20 プラシアの翼

 空を飛ぶことを取り戻したプラシアに、言わなければならないことがあった。

 おそらくプラシアも僕に言いたいことがあったんだと思う。

 ふたたび自由を取り戻した日、僕らは夕暮れに診療所で会う約束をした。


 基地に戻ると宿舎前の広場でコバルト将軍に呼び止められた。


「サラ。その顔を見るに一仕事を終えた様子だなぁ?」


 壮年の大男が前に立つと、僕に影がかかる。

 コバルトは義手の手首をもう片方の手で叩きながら、


「近いうちにメンテを頼むぞ。我が軍はいよいよ連邦領へ侵攻するのだからな」


「おっちゃんは正直すぎるよ。あくまで領域侵犯した連邦への防衛戦、だろ?」


「細かいことを気にするな。いつまで経っても大きくなれんぞ?」


 ガシャンガシャンと音を立てて僕の方を二度叩いた。痛い。

 コバルトは師匠と旧知で幼い頃の僕を知っているんだけど、もう僕は大人だ。

 僕が困ったようにため息をつくと、ハハハと笑いながら訓練場へ向かった。


 ひどい目に遭わされるであろうルルカを思い、訓練場へ敬礼を送る。

 カナリーが「珍しいですね」なんて声を掛けてきた。

 僕は彼女の抱えていた荷物の半分を持って宿舎の医務室へ行く。



 プラシアの翼作りにかかりきりだった僕だが、今日からは違う。

 カナリーにはたくさんの恩義がある。


「次の兵站へ行く前に、街のおいしいレストランへ行かないか?」


 カナリーは荷物をドスンと床に落として、僕をまじまじと見つめる。


「ほっ、本当ですか⁉」


 僕が頷くと、パアと花が咲いたように笑顔を見せた。

 何を驚く必要があるのか分からないけど、嬉しそうだから良しとする。



 十六日前に司令部からこの基地へ命令があった。

 僕のような医官や有力な士官は次の基地へ移動することになる。

 プラシアのいた村への戦闘行為を帝国は連邦の領域侵犯だと強く批難した。


 帝国軍は村人たちを翼人族として保護という名目で研究対象にしている。

 プラシアが逃げ出せた理由は翼が片方しかなかったからだろう。

 僕ら人間は残酷なまでに、時代の覇者だった。




 ■




 荷物の整理をしていたら、いつの間にか夕暮れになっていた。

 あわてて宿舎を飛び出して兵舎の裏手から基地を抜け出す。

 市場はその日最大の賑わいを見せていた。いや、いつも以上の賑わいだ。


 教会と広場と大門をつなぐ目抜き通りには藁で編んだドラゴンが闊歩する。

 道の脇には商人たちが店を連ねていた。その中にマルーン氏を発見する。


「いったい何が起きてるんだ?」


「なに、知らねえの? 夏至祭さ。ほら、夏至祭名物の細工だ。やるよ」


 稲妻を模したドラゴンの木工細工を受け取る。これ、何に使うんだ?

 夏至祭という割に藁の作り物やこの細工も含めて、収穫祭の色合いが強い。

 たぶん収穫祭が収穫の時期と被るため、時期が遅れて夏の祭になったのだろう。


 何よりこの街で農業従事者はほとんどいない。

 収穫祭と呼ばれず、夏を祝う夏至祭に結びついたと考えられる。



 僕はマルーン氏にお礼をして、ナヴィの診療所へ向かった。

 バラック群を抜けて診療所へ入るとナヴィが患者と談笑している。

 狭い部屋を探せどプラシアの姿が見つからない。


「おうサラ。プラシアか? これをお前に渡してくれって言ったきりなぁ」


 ナヴィは僕に一冊の本を渡した。昔、プラシアにあげた絵本だ。

 何度も読み返されて、ボロボロになっている。

 中を開くと文字の横に線が引かれ、何度も言葉の勉強をした痕跡が伝わった。


 読みながら絵本のあらすじはプラシアには簡単すぎたな、と思う。

 友達とお別れした少年は、人の中で強い寂しさを覚え、人のいない塔に逃げる。

 そこで少女と出会って友達になる。定離と相逢の教訓を与えるお話だ。


 少年が少女と出会うページに一枚の紙が挟まっていた。

 栞ではなく、メモのようだ。中にはぎこちない手書きの文字が書いてある。

 僕は少し頭をひねりながら、その字を順番に読み上げる。


「あ り が と う ……!」



 ああ、紛れもなくこれは……






 プラシアから僕への別れの言葉だった。




「ずるいなぁ、プラシアは。言いたいことだけ言っていなくなっちゃうなんて」


「そうか? あの子、お前が来るのをずっと待っていたぞ」


 僕は自分が遅刻していたことをすっかり忘れていた。

 ロフトピアの夕方は長い。暮れなずむ太陽が壁のずっと上に光を当てていた。


「ナヴィ! プラシアはどこへ行くって言ってた?」


「さあな。遠出する格好じゃなかったと思うが、お前の作った翼は持ってたな」



 僕はナヴィに短く感謝すると、本を片手に診療所を飛び出した。


 はじめにたどり着いたのはバラックの外側、飛行訓練をした丘だ。

 プラシアの名を呼んでも誰もいなかった。

 僕は太陽を背に振り返る。坂の街に夏至祭の光で道ができていた。


 この街でいちばん高い場所。そして夏至祭の今日、いちばん人がいない場所。

 考えられるのは一つしか無い。

 僕はいつかエルフを追った道をふたたび全力で駆け上った。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……、プラシア……、どこ、に……!」


 膝に手を付いて項垂れた後、顔を上げるとプラシアが欄干に寄りかかっていた。

 プラシアが眺めている広場には巨大な藁製のドラゴンが火を吹いている。

 否、火を吹いていると見えるのは周囲の藁束を燃やしているからだ。


「すごい 人間 ドラゴン 恐れてる」


 ぽつりとこぼした言葉を受けて、僕はプラシアの横に立つ。


「恐れられるのはイヤか?」


「うーん…… これくらい?」


 人差し指と親指でちょっぴりさを表現した。

 僕たちは人とドラゴンが戦い、ドラゴンが燃やされるまで祭を眺める。


 プラシアが身を寄せてきて、ハッと息を漏らしてぴょんと離れた。

 よく変な挙動をすると思っていたが、今のは中でも一番のへんてこな動きだ。


「あ あのね……」


 かと思えばもじもじしながら僕に上目遣いを送る。

 言いづらいことを女の子に言わせるのは僕のポリシーに反する。


「サラ、わたし ね、」


「プラシア、僕は数日でこの街を立つ。だから、」


 言葉を遮るように僕は別れの言葉を切り出そうとして、


「サラ!」


 今まで聞いたことがないほど、大きな声で名前を呼ばれた。

 思わず言おうとしていたことが喉元に詰まる。

 怯んだ僕にプラシアが、ぐい、と近寄って……


 両の腕で抱きしめられ、両の翼で包まれた。



「……プラシア?」


 僕の胸に顔を埋めたまま、プラシアが大声を出す。


「――――――――!」


 くぐもった声がお腹の中を伝わって、僕の耳に届いた。

 叫ぶように、何かに抗うように、切なる願いが僕の心を震わせる。


 二人を包んでいた翼が閉じて、プラシアは僕を腕から解放した。

 その青い瞳はうるんで、こらえきれなくなった涙が一筋だけ流れる。




 ああ、明確な言葉だったよ。




 プラシア、僕は……




    彼女は翼を広げ、欄干の上に乗る。




「プラシア!」




 彼女は振り向かない。

 だから、僕はプラシアの小さな手をぎゅっと握った。




「僕と飛んでくれないか?」



 僕の言葉にプラシアは笑ってるのか泣いてるのか分からない表情をした。

 喪心症なんてとっくに治っているに違いない。

 でも僕は僕の熱病をどうしたら良いかまったく分からなかった。



 黄金の空には夜の帳が降りて、広場で藁を燃やす光が煌々と灯る。

 僕とプラシアはいつかの森の時のように、この空の世界に飛び上がった。

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