第8話


 エビを喰らい、ずぶ濡れになった衣服と荷物、靴や銃を乾かし、手入れをして休息を取った後であっても、夜が明ける事はなかった。

 今も闇に包まれる外は肌寒く、生乾きに近い服を纏ってる事も有って寒さが半端なかった。

 この世界では夜は急激に冷え込む。昼間は照り付ける太陽で暑く、夜はこうして冷え込んで温度差が激しいのだ。

 それ故、風避けとして上から羽織るポンチョは欠かせない。これだけでも肌に感じる寒さは、全然違った。

 顔のクーフィーヤもそうだ。強盗みたいに顔を見られない事もあるが、砂埃が鼻や口に入るのを防いでくれる。

 それに外気に直接、肌を晒さずに済む。


 涼介はポンチョを被ってクーフィーヤを顔に巻いてから、夜盗の如く足音と息を殺し、宵闇に紛れる様に足を進める。暫く進むと、バンディッツがライトで周りを照らして警戒しているのがうっすらと見えた。

 建物と建物の間に身を隠すと、涼介はスリングで身体に掛けていたジールを置いて、バックパックを下ろす。それ以外にも、防寒の為に纏っていたポンチョも脱ぎ捨て、ゴーグルも外し、バックパックの脇に置いた。

 だが、野戦服にコンバットベストの姿になった涼介は何故か、ベストも脱ぎ始めた。そればかりか、銃剣や雑嚢等を始めとした装具が取り付けられたガンベルトさえも外す。

 残ったのは右腿に取り付けられたリボルバーのホルスターや身に纏う野戦服にクーフィーヤ、それにコンバットブーツであった。 

 そんな身軽な状態になると、涼介はゆっくりと地面にしゃがみ、静かに伏せる。

 

 『暗闇に紛れて忍び寄るなら、ゆっくり、小さく動け。人は動くものに反応する。そして、早く動けば音がして、即座に感付かれる……』 レイラの言葉が、頭の中で繰り返される。

 その言葉を守る様、匍匐前進の要領で地面を這いずり、光の方へと近付き始めた。途中、ライトの光が近付いて来ると動きをピタリと止め、顔が埋まらんばかりに地面へ押し付け、伏せる。

 石の如くジッと静かに不動のまま、ライトの光が離れるのを息を殺して待ち続ける。光が外れ、段々と離れて行くのを横目で確認すると、再び、手足を動かして亀の様にゆっくりと小さく進んだ。

 それを何度も繰り返した頃には、何とか瓦礫の陰に身を隠す事が出来た。

 そこで涼介は息を静かに吐き、ゆっくりと吸って休む。

 明かりで照らされても、瓦礫が光と視線を遮ってくれ、変に動かなければ見付かる心配は無かった。


 地面のアスファルトもそうだけど、風で運ばれた砂利や小石が腕に刺さって痛い。

 撃たれてミンチにされて死ぬのと比べれば、マシだけど……やっぱ、痛いものは痛い。


 両腕の痛みに辟易し、溜め息を吐いた所で瓦礫から顔をソッと静かに覗かせた涼介は、ボンヤリと見える歩哨見張りの動き。否、ライトの動きを見る。

 ゆっくりと右から左へと動かすと、今度は左から右と往復する。

 往復が終わったのか、ほんの数秒だけ斜め前にある崩れたビルの前に放置されたトラックの残骸で、光の動きが止まった。そして、また動き出す。


 3秒から5秒止まったら、周りを見始める。見始めたら、1分半ばかり使ってゆっくりと見回す。

 また数秒止まったら、同じ時間使って戻る訳か……


 瓦礫の陰に身を隠して居た涼介は、ライトの光が通り過ぎると再び、僅かに顔を覗かせて観察して立てた仮説を確認する様に歩哨見張りの動きを見る。

 ライトの光が過ぎてから、涼介の観察した通りに光の線が動いていた。


 良し、今だ……


 視線が向こう側に行ったのを見計らい、ゆっくりと動き出した。トラックの残骸側へ向かう為に両腕と両足を巧みに動かし、這いずって道を真っ直ぐ横切ろうとする。

 後ろから、光が追い掛けて来た。急ぎ、慌てる心を堪えて駆け出したい衝動を抑え、匍匐前進を続ける。トラックの残骸に潜り込んだ所で、ライトの光が止まった。

 見付かったのか? と、不安が胸中で膨れ、渦巻き始めた。

 トラックの下から周りを見るが、誰も来る気配は無かった。そればかりか、ライトの光も変わらずにゆっくりと動いている。

 涼介は不安が杞憂に代わってホッと胸を撫で下ろすと、潜り込んだトラックの下からバンディッツの拠点へ、音を立てぬ様に近付き始めた。





 地下鉄メトロを出てから1時間半が過ぎた。

 暗闇の中を見付からぬ様、車の残骸や瓦礫の陰に隠れながら亀の様にゆっくりと進んだかいあって、見付かる事無くバンディッツ達の拠点の近くまで来る事が出来た。

 焼け落ちた看板を見ると、元はスーパーマーケットだったのが解る。その名残なのか、駐車場には幾つもの車の残骸が放置されていた。

 無論、例のテクニカル武装車輌もあった。御丁寧にも、ファイティングドラムとデシーカのタレットに1人ずつ配置されている。恐らく、攻撃を受けた時に反撃する為だろう……

 それを見ると建物の脇を通る道路へ向かう為、這い始めた。

  1歩ずつ、1歩ずつと音を立てぬ様、ゆっくりと進み、時折、顔を横に向けて歩哨達の動きを確認し、安全を確認する。

 路上にあるワンボックスの残骸まで進み、陰に身を潜めると横に転がって仰向けになった。


 『牛の歩みも千里』 って、言葉があるけど……


 「しんどい」


 星を見ながら静かにボヤくと、喉の渇きを覚えたのか、腰に手をやろうとする。が、涼介の手は途中で止まった。


 そういや、水筒を置いて行ったんだった……


 音を立てぬ為に装具の大半を置いた事を思い出し、溜め息を吐いてしまった。

 喉の渇きを忘れようとする様にゆっくりと転がり、俯せになった涼介は顔を横に向け、ワンボックスの下から向こう側を伺う。すると、白い明かりと一緒に足が見えた。

 足の主を目で追うと駐車場から出て、建物から離れて行く。少しだけ前に進み、ワンボックスのフロント脇から少しだけ顔を出して離れようとするのを見た涼介は、左手を支えにして慎重に立ち上がった。

 身を屈めたまま、背中にイーリャを背負った男の後を追う。少しすると、彼は突如、ズボンを下ろし始めた。


 「クソッ! 腹がいてぇ……」


 そんな言葉を漏らした男は力んでいるのか、小さく震える。

 無防備にトイレを済まそうとする彼の背後から、静かに歩み寄る。途中、左の袖に右手を入れ、中から刃渡り5インチ程の細いダガーナイフを抜いた。

 ダガーナイフを逆手に持ち直した涼介は力む事に集中し、後ろがガラ空きの彼の背後から左手で鼻と口を同時に塞ぐ。突如、乱暴に鼻と口を強く押さえられ、驚く彼が暴れる寸前に刃を寝かせたダガーナイフが首に突き立てられた。

 男は心臓が脈打つ度に頸動脈から血が勢い良く流し、ジタバタと激しくもがき、苦しみ暴れる。


 『頸動脈を切り裂いたら、10秒くらい暴れるからのし掛かって押さえ込め。後、仲間が居て陽動したいなら、腎臓や肝臓をブッ刺せば大きな悲鳴を挙げさせられるわよ?』


 そんな言葉を振り返る様に涼介は、のし掛かる。男に60㎏以上ある涼介を押し返す力は残されておらず、そのまま押さえ込まれてしまった。

 男がだらりと完全に脱力し、動かなくなる。地面に大きな水溜まりが出来ていた。

 後ろを振り返る。幸い、誰も居なかった。涼介はダガーナイフから紅く染まった手を離して立ち上がると、刃を首に刺さったまま男の脇の下に手を入れ、路地裏へ引きずり込む。


 先ず、1人……


 何時もの事の如く平然と血に染めた手でダガーナイフを引き抜いた涼介は、男の服に刃を擦り付けて血を拭った。拭袖を捲り、ベルトで左前腕に固定された鞘に戻す。

 死体を隠し、路地から出た涼介は来た道を戻らず、敢えて反対側へ歩みを進める。数分ばかり歩くと職員用の出入口と商品搬入口のある裏口に出た。

 裏口にも歩哨見張りが居た。表と違い人数は、二人と少ない。

 二人の歩哨見張りの内、片方は周りを面倒臭そうに見回し、警戒している。

 もう片方の歩哨は、シャッターが固く閉ざされた搬入口の前に置かれた椅子に座り、呑気に欠伸をしていた。そんな歩哨の姿を後ろから見ると涼介は思わず、砂埃で汚れたクーフィーヤの中でニンマリと笑ってしまう。

 それでも慎重に建物の陰から様子を伺っている間に椅子に座っている奴が、ウトウトと舟を漕ぎ始める。そのまま眺めていると、男は首を俯かせたまま動かなくなった。

 視線の先で男が居眠りをし始めた瞬間、歩き出す。歩哨見張りの背後から静かに忍び寄った涼介は、両手で相手の頭を掴んだ。


 「!!?」


 男は声を挙げる間も無く、頭を勢い良く捻られた。見ると、首は明後日の方向を向き、息をしてなかった。


 『確実に静かに殺すなら、首の骨を折りなさい……』


 メスゴリラでなくても、コツさえ掴めば素手で首の骨程度、折って殺せる。

 ナイフは刺した後にジタバタ暴れるから、刺した後で静かにさせるのが難しいんだよな……


 自分の手の中で物言わぬ屍と化した男を、静かに地面へ寝かせると師匠が実演して見せた殺しを思い出して溜め息を吐いてしまう。


 良かった。コイツがバカマシンガンを紐で手首と繋げてて……


 仲間が死んだと言うのに男は未だに睡魔に身を委ね、夢の中であった。男の前で静かに佇み、眺めるとダガーナイフを鞘に収める。

 何を思い付いたのか、脇の小さな台に置かれたランプの風防ガラスを取り、吹き消す。それから殺したばかりの死体に歩み寄り、しゃがみ込んだ。


 同じ手だけど、それなりに効果は有る。

 しかし、コイツら平気で手榴弾のピンに紐括って吊るして居られるな……


 腰からピンに紐を通した破片手榴弾に呆れた涼介は、それを手に取って死体の下に押し込む。2つあったので、反対側にも押し込んだ。

 死体にプレゼントを残してから立ち上がると、近くにあったライトに近付いてスイッチを切る。

 そうして、裏口に闇を作り出した涼介は、音も無く裏口から消えたのであった。





 反対側の道路から表側に戻った涼介は、正面玄関の脇から駐車場に忍び込んだ。その後は今までと同じ要領で、周りを見回してから1人ずつ背後から忍び寄り、口と鼻を塞いで頸動脈をダガーナイフで切り裂くか、首の骨をへし折っていく。

 そうして、表に居た者達を気付かれる事も音も立てる事無く殺し終えた頃には、涼介の姿はダガーナイフと手ばかりで無く、クーフィーヤと服も返り血で染まって居た。

 1振りのダガーナイフと己の両手だけで見張りをほぼ全て殺した所で、漸く一息吐く事が出来た。


 「ふぅぅぅ……後は、テクニカルだけど、どうするかな……」


 荷台に巨大な4連装対空機関銃を据えたピックアップトラックとルーフが無い代わりにロールバーを組み込み、上部に50口径重機関銃を載せただけのSUV。その2台のテクニカル武装車両をどうするか?

 涼介は決めあぐねて居た。


 爆薬で吹っ飛ばす……持ってないから無理。手榴弾程度じゃ爆破するにしても、燃料に引火させんと効果は見込めない。

 燃料を振り掛けて火を点ける……燃料タンクに火種投げ込めば簡単に"消毒"出来る。けど、直ぐにブチ切れたバンディッツ達からなぶり殺しにされる末路しかない。

 機関銃をバラ解体して、タイヤを切っておく……全部タイヤ切っても、予備のタイヤがある可能性濃厚。武器をバラす解体するにしても、こんな暗闇じゃ、難しい。つうか……デシーカなら兎も角、ファイティングドラムを解体とか1人じゃ無理!


 「このバ火力と機動力さえ潰せれば、良いんだけど……」


 ファイティングドラムに固定されたシートで切り裂かれた首を紅く染め、グッタリと座ったまま動かなバンディッツを眺めた。良くみると、夜明けが近いのか、空が若干明るく感じる。

 だが、何か思い付いたのか、涼介はファイティングドラムが載せられた荷台に上がり込んで死体を退かすと、左右に2つずつ取り付けられた錆びだらけの大きなの蓋を開ける。

 どの中にも涼介の使う7.62㎜ライフル弾の倍以上ある砲弾の様に大きな15㎜重機関銃弾が多数、ベルトリンクに列なった状態で収められていた。


 弾は有る。


 弾を確認した涼介は血溜まりの出来たファイティングドラムのシートに座り、胸の前に取り付けられた車のステアリングにも似た小さなハンドルを両手で掴む。

 ハンドルを回すとファイティングドラムの向きが左右に動き、束ねられた4つの銃身の仰角も緩やかに動いた。


 おっしゃ、左右上下にも動く。確か、フットペダルがトリガーだったよな?

 だけど、その前に……


 ファイティングドラムを載せたテクニカルから降りると、隣に停められたデシーカを載せたテクニカルに向かった。涼介は運転席に赴くと、給油口とボンネットを開ける。

 ボンネットを完全に上げてから後ろへ回り、給油キャップを外す。そのまま後部に回った所で、ラックに固定されたジェリ缶を取り、蓋を開けて中身をテクニカルにブチ撒ける。特に運転席とボンネットの中、エンジンルームやデシーカの弾が詰まった弾薬箱とデシーカ、給油口の周りを念入りに撒いた。

 酷い揮発性を感じさせる臭いを漂わせるテクニカルから降りてボンネットを閉めると、ファイティングドラムが載せられたテクニカルの運転席に乗り込んだ。IGコイルに突き刺さってるキーを回し、エンジンを始動させると建物が騒がしくなる。

 それと、同時に重なって響く爆発音が夜の静寂を叩き壊した。それを聴くと即座に涼介はシフトを入れ、サイドブレーキを下ろしてアクセルを一気に踏み込み、走り出す。


 「ふざけやがって!! 撃て!! 撃てッ!!」


 ボスらしき中年の男が怒鳴れば、バカマシンガンやイーリャ等を持った手下達が走り去ろうとするテクニカルの後ろ姿に向け、撃ちまくった。無数の銃弾がテクニカルに襲い掛かる。


 「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! "盾"が有るって言っても恐ぇぇぇ!!」


 今まで抑えてた感情を爆発させる様に喚き散らす。後ろから迫る銃弾は、テクニカルの荷台のフレームに幾多の孔を穿つ。しかし、ファイティングドラムと言う非常に頑丈な鉄の塊に傷を付ける事は出来ても、貫通する事は無かった。

 暫くすると、バカマシンガンの銃声が止む。だが、イーリャの重い銃声は未だ夜に響き渡っている。

 そんな時、1人のバンディッツがデシーカの設置されたテクニカルに乗り込んだ。荷台に他のバンディッツ達が乗り込み、運転席に乗り込んだ者がエンジンを掛ける寸前、デシーカに取り付いた男がトリガーを押す。


 「アア"ア"ァァァァ!!?」


 その瞬間、爆音と共に紅蓮の炎がテクニカルを包み込み、何人もの悲鳴が挙がった。そんな様子を遠目から見詰めて居た涼介は、耳に布切れを詰め込んで栓をする。

 ファイティングドラムのシートに座るやハンドルを操作し、燃え上がる駐車場に4本の銃身を向けて足元のトリガーペダルを奥まで踏み込んだ。

 落雷にも似た銃声が絶え間無く響く。ライフルの銃火とは比べ物にならぬ砲火にも似た銃火の先で、悲鳴が挙がっていた。

 1000m先に置かれた厚さ32㎜の鋼板すら細切れにするファイティングドラムによる激しい演奏が止むと、夜に静寂が戻る。


 「ゲホッ! ゲホッ! 耳が痛ぇぇぇ!!」


 もうもうと辺りを満たす硝煙に咳き込みながら払い、ジールを撃ったよりも酷い耳鳴りに文句を言うと、涼介はコンバットベストとガンベルトと言った装具を装備し直した。

 その上からいつもの様にポンチョを纏った所で、大きな瓦礫の塊に腰を下ろした涼介は少しの間、自身の行いを見詰める様に眺めるのであった。



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