08 カナリーのお願い

 寄宿舎に戻った僕を待っていたのはカナリーの悲鳴だった。


「どこに行ってたでありますかぁ!」


 勢い良く突っかかってくるので、ぎゅうぎゅうと胸を押し付けられる。

 個人的に悪くない心地だが、廊下にいる同僚たちの目線はちょっと痛い。

 オマケに何かひそひそ話までされている。

 肩を掴んで一定の距離を作った。



「カナリー看護官、何かあったのか?」


「ありましたよ! 軍は国民のためにあるんじゃないんですか⁉」


「えっ? えーと……、どうだろうねぇ」


 カナリーは頬をふくらませ、両の握りこぶしでポコポコと僕の胸を叩く。


「痛い痛い」


 彼女の目元には泣き跡が残っていた。



 僕はカナリーの背中に手を添えて、自室へ案内する。

 安上がりな木造建築だが、兵舎と違って一人一室あてがわれる。

 兵は兵舎、官は寄宿舎というわけだ。


「ちょっと散らかってるけど、入って」


「はい。……って、これがちょっと散らかってる、でありますか?」


「これでも片付けた方なんだよ」


 部屋の壁一面に本が積み重なっている。


 半分は帝都の図書館、もう半分は個人で収集した書物だ。



 僕は机の椅子を引いてカナリーを座らせ、自分はベッドに腰掛ける。

 やわらかく差し込む夕日が天井に窓枠の影を作っていた。

 カナリーは机の上のペンを取って右手だけでくるくる回す。


「さっきの話ですけど、医官はどうして医者になったのでありますか?」


 カナリーの質問は素朴で本質的だ。だから少し、息が詰まる。

 僕は左の胸ポケットに付いた黒いシミをハンカチで拭き取った。



「その質問に答える前に確認しておきたいことがある。カナリー看護官、君はさっきまで怒られていたんじゃないか?」


 カナリーは驚いた顔して、何度も首肯する。


「どうして知ってるんですか⁉」


 僕は指で丸を作って、カナリーを覗き込んだ。


「まず、軍は国民のためにあるか? って僕に訊いたよね。何か腑に落ちない出来事があったんだ。次に、これ」


 シミを拭き取ったハンカチを取り出す。黒い汚れが付いていた。


「インクのシミだ。僕の左胸のポケットにあった。そして君は右手でペンを回した。反省文を書かされたせいで、僕の服が一つ汚れたわけだ」


「しゅみません……」


 シューンと小さくなる。ハンカチを手渡し、あとで洗って返してね、と加える。



「ついでに言えば反省文を書かすような形式的なやり方で、かつ僕抜きで君に説教をできるのは医官長かコバルト将軍だ。他の士官の様子から見るに将軍に怒られたんだろう。さんざんな目に遭ったね」


「そうであります……。あれ? じゃあ私どうして部屋に呼ばれたので?」


「ええと……」


 泣き跡が残っていたから、とは言いづらい。



「か、カナリー看護官の質問に答えるよ。どうして医者になったか、だったね。端的に言えば、僕のあこがれの人が医者だったんだ」


「あこがれの人?」


「僕を拾って、育ててくれた人だ」


 カナリーは口を手で隠しているが、興味津々の様子だ。


「拾って、って……」


「うん。落ちてたんだそうだ。僕には拾われてからの記憶しかないから、それまでのことは分からないんだけど、いや、だからかな。物心ついた時からその人の背中を追っかけて、困った人を助ける旅をした。当然のように医者になったよ」


 助かるなら助ける、か。このモットーは旅の中で学んだんだったな。



「なんだかすごい経験をしていたんでありますね……」


 すっかり恐縮させてしまった。

 人の一生は町の中だけで終わるのが普通だ。

 町の外に行くのは軍や商人、あるいは旅人くらいのもの。


「それで? カナリー看護官が僕にそれを訊いた理由を教えてくれるかい?」


 カナリーは両手のすべての指と指を付けて、難しそうな顔をして考える。


「今日の昼、兵の一人に家族を診てくれって頼まれたんです」


「うん。それは引き受けたのか?」


「もちろん引き受けました! 医官を探しても見つからないから、私が診に行ったんですよ。でも問題はここからであります。私が町で医療行為をしていることが問題だったらしくて……、聴取と反省文。意味がわからないであります」


「うーん、立派な軍規違反なんだよなぁ」


 まあ、医療器具を横流ししている僕に言えたことじゃないが。



「軍は国民のためにあるんじゃないんですか?」


「一応、軍規としては、国の平和と秩序を維持するためにある、わけだけど」


 カナリーが僕を頼った理由を無下にはしたくなくて、続きを言いよどむ。


「平和のために秩序を乱していけないのは、分かるかな?」


 医療を軍と民間で分けているのは秩序を維持するためだ。

 秩序を欠いては平和が揺らぐ。

 自分のことを棚に上げているけど、カナリーがやったのはそういうことだ。



「おんなじこと言うんですね! サラ医官の分からず屋!」


 カナリーは勢い良く立ち上がり、反動で椅子が床に転がった。

 医者は人だ。誰でも助けられるわけじゃない。軍医は軍人を助ける医者だ。


 それでも助けたい人がいるからナヴィに器具を横流しにしている。

 この戦時中、義肢を必要とする人がたくさんいるから魔動兵器の破片を拾う。



 カナリー、君を見ていると昔の自分を思い出すようだよ。


 部屋を出ようとする彼女の手を掴み、僕は人差し指を自分の唇に当てて笑う。


「で、その患者はどこに住んでるんだ?」


「サラ医官……!」


 カナリーは白い歯を見せて笑った。

 僕は軍人失格だなぁ。




 ■




 数日後の昼下がり、僕は市場を歩いていた。

 この街の市場は同業者が同じ通りに店や工房を持つ。

 細い用水路を渡ると皮なめしの通りがあり、その隣は木工細工の通りだ。


 僕は木工細工の通りに入ると、地面の格子状の影が出来ているのに気づく。

 頭上には木製の格子があり、店の商品がずらっとぶら下がっていた。

 向かい側の工房まで商品が並んでいるが、まあ同業者だからいいのだろう。


 カナリーに聞いた話だと、経過観察をするべき患者はここにいるらしい。

 一ヶ月の基地内待機を命じられているカナリーは迂闊に外出できない。

 代わりに僕が兵の家族の元へ経過観察をしに行くことになった。



 工房の前で地面に座る中年の男性に声をかける。


「ここいらで看護官……、医者が来た家って分かるかい?」


 看護官を含めて僕ら医者はサロペットが制服だ。


「もしかして、ボインの?」


 男性は胸の前で両手の甲を見せ、くるりと手のひらにする仕草をした。


「そう、カナリー看護官だ」


「四日前に診てもらったんだけんど、いい娘だったなぁ……」


 どうやらこの人が件の患者らしい。



「残念だが、僕が経過を見に来た。変わりはあったのかい?」


「いンや何も」


 男は僕の格好を見て納得し、仕事を再開する。

 円筒の棒の両端を麻糸にくくりつけ、麻糸を歯車で回し始めた。

 足の指で短刀を挟み、棒の表面を削っていく。


 帝都では蒸気機関が当たり前にあるけれど、ここではまだ浸透していない。

 だからこそ発症するものがある。



「なあ職人さん。アンタはじん肺だ。看護官にそう言われたんだろ?」



【じん肺】−じんぱい

 粉じんを長い期間で吸い続け、肺に粉じんが蓄積することによって起きる肺疾患の総称。咳、痰、息切れが起こる。悪化すると呼吸困難、動機を起こす。



「だから何だ。職人が仕事を放る理由にはならねえよ」


 迷惑そうに言い捨てた。


「粉じんのないところで休めば、症状は良くなる。咳が続いてるんだろ」


「知ってるよ。あの姉ちゃんも言ってたな。でも、いいのさ。俺は咳でも痰でもくしゃみでも出物腫れ物所嫌わず好きにやらせてもらう」


 話を聞く気などさらさらないようだ。


「はぁ」


 思わずため息が出る。


 助かる気のない人に差し伸べる手はない、のだが。



「お父さん!」


 栗色のポニーテールを揺らして、軍指定の練習着を着た若い女が駆け寄った。


 お父さんと呼ばれた男は驚いた顔をしたが、すぐに目をそらす。


「何しに来た」


「前から咳がひどいって言ってたじゃない! カナリー看護官にお願いして診てもらって……、あれ? どうして中尉殿が?」


 若い女、もとい依頼主の兵士がこちらをじっと見ている。


「あ、中尉って僕か。謹慎中の看護官の代わりに経過を見に来たんだ」


 慣れない階級呼びに戸惑ってしまい、ちょっと恥ずかしい。


「うちの父のために……、すいません!」


 まずいなぁ。僕がここに来ているとバレたらカナリーの二の舞いだ。

 いや、この子がいるということは誰を診察したかまで口を割らなかったか。



「ええと、君は……」


「あっ、わたしはマルーン二等兵であります!」


 ビシッと敬礼をされる。


「それは知っているよ。君の下の名前を聞いたんだ」


 ごめん、実はぜんぜん知らなかった。

 指揮系統は違えど上官として部下の名前を覚えていないのは良くない。


「す、すいません! ルルカと申します!」


 ルルカはあわてて答えて、恐れ多そうに目を伏せる。



 僕はルルカに短く感謝を伝え、職人の男へ向き直った。


「マルーンさん、ルルカたっての願いで僕は来ました。少し休んでもらうことはできませんか?」


 男はううむと唸り、ルルカの後押しもあって手を休めてくれた。

 一時的な休憩でも肺を休めれば進行が遅くなる。

 娘が立派に働いているのを見せれば、納得してくれるという期待もあった。



 ほっと胸をなでおろし、ふとプラシアの姿を思い出した。


「助かるなら助ける。助けるのは生きたいと思ってる奴だけだ、か」


 僕はマルーン父娘に軽く挨拶して、ナヴィの診療所へ向かった。

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