第2話 可視化

 どれ位、眠っていたのか。今がいつの何時なのかも分からずに、目を覚ましたわたしはベッドから上半身だけ起こしてみた。


 そうしてようやく窓の外の景色に意識が行くと、今が黄昏時だという事に気付く。


 どうやらわたしは、随分眠っていたらしい。


 幼い頃から、激しい喘息の発作を起こすと、高確率で疲れ切って眠ってしまうのだ。


 「んー、」


 あくびを噛み殺しながら、気分転換にシャワーでも浴びたいなと、伸びを一つ。


 「目が覚めたか?」


 突然聞こえたその声に、ハッとして窓辺に視線を走らせる。


さっきまでは存在しなかったはずの姿が、そこには確かにあった。


 「いっ、」


 一体どうやって、鍵がかけられままだったはずの窓からこの人……、じゃなくて、この天狗は侵入したのか。


――いや、彼はわたしの目の前で、それを以前もやってのけたではないかと思い直し、再び口を閉ざす。


 「ん?何か言ったか?」


 「いえ、なにも」


 「そうか?……まあ、いい。それより具合はどうだ?」


 「大丈夫です、」


 「そうか。それは何よりだな」


 そう言って笑った彼は、続けて口を開いた。


 「そんな改まった口調で話す必要はない」


 「……あ、うん。ありがとう」


 「それでいい」


 「えっと……、」


 ――あなたの名前は、と尋ねかけた所で天狗は皆まで言わずとも答えてくれた。


 「カルラだ。お前は?」


 ――カルラ。耳慣れない名前の響きに、一瞬反応が遅れる。


 「……し、椎名真澄しいなますみ


 「真澄か、良い名だな」


 「――ありがとう、」


 ギシリと、古びた木造造りのこの家の階段が音を立てたのは、カルラが私の枕元に立った時だった。


 「真澄ちゃん、?起きてるの、?」と、階下からわたしを呼ぶ祖母の声がする。


その声に続く様に、またギシリと階段が悲鳴をあげた。


 それは即ち、この家の住人が今まさに、この部屋へと向かっていることを示している。


 焦りを覚えたわたしの頭に浮かんだのは、やはり隣に立つ天狗のことだった。


 「カルラっ、……隠れて!」


 わたしの声は、まるで今にも泣き出してしまいそうな、情けないものだったと思う。


 だけど、彼はニヤリと笑うだけで、一向にその場から立ち去ろうとはしなかった。


(……もしやこの天狗は、わたしの祖母の腰でも抜かしてやろうとでも考えているのだろうか?)


 困惑した表情でカルラを見つめていると、部屋のドアをノックする音が響き、わたしは凍りついた様に身を硬くする。


正直、本気でもう終わりだと思った。


 もしも、腰を抜かした祖母が、心臓発作でも起こしたらどうしよう。


と、頭の中はグチャグチャで正常な思考が出来そうにない。


 だけど、この部屋に足を踏み入れた祖母は、平然とわたしの元まで歩いてくると、何事もなかったかの様に、ベッド横に設置されたテーブルにミルク粥を置いた。


 「食べられそうなら、何かお腹に入れなくちゃね? おばあちゃん、真澄ちゃんの好きなミルク粥作ってきたの」


 「……あ、ありがとう。おばあちゃんのミルク粥好きだから嬉しいっ!」


 祖母の位置からだと、わたしの方を向いて話せば確実に、ベッドを挟んだ反対側に立つカルラも視界に入るはずなのに、彼女の表情からは一切、戸惑った様子は感じられない。


(あれ、?……もしかして、おばあちゃんにはカルラが見えていない?)


 この仮説が確信に変わったのは、祖母がミルク粥をお椀によそい、わたしが食べ始めたのを見届けると穏やかに笑い、そのまま階下に降りていったからだ。


 祖母が部屋から出ていったのを確認してから、わたしはカルラにおずおずと問うてみた。


 「ねえ、カルラ」


 「なんだ?」


 その声からは明らかに、面白がっているのがありありと伝わってくる。


 「……もしかして、わたしにしかあなたは見えていないの、?」


 「その通り。俺たちを可視するには、ある一定の条件があるんだ」


 「条件、?」


 わたしが聞き返すと、それに頷いて応えた彼は口を開いた。


 「一つ目に、子供であること」


( あ、そっか。……だから、おばあちゃんには見えなかったのか。)


と、わたしが納得している間にも彼は構わず続けた。


 「二つ目に、勘の鋭い人間である事」


 「勘?」


 「ああ。お前たち人間で言う所の、”霊感”と言い換えれば伝わるか?」


 「それなら何となくだけど、分かるかもしれない」


 小さい頃から、霊感だけは自覚が芽生える程度には強い方だと思う。しっかりと目で捉えられるわけではないけれど、日常的にぼんやりと白く光っている場所に近づこうものならば、肌寒さを感じたりする事はよくあるのだ。


 「話が早いな。だが、最も大事なのは三つ目だ」


 「その三つ目って、?」


 「俺たち高等妖怪を可視する為には、妖側から可視することを許された人間だけが、その眼に俺たちを映すことが出来る」


 「つまり選ばれた人だけってこと?」


 「そういう事だ。ただ、よく人間が心霊スポットだの何だのって騒いでる場所は、大概が下等妖怪連中の仕業だ」


 「……ん?高等と下等だと何か違いがあるの、?」


 「いい質問だ。……そうだな。生まれ持ったポテンシャルの差異は言うまでもないが、」


 「うん」


 「俺たち高等妖怪は、人間に己の姿を見せるか見せないかを、自ら選択する事が出来る」


 「じゃあ、心霊現象とかで見えてしまってる幽霊や妖怪たちって……、」


 「ほとんどが自分では、可視化を制御する事が出来ない下等妖怪という事だ」


 「という事は、……見えていない部分が多いだけで、本当は妖怪も人間の世界に溢れてるって事?」


 「ご名答。故に、お前は俺に選ばれた唯一の人間代表って事だな」


 「……そ、そっか。でも、どうしてわたしには可視化を許してくれたの?」


 「言ったろ?雛ガラスを助けたお前の勇気に免じてだって」


 「……?」


 「俺たち妖ってのは、妖以外の存在――それが人の子の場合、可視化を許可した対象としか触れ合うことが許されない」


 「……?」


 「つまり、俺が可視化を許可していなかったら、木から落ちたお前を救うことも出来なかったって事だ」


 だから危険を冒してまでカルラは、わたしに可視化することを許してくれたんだと思うと、何だか涙腺が急に緩んだ。


 あの時、雛ガラスを救いたいと願ったわたしは、結果として命をカルラに救われた。


 「そうだったんだっ……。助けてくれてありがとうっ、カルラ」


 「何泣いてんだよ、」


 呆れたようにわたしの涙を拭い、笑う彼が、眩しく見えるのは何故だろう。《第2話 可視化fin.》


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