<彼女はある夜突然に>~戦弥一夜のシェエラザード~







 男と生まれたからには夢を追えという言葉を、訓話めいて使いたがる人間は少なくない。


 本来は理想を追えという意味で使われる言葉なのだが。


 そう語りたがる者の多くは、‘ 自分の欲望を満たし他者を服従させる人間に成れ ’という意味でその言葉を使う。


 夢という言葉に希望を見るか欲望を見るかで‘下種脳’の価値観に侵されているかどうかが判るといったのは、とある‘ ワールデェア ’だがその解り易い例の一つだろう。


 ‘ 下種脳 ’の価値観に侵され理想と欲望の区別もつかなくなった人間は、皆が不幸にならない世界より自分の欲望が満たされる世界を望むようになる。


 それは欲望のために幸福を踏みにじる世界だ。


 最大多数が最大の欲望を満たすためと偽り、人々を服従させる世界だ。


 争いあい奪い合うための技術を磨く事を進歩と呼び、その先進に立つ事が、幸福になる事だという歪んだ理屈で造られる世界。

 

 それを夢見るのが、無能な‘ 下種脳 ’なら、‘ 非人脳 ’とならない限り、‘ 愚かな事を考えず真面目に生きろ ’と、笑い話で住む話だ。


  だが、有能な‘ 下種脳 ’になると欲望を実現する為に行動し、様々な軋轢や不幸を生み続けるのだから笑えない話だ。


 なぜなら‘ 下種脳 ’の価値観で有能であるとは効率的に結果を出すことで、そこに倫理や情の入る余地はない。


 だとすれば、その為の一番簡単な方法は地道な努力の積み重ねではなく他者を貶めその利を奪うことになる。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観で、有能な‘ 下種脳 ’ ”は、効率的に人を貶める努力を。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能な善人 ”は、人として援け合う非効率な努力を。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観で、無能な‘ 下種脳 ’ ”は、目先の欲望にただ溺れる。

 


 例えば、女達に多くの幸せを与える男は多くの慕情を得て。


 ささやかな幸福を与える男はささやかに好意を受けるだろう。


 そして男の夢はハーレムだと口先だけで語る男は女達から失笑を買うくらいですむ。


 だが、金や権力あるいは暴力を使い、力づくで女達を従わせようというならそれは不幸を撒く事になる。


 例えば、多くのものを作り出す人間は尊敬を受け。


 その手助けをしささやかな貢献をする人間はその対価を得る。


 そして、楽をして儲けたいと思うだけで努力をしない人間は身を持ち崩す。


 楽をして儲けたいと思い、金や権力あるいは暴力を使い、奪い取り騙し取り、力づくで理不尽を押し通そうとする有能さならそれは鬼畜の仕業だ。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能 な善人”より。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では有能 な‘ 下種脳 ’ ”を求めるというのは、そういうクズをのさばらせるということだ。


 責任ある立場に“ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能 ”な善人より。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では有能 な‘ 下種脳 ’ ”をつけたがる人間は、無能な味方は有能な敵より性質が悪いという殺し合いの場の論理でそれを正当化したがる。


 だが、‘ 下種脳 ’とその犬しか存在しない戦場の理を、日常に持ち込むことに意味はない。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能 な善人”が戦場に存在するなら指揮官としてあるはずがなく。


 また“ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能な善人 ”が、害となるのは、周りに“ ‘ 下種脳 ’の価値観では有能 ”な‘下種脳’が存在するときだけだからだ。


 “ ‘ 下種脳 ’の価値観では無能な、けれど人を幸福に出来る善人 ”を、責任ある立場に起き‘下種脳’を排除するならば害を起こす存在などどこにもいない。


 そうすることで多くの理不尽や不幸が消えるのは間違いないだろう。


 しかし、時に‘下種脳’が絡まなくても不幸が生まれることはある。


 では、今のオレ達はどうなのだろう。




 そんなことを考えながら、宿舎の宛がわれた部屋で日課となっている武術の型を練っているととノックの音がした。


 壁の飾り気のない時計を見ると、時刻は10時少し前だった。


 一度内部を調べたが機械式ではなくクオーツ時計に近い構造で魔動車など全てのエネルギー源となる魔結晶で動いている。


 精度もリアルティメィトオンラインの設定ではクオーツ時計並なので、間違ってはいないだろうが、一応腕時計を見ると誤差はほとんどなかった。

 

「開いてるから入ってくれ」


 オレは型を中断せずに練り続けながら声をかけた。


 型や套路といった武術の修練はどんな達人になったにせよ毎日続けねば意味がない。


 何事も継続することが大事だが特に身体を動かす技術にはそれが端的に現れる。


 人間の体の動きは、大脳からの命令を小脳の運動制御プログラムでサポートすることで行われるが、その制御プログラムはその動作を繰り返すことでインプットされる。


 そして、複雑な動きは定期的にインプットを繰り返さないと劣化し毎日繰り返せばその精度は増していくのだ。


 自動車の運転で例えるなら一度乗れるようになれば、ある程度のブランクがあっても乗れる技術は残るが、高度なコーナリング技術になると練習を怠ると直ぐに使えなくなるという話だ。


「おじゃましまーす」


 ドアを開ける音とともに、少女のはずむような、やや高めのアルトが室内に響きわたる。


 入ってきたのは、明るい栗色の長い髪を後ろで纏め上げたポニーテールと淡い琥珀色の瞳を持つ十代後半の少女。


 東洋系と西欧系のハーフのよい部分を抜き出したような可憐で美しい顔立ちと、しなやかで均整のとれた肢体に、はちきれんばかりの快活さをあふれさせたユミカ・マイヤと名乗る少女だ。 

 

 こんな時間だというのに、ディープブルーの布地の表面に金飾で描かれたように見える金属装甲の入ったハイスリットのチャイナドレスに黒いストッキングと服と同じ青地に金飾の堅いブーツ。


 どちらかといえば西欧系の美しいボディラインを描く身体を、リアルティメィトオンラインでは‘舞闘士の服’と呼ばれる装備に包んでいる。

 

 ユミカは部屋に入ると緩やかな動きから素早い動きへそして緩急をつけた動きへと移り変わる型を、もの珍しそうに見ている。


 闘気系と仙術系のスキルを使えるとはいえ、実際に武術を習っていたわけではない少女なので無理もないのだが、こうも無邪気なのは始末に困る。


 武術を命の遣り取りに使う人間は、視線を気取られるようでは生きていけない。


 攻撃の前にその意思を察知されてしまうからだ。


 女は男の視線に敏感だとよく言われるがそのレベルの読みは、熟練者が殺し合う場では通用しないのだ。


 現にユミカは、オレが型を練りながら挙動を監視していることに気づいていない。


「そんなに珍しいものでもないだろう?」


 決してヒートアップしない体の不自然さが露呈する前に型を練るのを止め、言う。


「そんなことない! スゴいです!!」


 なぜかユミカは目を輝かせて興奮したようにまくしたてた。


「学校の空手部や跆拳道なんかとぜんぜん違うし、型もそんなふうに演じるなんて知りませんでした!!」


「セリスも言っていたが、それだけ君達のいた場所は平和だったんだろうね」


 学生のスポーツと一緒にするなとか、型は練るもので、演じるものじゃないと言いたいところだが、‘渡り人’でないことになているオレが、ここでそれを言うわけにはいかない。


「これは殺し合いの為に磨かれた技術だ。知らずに済む世界で暮らせるならそれに越したことはないさ」


「でも今はそうじゃありません! 師匠改めてお願いします! あたしに戦い方を教えてください」


 決意のこもった琥珀色の瞳が光を浴びて金色に輝いて見えた。


 興奮したときにこの少女に見られる変化だがASVRはそういった些細な変化もオレが観察していれば表現力される。


 最新の量光子コンピューターと並列処理OSの力を持ってしても現実世界全てを再現するのは難しい


 だが、観察者が認識するものだけを再現する電子的洗脳技術の応用で作られたシステムが現実と仮想の区別を困難にするのだ。


「戦い方と言っても目的によって変わるから、君が望む戦い方を教えられるか解らないよ」


 オレは、真っ直ぐにユミカのその瞳を見返しながら、単刀直入に応えた。


「じゃあ、教えてくれるんですか!」


 遠まわしに教えてやると言ったと取ったのか、それともわざとそう解釈したのか、ユミカが嬉しそうに笑う。


「いや、そのままの意味だ。 君がどういう戦い方を望んでいるのか解らなければ答えられないという意味だよ」


 女馴れしていないガキならその笑顔を向けられただけで有頂天になりそうな可愛さだが、それでどうこうなるほど甘くできてはいない。


 それにこの体は魅了や魅惑といった状態異常無効の影響か色仕掛けにも滅法強くなっている。 昨日のハーレムもどきの色仕掛けでも動揺しないのだからたいしたものだ。


「どういう戦いかた……」


 何かを考えるように黙ってしまったユミカは、しばらくうつむいて考え込んでいたが何かを思いついたように顔を上げる。


「負けたくないんです。 盗賊たちに襲われたとき、あたし人と戦うのが怖かった。 あのとき屋根の上に乗ってたルヴァナーの人たちをドアが開かなくて助けにいけなかったのはホントです。でも、もしドアが開いていても助けにいけなかったんじゃないかって考えて……」


「負けないか。逃げることを視野に入れての戦い方でいいかな?」


 オレは再び言葉に詰まったユミカに選択肢の一つを提示した。


 ユミカに戦闘技術を仕込むのはいい。


 問題はユミカという少女が、やつらの手先かどうかだ。


 どういうわけかオレ達と行動を共にしたがる女たちの内、ミスリアが白なのは判っている。確かめたからだ。


 シセリスは、確かめてはいないが、おそらく白だ。


「逃げるですか? でも逃げたら守りたい人を護れない」

 

「じゃあ、人を護る戦い方か? 盾となって護る戦い方。共に逃げる為の戦い方。戦いを避ける方法。 どれも一朝一夕には身につかない技術だし、やさしく教える方法などしらないぞ」


 ユミカとシュリはグレーだ。


 心証では白だが簡単な自己暗示ができる相手なら心証などあてにならないことは経験上知りすぎるほど知っている。


 確かめることはできるが、人格を刷り込まれているミスリアやシセリスと違い、もし少女達がもとの人格ならば、できることならミスリアと同じ手段は使いたくはない。


「大丈夫! 頑張れます。 あたし、道場や高校の格闘技クラブで鍛えられましたから」


 ユミカはガッツポーズなのかファイティングポーズなのか、握りこぶしを掲げて断言する。


「だがオレの使う‘気’は特殊なのは知ってるだろう。 それでもいいのか?」


 だが、そう言った途端にそのポーズのまま固まるとユミカは顔を真っ赤に染め上げてしまった。


 これが演技でやっているのなら世紀の大女優並だが、暗示プログラムで擬似人格を上書きしているのなら容易いのだから技術の進歩というのは厄介だ。


「…………構いません」


 師匠にならと口の中で囁く声がしたが、それは聞かないことにしておいたほうがいいだろう。

 

 ユミカを含めた女たちの情動は、明らかに不審だ。


 原因を調べるのならこれは願ってもないチャンスだろう。


「……判った。それじゃ外へ行くか」


 やりたくなくてもやらなければならないことはある。


 争いや騙しあいは‘ 下種脳 ’どもの独壇場だ。


 そこに善人の立ち入る余地はない。



 オレは、ユミカの台詞に覚悟を決めて肯いた。


 

 


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