童子、隻眼の巫女に会う

 同じころ、吉原宿のとある旅籠はたごに、ひとりの少女が逗留とうりゅうしていた。室内にいるというのに白衣しらぎぬ緋袴ひばかまといった巫女装束に身を包み、細長い香台に香を斜め刺しに焚いている。何やら思案に暮れた様子のその顔は、巫女にしては髪短く、肩に着くか着かぬかの振り分け髪といったところ。目鼻立ちは整ってはいるものの、まだまだあどけなさが残っている。そして、その左のまなこは怪我でもしているものか、包帯で覆われていた。

 そこにくだんのキジトラの猫が、がさごそと音を立てて入ってきた。


「あら、曾良そらさん。また何か捕ってきたのですか? お気持ちは嬉しいのですが、困りましたね」


 巫女の名は、おあじ。下総の国(今の千葉県辺り)から京都へと向かう旅路の途中だが、訳あってこの地に足止めされている最中だ。

 曾良と呼ばれた猫は、自慢げに胸を反らしてしゃなりしゃなりと、おあじの目の前までゆったりと歩いてくると、ポトリと童子を落として一声鳴いた。


「アオ」


 どうだと言わんばかりにおあじを見上げる。やっと解放された童子は、やれやれといった様子でぱたぱたと一張羅の直垂ひれたれをはたき、烏帽子えぼしを拾って被り直した。

 ふと、顔を上げると、隻眼の巫女が、じっと自分を見つめている。童子は確認するように手を振って、おそるおそるといった様子で尋ねる。


「ひょっとして巫女殿、そなた、私が見えておるのか?」

「おやまあ。喋りましたわ」


 どうにも噛み合わない会話だが、互いに大いに驚いた。実はこの童子、普段はヒトに見咎められることなどめったに無い。けものや人ならざる物には認識されるようではあるが、ヒトにまじまじと見つめられるのは、とんと記憶にない。

 おあじはおあじで、このような小さき童子など見たことが無い。狐か狸に化けかされているにしても小さすぎる。しかも、小さいながらも直垂に烏帽子を身につけ、あまつさえ言葉まで発してくるとは驚きだ。


「ふむ。そうか。巫女殿のその隻眼のせいかもしれぬな」


 童子は、ひとりごちた。世に曰く、隻眼の人というものは、視界が狭まる代償に霊的な感覚が研ぎ澄まされるという。そのおかげで、両の眼では見えるはずのない姿が見えているのであろう、童子はそう結論づけた。


「見えておるのならば、名乗らねばなるまいな。巫女殿、お初にお目にかかります。私は天幸彦あまのさちひこと申します」


「まあ、これはこれはご丁寧に。私めは、おあじと申します。ごらんの通り、巫女を勤めさせていただいております」


 互いにかしこまって座りなおすと、ぺこりとお辞儀をする。傍らではそのやりとりに全く興味を失っている様子の猫が、ごろりと長くなって尻尾でぱたぱたと床板を叩いている。


「童子様、つかぬ事をお尋ねします。童子様は、の一寸法師様なのですか?」

「い……一寸(3センチ)。お言葉ですが巫女殿、私の身の丈は五寸はありますぞ。針の剣も打出の小槌も持ち合わせておらず、あるのはこの笛ばかり。彼のスクナビコナとは違いまする」

「五寸。そう言われてみればそのようですね。ちょうど線香1本分くらいかしらん。失礼いたしました。それにしても、童子様のように小さき方には、はじめてお目にかかりました」

「ははは。普段はうまく隠れおおせておるのですが、今宵は月と富士に見とれていた所、そこなる猫殿に不覚を取りました。たしか、曾良殿でしたかな」


 曾良は一瞬耳をピクリと動かしたが、相変わらず素知らぬ顔で尾を揺らしている。


「ええ。こちらの旅籠の猫だそうでございます。“アオ、アオ”と鳴きますゆえに、”そら“と名を付けたとの事。なぜか懐かれまして、逗留している間に、燕の子やら鶺鴒せきれいの子やら、はてには鼠に童子様まで。せっせと運んで来ては自慢をされているのでございます」

「なんと。鳥の子や鼠と同列に扱われていたとは……」


 童子がショックを受けていると、慌てておあじが取り繕う。


「い……いえ。それでも童子様が一番の大物でございました。曾良さんもいつもより自慢げな様子でしたよ」

「大物……ですか」

「き……きっと曾良さんは、私の身の上をあわれと思って、励ましてくれているのでございます。悪気があったわけではございませぬ。曾良さんになり代わり、私からお詫びをさせていただきます。童子様、ご迷惑をおかけしました」


 おあじは深々と頭を下げる。猫はその横で大きく口を開けて欠伸をひとつした。


「まあまあ、顔を上げて下さい。おあじ殿が謝る事ではございませぬ。所詮はのする事。ここは私も大人になって許そうではありませんか。それよりおあじ殿、”猫殿にあわれに思われる身の上”とはいったい。なにか困った事でもおありなのですか?」


 気を取り直した童子がそう尋ねる。何か答え難い事情でもあるのか、おあじは黙って新しい線香を香台に刺した。


「この香りを嗅いでいると、落ち着くのです。……そうですね、童子様にお会いしたのも何かのご縁。私の話を聞いて下さいますか」


 そう言って、おあじは訥々とつとつと話し始めた。

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