奴隷邂逅【10-1】


【20】


 ラベンダーの匂いが残る枕を抱いて起きた朝、先に起床した『彼女』が淹れたアールグレイのブロークン・オレンジペコ――何やら誤解されているが等級の一つであり、決して柑橘系の風味ではない――を啜って目覚ましとし、ルームサービスを胃に収める。何だか味があって、イギリスらしからぬ食事だ。厨房を仕切っているのは、フランス人に違いない。叔父が所有する当ホテルだが、粗野なオーナーの生き様と裏腹にサービスは充実しており、地下には広大なプールを備えたスパ施設、インストラクター付きのフィットネスジム、何処まで勝たせてくれるか不確かなカジノ、世界各国の酒類を提供するバーと、一通りの行楽施設が揃っている。これで運営費を差っ引いても毎年黒字なのだから、あながち侮れぬ経営力だ。

 時刻が九時を回ればフロントで兄弟・親父夫婦と合流し、愛車を駆って射撃場へとすっ飛ばす。げに爽快な朝だ。上方に澄み渡る青空が広がり、青緑の反射光が眩しい海が水平線を彩る。ウィンドウを開け放てば、さざ波の快い囀りが鼓膜を愉しませる。観光に浮かれる真っ赤なスポーツカーをエンジンのパワーで颯爽と追い抜かし、すれ違いざまにピースサインを運転手へ送る。隣の恋人も、それに倣って小さく手を振る。いやはや、実に清々しい夏だ。

 射撃場に辿り着けば、各々が昨日から置きっ放しの武器を取りにロッジへ向かい、先に到着していた受講生と世間話をする。その内に数人の受講生がニーナやブリジットを包囲し始めると、誘いをずさんにあしらわれたり、丁重にお断りされたりしていた。今なら言える。その子、先約が入っているんだ。

 この日、俺は車輌が襲撃を受けた際の対応を教育課程にあてがわれた。味方の陣地から離れた地点で攻撃を受けた場合、敵勢力の規模・味方の車輌の被害状況を鑑み、帯びた任務に応じて適切な判断を要される。車輌が一列縦隊で進行する場合、真っ先に狙われるのは先頭車輌だ。カーブに差し掛かって速度を落としたところを、遠隔式の路肩爆弾に吹き飛ばされる事例が多い。戦闘車輌が擱坐すると進路が塞がれ、不慣れな運転手は追突や制御不能で立ち往生する次第だ。当該事例における手順だが、後続車輌は停止せず、燃え盛る先頭車輌を避けてその場を即座に離脱するのが正しい。特に、要人を運んでいる場合は急務だ。さもなくば周辺で待機していた敵歩兵が車列を包囲し、要人は誘拐、警護担当者は筆舌に尽くし難い憂き目を見るだろう。

 通常の輸送任務で奇襲を受けた際は、車輌がまだ走れる状態であれば、応戦しつつ全速力で離脱する。足が使えなくなっていれば、即座に廃棄して別の車輌に乗せて貰うか、その場で徹底抗戦するしかない。敵は多数である可能性が高いが、それこそ特殊部隊のお家芸だ。少人数による統率された暴力が数倍の規模の敵を撃退するなど夢物語にも聞こえるが、実例は枚挙に暇がない。大部隊では成立し得ぬ効率がフルに適用される為、攻撃から撤退までのプロセスが円滑に進む。被害を最小限に、かつ成果が大部隊の生み出すそれに匹敵するのだ。ただ、ハリウッド映画とは異なり、特殊部隊の主たる役目は敵師団と正面切ってのどんぱちではない。悲しいかな、魂こそ残れど、現代に騎士は命脈を保てなかった。

 軽量なカービンしか持たぬ受講生を前に、俺はここぞとばかりに大仰なMk46を持ち出した。装甲の施されたSUVから飛び降りて地面に這い、バイポッド(二脚)を芝へ突き刺すなり、標的へ三発から五発の連射を刻む。機関銃の役目は、彼らが確固たる地位を築いた第一次大戦から変わらない。その真価は、熾烈な弾幕で敵の行動を鈍らせる点にある。一説によれば、このMk46の前身たるM249 SAWは一挺でM16ライフル十二挺分の火力を誇るとされている。これぞ正しく少数部隊の支援火器である。いやあ、高かったんだこれが。

 降車と同時にタイヤやエンジンブロックを遮蔽に身を屈め、標的に精確な応射を行う。身体の露出を最低限に反撃に移り、隙を生み出して離脱を図る。可能な限り手順は簡略化し、各自が使命を徹底的に頭に叩き込んだ。元軍警は各々の飲み込みが良いのもあり、極めて楽な仕事であった。

 午後は天井が吹き抜けのCQB施設を、これまたその手の任務に向かないMk14ライフルを携えて駆け回り、曲がり角や部屋の隅へ配置された標的に大口径弾を中てる。着弾の度に木製の標的から木端が派手に散り、イヤーマフなしでは鼓膜が破れそうな発砲音が壁に反響する。受講生の使用する二二口径と比較にならない反動が上半身を駆け抜けると、アドレナリンの過剰供給が感じられた。確かな威力、納得の精度。これでこそ小銃だ。銃の選択を大半の受講生に呆られたが、こういった機会でもなければ、この銃を気兼ねなしに振り回す事も叶わない。

 それにつけても射撃はいい。ストレス解消には絶好の手段だ。果たして仕事かも定かではなかったが、興味を持ったチャックにMk14を貸したところ、「すげえ扱い易い」といたく気に入った様だ。しかしまあ、一メーターを裕に超えるMk14――お名前はフレッド――が小さく見える。ボディビルで生きていけるんじゃないか、お前さん。

 リコイル(発砲時の反動)に手が真っ赤に腫れ上がるまで弾丸を撃ち込んでいれば日が暮れ、泥まみれの身で銃を整備する。訓練で使った銃を作業台で分解し、ソルベントの染みた布で丁寧に拭う。部品に付着したカーボンや砕けた弾丸の被甲が落とされると、滑らかな金属が顔を覗かせる。その筋では悪名高いAKなら整備なぞなしでも動作するだろうが、AR-15――特にダイレクト・ガス・インピンジメント(ガス直噴式、リュングマン方式)を組み込んでいるモデルは、頻繁に世話しないとすぐに給弾不良を起こす。それは我々SASの使用するC8カービンも同様で、特に砂漠地帯では不調を訴える確率が高い。そんな面倒臭い機構だが、構造が単純であるが故に全体として軽く、可動部位が少ない為に精度が高い利点も共存する。個人的には少しばかりの重量増加を加味しても、やはり確実な作動性を重視したい。だって、自分が鍛えればいい訳だし。

 可愛い銃の整備を終えれば、受講生らと別れてホテルへ戻る。車内では、髪を一つ結びにしたブリジットからニーナと会話した事柄を聞き、相槌を打つ。傍から見れば取るに足りない情景だが、今に至るまで人殺しと陰謀に手を染めた身には、決して手の届く筈のない安寧だ。戦場を知る家族以外に、こうまで分け隔てなく接する女がいるとは。どうも、やっとでツキが回ってきたらしい。それにしても、神様は仕事が遅い。

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