<ルシエラの仮説>~公統務啓のルサンチマン~



ルシエラPSYの仮説>~公統務啓のルサンチマン~








 正義は必ず勝つ。


 ある程度分別がついてくれば、子供でさえ信じない台詞だ。


 実際に勝つのは、正義ではなくいつでもそれを騙る‘下種脳’だ。


 正義とは、善性を護るためにもので、争いのためにあるのではないからだ。


 善性とは、“ 自分達の弱さを自覚した人間が、‘ 種の生存戦略 ’として選んだ世界を支える共存原理 ”であり。


 争いとは、善性という希望を認めず‘ 獣として共食いの自滅本能 ’に従った絶望を撒き散らす悪で。


 ‘ 力有る者が力無き者を服従させる暴力原理 ’だ。


 だから、争そい合うものに正義などはない。


 あるのは、悪と悪の対立。


 あるいは、必要悪と悪の対立。


 そして、必要悪と必要悪の対立だけだ。


 ‘ 下種脳 ’どもは、正義の戦いという幻想やフィクションで、それを誤魔化し、隠そうとする。


 あるいは、悪の侵略者という幻想で戦いを起こそうとする。


 あるいは、正義などどこにもないのだと、不和をばらまき、欲望を煽り、争いの種を造り出そうとする。


 それに気づき、騙された多くの子供は、ある者は傷つき、ある者はそれこそが真理だと、そこで思考を停止してしまう。


 そして‘下種脳’の作った‘力有る者が力無き者を服従させて当然’という価値観を受け入れることになる。

 

 ‘ 力有る者が力無き者を服従させる暴力原理 ’を当然とする人間の作る社会。


 そんな希望を失った社会が、“ ‘自らの力を支える為に利と争いを求める寄生虫’でしかない‘下種脳’ ”に食い荒らされ。


 その結果、多くの不幸がばら撒かれる事に、気づきもせずに、あるいは見て見ぬふりで。


 ‘ 下種脳 ’であろうという破滅への努力を、大人になることだと自分を誤魔化し。


 子供達は成長していく。


 それでもまだ‘下種脳’の価値観を受け入ない子供は、ある者は、‘下種脳’の価値観を受け入れることこそが大人になることと勘違いした周囲の人間に無智と貶められ。


 ある者は、正義を騙るものこそが真の悪だと騙る別の‘下種脳’に騙され、その価値観を受け入れる。


 それら全ての‘下種脳’への誘いに打ち克ち、大人になった者は、ある者は正面からその価値観と戦い。


 ある者は社会の中に埋もれ傷つき続けながら抗い続ける。


 ‘下種脳’となったマスコミは、そんな彼らを‘時代遅れ’や‘負け組み’‘中二病’といった‘下種脳’の価値観でつくられたレッテルを貼り、貶め。


 それでも、善性なしに人は生きていけず、心ある人々は‘ 下種脳 ’に抗い続け、未来への希望を繋いだ。



 そうして‘下種脳’達に抗う人間がネットを通じて協力しあうようになったのは、21世紀の半ばに高度な翻訳プログラムが誕生するようになってからだ。


 最近では‘ワールデェア’と呼ばれるようになった彼らの基本理念。


 それは、非組織集団による非営利の非政治的な非暴力と非権力と非闘争を手段とする統一人類思想の普及だ。


 実態を持たない故に力を持たない人々による‘下種脳’思想の排斥が、その目的となっている。


 ガンジーの非暴力非服従という意識革命が国家レベルに至らず、その根源が搾取される民族の抵抗運動というものに起因していたのに対して。


 この思想革命は搾取する側の国民から発生した為に急速な発展は見られなかった。


 しかし、数十年をかけてクリエーターと呼ばれる職業に就く人間の間で広がっていくことで、間接的な影響力は広がっている。


 その陰に“超感覚的能力”の存在があるのではと考えられたせいで、PSY狩りと呼ばれる裏の暴力が活発化したのは‘下種脳’達にとってこの活動が好ましくないものだからだろう。


 投票用紙にマークシート式で法案の是非を問えるようにすることでの民衆の直接政治参加。


 公務員の年度毎の業務監査と民衆による職権の停止を目的とした信任投票制定。


 法人や資本を持つ組織によって起こされた犯罪に資産没収や解散などの個人で言えば懲役や死刑に当たる罰則を定めた法人刑法の制定。


 法人や資本を持つ組織の資本額に応じた寿命や利益上限の設定と最低雇用人員数の規定。


 政治団体とその加盟者や公務員の就任時の財産申告と年度毎の財産監査の義務化。


 あらゆる政治献金の禁止と選挙運動の均一化による選挙の公正化。


 違反者と5親等血族の最低3期を目処とした被選挙権の停止を罰則とした選挙法制定。


 暴力による政治的解決を図りそれに賛同した政治組織と政治家と5親等血族の被選挙権の永久剥奪。


 等々の民主主義を強化し権力と富の集中を排除することで金や力による利権統治体制を否定することを目的とした具体的な法案と。



 その可決順序などを提示し、非共産主義思想と反全体主義思想による勝敗が優劣とならない自由競争を推奨する彼らを既存権力が歓迎するわけがない。


 具体的にそれを行おうとする人間は陰や裏で始末され、その事件を基にした物語がヒットすることで、思想が広がるといった循環を絶とうと‘下種脳’どもが躍起になる。


 そういった時勢の中でリアルティメィトオンラインという国際規模のオンラインゲームが果たした役割は大きかった。


 多くの人間をVRMMOに閉じ込めるという物語めいた事件が起きるのではないかと疑う程度には。


 少なくとも多くの人間が異世界に転移するなどという夢物語よりはましな推論だ。


 だが、それとオレ達が電子的に構成された仮想人格であるという仮説とならどうだろう?


 オレはそれを否定できる。


 しかし、それはオレが本当のオレだったらの話だ。


 そして、それは逆の立場でもいえるはずだった。


 その仮説をたてた彼女ルシエラが本当に彼女自身でないとしたらその彼女の仮説の根拠となるESP──いやPSY能力はあてになるものなのか?


 個人によって再現され、その実効を認識する以外に証明することのできないこの能力は、現象として科学的な証明をされた後も、その原理が解明されていないオカルト最後の砦の一つだ。


 オレは狂気の中にいるのだろうか?


 その可能性もあるとオレが認めることで、完全な狂気に陥っているわけではないことを逆説的に証明する以外にこのことを否定する材料はない。


 催眠暗示でユミカの心を暴き、探ったオレは狂気と紙一重のところにいるのだろう。


 ユミカがこの事件の黒幕に操られているというわけでなく、自分の意思でオレと行動を共にしたいと望んだように、オレはオレの意志でそれをした。


 ここで目覚める前のオレならどうだろう?


 同じようにしただろうか?


 オレはオレなのかまだ狂っていないのか?


 魔物退治の帰り道に買った生産系魔術の本を読みながら、そんな思考の迷宮に入りかけたときにノックの音がした。


 壁の時計を見れば時刻は午前2時すぎ、来客を招き入れるような時間ではない


 それでもドアを開けると、そこに立っていたのはアルビノのような髪と瞳を持つ女。


 ロシアの魔女と大地の女神の名を冠するフォトモデル体形の東欧美女ルシエラだった。


 オレに狂気の片鱗を見せてくれた女だ。

 

「少し話したいことがあるんだがいいだろうか?」


 どこか物憂げな、寂びを含んだメゾソプラノが響き、最高級のルビーのような瞳がオレを見据える。


 男口調とは真逆の胸元や背中に脚をさらしたフェミニンなクリムゾンレッドのカクテルドレス風装備がメリハリのきいた美しいボディラインを強調している。


 こちらから接触しようと思っていた相手だがむこうから押しかけてくるとは思わなかった。


 これは何かの罠なのか?


 あるいは誰かがオレに心理的な揺さぶりをかけてきているのか?


「ああ。構わないよ。どうぞ入ってくれ」


 オレは急激に冷えて冴えていく意識を感じながらルシエラを部屋へと招き入れる。


 考えてみれば、この女が信じている事が誰かに植え付けられたものでないとは言い切れない。


 ‘下種脳’に吹き込まれた価値観を容易に受け入れて洗脳されてしまう人間は多いし、ましてこの状況だ。


 この女が暗示により別人格を刷り込まれていないとは限らないのだ。


 NPCの人格を刷り込まれた無数の人格の中に、自分を実在する異世界から来た人間だと信じ込んだ仮想の人格が紛れ込んでいれば、それを仮想人格だとは思い難い。

 

 そうしてその人間を通じて情報を与えられればそれをつい信じ込んでしまうものだ。


 それが、自分の存在意義などの根本的な価値観を裏付ける情報なら人は容易く洗脳されてしまう。


 そして一度洗脳された人間は信じ込まされた情報を疑うことができなくなるのだ。


 PSY能力という予想外の情報を与えられたせいで、危うくそれを忘れそうになっていた。


「お邪魔する」


 ルシエラは無表情にそう言って部屋へと入ってきた。


 深いスリットの入ったドレスから白く長い脚がのぞき一歩を踏み出すと、部屋に入りながらドアを閉めた彼女はそのまま内鍵をかける。 


 ゆっくりと流れる時間の中で鍵のおりるカチリという音が長く響いた。


 偽情報を流す場合、情報を与える相手に好意を持たせるというのは諜報戦の基本だ。


 本質を考えない人間は、嫌いな相手の言うことは正しくても信じたがらず、好意を持った相手の言うことは間違っていても信じたがるものだからだ。


 これは色仕掛けだろうか?


 そう考えながら、怪訝な顔をしてみせるとルシエラは第三者に聞かれたくない話があると答えた。

 

 これは内密の話だということを強調しているのだろうが、オレはそれに意味のないことを知っている。


 ‘思念伝達の腕輪’に盗聴デバイスが仕込まれていれば、ここでの出来事は筒抜けだ。


「それで、話というのは何かな? ずいぶん深刻そうだけど」


 深刻というよりは、無愛想に近い硬質な雰囲気を漂わせる彼女に椅子を勧めながらオレはベッドに腰をかけた。


「頼みがある」


 ルシエラは椅子に座ると単刀直入に切り出した。


「私の記憶を消して欲しい。報酬は私のすべてだ」


 どうやらこの女は、オレの虚を突くのが好きらしい。


 予想外の申し出に驚きを表さないようにしながら、オレはルシエラをただ見返していた。

 




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