11 VS重力

 その日から僕の生活はガラリと変化した。

 一週間のうち大半を部屋にこもり、時おり診療所へ赴くのを繰り返す。

 それをもう半年近く続けていた。


「サラ医官、今日も徹夜でありますか? そういうのはダメであります……」


 少し髪を伸ばしたカナリーが心配そうに尋ねた。

 どうやら僕は部屋の床にそのまま寝ていて、気が付かなかったらしい。

 ボサボサの髪をかきながら起き上がると、朝の日差しに目の裏が痛んだ。


 軍内部の人間は僕を道楽にかまけていると揶揄する。

 カナリーは揶揄はしないものの快く思っていないようだ。

 この部屋を見れば無理もないだろう。


 天井にぶら下がるオーパーツを真似て作った数々の板。

 かつて『飛行機』と呼ばれたエーテルを用いない空の乗り物だ。

 僕は過去の遺物を参考に、プラシアの翼を作ろうとしていた。


「あっ、そうだ。昨日の、あ、完成してた。そう、行かないと……」


 床の上には新しく作った羽が置いてある。

 翼を作るというのは非常に困難な作業だった。

 そもそもエーテルなしでものが浮く原理から理解しなければならなかった。


 床に置いた羽を持ち上げる時、羽に使った材料以上の重さを感じる。

 これは羽が空気の抵抗を受けるからだ。

 同時に羽が掻き分けた空気が風を作り、床に散乱した紙をより散らす。


 羽が空気の抵抗を受ける時、羽の外側で空気が渦を巻くのだ。

 持ち上げた羽を丁寧に包んで、背負えるように紐でくくりつける。

 背負おうとするとカナリーが手伝ってくれた。


「程々にしてほしいであります」


「ああ」


 カナリーがどうして僕を後押ししてくれるのか分からない。

 それでも今はそれに感謝するしかなかった。

 カナリーの協力で寄宿舎から出ると、今度はルルカが手を振ってくる。


 謹慎を解除されたのにも関わらず、ルルカは僕の共犯者の一人になった。

 今背負っている翼の材料の多くをマルーン氏に製作してもらっている。

 ルルカがポニーテールを揺らして、兵舎へ僕を手招きした。


「今日ので何作目になるんですか?」


「十四、いや、十五だったかな」


 兵舎の裏手にある軍基地の通用口で、ルルカは濡れタオルを差し出す。


「詮索するつもりじゃないですけど、女の子と会ってますよね?」


「……まあ」


 女の子と言えば女の子だが。

 タオルを受け取り、顔を拭いて首にかけた。

 ルルカに見送られながら僕はバラックへと向かう。


 診療所の前で軽くタオルで身体を拭いて、翼を背負ったまま裏手へ回る。

 ちょうどプラシアが横になる姿が見える位置に出た。


「サラ! きたのですか!」


 プラシアが翼をバッと開いて、窓越しで僕に話しかけた。

 あれから回復したプラシアは診療所で手伝いをしながら生活している。

 言葉もだいぶ話せるようになり、喪心症は治りつつあった。


 カウンターでナヴィがプラシアに注意する。


「プラシア! ここで翼を開くなって言ってんだろ!」


 診療所には患者がふたたび戻っていて、プラシアの羽は邪魔になっていた。

 それでも患者たちはいいんだいいんだと口をそろえている。

 彼女を目当てに入院しようとする人もいるのだとか。


 僕やナヴィが何をしたわけでもない。

 プラシア自身の健気さに人も在来種たちも心を開いたのだ。


「サラ。あー……、こんにちは」


 窓枠に手をかけて、言葉を選ぶようにしてぎこちない挨拶をした。

 心なしか頬が赤いが、会う度いつもそうなので翼人族の特徴かもしれない。

 まだまだ翼人族には謎が多く、遠征で見つけた村の情報もほぼ手に入らない。


「はいこんにちは。今日もリハビリに行くぞ」


「うーん……。分かったケド、お茶、のまないですか?」


 実はプラシアは空を飛ぶことに乗り気ではなかった。

 たぶんあきらめている。僕が頻りに羽を作って来るから渋々付き合っている。

 リハビリという名の飛行訓練だ。何度も墜落して痛い目を見ている。


「ダメだ。午後からは追い風になる。お茶はその後いくらでも付き合ってやるさ」


「いくらでもって100でもですか⁉」


「飲めるかそんなに! 10、いやせめて5くらいまでなら」


 プラシアは時おりくだらないことを言う。


「そうですか……。わかった。行きます」


 ちょっぴり残念そうにした後、機械仕掛けの扉を出て僕のところへ来た。

 僕は彼女を連れてバラック群の最も奥、つまり街の一番端に荷を下ろす。

 街を囲む壁まではなだらかな丘で、飛ぶには絶好のポイントだ。


 手頃な紙を折りたたみ、紙飛行機を作って丘の下に向かって飛ばす。

 軽く上昇して、ゆるやかに滑空して丘の途中に着地した。

 はじめに上昇したそれこそ翼で空を飛ぶ方法、揚力である。


 揚力とは羽の外側で空気が渦を巻く時にはたらく力のようだ。

 羽の形を改良する中で、圧力の差が空気を渦を作り出すと分かってきた。

 プラシアの残った翼も上側が丸く、下側が平になっている。


 包みを開いて羽を取り出した。出来る限りプラシアの翼を模倣している。

 つまり、空気が翼に当たると、上側と下側に分かれる仕組みなのだ。

 丸い上を通る空気の方が平な下を通る空気よりも長い距離を移動する。


 距離は違えど同じ時間で羽の外側を通過するので速さが違う。

 空気の流れが速い上側では圧力が低くなり、遅い下側は圧力が高くなる。

 揚力が身体にかかる重力を上回ればプラシアは上昇するというわけだ。


 前にプラシアに説明したところ、首をかしげるだけで反応が薄かった。

 感覚で飛んでいる。僕たちが腕や足を論理的に動かしていないのと同じだ。

 その感覚とやらを論理的な段階へ下ろすだけで半年かかった。


「よし、準備完了だ。飛ぶために必要だから思い切り速さを出してくれ」


 プラシアの背中に羽を取り付けるためのハーフベストを着せる。

 ベルトできつく固定し、その上で背中に羽を取り付ける。

 肩甲骨の動きで羽が開閉した。上昇時は必ず開くように作られている。


「今度はちゃんと飛ぶですか?」


「飛ぶですよ」


 ぽこん。

 ひ弱な腕で頭を叩かれてしまった。たぶん言い方を真似たからだ。

 プラシアは喪心症の影響か表情は薄く、言葉もおぼつかないので手が出る。


 今のは僕が悪かったと謝りを入れた。

 仕方なさそうにため息を吐いたプラシアは羽を畳んで、走り出す用意をする。

 僕は丘の高いところで壁の外側に広がる草原をじっと眺めた。


 黄緑色の草原の奥の方から濃い緑色の線が迫る。

 ……来る。


「プラシア!」


 僕の合図より少し早いくらいでプラシアが飛び出す。


 緑の影はぐんぐん街に近づいて、草原の端にたどり着く。

 プラシアからは壁で草原の変化が見えていない。

 走る速さも坂を使って自力では止まれないほどになっている。


「今だっ、飛べ!」


 祈るように合図した。

 プラシアが自分の青い翼を開くのとほとんど同じタイミングで反対側も開く。

 その瞬間、足が地面から遠のき、プラシアの身体が宙に浮いた。


「いや、とっ 飛んだ……⁉」


 明らかにそれは揚力が重力を上回っている。

 プラシアの身体を丘より高く持ち上げていた。

 推進力を得るためにプラシアは翼を折り曲げてはばたく。


 このまま前進すれば軽々と街の壁を越えていけるだろうと思った。


 が。


 僕の作った羽が開閉部からぼっきりと折れてしまった。

 はばたいたのがたぶんいけなかった……、と分析している場合じゃない。

 逆に推進力を失ったプラシアの身体は失速し、墜落を始める。


「サラ!」


 プラシアの呼び声に呼応し、


「 風の精霊よ、我に 加護 を与えよ! 」


 両手を開いて前に突き出し、体中の魔力を一点に集める。

 僕が全身全霊の魔力を集中させると、手のひらから強い光を放った。

 強い魔力に反応して風以外の精霊たちも目覚める。


「プラシアを助けろ!」


 風がうねり、雲が湧く。壊れた羽の破片が炎に焼かれ、プラシアを守る。

 地面に叩きつけられるかという瞬間、丘の大地がぐにゃりと凹んだ。

 プラシアがゆっくりと大地に足を付けたのを見届け、僕は気を失った。

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