舎弟と兄貴⑤

 破壊された扉からぬるっと顔だけ出した男――橘はにたあ、と下品な笑みを俺に向けた。

「久しぶりだなあ」

 ゆったりとした足取りで部屋に土足で上がり込む橘だが、先日と違うところは、彼の他に付き人が五人いることだった。どれも屈強な身体の持ち主で、一筋縄では行けそうにもない。実際、仕事で複数人相手取ることは、それほど多くはない。そういったパターンの仕事はそれに長けたものに回されるので、余程のことがなければ俺には回ってこない。

 俺はゆっくりと視線を動かしながら、彼らをチェックする。

 暦の上では夏を迎え、暑苦しい日々がって続いており、彼らも薄着で身を包んでいることから、拳銃などの所持はしていない、と予測はできる。ただ、唯一スーツ姿の橘だけが、警戒すべき相手だろうか。紫色のスーツといういかにもな服装には拳銃を隠すには十分なゆとりがある。大谷組の若頭、という役職からしてもそれ相応に身を守る必要があるため、拳銃などを携えていてもおかしくはない。

 しかし、ここは住宅街である。更には隣人が切り裂きジャックに殺されて警察の警戒も一際高い。余程のことが無ければ、発砲はなるべく避けたいところだろう。恐らく橘たちは警察が俺の元へ訪れたことを知っている。そこで、警察の巡回が薄くなったタイミングを見計らってこちらにやってきたに違いない。ただ、今は平日の真昼間。殆どの住人は出払っており、扉一枚壊したところで、何の問題ないとでも思っているのだろうか。

「こんなに派手な音を出してどこから通報されるかわかりませんよ」

 冷静に言葉を紡ぐ俺に対し、橘の下品な笑みを変わらず浮かべたままだった。

「構わへんよ。この一ヶ月の間に挨拶回りはちゃんと済ませておいたからなあ」

 なるほど、だから白昼堂々馳せ参じたというわけか。

「しかし、俺はびっくりしたよ」

 橘が物珍しそうな目でこちらを見ている。好奇で舐め回すような不快な視線だった。

「……何が」

「いやあ、まさかあんたが本物の殺し屋だったとはね」

 俺はその言葉を聞いた瞬間、柄にも無く身構えた。

「組の――いや、俺の情報網を舐めてもらっちゃあ困るね。人一人の個人情報を手に入れるのなんて容易いものさ」

「どうやって手に入れた」

「手に入れたって、ちゃんと俺なりに正規の手続きは取ってるからなあ。あんたにとやかく言われる筋合いは見当たらないんだが。それに思ったより簡単に手に入るもんやなあ。砂場で磁石を近付けて砂鉄を採集するように、簡単に引っ付いてきたもんさ」

「質問に答えろ」

 俺は床についた手を押し上げ、橘に襲いかかろうとした。しかし、それよりも素早く付き人たちに押さえこまれてしまった。こちらが動揺していたとはいえ、不様な姿を晒してしまった。しかし、橘たちの持っている情報は恐らく正しい。俺の動きを熟知している動き方から、俺は瞬時に理解した。

「暴れたらあかんよ。こちらは穏便に事を済ませたいんだからさ」

 ドアを破壊する行動と穏便に済ませたいという想いがどうにも相容れないことに何故気付かないのか。反論をしたいが、後ろに回された腕は踠けば踠くほど締めあげられる。格闘技を齧っているのか、力のかけ方が上手い。ヤクザとはいえ、相手の実力を甘く見すぎていたことに深く反省する。

「あんた……どれだけの人を殺めてきたんだい? 殺人鬼さんよ」

「それはお互い様だろう」

「いやいや、うちらと一緒にされたら迷惑だよ。意義なき殺人と意思を持った殺人は意味合いが全くもって違う。あんたのは完全なる前者だ」

 だからなんだ、というのが正直な感想だった。前者だろうが後者だろうが命を奪っていることには変わりない。こちらの思惑など、あってないようなものだ。人情だの義理だの関係ない。殺人は、殺人だ。

「あんたら、その大層な意思とやらで、美濃洋介を殺したのか?」

「美濃洋介? ……俺らが殺したと言っているのか」

 想像から外れた反応に強い違和感を覚える。

「……違うも何も、俺たちがここに来たのは、その美濃洋介を殺した理由をあんたから聞くためにやってきたんだが」

「……どういうことだ」

 噛み合わない会話に苛立ちながら、絡まる糸を解そうと試みる。橘も先程の下品な笑みは浮かべつつ、戸惑いが見え隠れしている。

「あんたがあの切り裂きジャックと違うのか」

 橘は問うが、あまりの素っ頓狂な問いに俺も思わず呆けてしまう。

「違う。俺は切り裂きジャックじゃない」

 正直に答えるが、橘は納得する様子を見せない。

「まあ否定するとは思っていたから別に驚きはしないよ。ただ、こちらは美濃洋介のせいであいつを仲介して売り上げた金が殆どなくなってしまったわけでね。死んでしまえば、金も引き出せないし、困ってしまった。その損失額をどうにか補填しないといけない。ならばその犯人にあてがってもらうのが一番手っ取り早いと思ったわけさ」

 橘はあらゆる手段を用いて切り裂きジャックの手がかりを探ったらしい。そこで手に入れた情報の中に俺の情報も含まれていたらしい。口の軽い情報屋もいたもんだ、と俺は呆れた。

 ただ価値のある情報として売買に使われたというのは、裏とは言えども世間に認められていたようで、どことなく誇らしい気持ちにもなった。しかし、それはそれとして別の殺し屋の罪まで被るつもりは毛頭ない。逆恨みならまだしも身に覚えの無い恨みまで引き受けるほどのお人好しはこの世に存在しないだろう。しかし、そういった常識が通用しない輩が目の前にいる。こちらの想いを蔑ろにし、都合のいい解釈を並べ立て、最終的には暴力で相手を蹂躙する。良く言えばわかりやすく、悪く言えば短絡的な思考回路に基づいて動いていると言えよう。

 俺は深いため息を吐いた。

「お、観念したか」

 橘は俺が屈服したように見えたのか、嬉しそうな声を上げた。

「いや、感服したよ。お前達のその浅く狭く薄い考慮の末に導き出した哀れな結論に敬意を表しよう」

 そう告げた瞬間、俺は肩の関節を外した。腕の力がふっと抜け、押さえつけていた男の力も同時に緩む。その隙を見逃さずに、右足を床を這うように回し、男の足を払う。バランスを崩した男を確認しながら、素早く脱臼した肩を元に戻す。最初の激痛に慣れてしまえば、取り外しは簡単に出来る。

 時間にして五秒も満たない。

 彼らにしてみれば、まだ何が起きているかを把握するには数秒必要だろう。しかし、その数秒で全てが事足りる。

 俺はジーンズに仕込んだバタフライナイフを取り出し、倒れた男の耳を掻っ切る。

 男の不愉快な悲鳴と共に勢いよく血が吹き出て、床を赤く染め上げる。小汚い男の生き様を表しているのか、飛び散った血は赤黒く、小汚い。

 その反動を利用して、橘に近付き、首元を腕で締め上げながら、隙間にナイフを入れ、先端を首筋に当てる。

「動くな」

 橘を確保したと同時に、周囲へ低い声で牽制した。

「動けば、この男の首を掻っ切る」

 締め上げた首は動かないように固定しながら、周囲に橘の状態を披露する。ゆっくりのメリーゴーランドのような優雅さを保ちながら一回転した。

「いいか。お前達は触れちゃいけないアンタッチャブルな部分に踏み込んだ。ヤクザかなんか知らんが、ヤクザと殺し屋じゃあ、立っている土台が違う。こちらの土台に土足で踏み込むということは、殺される覚悟があるということでいいんだよなあ」

 語りながら首筋に当てているナイフを持つ手に力が入り、橘の首筋に少し血が滲んだ。

「今この場を仕切っているのはこいつだろう。殺されたくなかったら今すぐ退け。俺を殺したかったら次からはヤクザなんかではなく、本物の殺し屋を連れてこい」

 橘と耳を切られて踠く男を除いた構成員たちは足早にその場から離れていった。

「さて、と……」

 俺は悶える男を蹴飛ばし、意識をこちらに向けさせる。

 男は泣きながらこちらを睨むように見ている。

「こいつの首を持っていけ」

「……え?」

 状況を飲み込めない男は雨に濡れた捨て犬のようにぷるぷると震えている。

「言葉の通りの意味だよ」

 理解の速度は頭の中で言葉の形態が具現化できるかに因るかもしれない。ならば実践した方が理解が早まるだろう。

 俺は男が見やすいように大仰な構えを取り、そのまま橘の首を掻っ切った。

「切り落とすのは無理だったか」

 力尽きた橘の死体を男の方へ倒し、部屋を出る支度をする。

「ど、どこへ行くんだ」

 ひゅうひゅうと息を漏らしながら、男は最後の言葉を振り絞り俺に投げる。

「どこって言ってもなあ。また新しい寝床を探して、新しい生活を始めるよ」

 血がべっとりと着いた服を脱ぎ、新しい服を着る。こんな惨状でも新しい服に着替えると爽やかな気分になる。部屋を出る直前、瀕死の男と絶命した死体を一瞥し、じゃあ、と声を掛けたが、もう反応はなかった。

 外を出ると、まだ日は高く、日差しが俺の目を虐める。

 携帯を取り出し、仲介屋へ連絡を取る。

 着信音二回で仲介屋の秘書が電話をとった。

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