奴隷邂逅【15-1】


【28】


 十五分間の仮眠を摂って腕時計の発光する文字盤を見ると、午前一時を回っていた。欠けた月明かりに戸外は静謐な夜気で満ち、街灯にでかい蛾が群がる。首都郊外のさびれた有料駐車場で、車内から人通りを確かめたが、浮浪者の一人も見当たらない。こんな地に自宅を構えるのは余程の人嫌いか、さもなくば隔離された自己に酔う勘違い野郎だけだ。

 点眼液を眼球に落とし、目頭を揉む。すう、と醒めた思考が働く。そろそろ仕事の時間だ。後部座席で衣服を脱ぎ、何処にでも売っている青の作業服へ着替える。何の社章もない同色のキャップを目深に被れば、夜間の清掃作業員にしか見えない。違うのは腰から下げたナイフと、恋人特製のホルスター、そこに収まる銃だけだ。銃口にサプレッサーが捻じ込まれているので、ホルスターから長い筒が飛び出す格好を取っている。

 装備を詰めた荷物と、狙撃銃のナイロンバッグとを抱えて車を降り、駐車場の監視カメラを避ける経路で眼前の山林に紛れる。事前に検めた地図によると、この雑木林を通ればアボット邸まで市内の監視カメラを避けつつ、人目にも付かず接近出来る。深い闇の垂れ込める林で夜目の完熟を待つのも惜しく、キャップを脱いでPVS-14(NVG、暗視ゴーグル)を装着したヘルメットを被る。スイッチを入れるや、ぶうんと羽虫の鳴く音と共に〈ハルク〉みたいな緑色の視界が開けた。単色のせいで距離感が掴み辛いが、夜の眼としては十分に機能する。少し五月蝿いのが欠点だが、文句も言っていられない。念を入れて拳銃を構えつつ、地図とコンパスの導きで山を登った。

 山林は人の手入れが行き届いておらず、そこら中に太い根や深い叢(くさむら)が蔓延っていた。鬱陶しいNVGの駆動音を割いて、蟲の鳴き声が木々に反響する。もしこの山林がやつの所有地であれば、事前に兵隊を配備しておくのも不可能ではない。現状、蟲や鳥の動向を見る限りは、そういった動きがないのが幸いだ。

 五十メーター歩く度に、冷たい地面に這って聞き耳を立てた。土を踏み締める音がしないか。草木が擦れ、枝葉が折れていないか。蟲の声が突然に途切れないか。過度なまでに気を配り、いつでも銃を撃てる様に視線を巡らす。やがて危険がないと判断すると、また息を殺して這い進む。姿勢を低く、自分が通った痕跡を残さない様に、硬い土だけを踏む。見通しはさほど悪くない。つまり、敵も侵入者を見付けるのは難くない。もし狙撃銃や機関銃で待ち構える斥候がいたら、一撃でお陀仏だ。そうならない為にも、肉眼以外の手段をフルに用いなければならない。

 途中、ウサギと思われる小動物が草木を掻き分ける音に何度か肝を冷やしたが、それ以外で大きな接触はなかった。気付かなかっただけとも想像出来るが、言い出したところできりがない。ともあれ一時間ほどで、アボット邸が目視確認出来る地点にまで、俺は到達した。

 NVGを跳ね上げて邸宅を見渡すと、西日を嫌ってか、向かって左の壁には窓がなかった。南を除く三方は土手の急斜面に囲われ、石の塀で防護されている。家屋は三つで、一番大きい二階建てはアボットの居住する母屋だろう。その隣に併設されている直方体・一階建ての似通った二つは、規模からして単なる物置とは捉え辛い。恐らく、一方は奴隷を収容するのに使われている筈だ。もう一方の施設の存在が謎だが、右半分がお高そうな車が収められているガレージとして使われているので、居住空間とは考え辛い。そうなると、警備員の詰め所か何かだろう。軍事作戦であればそれも明らかにするべきだが、如何せん時間がない。

 金属製の正門には目立つ位置から見下ろす監視カメラが目を光らせ、訪問者にガンを飛ばしている。だが人力は割かれておらず、機械の目だけが空しく左右へ振られている。

 不都合なのは門の内側で、母屋の玄関前で図体のでかい二人組が暇そうに警備に当たっている。片一方は煙草の火を夜闇にくっきり浮かばせ、相方は股を開いて地面すれすれに尻を浮かせている。勤労態度は最悪だが、存在そのものが当方として最低だ。心の内で舌打ちをやり、ナイロンバッグから狙撃銃を展開、高価な機械仕掛けの筒を覗き込む。通常のスコープとは価格が「だんち」な、熱探知(サーマル)スコープだ。倍率の掛かった低解像度の暗黒に、ぼんやりと警備員の白い影が浮かぶ。母屋で薄い明かりが点いているのは、玄関ポーチと二階の一室だけだ。大方、書斎か寝室だろう。二階に台所がある確率は低いし、この時間に主人の居住区を掃除する奴隷はいまい。そうなると、アボットが明かりがないと眠れないお子ちゃまなら別として、やつが起きている事実が判明した。面倒事が、少なくとも二つに増えた。

 母屋の窓は全て、カーテンで遮られて内状を窺えない。対して警備員の詰め所と思しき建造物だが、こちらは明々と白色の光がブラインドから漏れており、内側に緩慢な動きが見られる。奴隷の収容所らしき建造物は、完全に消灯されている。

 本来なら偵察に十分な時間を割り当てるのが定石だが、作戦目標を考慮すると、現時刻と相談して三十分が限度だ。その間に必要な情報を掻き集めねばならない。普段の我々の訓練が、如何に実戦に即しているかを痛感する。こんな小規模な強襲でさえ、どうしたって一人ではマン・パワー(人員・労働力)が足りない。

 敷地を取り囲む石塀の高さは約三メーター。頂に有刺鉄線やセンサーの類は設置されていない。少々高いが、持参したワイヤー製の梯子を使えば難なく越えられる。仮にセンサー類に掛かったとしても、基地から強引に借りた機材――作動停止音波発生装置――で無力化出来る。まさかアボットの私兵も、こうまで装備の整った敵を相手取るとは夢にも思うまい。そもそも、そいつが暗殺を企てている現実さえ知らないのだから。

 玄関前で退屈する二人はスーツこそ着ているものの、肩に吊るした火器は民間企業に属しているとは信じ難い風体だ。一人はAR-15系列と見られるライフル、もう一人は判別不可能なサブマシンガンと、装備の統一が図られていない。警察関係でもなげで、どうやら傭兵云々の噂は真実らしい。実戦経験のある人間は厄介だが、これは同時に好都合でもあった。民間の大組織に属していないのであれば、殺害しても事は小さくて済む。性質の悪いごろつき連中であれば、こちらも良心の呵責を受けずに済むというものだ。

 レーザー測距機で母屋までの距離を計ると、ここから七十メーター。高低差は十五メーターといったところだ。現時点で確認されている警衛は二人だけ。偵察の制限時間を設定してから、既に十分近くが経過していた。事を急くな。ゆっくりはスムーズ、スムーズは速い。一旦スコープから眼を離し、視神経を弛緩させる。頭を使え。あの邸宅の警備に、何人の人員が必要だろう?警備コンサルタントの正式なノウハウはないが、恐らく八人は余計だろう。表のやつらと交代要員とで、多くて六人。ひょっとすると、もっと少ないかもしれない。監視カメラは、人力より安く済ませられる。正門以外にも設置されていると考えて、まず間違いない。警備を強化がブラフか如何で状況は変わるが、この際構ってもいられない。

 再びスコープの電源を入れると、母屋に動きがあった。電子ロック付きの金属製であろうドアが開き、真っ暗な奥から人影が現れる。くすんだ白一色で表される世界では何者か判別が利かず、スコープから眼を外した。玄関ポーチの電球の下、その人影は強かに白い輝きを反射している。――アボットの奴隷だ。黒いの髪が少し乱れている辺り、今晩の相手でもさせていたのだろう。彼女は警衛に会釈しつつ、奥の方の離れへ向かった。裾の短いエプロンドレスを纏った彼女を目では負っても、警衛は一言も掛けなかった。手でも出そうものなら、社会的に憂き目を見るのだろう。

 これで、離れの一つは奴隷の居住区画と判明した。残る手前側の離れだが、こいつの正体を調べる猶予は残されていない。バックパックから梯子のロールを取り出し、侵入経路の探索に視線を巡らせた。玄関ドアには、電子ロックが掛けられている。警備員の助力で開けない事もないが、手間取る結果しか見えない。ドアを壊すのもありだが、強襲作戦でもないのに不用な音は立てたくない。アボットのみならず、奴隷連中にも悟られず侵入するのが望ましい。第一、金属製のドアをぶち破るのに、何分掛かるか分かったもんじゃない。だったらハリウッドみたいに頭から窓へ突っ込む方が、まだ迅速性はある。無論、それも却下だ。一般家屋なら地下室からの侵入も容易だが、警備を雇っておいて無策な道理もない。そうなると……。

「――ビンゴ」

 スコープを向けた先に、目当ての構造物が見付かった。緩やかな傾斜を描く屋根の中程、手付かずで砂埃に覆われた天窓だ。流石のアボット様も、数いる警備員をいなして屋根へ這い登る物盗りの存在は想定外であった。御丁寧に、地上まで雨どいのパイプも伸びている。あれが俺の体重に耐えられなかった場合は、山岳小隊から教わった登攀技術を用いる必要に迫られるが、これで母屋への侵入手段は確保した。警備員さえ処理すれば、アボットは手中も同然だ。

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