奴隷邂逅【15-3】

 サプレッサーの固定を確かめ、左手で〈シュアファイア〉の大光量ライトを握る。遠方から一方的に仕掛ける狙撃よっか、ずっと神経に悪い。悪態を喉で押し止め、余剰な力を排気する。軍手の甲で額を拭い、そっとドアを小突いた。金属の一枚板が鈍い反響を寄越し、内側で硬い靴底が床を叩く。銃を握り直して耐え忍んでいると、ドア枠に生じた隙間から白光が夜気へ割り込む。

 準備は整っていた。隙間が三十センチに達すると同時に室内へ突撃、入り口の人物を押し倒す。昔の様な小回りが利かない代わりに、有り余る力に物を言わせる。どうと組み敷いた相手を直視すると、自分より小さな中年の男だった。眼下の男は腹上の重石を除けようと抵抗するが、胸に三発の九ミリ弾を見舞うと、四肢を投げ出して絶命した。だが、こいつは厄介事を残して逝った。壁際のベッドで仮眠を取っていた警備ふたりが、今の騒動で目を覚ました。闖入者を認識した片方が、壁に立て掛けた小銃へ手を伸ばす。そうは問屋が卸さない。ライトの光芒をガイドに銃口を向け、腹と胸へ五発を叩き込む。取り落とされた小銃が、リノリウムの床を叩く。

 ――あと一人。残りの標的へ射線を巡らせるも、汚れたベッドに敵の姿はない。突如、下腹部に走る衝撃に足首がもつれ宙を舞う。背中を床へ打ち付け、狭まった視界に星が弾けた。マウントポジションを取った男の腕力は凄まじく、勢い右手から抜けた拳銃が床を滑る。ライトでこめかみを殴り付けても男はひるまず、汗ばんだ手が頸に巻き付いた。節くれ立った指が喉を潰し、脳への酸素供給が滞る。反利き手の殴打に依然と効果はなく、呼吸器の圧迫で威力が落ちた。――ふざけるな。英国最強が、聞いて呆れる。アボットの人でなしどころか、こんな雑兵連中に阻まれるなど、まかり通ってなるものか。

 ライトを放って敵の髪を掴み、右の眼窩へ親指を突き入れる。どんな大男でも神経が生きている限り、眼球は絶対的な急所に他ならない。許容域を振り切った激痛に巨漢は仰け反り喘ぎ、拘束が弱まった。退路の断絶に脚を絡み付かせ、右手のいましめを振り解く。肉弾戦に持ち込まず、銃を持ち出せばよかったものを。腰のナイフを抜き、直上、敵の下腹部――肋骨の下、その奥にある横隔膜へ突き刺す。

 通常、ナイフによる攻撃は出血こそ起こせど、致命的な破壊はもたらさない。だが、専門技術に精通した者が扱えば、相手の抵抗なくして死体をこさえる御業を実現する。肝臓や太い血管をあやまたず切り裂けば、対象は遠からず死に至る。では、横隔膜を一突きされたらどうなるか――。

 ナイフをこじって切創を拡げつつ巨体を蹴り飛ばすと、先の攻勢は何処やら、物も言わず地へ墜ちた。開ききった白目は充血して天井を向き、いびつに開口した腹部から赤黒い血がだばあと零れる。確かめる必要もなく、死んでいた。人間は横隔膜を破壊されると、外傷性のショックで即死する。おまけに、この筋肉の麻痺は発声機能を奪う。文字通り、音もなく命を奪う訳だ。まさか、職務時間外で行使する羽目になるとは思わなかったが。

 濃厚な血に濡れた刃を、死体の衣服で拭う。防腐処理の施された黒いブレードが、厭な輝きを帯びている。水分を払ったナイフをシース(鞘)に収め、拳銃を回収して耳をそばだてる。先程の揉み合いは、静かとはいかなかっただろう。最初に斃した男の脈を取りつつ、三分ほどじっと動静を見守った。殺害した五人で警備は全部か、隣の離れで眠っている奴隷が感付かないか。軽くなった弾倉を交換しつつ、瞬きもせずに息を潜めた。

 やがて奇襲を悟られていないと確信すると、張った肩の力をようやく抜けた。頭皮からおびただしい量の焦燥が液体で現れ、喉が酷く渇いた。土気色に変じた死体を跨いで室内を検分し、壁際に設置された複数のモニターとデスクトップへ目を付ける。画素の乏しいモニターの一つに、両脇を山林に挟まれた正門が映っている。奴隷の離れを監視している映像もあった。あとのモニターには定期的に文字列が流れていたり、陰部がつるつるの男女がまぐわう〈XVIDEOS〉が表示されている。机の脇を見れば、黄ばんだティッシュがゴミ箱で山盛りになっている。死体の一つを振り返ってみれば、脱力した股間の辺りが濡れ始めていた。可哀想に、最後の相手が金髪美人ではなくSASとは。

 モニターと筐体の電源プラグを引き抜き、警備システムを無力化する。それから筐体をこじ開けてハードディスクを抜き、バックパックへ突っ込んだ。ここまでやれば十分という声もあるだろうが、こちとら憤怒に狂っていた。ペットボトル焼夷弾を三つを、何もかも残さない位置取りで仕掛ける。返り血の付いた腕時計へ目を落とすと、三時を少し過ぎた辺りだった。時限発火装置をボトルに埋め込み、発火タイミングを二時間後にセットする。この建物はこれでお終いだ。

 くそ重い身体で死体みっつを引きずって、母屋の玄関前に積む。地面に横たわる、五つの亡骸。苦戦はしたが、こいつらは単なる前座だ。眼前の母屋に、元来の暗殺目標がいる。大切なブリジットをくすねようとする野郎が、独りよがりな古城でふんぞり返っている。この数十分で、砂上の安寧はとうに崩れ去っているのに。血液が乾かない軍手をはめ直し、錆の浮かぶ雨どいに手を掛けた。

「さあて、お祈りの時間だ」


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