第1話 雛烏

 療養のため、田舎の祖父母の家に預けられた。危ないからと外に出る事すらも危険だと言う両親に比べ、好きな様に外をお散歩しておいでと言う祖父母。

 どちらも同じ位、自分を愛してくれているんだって分かってはいるけど、過保護過ぎる両親と少しだけ離れてみたかった。


 無理に体を動かさなければ、わたしは喘息を出さずに済む。

 祖父母の住むこの家の、緑あふれる庭を眺めていると少しだけ自信がついた。


 高層ビルなんて一つも見えないこの場所は、夜になると手が届くのではないかと思えるほどの満点の星空が見える。

 スーッとお腹いっぱいに澄み切った空気を吸い込んでみる。

夏でも涼しい山奥のこの家は少し肌寒いとすら思う。


 こうして大自然の中に立つと、自分の存在がよりちっぽけなものに感じるは何故だろう。

 ちっぽけだと笑い飛ばす事が出来れば、何か変わるんだろうか。


 祖父母の家に背を向けて、生い茂る林をかき分け、どんどん山の中へと進んで行く。

 しばらく歩けば、何一つ人工物の見当たらない場所まで来ていた。

 少し歩いただけで息切れしてしまう自分の体に、ため息をひとつこぼし、一休みしようとその場に腰を下ろす。


 すると、草陰で何かがゴソゴソと音を立てた。

 びくりと体を震わせ、わたしは恐る恐る茂みの方を覗き込む。

 するとそこには、全身真っ黒な産毛を生やした毛玉が転がっていた。


 「……これってもしかして雛烏?」


 ブルブルと体を震わす小さな黒い毛玉をそっとすくい上げ、その真上を見上げれば、背の高い木の枝に巣を何とか見つけた。


わたしは、その木の左隣に生えていた名前もわからない植物に、ハンカチを目印代わりに巻きつけ、一度祖父母の家へと引き返した。


 まずわたしは勝手口から台所に入ると、取っ手のついたバスケットを取り出し、手の中で未だに震えている雛ガラスを優しくその中へと着地させる。

 次に家の裏側に設置してある物置を目指し、その横に祖父の趣味である園芸用の三脚を見つけ拝借する。


 半ば三脚を引きずるようにして息を切らしながら、目印代わりとしてその場に残していたハンカチを見つけ、その右隣の背高のっぽの木へと隣接するように、三脚を立たせる。


 「よいしょ、」なんてババ臭い言葉を吐きながら、一段一段ゆっくりと足をかけ三脚を登る。

 中々、高さのある場所にカラスというのは巣を作るらしい。

 息切れが激しくなり、慣れない高さに途中もうやめてしまおうかと弱気にもなったけど、バスケットの中の雛ガラスを思うと、巣に戻してあげたいと思った。


 登りきった三脚から、雛ガラスが元々いた場所だと思われる巣のある枝までは、まだ少し距離があり、ここからでは精一杯腕を伸ばしたとしても届きそうにない。


 都会で生まれ育った自分には、木登りなんてした経験がなかった。

 毎年、夏休みの間だけ滞在する祖父母の家では、喘息持ちだという事もあり、部屋の中から外を眺める事しかしてこなかったから。


 だから、今こうして三脚を登りきっただけでも、自分にしては頑張った方だと思う。


 ふと風が吹き、サワサワと枝を揺らし葉が音を立てる。

 決断は早かった。

 バスケットを腕にかけ直し、身近にあった少し太めの枝に手をかける。またがる様に座っていた三脚の天板の上に立ち、ついに木の幹に足をかけた。

 心臓の鼓動は早鐘の様にして、鳴り止まず早くなる一方だ。手汗がじわりと肌に伝わり、嫌な汗をかいてきた。


 人生初の木登りにヒヤヒヤしながら、最後の力を振り絞り、わたしは巣から落下した雛ガラスを巣へと帰してやった。

 しかし、どこからともなく親ガラスが巣荒らしだとでも思ったのか、威嚇状態で巣へと戻ってきたのだ。

 攻撃的なカラスにビックリしたわたしは、そのまま体勢を崩し、その結果三脚がグラつき、地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。

 ぎゅっと目を瞑つむり、地面に叩きつけられるのを覚悟で身を硬くしたものの、ふわりと何かに抱きとめられ、体のどこにも痛みは感じない。


 不思議に思いそっと目を開けると、そこにはわたしをお姫様抱っこしたまま宙を浮いている男の姿――いや、背中に大きな羽を生やした天狗の姿があった。


 「……、」


 「アンタの勇気に免じて今回だけは特別に助けてやるよ」


 天狗は意外にも流暢な日本語を話していて、どうやら言葉が通じる生き物だったらしい。

 架空の生き物だと思っていたものが、いざ目の前に現れ、驚きのあまり言葉を失う。


 よくよく見てみると、服装は天狗の姿を描く際によく用いられる山伏の装束そのものだった。


 「……って、俺の話ちゃんと聞いてンのか?」


 「へっ、!ああ、ごめんなさい。助けてくださってありがとうございましたッ」


 「変な奴。まあ、いいけど」


 どうして、わたしは天狗に深々と頭を下げているのだろう。摩訶不思議なこの状況に若干、慣れてきたところでそう言えばわたし今、空を飛んでいる——。


 「っ、」


 空を飛ぶ事に憧れるから人はより高層な建物に住みたがるのかもしれない。

 背中から生えている羽を使って飛んでいるからか、バサバサと音を立ててつつ若干、上下に揺れながら飛行を続ける天狗。


 それはまるで、ラジコンヘリのような動きだと思った。

 空中でその場にとどまるには、揺れは避けられないものなのかと、呑気に分析をしている自分が怖い。


 だけど、同時に空を飛んでいるという事に興奮を覚えた。飛行機でも、ヘリコプターでもない、人間が生み出した機械以外のもので、わたしは今飛行しているんだ。


 「すごい。空を飛ぶって気持ちいいんですね」


 ポツリとこぼれ出た本音に天狗は心底、不思議そうな表情をした。彼にしてみれば飛べる事が当たり前なのだから、その表情は当然と言ってしまえばそうなのかもしれない。


 「気に入ったか、?」ニヤリと笑う天狗は、わたしが空が飛べないただの人間だから、そんなことを聞くのだろう。とても愉快だと言わんばかりに、口の端を吊り上げてみせた。


 「ええ、とても」そう返事をしたわたしに気を良くしたのか、単なる気まぐれなのかそれは分からないけど、「家はどこだ。送ってやる」と申し出てくれた。


 だけど、「ありがとう。でも、三脚とバスケットは借り物だから、持って帰らなきゃいけないの」と断る。


 すると、「後で運ばせておくから心配するな」と親切な言葉だけど、有無を言わせないその口調に黙って頷く。


 「誰に?」と、言う質問は口の中でもごもごと飲み込んだはずなのに「お前が気にすることはない。で、家はどこだ」と返ってくる。

 天狗というのはもしかして読心術でも使えるのだろうか。


 「阿呆か。お前らとは耳の作りが違うんだよ」なんてツッコミを受ける。

 なるほど。天狗というのは人間よりも聴覚的に発達しているのか。

 そして、さっきのはたんにわたしの心の声が漏れていただけらしい。


 再度、「で?」と聞かれ言われた通り青い屋根の家を指差した。

 天狗は、すぐにわたしを抱えたまま一度上昇したかと思えば、青い屋根に一直線に急下降した。


 持病がある為、わたしは遊園地に行ったことは一度もないけど、ジェットコースターに乗ったとしたらこんな感じだろうか。


 「……にしてもお前、雛ガラスを救った英雄なのに、親ガラスに威嚇されるとかとんだ災難だったな」と笑った天狗につられて笑えば、「面白い奴だな、お前」と微笑まれ頬が上気するのが自分でもわかった。


 この不思議な心地の良い感情はなんだろう。名前の分からない感情にわたしは戸惑いながらも、ドキドキと胸を高鳴らせていた。

 そんな感情に照れを覚え、わたしはちらりと他に意識をそらそうと思考する。


 そして、視界にとらえたのは空から見下ろした景色だった。自分の足で歩んだ物とはまるで別物のように感じる。

 自然の中にポツリと立ち、ちっぽけだった自分が、今度はその自然を見下ろしているのだから不思議だ。


 人類が目指す宙を飛ぶという夢をわたしはこの天狗のおかげでいとも簡単に果たしてしまったらしい。

 

 祖父母の家の屋根に着地した天狗は、わたしの部屋が2階であることがわかると、軽くジャンプでもするように屋根から飛び降りた。

 びくりと声を出すこともできずに体を震わせると、今度はクツリと天狗の笑いが鼓膜を震わせた。


 気づけば鍵を開けた記憶のない窓は開いていて、出窓にちょこんと置き去りにされたわたしだけが部屋の中にはいるだけで、他は何一つとして変わらない。


 さっきまでの出来事が、本当に現実で起こったことだったのかも怪しく思える程、まるで狐につままれたような感覚だけが後には残る。


 だけど手には、雛ガラスの落ちた木を見失わないようにと、目印代わりに使ったハンカチを確かに握り締めていた。

 それに木から落ちたにもかかわらず、怪我一つしていないわたし自身も一つの証拠かもしれない。


 「夢じゃ……ないよね、?」ひどく現実味のない体験に、一人つぶやいた言葉はやけに虚しく部屋の中に消える。


 その夜、喘息の発作を起こしわたしは、それから三日間は安静のためベッドから降りることはなかった――……。《第1話 雛烏fin.》

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