奴隷邂逅【10-3】

 明くる日も、英国は快晴に恵まれた。射撃場にて拳銃による指導を終え、我々は遂に訓練課程の修了を迎えた。各自解散した受講生は昼時から酒場へ行くのが大半で、身内はやっとで訪れたバカンスに揚々とホテルへ戻る。手前、ほやほやアベックはというと、奇妙にもその場に残留した。この理由の説明には、今朝まで時を遡る。

 起床して脂ぎった顔を洗っていると、タオルを差し出すブリジットが尋ねる。「訓練の後のご予定は?」薄っぺらいタオル越しに顔面を叩きつつ未定の回答を返すと、彼女はこんな案を持ち掛けてきた。「でしたら、私にも射撃を教えて戴けませんか?」陽の降り注ぐ砂浜で肌を焼き、青く輝く海と戯れる情景を裏切られる意外性だが、彼女からの要求なら是非もない。物は試しと、叔父に射撃場の貸し切りを申請するなり「いいよー!」と快諾を賜り、現在に至る。話の分かるおいたんだ。

 黒のポロシャツにチノパン、頭に叔父のPSCのキャップを被るブリジットに、弾倉を外したMP5を渡す。刃物の受け渡しは手順を誤ると危険だが、弾さえなければ、銃に危険性はない。

「注意事項が幾つかある。人間に銃口を向けない。撃つその時までセイフティを外さない。銃口を覗き込んではいけない。トラブルが生じたら、俺が直す。いいね?」

 初歩中の初歩だが、この慣例を遵守しなかったが為に、阿呆のジェイクは健康な足を失った。警戒し過ぎるくらいが丁度いい。新米射手が厳かに頷くのを確認して、弾薬を十発込めた弾倉を渡す。成る程。鉄砲を扱う少女というのも、これはこれで乙だ。行き過ぎたカウガールと違い、品性が保たれている。

 十メーター先の標的を、黒光りする銃口が睨む。恋人の後ろ姿は大分頼りなく、何処か変に緊張していて滑稽だ。

「入社面接じゃないんだ、もっと背中を丸めた方がいい」

 くそ真面目な返事でブリジットは応じ、指示へ従順に筋肉を弛緩させる。これだけで随分ましになった。飲み込みの早い子だから、後は自然と自分に合ったやり方を見出すだろう。

「撃ちますよ?」

 不安も露わな合図に応答すると、か細い親指がセレクターをセイフティから単射へシフトさせた。おぼつかない操作が、どうにも過去の自分を想起させる。当時の俺に、殺しの覚悟を決める猶予はなかった。懇切丁寧な指導と、心の尻拭いをする大人は不在だった。彼女が銃を握るのは娯楽目的に過ぎないが、意図はどうあれ、銃は破壊の一辺倒のみを果たす。弾丸が常に正しい標的を砕くには、銃を握る人間の正義が問われる。

 白く端正な指が、引き鉄に掛けられた。握りは可能な限り深く、肩の力を抜いて――。忘れられがちだが、射撃は武芸だ。一瞬で結果が弾き出される。だからこそ、基礎は盤石に築いておかなければならない。黒色火薬の時代であれば別だが、この距離で風速や偏流は度外視していい。だが、銃身は一本の管だ。射線が傾くと、弾丸は標的に命中しない。

 しばしの沈黙が満ち、穏やかな風が木々を揺らす。風音が途切れると同時に、静寂が引き裂かれた。MP5の排夾口から真鍮の薬莢が飛び出し、芝生に跳ねる。ブリジットは発砲の衝撃にいささか驚いた様子こそあれ、不必要に仰け反らず、馬鹿みたいに尻餅もつかなかった。最初でこれなら上々だろう。

 昼時の陽光を受けるモノクロのブルを見やると、果たせるかな着弾痕は見られない。新兵が必ず経験するジャーキング――がく引きだ。反動に備える余り、不必要に力んで銃口が下方を向いてしまう。ブリジットが放った処女弾は、地面にずっぽり飲み込まれたのだろう。

「まあ、弾はいっぱいあるんだ。気落ちするな」

 そうして叩いた背中は、妙な闘志に満ち溢れていた。

「次は中てます」

 殊勝な心掛けだ、可愛いじゃないか。期待せずに頭を撫でてやり、結果を見守る。外れた要因はジャーキングに限らない。まだ銃の扱いさえろくに習得していないし、照準器も俺の眼に位置に合わせている。端から中てるのが、まず無茶な話だ。

 教官らしい物思いに耽っていると、第二射が放たれる。目で追える訳もないのだが、射線をなぞる様に標的へと視線を巡らせる。

「おっ」

 これには感嘆の息が漏れた。何とまあ奇跡的にも、ブルの左寄りの箇所に小孔が穿たれている。可愛い新兵に視線を戻すと、額の汗を拭って安堵の表情を浮かべる。いやはや、ほんの第二射から命中弾を出しやがった。

 その後のブリジットは何の指導もなしに射撃を続け、引き鉄が絞られる度に標的の木板が呻いた。発砲の間隔はそこそこに短く、かなり実戦的な速度だ。ものの数秒で残弾を撃ち尽くすと、ブルの内側に九つのクレーターが横たわっていた。集弾率はまずまず、如何せん適応が早い。期待に首筋を伝う雫もそのままに、練兵教官は新参の部下で別の実験を試みた。

 弾倉に十三発の弾薬を込めた〈シグザウアー〉P226を、ブリジットの繊細な手に託す。以前に彼女を生命の危機に立たせた、因縁を持つ銃だ。根本の原因は俺にあるとはいえ、是非ともこの子の手で飼い慣らして欲しい願望があった。拳銃のスライド(遊底)は、存外に固い。大の男でも引くのに慣れを要するのがセオリーだが、ブリジット小さく鼻息を噴出してこなし、初弾を薬室へ押し込んだ。意外と力強いのね、君。

 拳銃射撃の型姿勢は多様だが、英軍で標準的なアソセレス・スタンスを指南するとした。ウィーバー・スタンスは見てくれが良く、確かに肉体へのストレスは小さい。が、常に足を前後に広げられるとは現実は限らないし、応用が利かない。おまけに脇腹を晒すので、敵弾に無防備な臓器を抉られるリスクまで高まる。言うまでもなくブリジットはメイドであり、軍警ではないのだが。

「足は肩幅に開いて……そう。両腕で二等辺三角形を作る。頭を低くして、顎を引く。左手は後ろに、右手は前に押し出す様に銃を握る。狙いが落ち着くだろ?」

 小さな背中に密着して指示を出していると、髪を結うリボンの奥に、可憐なうなじが覗き見える。そういえば、親父がこんな戯言を抜かしていた。「夏の風物詩――そいつは日本の縁日にある、浴衣の艶姿だ」父さん。あんたの妄言の理解が、この歳で及んできたよ。

 基本の型が完成したところで一旦離れ――何だかお預けを喰らった気分だ――初めてのアソセレス・スタンスを評定する。肩に幾らか力が入っているが、及第点だろう。MP5の時と同様、彼女は断りを入れて発砲を始める。一発目が、MP5より甲高い破裂音を伴って命中する。ブルズアイには程遠いが、しっかりと中てている。拳銃は、長物より決定的に銃身長が短い。照準線も短い為に着弾点の見定めが余計に難しいのだが、この子はそれを初弾でやってのけた。要領の良さもあるだろうが、一種の素質を信じたかった。

 そこから二発、三発と発砲する内に要領を得たのか、教えてもいないのに、同じ箇所に矢継ぎ早で命中させる『ダブルタップ』を会得していた。今や標的には複数の穴が繋がり、拳大の窓が風景が鮮やかに切り抜いている。ずぶの素人とは思いたくない上達だ。拳銃を用いた護身術の一つでも仕込めば、しかる時に有用やもしれない。

 弾倉の弾薬が尽きると、スライドストップ――スライドが後退したまま固定される機構――が作動して銃が沈黙する。予想外の出来事にブリジットは呆然と石化したが、銃口を覗く真似は犯さなかった。別の弾倉を差し出すと黙して受け取り、弾倉交換の手順に聞き入る。初めて握った拳銃がいびつに変形すれば、誰しも困惑する。その実、発砲の度に乱暴な変形を繰り返しているのだが。

 ダブルタップ程度の技術に落ち着くのは勿体ないと、教官は悪知恵を巡らせる。能力の限界を見極める手始めに、モザンビーク・ドリルを指南した。手順としては胸に二発を高速で撃ち込み、三発目を頭に中てる。字面は実戦的に映るが、どうも有効性には疑念がよぎる。拳銃弾といえど胸に喰らえば死に至るし、地面に倒れた敵の頭を瞬時に狙うのは不可能とも考えられる。そもそも近年の狂信的なテロリストは、ちょっと身体に穴が空いた程度では昇天なさらない。その呆れた信仰心をへし折るには、幾らか多めの弾丸を浴びせてやらねばならない。倫理観に五月蝿い、お高くとまった文民に貸す耳は要らない。実際「やり過ぎかな?」くらいで丁度いい。

 ブリジットは小気味良い拍子を刻み、標的を叩いた。次第にPSCの訓練と同じく標的を増やし、左右に動く小さな金属板や複数回命中させないと倒れない人型を用いたりしたが、何れにも彼女は迅速に順応した。足許に輝く空薬莢が跳ね、秒を経る毎に降り積もる。手許で間断なく発砲炎が吹き出しては、くすんだ黄金の薬莢が宙を舞う。スライドストップが掛かると即座に弾倉を地面へ落とし、ポケットに収めた「フレッシュ」な弾倉を滞りなく再装填した。その面構えは標的を撃ち抜く、ただそれのみを目的として前方を見据えている。――綺麗だ。直感的な感想が零れそうになり、垂れかけた唾液と飲み込む。他人をおちょくる物言いの一方で、こうして恋人への認識を深めようと真摯になってくれている。純粋に、嬉しかった。

 拳銃弾だけで二百発ほど撃ち続けた後で、銃身を短縮したSR-16を持たせてみた。仕事でいつもC8を使っている我々は慣れ親しんだサイズだが、少女の身では相当にかさばって見える。出だしは扱いに手を焼いていたが、たちどころに命中弾を連発させる。反動の殺し方はMP5で慣れたらしく、手引きの必要さえない。おまけに搭載した照準器は四倍率だというのに、等倍率の時と照準速度に変化がない。まるで犬を調教する様に、銃を調伏する。こいつはとんでもない逸材だぞ。背筋が総毛立つと共に、ブリジットはまだ弾の装填されている銃から、空の弾倉を抜き捨てた。あいつ、とうとう残弾数を身体で憶えやがった!

 既に護身の範疇を超えていたが、CQB施設で突入を動画に撮ったり、ライトを片手にした状況での戦闘を教授している内に、日が暮れた。教練の締め括りに銃の整備を一緒にやり、銃の大まかな組み立て方を諭した。手や頬を黒ずんだオイルで汚しながら、ブリジットは愚直に勤しんだ。色気の欠片さえ存在しない光景が、たまらなく魅力的だった。

 詰め所の警備員に別れがてら差し入れのコーヒーを渡し、自車に乗り込む。バカンスという風ではなかったが、充実した一日だった。助手席の恋人は絶えずにこやかで、今度は自分の銃で撃ちたい、と控えめに申し出る。インターネットでの銃器ブランド巡りの提案に、彼女は満足げに頷いてくれる。何処まで尽くしてくれるのかと、嬉しさ半分に、彼女の優しさが空恐ろしい。底知れぬ厚意に浸かり堕落する自己を律しようにも、伸びた鼻の下が戻らなかった。

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