<ゆみかクライシス>~戦弥一夜のシェエラザードⅡ~







 物語とは、人がそれを読んで感動することで何かを学ぶためのものである。


 いや、そうではない。 ただ一時の安らぎと娯楽、それだけが物語の本質だ。


 知識階級の愉しみであった小説などの読物が一般大衆に浸透していくうえで、創作者達の姿勢として上がった議論の一つだ。


 当然、どちらが正しいというわけではなく、それはどちらも正しく物語の愉しみ方をを表している。


 小説などの活字媒体が生まれる前の中世では、日本の町人などの特別な例を除いて、文字は征服階級であった軍人達と宗教関係者が実務の為に使うもので、娯楽としての物語は言葉で語られるものだったが、その物語群、昔話の類は日常生活では伝えきれない教訓を親が子に伝えるためにあると同時に、娯楽の少ない時代の楽しみでもあった。


 やがて紙媒体が広く普及した現在のイギリスとユーロを中心に、小説が裕福な人間達の間で娯楽として広がっていく過程で、富裕者層とほぼ同義だった知識層が無知な成金の中産層に様々な教訓を伝えるための意味を持つことになる。


 要するに西洋ではかつて物語とは、知識層には人がそれを読んで感動することで心を豊かに育てるためのものであり。


 成金の中産層にはつかの間の息抜きに一時の安らぎと娯楽を与えるものでそれ以上を望むのは贅沢なものでもあったという話だ。


 だが、それは今は昔の物語。


 今では、それは贅沢ではなく単なる嗜好の問題にすぎなくなった。


 現在は、その両方を望める裕福さを多くの国が持つようになり、かつての富裕者層の生活レベルが、先進国と自らを呼ぶ強国群で、庶民層にまで広がったからだ。


 そうなると、どうせなら多くの愉しみを得たいという好奇心と向上心を持つか、努力によって物語の読み方である論理的思考を身に着けるより安易な楽しみのみで満足することに留めておけばいいと自堕落に考えるかの違いでしかなくなる。


 性的嗜好に例えるならば、同性も相手にできる人間は趣味が広い人間だが、同性しか相手にできない人間は病気でしかないということだ。


 もちろん病気の人間を差別することが間違っているように、能力が劣っている人間を蔑むのは‘下種脳’の価値観で認めてはならない。


 心を豊かに育てるために物語を読む人間は、その読解力の高さから一時の安らぎと娯楽を与えるものの楽しみ方と感動により自らの感性や知見を広げる愉しみ方の二つを得ることができる。


 だが、そうでない人間は感情を揺り起こすものとしての楽しみしか物語から得ることはできないというだけの話でしかないのだ。


 これは、楽しみでさえ努力を必要としない成果など些細なものでしかないという端的な事実を表している。


 そう、べつに努力が尊いというわけではなくそれは一つの法則でしかない。


 努力が尊いかどうかは、何の目的のための努力かで決まるものだ。


 人を陥れ、奪い、嘲笑い、殺す為の努力を尊いなどとは、とうてい言えない。


 では護るための努力は?


 と次に問われたなら、深く考えない人間は尊いと答えるだろう。


 だが、何を誰から護るのかを考えなければ、そう断言してはいけない。


 汚職政治家が自分の身を護るための努力が、尊いわけがないからだ。


 つまり、よく努力する人間をたいした努力をしない人間の上に置くことが正しいとは限らないというわけだ。


 努力もまた他の多くの力と同じくベクトルを持ち、絶対値の大きさを第一に考えてはいけない。


 では、オレがこれからしようということはどうなのだろう?



 ポニーテールというにはいささかボリュームのありすぎるライトブラウンの髪が、揺れながら舞い踊るさまを見ながら、オレはそれを考えていた。


 宿舎の中庭へと足を運んだオレとユミカが組み手を初めて数分が経過していた。


 プールやテニスコートが幾つもある一流ホテルの中庭ほどの広さに、人口の森と芝生に似てそれよりもずっと柔らかな緑の絨毯が敷き詰められたいくつかの広場だけが並ぶ庭は、人目に触れずに修練をするにはもってこいの場所だ。


 周りを森に囲まれた庭の中心部でオレ達は十数メートル四方ほどの広場を縦横無尽に駆け巡りながらお互いに技をくりだしていた。


 袈裟切りに内廻しで切り下ろしてくる足刀をかわすと降り立ったその足が軸となり続けざまにもう片方の足が外廻しでそしてそれもかわせば降り立った足が軸となり後ろ廻し蹴りへと繋がる、スキルでいうなら‘二連脚’から‘旋風脚’のコンボを全てやり過ごしオレは大きく少女から距離を取る。


「人間なら今のような連続技が逃げるには最適な隙になる」


 オレは言うと同時に踵へと体重をかけ、体の重心を後ろへと移す。


 それを見て間を詰めようと飛び出したユミカの懐へ、そのまま瞬歩や縮地などと呼ばれる膝を前にだすことで進む技術で入り込んで、掌からもう何度目かの弱い‘気’を撃った。


「はああああんっ!!」


 スタイルの良さが一目で判る金飾で彩られたあざやかな深い青のチャイナドレスそっくりの‘舞闘士の服’ごと自分の体を抱きしめ、文字通りアイドル顔負けの美貌が朱に染まり、快楽にゆがんだ。


 ひそめられた髪より少し濃い色の眉へと額から小さな汗の雫が流れ、大きく見開かれた黄金に輝く瞳からは涙の雫が零れ落ち、淡いピンク色のくちびるは半開きになってその端からとろりとした雫を溢れさせる。


 ハイスリットからのぞく黒いストッキングに包まれた脚ががくがくと震え崩れそうになった。


 そのストッキングはすでにドレスと同じ色のブーツのあたりまで、流れ落ちた雫で濡れ染みができている。


「逃げると見せて相手に攻撃を仕掛けてから逃げるというのも常套手だ」


 オレは冷静に再び間合いをとってユミカが立ち直るのを待つ。


 今、オレ達がやっているのは、ユミカがオレに触れれば勝ちとなる変則的な組み手だ。


 ユミカに触っても負けとなるためにオレは‘気’のみで相手をしている。


 ……というのは、もちろん言い訳だ。


 実際にオレがやっているのは、ミスリアにやったのと同じ暗示の下地作りだ。


 脳内の麻薬物質を垂れ流しにさせた状態での暗示という古臭すぎる手だが、催眠誘導用の薬物もなしで尋問用の深い催眠状態に持っていくには他に手がない。


 いや、正確には、これよりマシな手段をオレが持っていないだけだ。


 ‘ 下種脳 ’どもが使うこういった手段の中では、今この場では、これが一番マシな方法だ。


 脳内麻薬の分泌は苦痛や精神的衝撃でも起こるが後の影響が強すぎる。


 この方法なら後催眠暗示で、影響を最小限に抑えられる。


 人間の意識を操作できるASVRである以上、魔術の魅了などの精神操作で真実を探れればいいのだが、そのシステムを弄れる相手に情報戦となると、ハックなしで通じはしないだろう。



 女を弄ぶためではなく相手の同意を得てのこととはいえ、やっていることはセクハラ行為と何ら変わりはない。


 好き好んでやりたい話ではない。


 ‘ 下種脳 ’に毒されると、そういった妄想を好むようになり、保身を考えなければ実行を望むような‘ 下種脳 ’に成る。


 それだけはゴメンだ。


 だが、それが一番マシな状況を造り出すのが、‘ 非人脳 ’というやつらだ。


 ‘ 悪い事をして何が悪い ’と開き直って、自分を甘やかせと囁きながら。


 他人ひとをどうしようもない極限状況に追いやって共犯者を作り。


 人間など皆ただの下種なのだと、‘ 人 ’を見限らして仲間を増やそうとする。


 だから、自分の行いを、それが最悪を回避するための必要悪だとしても悪である事を忘れ、正当化してはならない。



 そんな事とも知らずに、ユミカはオレに試されていると思っているのか文句をいうことなくかかってくる。


「組み手を長くやっても意味はない。そろそろ終わりにするか」


 朦朧として宙を彷徨っていたユミカの視線が定まりかけたのを待ってそう言うと、オレは無造作に間を詰めていった。


「くっ!」


 間合いに入られる前にとユミカが荒い呼吸を整え、目の前に人差し指と中指を真っ直ぐに立てた剣指と呼ばれる印を結びヒュウという呼気とともに‘気’をオレへと切り放つ。


 仙術系スキル、‘月魄刃’。


 ‘気’を三日月状の刃と化して敵を切り裂く技だ。


 時速にして二百キロは超える速度で縦回転しながら飛来する白い三日月だが、戦いに入ることで体感時間が緩やかになった今のオレにはせいぜい初めてキャッチボールをする子供が投げるヘロヘロ球程度だ。


 進む速度を緩めず、横から掌に纏った‘気’をあてて気刃をそらすと瞬歩で間合いを詰めながら手首を返して前へ突き出しユミカの身体に触れるか触れないかの位置で‘気’を数条の縄のように放つ。


「~~~~~~っ!!!」


 ユミカは全身を痙攣させ声なき敗北の叫びをあげて身体をのけぞらせた。


 見開かれて涙を零し続けるだけで、何も見ていないブライトアンバーの瞳がくるりと裏返ってまぶたがおちた。


 オレは完全に失神して崩れ落ちる汗まみれで小刻みに痙攣し続ける身体を抱きとめ、そっと地面によこたえた。


 そして、再び‘気’を緩やかに彼女の体内へと浸入させていく。


「ん……ぁ♥」


 組み手のときのような急激な‘気’ではなく緩やかに身体を満たす‘気’がドーパミンを主体とした脳内麻薬を噴出させていく。


「あン♥ あ♥ やあぁ♥」


 オレは日本語で暗示の言葉をユミカの耳に吹き込みながら、全てが終わったあとには回復魔術を彼女にかけなければと考えていた。 



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