?)」

「…………」


 上目遣いの角度を変え、ちょこんちょこんとつま先で人の足をつついてくる。

 いや、そんな事されてもなんとも思わねーし興味ないって言ってんだろ。


 口に出す必要もなく、欝陶しいと言わんばかりに撥ね除ける。これと言った変化を見せなかったことが不満だったのかそれともこうなることは見越していたのか、元の位置に収まると視線を逸らし、閉まりかけていた扉に目をやった。


「……?」


 突然黙られると先ほどまで会話が続いていたぶん急に不安になる。

 なにを見ているのか分からなかったが視線を追っていると突然、


「(私いま、下着つけていないんですよ)」

「ぶッ……はっゴホンゴホンッ」


 思わず吹き出した。動き始めた電車の音に誤魔化しつつ咳払いし、


「(嘘つくな)」


 睨みつけた。


「(嘘ですよーっ? けど、想像しましたねーっ?)」

「っ……」


 不覚にも一瞬イメージしてしまった俺を小一時間叱りつけたい。

 しかしこれも男のサガ。男に生まれた以上、おそらくはどうしようもないのだろう。本能に刻み込まれた生存本能。自分の遺伝子を残すためのなんとやらだ。


「(私はお兄さんのそういう想像が見て見たいんです! 想像というよりも妄想? もうぐっちょぐちょでえっちなの見せてください!)」

「(お前は変態なのか……、まさか自分から痴漢されに行ったとかじゃないだろうな……)」


 ここまでくるとタダのバカを通り越して痴女説まで出てくる。女子高生の皮を被ったとんでもないモンスターだ。

 都市伝説レベルのゴシップ誌にでも書かれている妄言ライターのたわ言のようだった。


 しかしながら本人は実に真剣で、電車に揺られながら目を釣り上げて抗議してくる。


「(私は変態ではありません。ましてや痴漢なんてされたくもっ)」


 うううっと想像しただけで寒気がしたのか肩を震わせてみせるが、それはあまりにも大袈裟や過ぎないか……?


 ここで何かいっても仕方がないだろうし静観することにする。もっとも、こんな考えも読まれてるんだろうが。


「(お兄さんは散々憶測を立ててくださってますけど私は超能力があるだけの普通の女子高生ですし、やっぱり女の子なんですよ。だからやはり男性には敵わないと言いますか、リアリティがありすぎて地に足がついてしまうと言いますか……)」


 もじもじと体をくねらせて一体俺はなんの話をされているんだ。

 隣に座っているお姉さんは熟睡しているようなので良いが、なにも知らない人から見たら本当に危ない奴だぞ。

 そのことを分っているのかいないのか、そもそも自分の世界に夢中になっているのか分からないが俺の忠告には一切聞く耳は持たず、彼女はただ語り続ける。


「(えっちな妄想はやはり男の人に頼るのが一番だと思ったんです!)」


 否、ぶっちゃけ続ける。


「(いやいや……思春期の好奇心ってこえーなー……)」

「(違いますよぉ! これもあれも創作の為なんです!)」

「(創作ぅ……?)」


 いたって真剣に目を輝かせて言われるがピンとこない。

 創作ってなんだ。芸術家か何かなのかこいつは。

 とてもじゃないがそういう風には一切見えない。

 イマドキの女子高生ってわけでもないし内気で友達がいないようにも見えない。校則をそこそこ守りつつもハメを外すときは外す、そういうなんていうか「普通」の女子高生だ。


 そんな奴の口から「そうさく」なんて言葉が飛び出して来たこと自体意味不明だし、そもそも「創作」なのか「捜索」なのかも曖昧だった。

 なんとなく前者だと受け取ったが誰かを探している可能性だってある。


「(それはないです)」


 それはなかった。


 とにかく、意味不明なのには変わりない。


「(協力して欲しいのなら分かるように話せ)」


 こちとら仕事で疲れてできれば無心で帰宅したいんだ。

 仕事終わりにおんにゃのことトークでワショーイを決め込む人種とは違う。

 帰り道のスーパーで半額の弁当かあわよくば寿司を買って、ビールはこらえ、あっつあつの緑茶で一息つきたい。許されることなら湯船につかって鼻歌交じりに一日の疲れを癒したいのだ。

 生憎一人暮らしを始めてからはずっとシャワーで我慢してるんだけど。


「(そういうわけでもう話したくない)」

「(一方的ですね。まぁいいでしょう。今日がダメなら明日お話ししましょう。ノルマはクリアしましたし)」

「(ノルマ?)」


 一体なんのだ。


 電波を操る超能力少女の言うことはいちいち意味がわからん。


 そんな俺のことを楽しんでいる節があるからますます居心地が悪かった。

 女とお近づきになれただけでも幸せだ? いやいや俺にだって相手を選ぶ権利はある。

 少なくともこんな得体の知れないガキとどうにかなること自体、不運の何物でもない。


 停車駅につき、ぞろぞろと人が降りては乗り込んでくる。

 やはり昨日とは違ってそれほど混んではいない。隙を狙えば椅子にも座れそうなものだが、


「……っとに……」

「んふふ」


 なにを思ったのかこのガキ、また人の足を固定して動けなくしてやがる。

 なんなんだ超能力って、イタズラ目的で使っていいものなのか?


「(いいんですよっ、私に許された神からの特権です!)」

「(じゃあ俺は神に見放されたんだなぁ、きっと……)」


 会社じゃ納期の差し迫った仕事を割り振られ、あーだこーだと仕様変更に付き合った挙げ句、「最初のままでいいそうだ」だなんて、禿げろッ。あの課長の頭、禿げちまえばいいのに!!


「(人の不幸を願うなんてそんなんだから神様に嫌われるですー)」

「(嫌われてることは確定なのかよ)」


 別段好かれてるとは思ってねーけどよ。


「はァ……」


 まだ学生の頃はそれなりに楽しかったのになーと制服姿を見ていると思う。

 勉強だ部活だって進路やそれなりに悩みもあったがそれでも今よりかは随分マシに思える。

 多分、悩みの本質が変わったんだ。昔は良くも悪くも自分のことで悩んでた。将来のこととか、友人関係だとか、直接的だった。なのに今は言われるがまま、命令されるがままに振り回されて、……疲れてる。


 こんな人生でいいのかなぁ……?


 いや、いいんだろうな。

 それが生きるって事だろうし、大人はみんな諦めて受け入れてんだ。


「(悲観的ですねー)」

「(大人はみんなそんなもんなんだよ)」


 ガキにゃわかんねーだろうけどな、と付け加えておく。

 見なくても分かるが不満そうに頬を膨らませていた。

 そー言うところがガキなんだよ、と不覚にも少し頬が緩み、それを誤魔化すように流れていく景色に目を戻した。

 真っ暗な住宅街で明かりが流れていって、もうじきひらけた区間に出る。

 快速に乗ればあっという間の帰宅時間、だ。


「(もうじき最寄り駅だから一応聞いとくけど、お前はなんなんだ。なに企んでんだ)」


 ただの出来心でこんな時間まで人を待っているとは思えなかった。だとすれば俺に用事があるのは本当なのだろう。


 妄想? エロいことを考えさせて、それを見て見たいから?

 なんのために。

 俺からしたらただの羞恥プレイで変態じゃねーか。


 冷静に考えてもやはり意味がわからん。適当なことを言って弄ばれているとしか思えなかった。


 しかしそいつは、


「(それが全てですよっ?)」


 首を傾げて微笑んで見せた。


「(お兄さんのえっちな妄想、見せてください。ーー全ては私の漫画の為に)」


 理解しかねる情報を折り重ねて、そう、微笑んだんだ。

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