第3話 共鳴

 それからと言うもの、彼は毎日の様にわたしの元へと通うようになり、わたしの方もその状況が、非日常から日常へと切り替わるまでに順応し始めていた。


 気付けば森の紅葉が訪れ、季節は秋へと移り変わっていた。


 例年通りで行けば、わたしは既に祖父母の家から元居た自宅に戻っている筈なのだが、身体の調子がこちらに居る方が良い事から滞在期間が延びたらしい。


 あれからと言うもの、カルラと過ごす時間は自然と増え、まるで生まれた時から一緒にいるような感覚にさえも陥る瞬間がある。


 一緒にいる様になってから知ったのは、カルラはとても”静”と”動”がハッキリしているという事。


 例えば彼が、ひとたび”静”を選ぼうものなら物音一つ立てずに、その場に留まり続けるだろう。その姿はまさに静寂の中、美しくも時を刻む彫刻の様。


 一方で、ひとたび彼が”動”を選ぼうものなら、その姿を捉える事はもう人間のわたしには不可能だ。


 カルラは基本的に、わたしが読書をしている時は決して声を掛けてはこない。


それがカルラの気遣いだと分かっているから、わたしの方も無理に会話をしようとはせずに、物語の世界に没頭する。


 無言が苦にならない相手というのは、これ程までに楽でいて、安らげるものだったのかと、この関係が無性に心地よくて同時にくすぐったくもある。


 「真澄」


 だけどこの日だけは、例外だった。


 カルラの呼ぶ声に反応し、読んでいた本から視線を上げると、バチリと合う瞳が3つ。


 ここ最近、カルラが部屋を訪ねてきても、わたしが読書に集中していたのには訳があった。


 (……瞳が、3つ)


 まさに恐れていたのは、この瞬間だった。


 わたしには、ここ最近新たな変化が訪れていたのだ。決して、それを周りに悟られないようにと表情には出さなかったが、どうやらカルラはその些細な変化すらも見逃さなかったらしい。


 「お前、こいつが見えているんだろう?」


 「えっ、」


 カルラは先程から、こちらを見つめている毛玉のような一つ目のそれを、指差しながらわたしに問うた。


 「こいつの事、覚えていないか?」


 「……、」


 突然、カルラにそう問われ、頭は混乱する。



 わたしには妖の友達は居ないはず……。


 だけど一つ目と再び目が合い、その瞬間気づいてしまった。


 毛玉のようなその身体に、何だか見覚えがある事に。


 「もしかして……あの時の、雛烏?」


 「どうやら思い出したらしいな」


 「でも、どうして、」


 (……こんな姿に、?)


 「どうやら親ガラスから育児放棄されたらしくてな」


 「え、」


 それだけでも既にショッキングな話だったにもかかわらず、カルラは何の躊躇もなく続きを語った。


 「こいつは、一度死んでいるんだ」


 「……っ、そんな、……なんで、?」


 あの時、私が救ったと思った命は救えておらず、今こうして妖となって化けて出たとでも言うのだろうか。


 この子はわたしを恨んでいるのだろうか。


 そういえば、親鳥が雛鳥を巣から落としたり、育児放棄する話をどこかで聞いた事がある。


 まさか、わたしが助けたばかりに、この子はそんな目にあったのだろうか。


そうだとしたら何てお節介を焼いてしまったんだろう。


 だけど仮にわたしが助けていなかったら、この子はどうなっていたのだろう。


 もしかしたら、他の動物に襲われていたかもしれない。もしくは餓死していたやもしれない。


 考え得る可能性を挙げればきりがないけど、叶うのなら誰か、教えて欲しい。


 わたしはあの時、どうするのが一番良かったのだろうか。


 これまで常に役立たずだったわたしが、なんとか振り絞った勇気はから回りに終わった。


その事実を知り、悔しさから唇を噛み締める。


 「まあ、死因も寿命も、あまりに無慈悲な自然界を哀れんだ閻魔えんまが、一つだけこいつの願いを聞き入れたんだ」


 (……閻魔?って、あの閻魔大王えんまだいおうのこと?)


 (……それに、この子の願いって?)


 「死後、こいつは自ら志願してこの姿を望んだんだ」


 「え?……どうして、そんな事」


 「死ぬ直前に触れたぬくもりの元へと、帰りたいと願ったからだ。――つまりそれは、お前の手の温度だそうだ」


 「っ、」


 「例え、二度とお前の視界に入らずとも、こいつはお前の傍に在りたいと、そう望んだ」


 「……、」


 「だから下等妖怪として、この世にまた産み落とされた。それが閻魔によって叶えられた、こいつの願いだからだ」


 「でも、……それならどうしてわたしは、これまで見えていなかったモノまで見えるようになったの、?」


 「……おそらく、これはあくまで俺の仮説だが、お前は俺との共鳴率がすこぶる良いんだろうな」


 「共鳴、?」


 「ああ。極稀ごくまれに居るんだ」


 「?」


 「お前のように人の子でありながらも、俺たち妖との共鳴率が異常に跳ね上がる奴が」


 「えっと、」


 「つまりお前は俺との相性が抜群に良いってことだ」


 「そ、そっか……、」


 なんだかその言い方は照れくさく感じてしまい、思わずカルラから視線を外す。


 カルラは、「これも仮説だが」と、前置きしながら再び口を開く。


 「お前は俺と強くリンクしている。もしくは、そうなり始めているんだろう」


 「うん、」


 「だから、これまで見えていなかったはずの下等妖怪まで、可視化する事が出来るようになった」


 「、」


 「そう考えるのが一番理屈としては、適当か」


 「どうして、全部仮説なの?」


 それは本当に率直な質問だった。


 「一言で言えば、前例がないからだ」


 「え、でも……、稀に居るって事は、少なからずわたし以外にもそう言う人が居たって事でしょ?」


 「ああ。確かに、それは否定しない」


 「うん」


 「だがな、俺たち高等妖怪から許可を得て、可視化に成功しても、ここまで俺たちにリンクして見せた人の子は、俺が知る限りでは誰一人として居ない。――前代未聞だ」


 そう得意気に語るカルラに、わたしとの共鳴を喜んでくれているのだろうか。


 喜んでくれているといいなと、願わずにはいられない。


 何たってカルラは、喘息のせいで走るとすぐに発作を起こし、周りに迷惑をかけるわたしを厄介者扱いしない唯一の存在だから。


 カルラといると、自分にも誰かの役に立てるやもしれないと、希望的観測が頭に浮かぶのだ。


 ふと、手元を何かモフモフとした肌触りのモノがかすめた気がする。


 「っ、」


 その正体は、犬のようにわたしにじゃれつく毛玉だった。


 何だか、初めはその一つ目に恐れをなして、毛嫌いしてしまっていたが、事情を知り、この毛玉があの時の雛ガラスだった事を知ると、何だか愛着が湧いてきた。


 (……不思議だ、何となくこの毛玉が可愛い気がしてきた)


 そっと、自分から毛玉に触れてみる。


 触り心地は綿菓子を少し硬めにした位の柔らかさで、少し――いや、かなり気に入ってしまったかもしれない。


 「君、名前は、?」


 この子にも、名前はあるのだろうか。


 いや、それ以前に人の言葉は通じるのだろうか。


 するとそれを見兼ねたカルラが、わたしの手を取るとその手を毛玉の頭に置いた。


 「?、」なんだろうと、わたしの頭には、はてなが浮かぶ。


 わたしには、てんでカルラの言わんとする所の真意が掴めなかった。


 だけど、その瞬間カルラのモノでも、もちろん自分の声でもない声が、突然脳内に直接響く。


 (……っ‼︎真澄ちゃん、やっと会えた‼︎)


 「え!?」

 

 「思った通りだ」


 「これ、もしかしてこの子の声なの、?」


 「ああ。下等妖怪には口がきける奴と、こうして接触する事でコンタクトのとれる奴の2パターン居るんだ」


 「そうなんだ、」


 「俺も、物は試しって感じで確信はなかった。だから、こうしてお前で実験させてもらった」


 「実験って、」と、苦笑いするわたしにカルラは真剣な声音で続けた。


 「お前はかなり特別な存在らしい」


 「特別、?」


 自分に対して言われ慣れないその言葉の響きは、ストンとわたしの中に落ちてきた。


 理由はそれだけで十分だった。


 それまでおそらく無自覚だった、彼を”好き”という恋心に自覚が芽生える。


 妖に心惹かれるのは、ダメだろうか。


 一定の誰かに対して抱いたことのない感情に、戸惑いながらも、”好き”を一旦自覚してしまえば、これが”好き”というものなのかと納得する。


 くすぐったくて、恥ずかしくて、でもどこか幸福感に包まれる。


 「一体、どれだけいい意味で俺を裏切ってくれたら気がすむんだか、このお嬢さんは」と、そうクスリと笑うカルラ。


 カルラの笑顔は何らそれまでとは変わっていない筈なのに、恋する乙女に掛かれば、その笑顔も色眼鏡によって一層眩しいモノへと変えてしまう。


 それは、”好き”が芽生えた18歳、秋の事――……。《第3話 共鳴fin.》

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