舎弟と兄貴③

 美濃からは貯金額の三割で手を打った。それでも逃げるのには困らないだけの金額が残る。美濃にとっても割りのいい交渉だったはずだ。俺もおかげで当分の生活費には困らない。

 最近は滅法依頼が減ってしまった。この世界ではよくあることだ。長く浸かれば浸かるほど生きにくい世界になる。

 ただし、理由はそれだけではない。――切り裂きジャックのせいだ。こいつの出現によって、俺の活動範囲である岐阜市内は厳戒体勢となり、俺に仕事を寄越す仲介人もなかなか動けずにいるらしい。元々こちらは影で商売をしてきたのに、陽の目を浴びた犯罪者のせいで動きが制限されるのは、皮肉以外の何物でもなかった。

 仕事もしない宙ぶらりんな生活が続いていた中、湧き上がった金の話に喰いつかない理由は無かった。仕事に選り好みをするほど、俺はこの仕事にプライドを持ち合わせてはいない。来た仕事を忠実にこなす。生活のため、ひいては生きるために人を殺す。人間が飢えを凌ぐために、家畜を殺すのと同義だと俺は考えていた。

 同業者にはそういう考えの奴もいれば、大方快楽のために殺している奴もいるなど、千差万別である。ただ、俺は一人でしか行動をしないので、仲介屋から得た情報に過ぎない。つまり、信憑性は無い。無いが、それでも別に俺は構わない。俺が仕事をこなす理由に変化は無いからだ。

 俺は早速仲介屋に連絡をとった。仕事における情報だったり、物資を調達するためであり、いつもの日常の一つである。着信音が二回ほど鳴ると、相手に繋がった。これも日常の一つ。

 もしもし、と受話器から可愛らしい女性の声が聞こえる。仲介屋が雇っている秘書兼雑務担当の横山という女だ。

「仕事が入った。あんたの上司に替わってもらいたい」

「ただいま、社長は一切の業務を凍結しております」

「切り裂きジャックの一件でか」

「そうです」

「仕事を寄越せとは言っていない。仕事が入ったから情報を寄越せと言ってるだけだ」

「ただいま、社長は一切の業務を凍結しております」

 マニュアルに沿った定例句を並べる秘書に苛立ちを覚える。

「そんなことを言っても、俺は言わば下請けだぜ? 話くらい聞いてくれてもいいだろう」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 秘書はあっさりと引き下がると、保留音に切り替えた。仲介屋を呼びに行ったらしい。

 保留音が途切れたと思ったら、声の主は変わらず秘書だった。

「社長に問い合わせたところ、下請けなら下請けらしく大手の言うことを聞け、との回答でした」

 こうなる事は分かっていた。元々この仲介屋は下手な博打は打たないことを徹底している。リスクが大きいと分かればリターンが大きくても手を引く。そうやって大きくしていったらしい。仲介屋自らが電話越しで言っていたことだ。本当かどうかはわからない。それに、俺は仲介屋と直接顔を合わせたことがなかった。人相もわからなければ、性別すらも不明だ。彼――彼女なのか不明だが――は、電話口ですら、変声機を使用して、耳障りなノイズと共に、俺に仕事の依頼を流してくる。ここまでくると、乗り込んでやろうと思うのだが、肝心の場所がわからない。

「殺されるリスクを少しでも削っていくとこのスタイルに落ち着いた」と仲介屋は話すが、釈然としない。ただ俺は、仲介屋の人間性は信用こそしていないものの、仕事ぶりには信頼を置いている。俺がこの仕事を初めて十年間。その感情が揺らぐことは無かった。

「もうお切りしてもよろしいでしょうか」

 気付けば黙り込んでいたらしい。耐えかねた秘書が催促する。

「ちょっと待ってくれ」

 俺は慌てて、それを制止した。しかし、その後のプランは、無い。

「仲介屋に伝えてくれ。そんなにあいつが怖いなら、俺が消してやってもいいんだ。信用はしなくてもいい。俺を信頼してくれないか」

「……かしこまりました」

 秘書は再度保留音を流す。しかし、長くは続かなかった。

「……もしもし」

 耳に残るノイズ音に変声機により高めに設定された声が受話器から流れ出た。

「一つだけ、申し上げておきます」

 下請けである俺にでさえ丁寧な口調になるのは、仲介屋の特徴だった。

「あなたでは、切り裂きジャックに到底敵いません。これでもあなたは我が社の大切な顧客の一人です。無闇矢鱈には殺させません」

「切り裂きジャックのことを知ってるのか」

「いえ、何も」

 仲介屋はその言葉を口にしたくないようで、舌打ちをする。

「それがまず脅威なのです。仲介を請け負う我々にとって一番重要なのは情報です。私達はその情報を元に売買を行っている。しかし、あの切り裂きジャックには然したる情報がどこからも漏れ出ていない。余程の重鎮によって守られているか、知れ渡る前に手を打たれているのかは不明ではありますが、これではリスクが大きすぎます。情報が漏れ出ないということは、情報を操作できる、ことと同義なのです。つまり当社よりも向こうの方が何倍も上手、というわけです。そんな危ない橋は渡ることも出来ないし、お陰で警察内部もかなり慌ただしくなっているため、動きづらくて仕方がありません。今あなたに下手に動かれると、落とさなくていいものまで落とす羽目になるので、しばらくの間は仕事を控えていただきたい」

 いつになく、長々と話をする仲介屋は一つ咳払いをした。

「金に困っているなら当社が工面いたしましょう。見返りは今までの貢献度から見てもさせて頂けるほどですので、御心配には及びません。……ただそれでもそちらの仕事を優先される、ということでしたら、こちらもこれからの契約を考えさせていただく、ということになります」

「……わかった。それで呑もう」

 金額は今回の報酬より幾分か見劣りするが、背に腹は変えられない。

「ありがとうございます。それが懸命な判断かと。お詫びと言ってはなんですが、あなた方が関わろうとしている相手の情報をお伝えしておきましょう。橘という男は、県下でも有名な大谷組の若頭です。単細胞ですぐ暴力沙汰を起こす厄介者扱いが先行情報としてありますが、実力は高く、決して馬鹿ではありません。寧ろ頭は切れる方だと思って頂いた方が今後のためにもなるかと思います」

「今後のため……?」

 仲介屋の意味深な発言に俺は反応を示した。

「彼は目をつけた相手を決して逃すことはしません。今回の標的である美濃洋介も然り。そして恐らくあなたもです」

「そうか……」

 向こうから訪ねてくれるなら願ったり叶ったりだ。俺は自然と指の関節を鳴らし、興奮してきたことを察する。

「ただ今は先程も申しました通り、騒ぎは起こさないようにお願いします。何度も言いますが、あなたは大切な顧客の一人です。もしものことがあればこちらから指示をしますので、よろしくお願いします……とは言っても聞く耳を持てない方々ばかりなのですがね」

「分かってるじゃねえか」

 だから教えてくれたんだろう。と俺は心の中で呟く。

 電話越しでも仲介屋がほくそ笑む姿が想像出来た……いや、顔は知らないんだが。

 ――俺はこの時、楽観的なものの見方しか出来ていなかった。対象の命を奪う。文字にすれば、七文字の短いセンテンスだが、それがいかに難儀な話なのかを分かっていなかった。

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