童子、三股淵の大蛇の噂を聞く

「童子様は田子たごうらみなとをご存じですか」

「田子とな? うむ。ここ吉原からすぐ目と鼻の先ではありませぬか。かの山部赤人が富士の句を詠んだ場所ですな」

「はい。その湊には深い淵があるそうです」

「おお、三股淵みつまたぶち


 田子の浦湊は、万葉集にも収められた歌、「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」でも有名な駿河の国の港だ。

 この田子の浦には、沼川ぬまかわ和田川わだがわ潤井川うるいがわという三本の河川が流れ込んでいる。三川が合流し深い淵となっている箇所が、二人が話題にしている「三股淵」である。


「はい。その三股淵とやらに、最近、性質たちの悪い大蛇おろちが住み着いたそうにございます。さらに大蛇から、"約束の期日までに生け贄を捧げねば、川を氾濫させ大難をもたらす"との宣告があったとのよし

「なんと。この天正の世になって、いまだに人身御供ひとみごくうとな?」

「はい。実はわたくし、いえ、私共は、下総の国から勧進を募りつつ京への旅をしている巫女めにございます。その道中、6人のお姉さん方と一緒にこの地へと宿を求めましたところ、大蛇の話を耳にしました。仔細しさいを尋ねると、人身御供となる女子おなごを、くじにて決めるという手筈になっているとの事。私は、"恐ろしいことだ、吉原の女子にも、とんだ災難が降りかかっているものだ" と胸を痛めつつ、その晩は休みました」


 おあじは、そこまで話すと一息をついた。意識をしてかしないでか、しきりに猫の背を撫でている。


「翌朝、目が覚めると、皆がなにやら騒いでおります。旅籠の屋根に白羽の矢が立っていたのです。すぐに村長むらおさ様と、この地を治める徳川様から派遣されたという法師様が籤を手にしてやって参りました。そして、私共の中から生贄を出すことになった、と、そう告げられたのでございます」

「なんと」

「私共にとっては、寝耳に水でございました。しかし、一番上のお姉さんが話を着け、一両日の猶予をいただいたのです。私共は、相談をしました。このまま大人しく籤を引くか、それとも、いっそのこと逃げ出してしまおうか、と。

 しかし逃げると言っても、7人もの巫女姿の女子が出歩けば、嫌でも目立ちますゆえに、出来かねます。かといって、籤による神の御差配だとしても、誰かひとりが犠牲になるというのも無体な話でございます。堂々巡りの不毛な議論が続きました。そこで私は――」


 おあじは一旦言葉を切り、一呼吸おいて続けた。


「そこで私は、自らが残ると申し出たのでございます」


「おあじ殿が自ら犠牲にとな?」

「犠牲……そうでございますね。正直な所を申し上げますと、堂々巡りを繰り返し、お姉さん方の間の空気が険悪になってゆくのに堪えられなかったのでございます。

 ましてや、私めは7人の中でも一番の若輩じゃくはい。一本立ちには程遠い半玉はんぎょくにございます。客観的にかんがみるに、犠牲になるのは私の役目であろうと考えたのです」


 おあじは真っ直ぐな目でそう言い切った。


「なんともはや。それで、姉巫女あねみこ方々かたがたは納得をされたのですか」

「いえ。そこで私は一計を案じました。この左目を、自ら突いたのでございます」

「なんと……」

「古来より神は、二つ目より一つ目のものを好むと伝え聞いております。なんでも、そのほうが神の御姿に近いとか。ゆえに、私が片目を失えば、にえとしては最適にございましょう。贄に適した者がおるのであれば、わざわざ籤で決めるまでもありませぬ。お姉さん方も、納得してくれました」


 童子は胡坐をかいて聞いていたのだが、居住まいを正してこう言った。


「おあじどの、方々は納得したのではありますまい。おあじ殿のお覚悟に敬意を表したのでございましょう。それはそうと、方々は今いずこに?」


 童子は室内をきょろきょろと見回したが、部屋にいるのは童子とあおじ、それとすっかり丸くなっている曾良ばかりである。部屋の隅に纏められている荷を見ても、神楽舞かぐらまいにでも使うのであろう鈴に、日差しや雨避けの笠、細々した旅道具を入れる振り分け荷といった旅道具は、どう見ても7人分には程遠い。


「はい。お姉さん方は、私を村長様に預け、国許くにもとへと事の次第を知らせに旅立ちました。つい先日の話でございます」

「そうでありましたか。何か伝手つてでもおありか」

「国許の神社に当り、大蛇を祓うことができる神主様を連れてくるとの事です。それまで、ゆめゆめ贄の儀式なぞ執り行わぬようにと申しつけられておりまする」

「ふむ。大蛇を祓うと」

「はい」


 そこまで話し終えると、おあじは気が楽になったのか、にっこりと微笑んで、猫を抱き上げ膝の上に置き、その喉をくすぐり始めた。猫は目をつぶり、そうされて当然といった顔をしながらも、ごろごろと喉を鳴らしている。


「そういったわけで童子様。この曾良さんは、おそらくは私を憐れみ、何くれとなく運んで来るのでございます。おわかりいただけましたでしょうか。とはいえ猫のこと。単に自慢をしに来ているだけかもしれませぬが」


 おあじは袖で口を隠すと、ふふふ、と笑った。すると、斜め刺しに焚いていた香がぽとりと落ちた。


「あら、私の話ばかりを聞いていただいているうちに、すっかり夜も更けてしまいましたね。童子様、今宵はこちらへお泊り下さい。明日になったら、元のへとお連れします。燕や鶺鴒せきれいの子の時は、元の巣を探すのに難儀しましたが、童子様でしたら自ら教えていただけますものね」

「いやいや、それには及びませぬ」

「いいえ。ご迷惑をおかけしたのです。明日、自らお帰りになるとしても、今宵は足をお安め下さい。そうだ。湯を頂いて参りますわ。童子様であれば、手桶を湯船代わりに使っていただけます事でしょう」


 おあじは、童子が制するよりも早く立ち上がると、いそいそと旅籠の奥の方へと消えて行った。


「やれやれ。これは参ったことになったぞ。関わってしまったからには、このまま帰るというわけにもいくまい。第一、妙な事が多すぎる。ううむ」


 童子は正座を崩して胡坐をかくと、腕を組んで考えた。そして猫を見ると、恨めしそうにつぶやいた。


「これ、曾良殿、おぬし、いったいどこまで解って私をここに連れてきたのだ。本当の所を教えてはくれぬものかのう」


 猫はちらりと童子を見た。しかし、何も答えず尻尾を一振りすると、それっきり丸くなって寝てしまった。

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