07 ファントム・ペイン

「助かるなら助ける。それが俺たちのモットーだろ?」


「それとこれとは話が別だ」


 ナヴィの問に僕はいくつも重ねた請求書を突き出して答えた。

 バラックの群にぽっかり空いた中庭で、僕らは無意味な口論している。

 と言ってもナヴィが一方的に僕へイライラしているだけだったが。



「師匠の医者としての心構えを、乞食の理由に使うな」


「乞食って言うな。俺は趣味で人助けをしている」


 突き出した請求書の束を、サロペットのポケットに力なく仕舞った。


「そんなこと堂々と言われてもな……」



 背中を預ける壁の裏側には実際に趣味で開設した診療所がある。

 性別や年齢、身分の違い、金の有る無し、すべて関係なく助けていた。


 もっとも、診療所で使用する薬や刻印石の大半は僕を通じて買ったものだ。

 戦時中の帝国で民間人のナヴィが容易に買える代物ではない。



「昔世話になったお前だからこっそり売ってるんだ。助ける相手は選べ」


「俺が助けるのは、生きたいと思ってる奴だけだ」


 不変の真理のように断言し、二本目のタバコを咥えて火をつけた。

 煙が昼下がりの白んだ青の空に消えていく。



「答えになってない。誰だって死にたくないよ。撃たれた敵兵だってそうだ」


「そうか? 戦場は人の命を軽く見せる。他人だけじゃない。自分の命もだ」


 指鉄砲を虚空に向け、その手をこめかみに当てる。


「連邦の兵士、挺身兵と言ったか? 使命を果たして笑って死んだんだろ?」



 パン、と呟く。頭に当てた手をスナップさせる。いたずらっぽく舌を出した。


「命の重さは変わらない。なら、生きたいと思ってる奴を助ける。そうだろ?」


 今度は僕が答えを求められる。


「……ナヴィ、お前はいつか破綻するぞ」


「その時はその時だ」


 ほとんど灰になったタバコはフィルターを残してくすぶっていた。

 くすぶるそれを地面に捨てた時、壁越しに女の子の叫び声が聞こえる。



「またあの子か」


 ナヴィは頭をかいて、やれやれと扉を開けて診療所に戻った。

 追随して中に入ると前に来た時と比べて横になる人が減っていた。

 診療所はいくつかのランプの火で夕暮れのようにオレンジ色をしていた。


 ナヴィは背の高さを活かし、人のいないベッドを軽々と飛び越えていく。

 叫び声の正体はプラシアだ。両手をヘッドボードに固定されている。

 足をじたばたさせて、安いベッドのスプリングをきしませた。


「目を閉じろ。背中をさすってるぞ。ほら、痛みが引いてくる」


 優しく語りかけても少女は目を閉じないし、悲鳴もやめない。

 僕はプラシアのいる方へ足を向けて、ふと思いとどまる。



 自分の手を凝視すると、指先からわなわなと震え始めた。

 力強く指を組み、震えを鎮ませる。


「落ち着け。僕はナヴィの診療所にいるんだ。戦場は遠い。大丈夫、大丈夫」


 震えが収まり、急いでプラシアの元へ向かう。

 ベッドの傍らにたどり着いた。少女のきれいな背中を眺める。

 縫合跡は治癒しているし、火傷だってほとんど治っていた。



「おい、翼人族ってのは新しく翼が生え変わったりするものなのか?」


 プラシアを押えながらナヴィは問うた。

 ナヴィが考えたのは例えるなら永久歯が出るのを阻害する痛み。


「コバルトのおっちゃんが言うには翼人族は翼が生え変わったりしないそうだ」


 翼人族は伝説上の生き物として帝国に伝わっていた。

 僕はプラシアの頬に手を当てて、子供をあやすように話しかける。



「プラシア。僕だよ。久しぶり。分かるかな?」


 少女は名前を呼ばれて青年の顔を見た。

 泣きそうな顔をしたが、言葉尻の疑問形に首を小さく縦に振る。


「あぅ」


 言葉が通じなくても、肯定の意味だと分かった。

 何かをぼそぼそとつぶやいたので、そっと耳を寄せる。


「……かぞく あぅ ……したい」



 地の言語だ。たどたどしく、自信なさげで、切実さがあった。


「プラシア……」


 僕は顔を離す。目をそらし、意に反して頬に一筋の涙が流れた。

 涙の意味がプラシアにも伝わったのだろう。

 頬に流れた涙をプラシアが包帯を巻いた手で拭った。

 包帯の手にグローブの手を重ねて、ゆっくり下ろさせる。


 ナヴィが神妙そうに二人を眺めて、僕の肩に手を置いた。



「その子のリハビリはお前に任せるわ」


「……は?」


 頓狂な声を上げて振り返った。


「お前の方が適任だろ。この言葉が正しいか分からないが……」


 言いよどんで続ける。


「幻肢痛、だろ? ないはずの手や足が痛む。サラ、お前の専門分野だ」



【幻肢痛】-げんしつう

 手足を切断した患者の多くが体験する疼痛。例えば、腕を失った患者が指に痛みを覚えるというような状態を指す。



 僕はプラシアに視線を戻し、細長い瞳孔を持つ獣のような瞳を覗った。


「……無理だよ。彼女が失ったのは翼だ。手足とは訳が違う」


 義肢の存在意義は手足の代わりを果たすだけじゃない。

 もっとも、手足の代わりになるほどの義肢は精密で一般人は手が出せないが。


 一番の意義は幻肢痛を軽減させるためだ。


「痛みは原因をなくせばなくなる。でなければ、痛み止めや麻酔が有効だ」


 過去までも隠すように片方の付け根には包帯が巻かれている。



「原因のあるはず局所がない。痛み止めも麻酔も意味がない。唯一、義肢が四肢欠損者に対して有効的なのは、そこに手足があると感じられるからだ。でも、仮に翼の義肢を作って身につけたとして、そこに翼はあると感じられるか?」


 足があるから不自由なく立てるし、手があれば不自由なく仕事ができる。

 生きるだけに必要なものを揃えてなお、プラシアは心を失った。


「プラシアにとって、翼とはどんな意味を持っているんだろうな」


 人はただ生きるだけじゃ生活しているとは言えない。

 生きて、活きる。

 彼女にとっての翼は、活きるための翼なのだろうか?



 ぼんやりと考えを巡らせていると、ナヴィが僕の頭を軽く叩いた。


「馬鹿。そこまで考えてやれるのはお前だけだ。充分、適任だろ?」


 ハッとしてナヴィに視線を移し、ふたたびプラシアに向き直る。

 言葉をかけようとして、僕は自分の手を見つめながら思いとどまった。


「悪いけど、僕は軍医なんだ。担当になるのはできない」


 いざという時は戦場に駆り出される。

 メディックとは非常時の救急医療のエキスパートだ。

 逆に言えば長く患者を診るというナヴィのような在り方とは正反対にいる。



「なら見舞いに来い。それくらいならできるだろ」


「ああ……、そうだな」


 決して安請け合いなんかじゃない。

 あの森で出会ったのも何かの縁だし、老婆には同じ翼人族だと認められた。



「そうだ、プラシア。君に渡したいものがある」


 僕はナヴィに一声かけてカウンターに置きっぱなしのカバンを取ってもらう。

 中から一冊の絵本を取り出し、プラシアに手渡した。


「ちょっと君には幼すぎるかもしれないけど。退屈を紛らわせるといい」


 版の大きい本は表紙に大きな塔が描かれた明るい色彩の装丁だ。

 変わっているのは表紙が背表紙を上にして描かれていること。



 プラシアが不思議そうに本を眺めていたので、表紙をめくってあげる。

 すると、おどろいた顔をしてまじまじとページを見つめ始めた。

 また一枚、また一枚とめくって、その度に「あっ」と小さくこぼす。


 興味を持てるのは喪心症の彼女には大きな一歩に違いない。

 何を驚くことがあるのか僕には分からないけれど。


「退屈はしなさそうだね」



 窓の外を見ると、ランプで照らされた診療所のような色をしていた。

 浮島は星の表面に近いから、一日の半分が夕方だ。

 自分たちのいる土地よりも低いところから太陽が照らす。


 世界が赤色に染まりだしたら仕事をやめて家に帰るのが生活の基本。

 バラックの住民は帰る人々を狙って商いを始めた。

 僕も軍の寄宿舎に戻る時がきたようだ。

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