舎弟と兄貴④

 俺は仲介屋の言う通り派手な動きはせず、虎視眈々と獲物が巣に潜ってくるのをひたすら待った。その間も神経を研ぎ澄ませ、張りつめた緊張の糸も緩めることなく、耐え忍ぶように待った。

 しかし、橘が俺の元に訪れることは無かった。代わりに飛び込んだのは美濃が死んだ情報だった。

 テレビをつけ、ニュース番組を垂れ流していると、見知った名前と見知った顔が画面に映し出された。しかもあの切り裂きジャックの被害者として報道されているではないか。すると示し合わせたかのようにインターホンが鳴り、スコープを覗くと警察官が二人立っていた。先頭に立っている男は、深々と被った帽子からはみ出た髪の毛に混じった白髪や顔に刻まれた皺の数から相応の歳を重ねていることが窺える。もう一人は二十代と思しき若い男だった。

「すいません。お隣に住んでいた美濃洋介さんが昨晩殺されましてね。まずは近隣のみなさんにお話を伺っているところなんです」

 警察手帳を見せながら社交的な笑顔を振りまく年上の警官に対し、若い警官は俺の動向に不審な点は無いか、筋一本の動きも見逃すまいと睨むようにこちらを観察している。

「今ニュースで見ました」

 素直に答える。取り敢えず嘘は言っていない。

「美濃洋介さんと何かお付き合い等はございましたか」

「いえ、特にこれといった付き合いはありませんけど」

「最近、美濃洋介さんのご様子はご存じですか」

「ご存知ありませんね」

「お隣から物騒な物音だったりとか聞いた記憶はありますか」

「物騒な物音というのが、どういう音かわかりかねますが、まあよくどんちゃん騒ぎはしてましたね」

「誰かとトラブルを起こしているようなことは」

「どうなんですかね。元々あんまり関わりが少ないので」

「そうですか。また何かこうして聞きに伺うこともあるかと思いますが、その際はよろしくお願いします。あと、何かありましたら、ご連絡ください」

 年上の警官が頭を下げると、若い警官に「何かあるか?」と話を振った。

「すいません。あなたのご職業は?」

「……はい?」

 唐突な質問に思わず面食らった。

「それって今回の件に関係あるんですか」

「念の為です。お答え出来ないんですか」

「答える気が無いと言っているだけです。あなた方ならどうせ何を言っても調べるんでしょう。それなら一手間を省いてやってるだけでも感謝してください」

 攻撃的な態度をとるならこちらも応戦する以外の選択肢は無い。相手が警察官と言えど舐められては困る。

 若い警官は明らかに不機嫌な表情を見せたが、年上の警官が窘め、その場を収めた。

「すいません。まだ若く、血気盛んで」

 年上の警官は頭を下げ、謝罪をしたが、若い警官は謝罪の言葉すら告げられることは無かった。

 警官二人が居なくなった部屋で一人、俺は切り裂きジャックの犯行について考える。切り裂きジャックはあの大谷組が仕向けたものなのだろうか。それともたまたま通り魔としての役割を全うしただけなのだろうか。どちらも考えられるが、どちらも考えれば不自然な点が浮かび上がる。

 前者で言えば、今マスコミの格好の標的となっている切り裂きジャックをわざわざ使うか、と言った点だ。美濃洋介が覚醒剤や大谷組と関わっていたことは警察が調べれば自ずと浮かび上がる案件である。今ここで話題の殺人鬼を利用するのは得策で無いようにも思える。ただ、警察も県下一の暴力団が関わっているとなれば、余程の確証と権力が無ければ、大きく動くことは出来ない。それを逆手に取ったと考えれば、別段不思議な点も無いかもしれない。

 後者に至っては単純にタイミングが良すぎる、という点に尽きるが、これもタイミングが悪かった、と言ってしまえばそれまでなので、今ひとつ煮え切らないものがあった。

 まあ恐らくは前者なのだろうな、と楽観的な結論に達した。何度も言うように俺には何の関係もない話だ。誰がどこで誰に殺されようが俺の人生に影響はない。確かに金はまだ貰っていなかったので、貰い損ねた感はあるが、こちらも仕事はしていないので、まあ仕方がないと割り切ることも可能だ。橘と相対することも無くなったわけだが、この稼業を続けていればいずれぶつかる相手だろう。その日が来るまで待てばいいだけの話だ。新作のゲームの発売日を待ち侘びる子供のように手ぐすねを引いて待つことにしよう。

 そんな気楽に構えていた俺の前に橘は唐突に現れた。警察が俺の前に現れてからちょうど一ヶ月後のことだった。

 俺の携帯に仲介屋から着信が入った。電話に出ると、仲介屋は珍しく焦っているようで、どことなく早口で俺に語りかける。

「仕事の再開をご連絡したいところですが、緊急の情報が入りましたので、連絡を差し上げました。大谷組の橘が、あなたの元へ――」

 仲介屋の話が終わらないうちに、俺の扉がけたたましい音を立てて、開かれた。もちろん施錠をしていたので、壊された、という表現が正しい。

 誰だ、と初めこそ憤りを感じたが、俺はノックの仕方も知らない、野蛮な輩を一人だけ知っている。

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