童子、大蛇の調伏に立ち会う

 翌日、朝餉あさげを終えると、おあじは童子を懐に忍ばせて旅篭を出た。


「童子様、苦しくはありませぬか」

「う……うむ。苦しくはないのだが、どうにも落ち着きませぬ」

「しばらくはこらえてくださいまし。さて、まずはどちらの方へお連れすればよろしいのでしょう」


 2人が富士山方面へと歩きだそうとすると、どこからともなく、すすっと一人の僧が道を塞ぐように出てきた。


「これはこれは、おあじ殿。いずこへお出かけかな」

宗源そうげん様! いえ、そこまで散歩に」

「さようか。――よもや、逃げ出すつもりではあるまいな」


 宗源はにこやかに笑いながらも、探るような低い声で言った。


「いえ、そのような事はいたしません」


 おあじは声を強め、きっぱりと否定する。


「これは失礼。ならば結構。も安堵するであろう。ではまた、後ほど」


 宗源は軽く会釈をすると、去っていった。おあじは悔しそうにその背中を睨んでいる。胸元で一部始終を見ていた童子は、おあじに尋ねた。


「彼の僧が、徳川殿から使わされたという法師ですかな?」

「はい。宗源様とおっしゃいます」

「ふむ。"後ほど"と申しておったが、何か約束でもおありか」

「ええ。実は人身御供の儀式に先んじて、本日、宗源様が三股淵にて大蛇の調伏ちょうぶくを試みて下さるとか。その際、大蛇をおびき出す為に、私も同行するように申しつけられているのでございます」

「成る程成る程。宗源殿の調伏が成功すれば、おあじどのも晴れて自由の身というわけですな」

「はい。そうなれば嬉しいのですが……」


 おあじは、不安そうに言葉を濁した。


「おあじ殿としては、あの宗源とやらがあまり信用できぬ、と」


 おあじは、こくりと頷いた。


「やはり。ふむ、おあじ殿、事情が変わりました。信ずるに足りるかはともかく、本日、宗源殿が調伏をするのであれば、私もその場を見てみたい。ねぐらに帰るのはそれからで構いませぬ。どうか、同行をさせてくれぬでしょうか」


「え……ええ。私は構いませぬが」

「何、どうせ宗源殿にも村の者にも、私の姿は見えますまい。ひとつ特等席でお手並み拝見といきましょうぞ」


 童子は不安げなおあじを励ますかのように呵々かかと笑った。


***


 さて、午の刻を半刻はんときばかり過ぎた頃。旅籠に宗源と村の若い衆が4~5人現れた。宗源は馬に乗り、若い衆は粗末ながらも神輿を担いでいる。そこにしつらえた台座の上におあじを座らせると、一行は三股淵へと繰り出した。吉原宿から田子の浦までは1里(約4km)もない。徒歩かちでも半刻もかからずに辿り着ける距離だ。


「いやはや神輿とは大仰な事を。よほど村の皆に、調伏に向かう事を知らしめたいようですな」

「私がどこかへ逃げ出すと思っているのでしょう」

「それもあるやもしれませんな」


 おあじと懐の中の童子は、神輿の上でこそこそと話をしていた。そうこうしているうちに、田子の浦までたどり着く。暗く、深く、滔々と水を湛える三股淵の傍らには、何やら出来合いの祭壇のような物が用意されている。


 おあじは神輿から降りると、祭壇の前に連れて行かれ、その場に敷かれていたむしろの上へ座るように促された。言われたとおりに、おあじが座ると、童子は胸元からするすると降り、物珍しそうに祭壇の周りをうろちょろし始めた。


 宗源が馬から下り、手にした錫杖しゃくじょうで地を突き、しゃらんという遊環ゆかんの音を立てた。調伏の開始だ。宗源は、時折右に左に錫杖を振り、しゃらん、しゃらんと遊環の音を立てながら、浪々と真言を唱える。


「始まったか。どうれ、かぶりつきで拝見させて貰おうぞ」


 皆が目を閉じ、神妙に頭を垂れている中、ひとり童子は、すたすたと僧の足下へと歩いていき、後ろ手を組んでその様子を眺めている。

 宗源の声が大きくなるにつれ、川面で跳ねる白波、すなわち早瀬はやせの数が増え始める。やがて早瀬は三カ所に集まり始め、それぞれがみずちの姿を形作る。

 宗源が一際大きな声で真言を唱え、錫杖で地を突く。すると、三匹の蛟が淵の底へとすぅ……と吸い込まれるように消えていった。かと思うと、淵の水が渦巻き始め、地鳴りのような響きと共に三首みつくび大蛇おろちが淵から現れた。


「なんと!」

「お……大蛇じゃ!」

「ひぃっ……」


 村人達は、目の前の巨大な大蛇に恐れおののいている。中には腰を抜かしているものまでいた。おあじも声こそ上げないもの、その表情からは血の気が失せ、体は小刻みに震えている。


「騒がしいと思えば人間どもめか。約束の期日にはまだ日があるようだが、何事だ」


 大蛇は低く、しゃがれた声で問うてくる。


「よく聞け大蛇。我こそは徳川様の命により、貴様を調伏しに参った宗源なり! 田畑を荒らし、街道を荒らし、生贄を捧げねば厄災をもたらすとは言語道断! 今すぐ引導を渡してくれるわ!」


 宗源は錫杖を地に突き立て、何やら印を結んで真言を唱える。しかし、大蛇は苦しみもせずに、平然としている。宗源はその様子を見て2、3歩後ずさりしたが、真言を唱え続ける。


「先程から何をしておる。わけのわからぬ坊主めが」


 大蛇はそう言い捨てるや否や、一本の首をすう、と持ち上げ水面を叩いた。つぶてのような水しぶきが宗源へと襲い掛かる。


「ひぃっ……これは手に負えぬ! これまでだ」


 すっかり気力を挫かれた様子の宗源は、錫杖をその場において脱兎のごとく逃げ出した。馬の横腹にしがみ付くようにすると、蔵に座るのも待てぬといった様子でそのまま馬を駆けさせ、逃げ去って行った。


「そ……宗源様!」

「もう駄目じゃ。逃げろ!」


 その様子を見て、村人たちも我先にと逃げ出して行った。残ったのは、おあじと童子のみ。大蛇はおあじに気が付くと、三つの鎌首をそちらへと向ける。


「ほう、隻眼の乙女とな。これは麗しい。そなたが人身御供か。期日にはまだ間があるが、まあ良い。我に呑まれて我が一族の糧となるがよい」


 三つ首の大蛇はその巨体をざばりと岸へと寄せ、おあじを囲むように蜷局とぐろを巻いた。そして、3方向からおあじを品定めするかのようにゆっくりと見下ろす。まさに蛇に睨まれた蛙。おあじは身動きどころか声も出せずに、その場に固まっていた。


「これ、三つ首の。待たれよ」


 大蛇が声のする方向を見やると、誰もいない。


「ここじゃ。もそっと下を見よ」


 さらに声がする。言われたとおりに注意深く地の辺りを見ると、五寸ほどの童子が腕を組んでうんうんと頷いている。


「なんじゃ、小童こわっぱ。お主も我を追い掃いにでも来たというのか」


 大蛇はあざけるように低く笑う。


「追い掃うとな。馬鹿を申すな! この身体を見ればわかるであろう。私にそんな余力なぞ無い! そもそも、はらうとは、自らの身の中に溜まった憑き物を、他者の力をも借りて自らの意志で落とす物。他人が好き勝手に追い掃うなぞというものではなかろう。

 元よりそなたは憑き物なぞではなく、この地の河川。切っても切れぬ腐れ縁ゆえ、この地より祓うことなぞ土台無理な話だ。その上で、そなたが猛り狂うのであれば、我々がどうにかしようと思っても無駄な事よ。お主も力の差くらいは心得ていよう。抑えつけることなどできぬわ。

 さりとて、好き勝手に暴れられてはこちらも堪らぬ。生ける物は命を奪われ、怒りは他の河川や山々にまで連鎖する。そうなればもはや、手が付けられぬ。たとえこの地から逃げ出そうと、放置した怒りが呼び水となり、行く先々で同じ、いや、それ以上の惨劇が起きようぞ」


 童子は悪びれるでもなく、腰に手を当て、胸を張って言い返す。


「ほう。自慢げに情けない事を申す小童よ。ならばどうする。追い出すことも逃げる事もできず、抑えつけることもできぬ。大人しく軍門に降るとでもいうか」


 大蛇はおあじを囲んでいた蜷局を解き、ずるりと童子の方へとにじり寄って来た。


「見くびって貰っては困る。我々はそういった時、祓うのではない。のだ」

しずめる……とな?」

「その通り。しばしそこで待つが良い」


 童子は腰に刺していた笛を取り出し、おあじの下へ歩み寄る。


「おあじ殿、立てますかな。もう大丈夫でございます。これより私が笛を吹きますゆえ、おあじ殿はそれに合わせて踊って下され。神楽舞かぐらまいにございます」

「神楽舞……巫女舞でございますか。ですが、童子様。私めは……」

「わかっております。というのでしょう。しかしおあじ殿、踊りに関しては巫女よりも余程達者でございましょう。ただ、舞ってくれれば良いのです」

「童子様……!! なぜそれを……」

「解りますとも。まあ、今はその話は止めておきましょう。しかし困りましたな。笛だけではちと寂しい。太鼓か鈴でもあれば良いのだが……」


 すると、どこからともなく、しゃんしゃんと鈴の音が聞こえる。音のする方を見ると、曾良が何食わぬ顔で神楽鈴かぐらすずを咥えてやってくる。


「アオ」


 おあじの足元に鈴をポトリと落とした曾良は、どうだと言わんばかりにおあじと童子の顔を交互に見る。


「曾良殿。かたじけない。ささ、おあじ殿、鈴をお取り下され。では、始めるとしますか。おい三つ首の、待たせたのう」


 童子は笛を横ざまに咥え、吹き始めた。渦の逆巻く波音ばかりがごうごうと鳴り響いていた三股淵に、幽玄な調べが奏でられる。その音に合わせ、おあじも舞った。手にした神楽鈴の音色をしゃん、しゃんと響かせ、ゆったりと、そして時に力強く地を踏み鳴らす。

 笛と舞の調は、時に優雅に、時に艶めかしく変化する。それに合わせ、三股淵の渦は治まり、暗く蒼かった淵の水も、澄んだ水色へと変化する。穏やかになった水面には、白波の代わりに太陽が反射するきらきらした光が踊り始めた。

 童子とおあじが鎮撫ちんぶの舞を終える頃には、禍々しく歪んでいた大蛇の三つ首も、穏やかなそれへと変わっていった。


「お見事。小童に巫女よ。儂の荒んだ心も洗われたかのようだ。これ程の舞を見せられては害を成すことなどできぬ。人身御供の件、忘れてくれ。怒りに駆られていたこととはいえ、余りな要求であったわ」

「なんのなんの。お粗末でした。時に怒りに駆られるのは、致し方の無い事。とはいえ、今後は互いにうまくやってゆこうではないか。我々は、人と共に歩むしかないのだからな」

「うむ。そうだな。良い物を見せて貰ったわ。それにしても、儂はなぜ急にあのような怒りを……、まあ良い。小童に巫女よ。さらばだ」


 そう言うと、三つ首の大蛇は深い淵の底へと帰って行った。


***


「ときに、童子様、いつから私が巫女ではないとお気づきでしたか」


 吉原の宿への道中、おあじは懐の中の童子に尋ねてみた。


「なに、巫女は自分の事を半玉はんぎょくなどと言いませぬ。せいぜい『半人前』といった所でしょう。そのうえ、刻限を測るに香を使い、先輩を『お姉さん』と呼ぶとくれば、それは巫女ではなく、芸者です」

「なるほど。つい、いつもの癖で……」

「おそらく、戦続きで客足の遠のいた置屋おきやの方々が巫女に成りすまし、勧進を集めながら旅をしておられたのでしょう。その事を、あの宗源とかいう僧に感づかれた。身分を偽った事を訴えられたくなければ、人身御供を一人出せと脅され、致し方なくおあじ殿が残った。――そういった所でしょう」

「まあ、童子様はそこまで……。お見逸れしました。」

「なんのなんの。それより、おあじ殿。宿に帰ったら、大蛇はおあじどのが鎮撫したと言うのですよ。なに、実際見事な舞で大蛇を鎮めたのです。その実績があれば、たとえ宗源めが芸者であるなどと言おうとも、誰も相手にしないでしょう」

「はい。ではお言葉に甘えて」

「うむ。では私はそろそろねぐらへと戻りますかな。いろいろとお世話になりました。曾良殿もな」

「こちらこそお世話になりました。童子様、この御恩はいつか必ずお返しします」


 童子は吉原の宿の手前の分かれ道で、ひょいとおあじの胸から降りた。おあじは何度も振り返っては手を振っていたが、猫は当然のごとく振り返りもせず、尻尾を振る事すらもせずに帰って行った。


「それにしても、あの宗源とかいう坊主。白羽の矢に人身御供などという小細工まで弄して、いったい何をしたかったのやら。……まあ良い。美しい舞も見れたことであるし、帰って休むとするか」


 童子はねぐらに帰り、その晩は芋の葉にくるまってぐっすりと休んだ。翌朝、目が覚めた童子がうーんとひとつ伸びをしようとすると、なにやら地が揺れている。しまったと思い、慌てて笛を取ろうと手で探ったが、宙を掴むばかり。そればかりか、体も宙に浮いている。これは何かがおかしいと、頭上を見上げた童子が眼にしたのは、猫の鼻だった。

 かくて童子は、朝からキジトラ模様の暴君に連れられ、またしてもどこかへ連れ去られていくのであった。

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