第6話


 この世界の夜に明かりは殆ど無い。と、言っても過言ではない。

 日本なら街灯や自動販売機、それに家の防犯ライトや建物から漏れる照明によって照らされ、夜は暗い程度にしか感じなかった。

 だが、この世界は違う……

 廃墟から照明が漏れ、外を照らす事も無ければ、街灯常夜灯も自動販売機も防犯ライトすら無い。有るとすれば、時折、雲からチラリと月が顔を覗かせ、仄かな明かりで照らしてくれる程度だ。

 この宵闇は月明かりが微かに有るとは言え、完全な闇と言えた。

 周りは殆ど何も見えず、視力が役に立たないからか、耳と鼻がそれを補おうと敏感になっている。だからだろう……風に乗って腐敗臭や動物の糞の臭いが鼻を突くし、風の音が不気味に感じてしまう。

 そんな闇の中であっても涼介は歩みを止めず、進み続ける。唯々、静かに闇の中を歩く涼介の耳には、自分の足音と風の音しか聞こえなかった。

 ふと、気が付くと風の音が変わった。肌を介して風の勢いと向きが変わったのを感じ取ると同時に、首の後ろに痛みを覚えた涼介は、足を止めて膝を付いてしゃがむ。

 イーリャから手を離して耳に当てると、目を瞑って周りの音を聴き逃さんと神経を集中させた。すると、風の音に混じってパチパチと何かが弾ける音が、前から聴こえて来る。

 目を開けた涼介はゴーグルを積もった砂埃を袖で払い、音のする方を見るや頭を抱えてしまう。

 視線の先にあったのは、蒼白く放電して仄かに光り、ゆらゆらと揺れて浮かぶ球体であった。何も無かった空間から突如現れた球体は、フラフラと不規則かつゆっくりと浮かび、闇を照らしながら動き回る。

 そんな時、その球体に1匹のクローカーが照らされた。クローカーは涼介を見て吠えようとする。が、球体がクローカーに触れた。


 「ギュアアァァァァ!!?」


 目映い閃光と共に悲鳴が挙がった。球体に照らされ、地面に倒れたクローカーから白い煙が上がるの見える。

 肉が焼け焦げた独特の臭いが、クーフィーヤ越しに涼介の鼻孔を刺激する。だが、そんな臭いよりも球体の動きの方が気になっていた。


 エレクトラか……


 エレクトラ……それが目の前を浮かび、彷徨う球の呼び名であった。何故か、突如空間から現れ、触れたモノをクローカーと同じ目に合わせる。

 そんなエレクトラに照らされ、一瞬だけ見えた陽炎の様に揺れる空間を見た涼介はライトを取り出すと、陽炎があった方を照らした。


 嫌な予感がヒシヒシと感じるなぁ……首がズキズキするし。


 足下に落ちてた錆びの浮いた空き缶を陽炎に向け、投げる。宙を舞う空き缶は陽炎に触れた瞬間、見えない何かに引っ張られたかの様に勢いよく動いた。

 10mほど動いた缶は浮いたままであった。が、耳を澄ませるとミシミシと軋む音がする。

 缶は耳障りな金属音を響かせて段々と、小さくなって行く。其れを見た涼介は即座に地面に伏せると、陽炎の中で浮かぶ缶は小さな玉と化して甲高い音と共に弾けた。

 砕けて細かくなった缶の破片が地面に散らばり、ばら蒔かれる。それが収まると顔を上げた涼介は、溜め息を吐く。


 「やっぱり、"プレリース"か……最悪」


 プレリース……陽炎の様に空間を歪めているソレは、広範囲に渡って謎の重力場を空間に形成する。

 その重力場に引き摺り込まれれば、投げ込まれた缶が教えてくれる。人間が引き摺り込まれれば、目の前で飛び散る焼け焦げたクローカーだった肉片の如く地面にを作る事になる。

 こうした目の前で起きた説明が出来ない現象は、何の前触れもなく現れると暫く経ってから消える。それは数分で消える事も有れば、1週間過ぎないと消えない事もあった。

 何で発生するのか? 説明が出来ない未知の現象を人々は『アノマリーAnomaly』 と、呼んでいる。

 そんなアノマリーの中でもエレクトラやプレリースは、よく見られる身近なタイプであると同時に触れたが最後……

 クローカーと同じ悲惨な結末を迎える危険なモノであった。

 そんな危ないアノマリーを照らしていた涼介は、ライトを消す。すると、パチパチと音を鳴らしながらエレクトラが幾つも現れた。

 エレクトラは一気に数を増やし、それぞれ交差しながら浮遊して動き回る。その様子に思わず、苛立ち混じりに大きな舌打ちをしながらも直ぐに立ち上がって後ろへ下がった。

 20mばかり後ろに下がった所で、ライトで辺り一面を照らす。周りに死体や焼け焦げた残骸、廃墟は有っても、アノマリーや生き物の姿は無かった。

 涼介は避難と姿を隠す意味も兼ね、目の前にある廃墟へと駆け込んだ。中に入るとライトで照らし、周りを見た。

 安全を確認して、ホッと一息吐いてからマップケースにあるコンパスと地図を取り出した。地図を広げ、歩いた時間を腕時計で確認し、地図に刺さった赤いピンとコンパスの示す方角を元に地図上の現在地を探し始める。


 駐車場が、この赤いピン。方角は南西で、歩いた時間は30分程度……半分より少なめと見るべきか?


 大まかながら現在地を確認すると、今度は目的地までの別ルートを探し始めた。


 アノマリーを避けながら大きく迂回するか?

 だけど、さっきみたいにはぐれたクローカーが居たら不味い。銃を撃ったら、間違いなく連中バンディッツに警戒される。

 アレ? このマークは確か……


 地図に載っていた記号に気付いた涼介は、現在地との距離を確認する。


 そう言えば、来る途中にメトロ地下鉄の入口があったな……

 狭いし、暗い。多分、否、間違い無くクローカーとか居そうだけど銃を撃ってもバンディッツに感付かれない。

 オマケにキチンと行ければ、連中バンディッツの隠れ家近くに出れる筈……


 どう進むか? 決まった。地図とコンパスを戻し、脇に置いていたイーリャを手にし、涼介は廃墟から出る。

 再び、ライトで周りを照らした。特に来た道は入念に確認する。そうしてアノマリーが無い事を確認した涼介は、ライトをしまって足を踏み出した。

 そして、そのまま歩んだ道を引き返すのであった。





 暫くの間、ライトで周りを照らして見てから消し、暗闇の中を歩く。と、言った手間の掛かる方法で進む。

 それはエレクトラやプレリースと言った危険なアノマリー……特にプレリースの存在が有る為であった。

 エレクトラならばパチパチと音を響かせ、蒼白い放電して光るので直ぐに解る。だが、プレリースは空間を陽炎の様に歪ませるだけで、音はしない。

 それ故、目で見て確認するしか見付ける方法は無かった。もし、プレリースに引っ掛かればどうなるか?

 改めて言う迄も無いだろう……

 途中、エレクトラを避けたり、プレリースに阻まれて迂回したが、涼介は無事に地下鉄メトロの出入口の前に辿り着く事が出来た。

 ソッと階段を覗く。地下鉄へ通じる階段は完全な闇に覆われ、何も見えなかった。腰の雑嚢から消火器のハンドルが付いたダイナモ発電機を出すと、そこから伸びた2本の線をヘッドランプに繋いでハンドルを握る。

 何度も握る度にカチンカチンと音が鳴り、ハンドルダイナモ内のモーターが回った。そんなダイナモの脇に取り付けられたEを指していた電圧計の針は、Fへ近づいて行く。

 そうして、針がFで止まると、ダイナモをサッチェルに戻した。ヘッドランプのスイッチを入れ、階段を照らすと涼介の目に砕けて無数に散らばる骨が飛び込んで来た。


 「選択誤っちまったかな……」


 無数の死者が眠る地下墳墓カタコンベと化した地下鉄を見ると、涼介は自分の選択に後悔してしまう。だが、ここまで来た以上、下がるのも馬鹿馬鹿しく感じていた。

 涼介はイーリャのバレルにライトをダクトテープでグルグルと巻いて固定し、スイッチを入れる。唾を呑み込んで深呼吸し、緊張する心をリラックスさせ、イーリャのライトとヘッドランプで闇を照らしながら、階段を1段、1段、踏み締めて降りる。

 何か感じたのか、涼介は足を止めて周りを照らし、見回す。しかし、他の姿は見えなかった。それにホッとすると、再び、階段を降り始める。

 階段を降りると、地下鉄メトロの通路は完全な闇しか見えなかった。ライトで照らしてると言うのに、奥まで見る事は出来なかった。

 そんな闇の中へ足を踏み入れる。周りや足下を照らしながら歩いてるが、それでも闇の中に居る不安は拭えない。

 自分の足音が壁や天井を跳ね回り、反響しているのは理解してる。それでも涼介は、闇にのし掛かられて重苦しい気分と息苦しさを感じていた。

 そんな時、足音とは異なる音がした。何度も照らし、周りを見渡す。しかし、有ったのは床一面に広がる無数の髑髏。壁には剥げて消えたポスターの跡や、誰かの為に宛てたであろうメッセージが刻まれているだけであった。

 後ろを振り替えるが、何も無い。

 溜め息を吐いて前を向いた瞬間、それは聴こえた。


 「熱い、熱い……」

 「寒い……」

 「痛い! 痛いよ痛いよ!!」

 「ママは何処? ママァ!! ママどこぉぉぉ!?」

 「此所は何処なんだ!?」

 「坊や……坊やは何処? 私の坊やは何処なのぉ!? ぼうやぁぁぁ!!」


 幾つもの声が聴こえる。それは男の声で、女の声で、子供の声、老人の声でもあった。それら異なる声は全て悲痛に満ちており、幾重にも重なって聴こえて来る。

 涼介は声の正体を探ろうとはしなかった。否、出来なかった……と、言うべきだろう。

 声と一緒に左右の壁から、天井から、床から無数の腕が飛び出し、涼介の身体を掴もうとして来た。


 「糞! 離せ! 離しやがれ!!」


 涼介怒鳴り、 "腕"を振り払おうとする。だが、絶え間無く声を響かせる"腕"は足掻く涼介を意を介さず掴み、動きを阻む。もがき、足掻く内に涼介のヘッドランプ、イーリャにテープで無理矢理固定されていたライトが消えた。

 闇が涼介を呑み込む。そればかりか、"腕"に引っ張られてズブズブと行く。そんな状態でもイーリャのグリップを離さなかった涼介はセレクターを親指で弾き、トリガーを引いた。

 声を掻き消さんばかりの銃声が響く度に闇をこうごうと銃火が照らし出し、壁や天井へ乱雑に銃弾が叩き込まれた。左右の壁と天井の"腕"は驚き、畏縮したのかいつの間にか涼介を手離していた。だが、床の腕は今も闇に引き摺り込まんと手離す事はない。

 気が付けば、涼介は腰から下を呑み込まれていた。


 「生きてるのにあの世に逝ってたまるかぁぁぁ!!」


 両腕が自由になった涼介は空になったイーリャを棄て、胸のパウチから円柱状のスプレー缶に似たグレネードを手に取り出した。ピンを抜き、そのまま落とす。

 グレネードは水に落ちた様に闇の中に沈んで行く。すると、涼介を呑み込んでいた闇から炎が上がった。

 闇が消え、2つのライトが光を取り戻した。さっき迄の息苦しさや声も嘘の様に消えていた。しかし、涼介は闇から逃れ出た事を喜んでいなかった。

 何故なら、焼夷グレネードによってを消すのに必死なのだから……


 「熱ッ!? 熱い! 熱い! 熱い!!」


 装具が取り付けられたガンベルトを外し、燃え上がるズボンを脱ぎ、バックパックとジールを乱暴に下ろした所で涼介は、ポンチョをズボンに被せて倒れ込んだ。炎は何とか消せた。

 至る所が焼け焦げたズボンに溜め息を吐くと自分の脚に薬を塗り、包帯を巻いて焼けた箇所を処置する。それが終わると焼け焦げたズボンを履き、ブーツの中に裾を入れ込んでガンベルト巻いた。


 「ヤバかった……マジでヤバかった……」


 床に座り込んで肩で荒く息する涼介はイーリャに弾を込め直し、 空のマガジンをバックパックに入れると周りを見回す。

 壁や天井には幾つもの弾痕が残り、自分の脚も焼けていた。しかし、床には焦げ跡が

 有るのは、埃や砕けた骨で出来た足跡だけであった。


 「相変わらず訳が解らねぇ……境界ラインって奴は……」


 涼介は水を一口飲み、息を整えると立ち上がってバックパックとジールを背負うと、イーリャを取り上げてチャージングハンドルを引く。セレクターをセフティに合わせると、再び、歩き出した。

 通路を進むと照らされた改札機が見えた。


 お、有った路線図だ。


 改札機の近くの壁に残った蜘蛛の巣にも見える当時の路線図を見ると、地図に載っていた駅名を探す。


 今居るのはノー・ルーデン駅。

 巣の近くにある駅は一駅隣のガー・ルーデン駅……有った!


 駅を見付けると、その方向にある大きな駅と路線を見る。


 どのホームからも行けるのか……


 行き方が解ると、後ろを振り返って改札機を潜った。

 暗い通路を進んでると、イーリャのライトが消えた。スイッチを入れ直したり、叩いたりしても死体から盗ったライトは点く事はなかった。


 「ボロめ壊れたのか?」


 呆れ気味にボヤいてスイッチを切ると、今度はヘッドランプが若干、暗くなった様に感じた。


 「おい、未だそんな時間経ってねぇだろうが……」


 悪態の声に恐怖が混じっていた。涼介はダイナモを取り、ヘッドランプに配線を繋いでカチカチとハンドルを握って充電する。

 すると、弱々しかった光が強くなった。


 『闇を恐れるな』 って、言うけど……


 「無理だ。恐いよ、師匠レイラ……」


 涼介の口から弱々しい声を漏らすと、頭を振るってから深呼吸する。

 気分を一新させると、闇の中へ踏み込むのであった。



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