10 決意

 教会の広場からバラック群はほとんど見えない。

 手前の市場はかつて砦だったため、意外と背の高い建物が多いのだ。

 僕は項垂れるエルフを尻目にかけ、来た道を引き返した。



 市場の手前の広場に着いた時、ルルカと再会する。

 栗色のポニーテールを揺らし、汗だくの僕を不思議そうに見た。


「どうされたんですか?」


「決めたんだ」


「はて。何を、でしょうか?」


「助けたい人を助けるんだ」


 考えを言葉にすると不思議と力が湧いてくる。

 僕はルルカの横を通り過ぎ、市場の方へ走り始めた。


 ルルカが僕を「中尉殿!」と呼ぶ。

 悪いけど、立ち止まっていられない。


 それを察したのかルルカは大きな声で、


「お父さんにちゃんと話してくれてありがとうございます! 仕事は少し休むって約束してくれました!」


 僕は背中を見せたまま片手を挙げて応えた。



 市場は走るには適さないほど人と物で賑わっている。

 掻き分けて入るわけにもいかない。

 空を仰ぐと夕焼け色に染まり始めていた。なるほど、今が一番混んでる時だ。


「ん、あれは……」


 僕は市場の屋上に通路を見つけた。 

 街を攻められた時の備えとして、ほとんどの建物に二階がある。

 今でも有事のために立ち入りを禁止されているが……


「 闇の精霊よ、我に 加護 を与えよ 」


 右手を前に差し出し、手のひらを石畳に向けた。

 何者かに語りかけるように言葉を紡ぐ。


「      重さを喰え      」


 手のひらから生まれた黒い光球がふよふよと浮遊し、腹の中に入り込む。

 身体が途端に軽くなった。


 今度は手のひらを上向きにして言葉を紡ぐ。


「 風の精霊よ、我に 加護 を与えよ 」


 手のひらサイズのつむじ風が出来上がり、落とさないようそっと膝に乗せる。

 ぐっ、と足腰を曲げて、力を貯めた。


                                 跳躍。


                           僕

                      の

                身体

           は


                              建物の一階


           を

         悠々と

         越えた。


  闇の魔術は重力の操作。

  風の魔術は跳躍の強化。

 二つの魔術を重ねたのだ。


   二階部分は埃っぽい。

  僕は素早く駆け抜けた。


 バラックの前に到着する。


「まだパニクってるのか……

                よっ

                       と」

                            僕は


    市場の二階から


                                 跳ぶ。


 高さが人の背丈の倍はあったが、僕は訓練を受けている。難なく着地できた。



 バラック群に入るとざわつく在来種たちは僕に気づくとわらわらと逃げ出す。

 彼らにも僕が軍人であることが知られているのだろう。

 軍人は人から厚い信頼を受けるが、それ以外から冷ややかな目を向けられる。


 悲しくも開けた道を行き、ナヴィの診療所のドアのベルを鳴らす。

 アンティーク調のベルは神聖そうな鐘の音を響かせた。


「僕だ。問題は解決してきたぞ」


 ドアの上部にあった機構が回転し、扉の錠が順番に外れていく。

 最後の一つが外れ、扉が拳一つ分ほど開いた。

 中に入るとナヴィが僕を見るなり、面倒くさそうに頭をかく。


「お前、人畜無害そうな顔して強引なところあるよな」


 ……強引なことをした覚えはないんだけど。


 僕は診療所のいつものベッドを見やると、プラシアが腰掛けていた。

 改めて見ると小柄で、ぶら下げた足が床に着いていない。

 鈍い青色をした瞳が向いていて、僕はやっと目が合ったと思った。


 僕は彼女の傍らに移動する。


「やあ、プラシア。元気にしていたかい?」


 窓の外をぼんやりと眺めながらプラシアはぽつりと何かつぶやいた。

 表情がないからなんて言っているのか推測もできない。

 プラシアは枕の横に置いていた本を取り出す。


 胸元に掲げると、口が隠れてしまう。


「して え ことば」


 絵と言葉をして……?

 僕がプレゼントした本を開いて、文字や絵に指を当てる。


「あ。読んでってこと?」


 ほとんど絵の本だ。

 文字が読めなくても楽しめると思ったんだけど、失敗だったかな。


 プラシアが頷くと必然と本に隠れるみたいになる。

 ざんばら切りの髪越しに上目遣いを送ってきた。


「よんで?」


 イントネーションが変だった。

 僕の言葉をそのままオウム返ししたのだろう。

 だけど、たぶんプラシアは「読んで」の意味を訊いたのではない。


 手を差し出すと絵本を手渡される。

 僕は表紙の題名を人差し指でなぞりながら、それを読み上げた。

 するとプラシアが僕の肩に肩を寄せ合い、表紙の大きな塔に指をさす。


「え? これは塔だよ」


「とう?」


「塔」


 ああ。僕は『絵と言葉をして』の意味をようやく理解した。

 彼女には塔が何なのか分からなかったのだ。

 塔ならある程度の農村なら一つはある。物見塔の役割は重要だ。


 敵の発見に役立つし、敵も監視の目があるから迂闊に近付けない。

 プラシアたちも農村に住んでいたが、物見のための塔などいらなかった。

 彼らには翼があったからだ。


 僕はひとつひとつ丁寧に読み上げ、絵の名前や意味を逐一話した。

 プラシアは僕の指を追って食い入るように身を寄せる。

 その度に羽毛で首や耳をくすぐられるのでくすぐったくて仕方なかった。


 カウンターでナヴィがごとごとと何かを沸かす音が聞こえる。

 診療所に似合わない花の香りがした。

 ナヴィが盆を片手にやってきて、不揃いなカップを差し出す。


「茶でも飲めよ」


「ありが、いや……、助かる。喉が乾いてたんだ」


 市場で診療をする前に木の実の絞り汁を飲んでから一滴も飲んでなかった。

 今だってずっと本を読んでばかりで喉がカラカラだ。


 僕は二つのカップのうち、青いラインの入ったマグカップを取る。

 プラシアは僕に許可を求めるような視線を送った。

 頷くと、僕のより一回り小さく白いティーカップを両手で持ち上げる。


 骨董品にしか見えないマグカップを口につける。

 プラスチック特有の冷たくも温かくもない無機質さを感じた。

 お茶を音を立ててすする。おいしくもなく、まずくもない。


 一方、プラシアは陶器製のティーカップに向かってハフハフしている。

 僕がマグカップを持ち上げると、プラシアも一緒になって持ち上げた。

 雛が親鳥の尻を着いていくような可愛らしさに笑みがこぼれる。


「ねえ、プラシア。僕に君の翼を作らせてくれないか?」


 自分でも驚くくらいに、思っていたことが口をついて出た。

 プラシアはキョトンとした面差しで僕を見る。

 君が今、言葉の意味を分からなくても、僕の気持ちは固く決まっていた。

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