第7話 捜索

 その夜、僕らはいったん、予約していた旅館に引き取ることにした。

 日が沈んで、しのりんの捜索は予定していたとおり打ち切られたということだった。警察だけではなくて、町の青年団でもある消防団のひとたちが、その旨をしのりんのお父さんに伝えにやってきた。明日の朝、また暗いうちから捜索は再開される予定だということだった。


「君たちのご両親も、さぞご心配なさっているだろう。こちらからも連絡しておくよ。連絡先を教えてもらえるかな」


 お父さんはそう言って、僕らの自宅に電話を入れてくれたようだった。

 本当は「こちらに泊まっていきなさい」と強く勧められたんだけど、それでは予約を入れた旅館の人にも悪いと思ったし、そこはどうにか固辞したのだ。

 茅野のところはともかく、僕に関してはきっと、心配するというよりは「家事を放り出して勝手な真似をして」とばかりにあの母が激怒しているぐらいのことだろうとは思ったけれど、僕はわざわざ連絡してくださるというその申し出に甘えることにした。

 まあ、あの母は外面そとづらだけは死ぬほどいい人だから、まさか他人で、しかも大人であるこのお父さんを相手にそんな大人げないことは言わないだろうと思ったのだ。そして、どうやらその予測は外れなかった。


 その後、しのりんのお父さんは旅館まで車を出して僕たちを送ってくれた。

 明日も朝早くから捜索が開始されるのだと聞いて、僕と茅野は道々、なんとかそれに同行させてもらいたいとお父さんに相談した。

 お父さんは「いや、さすがに未成年の君たちに行かせるのは……」としばらく困った顔になっていたけれど、茅野と二人で「絶対にご迷惑にはなりませんから」「和馬くんに会えれば、きっと役に立てることもあるはずだから」と頭をさげまくって、どうにかこうにか承諾してもらえたのだ。

 僕のことはともかく、茅野の落ち着いた態度とがっちりした体躯はこの場合とても有効な説得力を持ったようだった。やっぱりこういう場合、スポーツマンは有利だななんて、僕は妙な感心をした。


 その後は別にこれといった詳しい話もせず、茅野と僕は夕食後、それぞれの部屋にさっさと引き取って休むことにした。なにしろ、明日も早いのだ。

 いちおう旅館とは言ったけれど、ここはごく小さな、民宿といっていいような建物だ。経営そのものも、年配のご夫婦とその娘さんが家族だけでなさっているようだった。食事はごく家庭的なもので、普通の民家に寝泊まりするのと大差はなかった。

 一日かけて長距離を移動し、しのりんのご家族に対面したこともあって疲れがどっと襲ってきていたけれど、しのりんのことを考えるとやっぱり目は冴えていて、僕はなかなか寝付くことができなかった。





 翌朝はやく、まだ薄暗いうちから約束の時間を目指して僕と茅野は起きだした。そのまま出かける支度をし、朝食を済ませて宿を出る。

 宿の前には、もうしのりんのお父さんが車で迎えに来てくれていた。お母さんと妹の真響まゆらちゃんは、昨日と同様、家で連絡を待つことになっている。


 しのりんが入って行ったと思われる近くの山は、それそのものは小さなものに見えたけれども、その背後に連なっているのは結構ふかい山だった。

 手前に広々とした運動場をもった平屋建ての古い小学校があって、その裏門あたりから山に入る小道がつながっている。小道の手前には、警察車両らしい車が数台と、一般車両が何台か停まっていた。

 学校の敷地は、余裕で僕ら都会の学校の何倍もあるものだ。何棟なんむねもある木造の校舎の周りは長い長い回廊がぐるっと取り巻いていて、黒く古びた木造の柱が立ち並び、その屋根を支えている。屋根を支えるはりにあたる木材からは、錆びた鎖につながった吊り輪が廊下の端から端までずらっと並んで下がっているのが見えた。

 あんなもので今どきの小学生たちが遊ぶのかどうかは疑問だったけれども、昔はここでさぞや多くの子どもたちが遊んでいたのだろうなと思われた。


 僕らのことは昨夜のうちに町の青年団に伝えられていたらしく、僕と茅野はお父さんのいるグループに一緒に振り分けられることになっていた。このまま数十名が十名程度の数グループに分かれ、それぞれが近隣の山道をよく知っている男性の案内で山に入るのだ。誰がそうなのかはわからなかったが、熊対策のためもあって近場に住む猟友会の人も来てくれているらしい。

 僕らの住む街だったら民間人がここまで捜索に参加すること自体ないのだろうけれど、なにしろもともと人口の少ない田舎町のことだ。あまりおおっぴらには言えないことだろうけれど、ネコの手も借りたいというのが実情らしい。

 そもそも本来であれば、しのりんの血縁者であるお父さんがここまで来ることは許されない場合のほうが圧倒的に多いはずだった。


「昨日と同じく、警察および消防の指示にはしっかり従ってください。決して無理はしないように。本日は、昨日探せなかった沢のある側の山道を中心に回ります。熊対策のため、各自、鈴やラジオなどを必ず鳴らすこと。なるべく大きな声で話をしながら歩くなど、十分気をつけて。万が一、熊に遭遇した場合は、さわがずそろそろと後ずさって距離を取り、なるべくすみやかにその場を離れてください。定時の連絡も欠かさないように。では、出発します」


 一団の指揮をまかされているらしい消防隊の隊長らしき中年の男性がそう言ったのを合図に、僕らはグループごとに山に足を踏み入れた。

 ちなみに僕は、隣に立つ茅野がぼそっと「おお、かっけぇ」と小さな声で言ったのを聞き逃さなかった。僕も茅野も、いまはみんなと同様、お借りした白いヘルメットをかぶっている。

 うん。たしかにきびきびしてて、責任感の鬼みたいに見える隊長さんは、僕の目から見てもなんだかとてもかっこよかった。通称「オレンジ」と呼ばれる橙色の救助服のせいもあって、一段も二段もそれが増してしまってるんだろう。でも、そうでなくてもなんて言うか、こういう職種の「いぶし銀」系のおじさんって、やっぱりかっこよく見えるもんね。

 この場にもししのりんがいたら、そんな「萌え話」で楽しく盛り上がっているところだろうに。

 そう思ったら急に胸が苦しくなって、僕はひとり、唇をかみしめた。





 遠くから、昼のサイレンがこだまする。

 あの町の近くの小さな山の上に、正午を知らせるためのサイレンが設置されているのだと、昼の休憩をとりながらしのりんのお父さんが教えてくれた。同じところに、災害時のための非常用の放送設備もあるらしい。


 ラジオの天気予報は、午後からはこのあたりの天気が崩れることを告げている。

 このところこの地域には雨が少なかったらしいのだが、久しぶりに勢力の強い低気圧が接近しているということだった。

 要請をうけて応援に駆けつけてくれたドローンを所持する民間のグループの協力も得ながら、捜索隊の皆は午前中いっぱい山道をあちらこちらと探しまわった。けれど、しのりんはなかなか見つからなかった。


 非常な軽装でいなくなっているはずなので、二日も山の中で夜を明かしているのだとすればかなり体力を奪われているはずだ。災害時でもこうした遭難でも、最初の七十二時間がとにかく大事だというのは僕もテレビなんかで知っている。だから、前を歩く消防隊員たちの表情が次第にひどく硬いものになってゆくのを、僕は背筋に寒いものを覚えながら観察していた。

 高校生とはいえ、比較的小柄な「少年」であるしのりんが、家を飛び出したままの格好で山道をそんなに遠くまでいけたはずもない。

 どこかで怪我をして動けなくなっているのか、それとも。


(それとも……もう。)


 僕はきつい坂をあがりながらも、そんな暗雲のように押し寄せてくる嫌な予感とずっと戦い続けなければならなかった。

 そういう思いが頭のなかで鳴り響くたび、僕は必死に頭をふって、その予感を振り払った。


 いやだ。

 そんなことは、絶対にいやだ。

 なんでこんなことで、しのりんがそんな目に遭わなくちゃならないの。

 こんなことで君とお別れするなんて、僕は絶対にいやなんだ。


 君はなにも、悪いことなんかしていない。

 相反あいはんする心と身体をもって生まれたことだって、しのりんのせいでもなければ、お父さんやお母さんのせいでもないんだ。

 どうしてそんなことで、人はしのりんを簡単に虐げようなんてするんだろう。

 なんでそこまで無責任に、本当に情け容赦なく、「こいつは俺たちがいじめてもいい奴だ」「バカにしたって構わないんだ」なんて、判定してしまうのか。

 そしてそいつらは嗜虐の限りを尽くして、ひとりの人をこうやって、嬉しそうに笑いながら死の淵にまで追いやってしまう。

 そこに、罪の意識なんてない。

 ただそうするのがたのしいから。それだけだ。


 匿名だから、こちらが多数派の意見だから。

 だからかさにかかって、抗う力のない小さな人を叩き潰しても構わないのか。

 心をずたずたに引き裂いても構わないのか。

 いったい誰が、お前らにそんな権利を付与したっていうんだ。


「そんなこと……させない」


 気がつくと、僕は小さな岩に腰掛けて、口にはこびかけていた水筒を握ったまま、ぎりぎりと奥歯をかみしめていた。どうしてもその手が震えてしまって、水筒の中身がぽちゃぽちゃと音をたてた。

 少し離れて座っていた茅野とお父さんがじっとこちらを見ているのは知っていたけど、それでもどうしても、手の震えをとめることはできなかった。


 と、その時だった。

 無線で他のグループと連絡をとりあっていたらしい消防隊員の一人が、突然、大きな声をあげた。


「対象者、発見!」


 はっとして、僕と茅野は目を見合わせた。

 周囲の人たちが一斉に立ち上がった。

 僕と茅野は、目も口も大きく開いて中腰のような姿勢で立ち上がっているお父さんの顔を見た。僕はお父さんの手が、ぶるぶる小刻みに震えているのをはっきりと見た。

 更に、隊員さんの声が届く。


「生存確認! バイタルやや微弱、片足を負傷している模様。ただし命に別状なし! すぐに下山にかかるそうです!」


 わっと、その場のみんなが両腕を挙げた。

 あちこちから歓声と拍手がわき起こる。

 僕も思わず立ち上がり、茅野とお父さんの顔を見て、何度も大きく頷いた。


 お父さんは一瞬、ぐしゃっと顔をゆがめたけれど、口を真一文字に引き締めて顔をあげ、僕らにひとつ頷くと、その隊員さんのところへと足早に近づいていった。

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